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手紙①

○○○○先生

 記録的な大雪の厳しい寒さが続いております。

先生には、大変な激務の中、ご健勝のこととお察しいたします。

私は、先日来、M君が連絡をし続けています「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」の実行委員、呼びかけ人の一人の河野美代子と申します。私は、広島市内で産婦人科のクリニックを開業しています。

この「平和の夕べ」には初めから参加しています。ぜひとも今年は○○先生のお話を伺いたいと、実行委員みんな熱い思いを持っています。その思いをお伝えしたく、この手紙を書かせていただきます。

 私たち実行委員は、ヒロシマの地において、かつて被爆者青年同盟という学生運動の一角で活動していた者が、何十年の時を経て、また集まったものが中心となっています。その後に新たな人たちも加わって来ました。幼児期に原爆孤児となり、その後生きることに精一杯だったという者、お兄さんが当時広島二中の生徒で、その日のうちに亡くなったものの、焼け焦げた真っ黒な弁当箱が残り、それを原爆資料館に寄付した人もいます。爆心地近くの電車の中で被爆し、奇跡的に生き残った、今ではただ一人の電車内被爆者の方もいます。今は田舎に篭り、牛を飼いながら仏教の勉強をし、僧侶になったものもいます。水と食にこだわり、有機農法の食材の宅配をしながら、食堂をも経営している者もいます。

 時を経る中で、みなそれぞれの人生を生きて来ました。私は産婦人科医ですが、大学を卒業してすぐ、被爆二世として、何らかの被爆者のことに携わりたいと、染色体研究室に入りました。そこでは、様々な近距離被爆者の方とその子どもたち、さらにその子たちの染色体分析を行いました。当時、ABCCが多くの被爆者の染色体の分析も行い、さまざまなデータを出していましたが、それらはすべて英文の論文で、国内向けには発表されていませんでした。それらの論文を読むうちに、明らかに被爆者の子、または孫に (クラインフェルターなどの)染色体の異常が多いという論文もありました。

 被爆者にさまざまな結婚差別などがあった状況で、誰に向けてそれらの情報を開示するかという難しい問題もあったでしょうが、ただひたすら「なにも異常はない」とする発表に強い違和感を持ったこともあります。

 私たちが「そろそろ何かしようや」と集まり、そろそろと始めた会ですが、年々参加する方も増え、市民の方に期待される会になってまいりました。(明日に続きます)


2012_02070014東北支援の会場で買っておいたレトルトのカレー、赤はトマトベース、黒はたまねぎをしっかり炒めて焦がしたものがベース。半分ずつ交換して食べました。レトルトとばかにできないおいしさでした。



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