仏具
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/28 23:36 UTC 版)
仏具(ぶつぐ)は、仏教の儀式で使用される日用品とは異なる特殊な道具、あるいは僧侶などの聖職者が使用する装飾品の事である。法具、法器とも言う。
起源と歴史
仏教では本来、僧侶は、最低限の着物と食器である三衣一鉢以外の金品の所有を戒律で禁じられていたが、釈迦の死後100年が経過すると、信者から寄付された最低限の金銭や日用品の個人所有の許可を求める一派と、戒律を遵守する保守派に教団が分裂し(根本分裂)、許可派では僧侶の三衣一鉢以外の金品の個人所有が認められるようになった。
紀元を過ぎて、西域や中国にも仏教が伝播するようになると、僧侶は人々の間で祈祷や葬式などの儀式を司るようになり、それに応じて儀式で使用される道具が開発された。
更に7世紀になると、インドで広まった密教が中国やチベットに導入され、金剛杵や曼荼羅など、特殊な仏具が使用されるようになった。
また、中国で成立した浄土信仰は仏教を爆発的に民衆の間に広め、僧侶を介しての仏への信仰から個々の信者自身が直接仏へ信仰する形態が一般社会に定着し、数珠や仏画などの仏具を僧侶ではない普通の信者が家庭で使用するようになった。
なお、国の伝統工芸品に指定されている京仏具をはじめとして各地に仏壇、仏具の産地がある。
仏具の一覧
儀式で使用する物
- 本尊(仏像、仏画、曼荼羅)
- 仏壇(厨子)
- 三具足(五具足)
- 蝋燭
- 香炉
- 香盒(香合)
- 燭台
- 花瓶
- 机(卓)類
- 経机(経卓)
- 上卓
- 前卓
- 曲録
- 経典・勤行集
- 仏飯器
- 輪灯
- 瓔珞
- 灯籠
- 打敷
- 華瓶
- 位牌
- 法名軸
- 過去帳
- 閼伽棚
- 金剛杵
- 禅ショウ
- 仏旗
鳴物・打物
- 梵鐘
- 喚鐘[1]
- 木魚
- 木柾
- 鈴(りん) - 寺院用仏具は「磬」(きん)と呼ぶ。浄土真宗では「鏧」(きん)の字を用いる[2]。
- りん台 - 寺院用仏具は「磬台」(きんだい)という。浄土真宗では「鏧台」(きんだい)と表記する。
- りん棒・撥(ばち)
- 印金
- 錫杖
- 団扇太鼓
- 磬(けい) - 寺院用仏具で「けい」と読む。元々は美しい音のする薄く板状の石で出来た鳴物で、「鏧」(きん)とは別の仏具である。現在は、石ではなく鋳物を用いる。[3]
- 磬架(けいか) - 磬を紐で吊るして懸ける台。
- 音木(おんぎ) - 複数人で読経する際に揃えるために用いられる拍子木。[4]
装飾品
- 袈裟・半袈裟・略肩衣(門徒式章)
- 数珠(念珠)
- 如意
- 竹箆‐ 仏教の指導で用いられていた竹の棒。体罰が問題になってからは、飾りとなっており、役割の一部は座禅で眠気を取るため叩く警策となっている[5]。ちなみに、子供の遊戯のしっぺや[6]、やられたことの仕返しの竹箆返し(しっぺがえし)などの語源ともなっている[7]。
- 中啓(扇子)
- 毘炉帽
その他
ギャラリー
-
仏壇(金仏壇)
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梵鐘
-
木魚
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数珠
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坐蒲
脚注
- ^ 『真宗の儀式-声明作法-』P.73「喚鐘」
- ^ 『真宗の儀式-声明作法-』P.65「鏧」の打ち方
- ^ 『真宗の儀式-声明作法-』P.76「磬」
- ^ 『真宗の儀式-声明作法-』P.69「音木の打ち方と示経について」
- ^ 竹箆 国際禅学研究所
- ^ 国立国会図書館. “「竹箆(しっぺい)」という、宮中で用いられた刑(罰)具があるが、これ以外に宮中で刑具に用いられたもの...”. レファレンス協同データベース. 2023年9月28日閲覧。
- ^ 読めそうで読めない!【竹篦返し】 この漢字なんと読む? 小学館
参考文献
- 鎌倉新書編 『寺院用仏具事典』 鎌倉新書、2003年
- 権田雷斧 『真言密教法具便覧』 八幡書店、2010年、ISBN 978-4893506740
- 真宗大谷派教師養成のための教科書 編『真宗の儀式-声明作法-』真宗大谷派宗務所出版部、1998年。ISBN 4-8341-0259-9。
関連項目
仏具
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「長崎県指定文化財一覧」の記事における「仏具」の解説
