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2011年8月 9日 (火)

「たった4つに分類出来る訳がない」という意見について

血液型性格判断への批判でよく見るもので、このエントリーのタイトルのような事を主張する人がいます。

でもそれは、少々的を外しています。別に、ヒトの人格・性格というものが、比較的少数の類型に分けられてはいけない理由は無いのですから。

ここで、参考になる文章を、人格心理学の本から引用してみます。

 人格の類型論は,以上のように人格を比較的少数の類型によって説明するものである。しかし,このような考え方に対しては,いくつかの問題点が指摘されている。その主要なものは,まず,多様な人格傾向を少数の類型に分類することは困難であるという批判である。たしかに,複雑な人格のすべての面を一定の型に分類することは無理である。しかし,類型論の本質は分類やカテゴリー化ではなく,類型概念によって人格の本質的な部分が説明可能であるということである。  また,類型間の境界が不明瞭であるという指摘もあるが,類型論では本来各類型の典型としての焦点(中心)が明確であることが重要であり,個人の人格をこの類型の中心からの距離(類似性)から理解することが問題で,境界は特に考慮していない。  なお,最近では上記のような問題点も考慮し,人格を観察可能な行動傾向だけから類型化するのではなく,認知,情報処理過程,覚醒水準,内的反応,表出行動などの一連の心的過程の結合パターンによって類型化するという考え方とともに,クレッチマーの気質類型に準ずるような基本的類型の中に下位類型が含まれるというような複合構造モデルが提唱されている。  類型論は,人格の中の特定の側面について類型化することを前提にしているので,各理論が人格のどの側面を類型化しているかという点を理解した上で使用することが必要であり,類型だけで人格のすべてを説明するような過剰一般化は避けなければならない。 鈴木乙史・佐々木政宏[編著]『人格心理学』(2000)P74-75より引用

要するに、いろいろな理論やモデルが、何を説明し、何を記述するために考案されたか、そして、そこに学術的な根拠があるかが重要だ、という事だろうと思います(思弁で生み出された理論は、科学的な価値には乏しいので)。
実際、何らかの分類が妥当で合理的である事が心理学的に示され、それが日常生活の観察によっても傾向として「判断」出来るものであり、そしてその分類がABO式血液型と強い関連を持つのならば、血液型性格判断という現象は成り立ちます。「そんな少ない分類が出来るはずが無い」というのは、「そもそも確かめるべき事」を、「理論的前提」としてしまっていると言えます。説明の範囲をきちんと押さえる、という意味でわきまえて使えば良いのであって、その(少数分類の)考え自体は否定されるものではありません。

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コメント

(思弁で生み出された理論は、科学的な価値には乏しいので)


これは、思弁的に構想した理論を前提にして論を展開する事の話であって、着想する事自体を云々するものではありません。

投稿: TAKESAN | 2011年8月 9日 (火) 12:19

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» [徒然]少数分類が、既に現代の心理学からは遅れていると思われる点について。 [Fragments]
「「たった4つに分類出来る訳がない」という意見について: Interdisciplinary」を見て。 類型論の本質は分類やカテゴリー化ではなく,類型概念によって人格の本質的な部分が説明可能であるということである 類型論では本来各類型の典型としての焦点(中心)が明確であること... [続きを読む]

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