ね‐ぶつ【▽念仏】
ねん‐ぶつ【念仏】
念仏(ねんぶつ)
念仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/14 11:55 UTC 版)
念仏(ねんぶつ)とは、仏教における行のひとつで、仏の姿や功徳を思い描いたり、その名号を口に出して呼ぶこと。サンスクリット語では"Buddhānusmṛti(英語: Buddhānusmṛti)"で、仏陀に対する帰敬、礼拝、讃嘆、憶念などの意である。元来は仏(ブッダ)を思い描く等しながらの瞑想修行を指していたが、日本では、浄土宗・浄土真宗が広く普及した結果、一般的には、浄土教系の宗派において合掌礼拝時に「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)と声に出して称える「称名念仏」を指すことが多い。
注釈
- ^ (略)東アジアの浄土教において憶念の語は、殊に、阿弥陀仏や阿弥陀仏の功徳、あるいはその本願を、思って忘れぬこと、しばしばそれを思い起こすことの意に用いられる事が多い[1]。
- ^ 仏、法、僧(三宝)を心に思いとどめること、念仏、念法、念僧のこと[2][3]。
- ^ 念仏、念法、念僧、念戒、念施(念捨)、念天[2][3]。
- ^ 六隨念に念休息(念滅)、念安般(念出入息)、念身非常(念身)、念死を加える[2][3]。
- ^ 一切の諸仏が目の前に現われること
- ^ 仏の持つ諸得性を澄みきった理知のはたらきによって観察すること。
- ^ 仏やその仏国土(浄土)のすぐれた様相を心に想い描き念ずる事をいう。
- ^ これを隠元は「病に応じて薬を与える」と表現している[4]。
- ^ 「王舎城の悲劇」を導入部に観想念仏と称名念佛が説かれている。この経典は、サンスクリット原典が発見されておらず、中国もしくは中央アジア編纂説がある。
出典
- ^ 中村元 2002, p. 114.
- ^ a b c 中村元 2002, p. 1070.
- ^ a b c 多屋頼俊 1995, p. 359.
- ^ 森三樹三郎 2003, pp. 159–160.
- ^ 中村元 2002, p. 108.
- ^ “きょうのことば”. 大谷大学 (2000年8月). 2004年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月18日閲覧。
- ^ 中村元 2002, pp. 107–108.
- ^ 「青鉛筆」『朝日新聞』、1978年2月4日、朝刊、第13版、19面。
- ^ “岩下の踊り念仏(信州の文化財)”. 八十二文化財団. 2021年6月18日閲覧。
- ^ 岸田緑渓 2013, pp. 121–123.
- ^ 峰島旭雄 1961.
- ^ 坂本要 1992.
念仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 12:59 UTC 版)
一筆啓上編より登場。かつて主水と組んで仕置をしていた念仏の鉄に人相風体や気風が似ているため、誰言う事なく念仏と呼ばれている男。鉄と同じく観音長屋で骨接ぎを営んでおり、無類の女好き。
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念仏
「念仏」の例文・使い方・用例・文例
- 私が何を言ってもあなたには馬の耳に念仏ですね
- 彼にいくら説いてもまるで馬の耳に念仏だった.
- 私たちの警告も彼女には馬の耳に念仏だった.
- 首相の行政改革も空念仏に終わりそうだ.
- タバコは健康にとって危険なものだということをわからせようとしましたが, 馬の耳に念仏です.
- 夫の死後は殊勝にも頭を丸めて念仏三昧に日を送った
- 念仏の功力
- 馬の耳に念仏だ
- あの男は何を言っても馬の耳に念仏だ
- 念仏を唱える
- 彼女は念仏三昧に日を暮らしている
- 馬の耳に念仏
- あの人のは何を言っても馬の耳に念仏だ
- 鬼の念仏
- 唱名念仏する
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