国指定重文に指定されている仏具は、対馬多久頭魂神社の梵鐘(観音堂から移設)と金鼓(朝鮮から伝来)、同じく対馬旧清玄寺の梵鐘(のちに万松院に移設)の計3件である。 名称位置指定日解説大宝寺の梵鐘(一口) 五島市玉之浦町大宝 大宝寺 1964年3月16日 応安8年(1375年)、小倉の鋳物師藤原顕宗が鋳造したとする銘が池の間に刻まれている。同じく真言宗の「幡州多賀郡(現西脇市)」西林寺住職の増信が発願して大宝寺に贈られた。下帯は無紋で乳は4段4列、八葉蓮弁の撞座とシンプルな装飾。 金蔵寺の梵鐘 壱岐市勝本町新城西触 金蔵寺 1977年1月11日 応永19年(1412年)、丹治比系の鋳物師丹国吉が鋳造したとする銘がある。銘によると、本来は金蔵寺に近い本宮寺の梵鐘として作られた。釣手頂上の宝珠が欠落している。撞座の文様は八葉蓮弁に蓮実と間弁を巡らした八葉被弁蓮草文を象る。 崇福寺の梵鐘 長崎市鍛冶屋町 崇福寺 1960年7月13日 正保4年(1647年)に長崎の鋳物師阿山助右衛門藤原国久が鋳造した梵鐘。鐘そのものはオーソドックスな造りだが、草の間に刻まれた発願者の2代住持百拙、寄進をした何高材をはじめとする華僑檀越の連名と寄進額は史料価値が高く、長崎華僑の経済的興亡を知る手がかりとされる。 大平寺梵鐘 対馬市厳原町中村 太平寺 1964年10月16日 江戸時代前期に鋳造されたと推測される無銘の鐘。鐘身に装飾を施す朝鮮鐘の特徴を継承しつつ国産されたもので、笠形の瑞雲文、上帯に楽器、乳の間に唐草紋、鐘身に山水風景と十六羅漢を浮彫りに鋳込んで一幅の画となっている。撞座は単弁八葉の蓮華文である。 円通寺梵鐘 対馬市峰町佐賀 円通寺 1975年1月7日 李朝初期に朝鮮で鋳造されたと推測される無銘の鐘。鐘の形状は下辺縁廻りが八葉に波打った中国鐘で、全面に朝鮮鐘特有の装飾が施されている。上段の乳の間の隙間に菩薩4躯、下段の草の間には4面の円形撞座と四天王立像が並び、帯にも多種多様な文様が施されている。 善福寺鰐口 松浦市今福町仏坂免 善福寺 1971年9月14日 正平10年(1355年)に松浦党の丹後亀童丸(松浦直)が寄進した旨が刻まれている。善福寺が松浦久を祀る今宮神社の別当であった縁が寄進の動機と推測される。釣手の耳は片面式、撞座は蓮華文。口の出や眼が小さい古式な面持ちで、甲面は薄い。 金蔵寺の鰐口 壱岐市勝本町新城西触 金蔵寺 1977年1月11日 応永7年(1400年)に鏡二宮へ施入された旨が刻まれている。鏡二宮は唐津市の鏡神社と推測され、金蔵寺に渡った経緯は判明していない。釣手の耳は片面交替式、撞座は素文円形。口の出や眼が小さい古式な面持ちで、甲面は紐帯で3区に分けられている。 定光寺の銅製雲版 壱岐市芦辺町湯岳本村触 定光寺 1974年10月8日 嘉吉3年(1443年)、氏女慶幸なる人物が寿命長遠福禄円成を祈願して施入した旨が刻まれている。片面式で釣手穴は2個、撞座は筋の入った四葉重弁の蓮華文が象られている。頭頂部には稜の膨らみがあり、外周部の腰にくびれが施されている。 最教寺の繍帳誕生仏 一幅 平戸市岩の上町 最教寺 1974年10月8日 李朝時代の作と推測される四方4尺を超える刺繍の誕生仏。松浦鎮信請来の品と伝えられる。白竜と青竜から甘露を受ける釈迦を中心に、乱舞する天人や鳳凰、祝福に参内する衆生30人の図が金糸・紫糸など多彩な糸で描かれている。 世知原の懸仏 佐世保市世知原町笥瀬 個人蔵 1968年4月23日 個人所有の円形掛仏。円盤の下部に仏の坐像が乗っているシンプルなデザインで、釣環座は2つで両側から釣る。現当世円満を祈願して正応4年(1291年)に製作された旨が裏面に記録されており、製作時期が明瞭な掛仏としては県内最古のものである。 鷹島住吉神社の懸仏53面ほか一括 松浦市鷹島町里免 住吉神社 1974年10月8日 約500年前に勧進されたといわれる住吉神社に納められた多様な懸仏53面。一説には松浦党の軍船に飾られたものもあるという。住吉神と同じく航海安全の利益がある聖観音や十一面観音、如意輪観音ら観音が中心で、疾病快癒の薬師如来もある。 田平熊野神社の懸仏 平戸市田平町里免 里田原歴史民俗資料館 2008年2月22日 鎌倉時代後期から室町時代にかけた中世に作られ、熊野神社に納められた20点以上の掛仏。中には正応4年(1291年)墨書の例もある。円形の台に仏1躯、両側から吊るす形式で、造形上の特徴から畿内で作成されたと推測される。 最教寺の懸仏 平戸市岩の上町 最教寺 1974年4月9日 桃山時代の作と推測される檜板銅板張りの大判懸仏。本来は小値賀町長楽寺のもので、明治初期に廃寺となったために移された。獅子頭の釣環座で両側から釣る。内区は不動明王と毘沙門天を従えた十一面観音、外区は三鈷杵文と転宝輪文が並ぶ。
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