「弧闘 三浦瑠璃裁判1345日」

 私は、権力にすり寄ることで自らや自らの仕事のステータスを引き上げようともくろむ人が嫌いです。男でも、女でも。

 そんな私は、この本「弧闘 三浦瑠璃裁判1345日」というタイトルだけで引かれました。すぐに申し込んで、届くと即取り掛かって、半分徹夜で読みました。

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 読み終えた今、よくぞここまでやり切りましたねえと、著者に拍手を送りました。

 帯の裏には、「この裁判を起こすきっかけとなった三浦瑠璃氏のツイートは、私の心を深く刺し、蹂躙していった。痛みを感じないふりをして、身をすくめて、すべてが通り過ぎるのを待つこともできた。その方が楽だっただろう。その方が賢かったのかもしれない。でも自分の心の奥底は「それは違う」と言っていた。心無い発信の先に、生身の人間の痛みがある。」と書かれています。

 しんどい裁判を弁護人なしでやり切って。一審で勝訴、相手が控訴して、高裁へ。それも勝訴。そして最高裁で上告棄却、勝訴が確定した彼がしたことは、孤独な裁判でひたすら書類を作る時に聞き続け、励ましてくれた「エレファントントカシマシ」のコンサートに行くこと。そこで、宮本浩次の「悲しみの果て」を聞き、一人涙を流します。

  彼は控訴審の書類を作りながら、自分は幸せになってはいけないと思い詰めました。すべてを捨ててこの裁判に取り組むのだと。「自分にはもう本当に何もない。悲しみの感情さえ、麻痺してなくなろうとしていた。この闘いの果てがどこに繋がっているのかもわからない。できることはただ独りで進むことだけだった。私は、現世の幸せは諦めている。」

 三浦瑠璃氏の弁護人の代表は橋下徹氏、意見書は木村草太氏。三浦瑠璃氏の陳述書には、「津田大介さん」「古市憲寿さんも」「池上彰さんは」などと、そうそうたる人達の名前が沢山出て来ます。そして、三浦瑠璃さんの問題となったツイートは、「女性差別の不当性を訴えたもの」と言っています。私は、あんたに言われたくないわ、と苦笑しました。


 裁判というのは、孤独なもの。私は訴えられた裁判も、訴えた裁判も両方経験しています。そして、裁判とはならなくとも、ある政党から謝罪をしないと法的措置を取るとの通告を受けたこともあります。それらに反論のための文書を作るのは、本当にしんどいことですし、なんといっても孤独です。自分しかこれを書くことはできないと、自分を励まし励まし、立ち向かわなければなりません。

 そんな孤独な裁判をやり切って最後に彼はこんなことを言っています。

 自分自身を失ってまでしがみつくものなんて、きっとこの世にはない。今振り返ってみて、この裁判で失ったものはあっても得たものはない。でも全く後悔はしていない。「自分」が壊れないために、「自分」が「自分」のままであるために、この裁判をやるしかなかった。そして、まだ「自分」は生き残っている。私は自分の人生に、それ以上のものは求めていない。

 本当にお疲れさまでした。これからは、「現世の幸せは諦めている。」などと寂しいことは言わないで、どうぞ、楽になって、そして幸せになって下さいと、私は著者に言いたいですね。

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伊方原発広島高裁抗告審仮処分決定

昨日は、伊方原発3号機運転差し止め新規仮処分広島高裁抗告審仮処分決定文交付が行われました。ちょうどお昼時間なので、自転車で裁判所に駆け付けました。私は、伊方原発運転差し止め広島裁判の原告団の一人でもあります。

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元裁判官、「原発を止めた裁判長」の樋口英明さんや原発訴訟弁護団の団長の河合浩之弁護士も来られました。たくさんの人々が、裁判所前に集まりました。報道も沢山。

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残念ながら敗訴。

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でも、あきらめない。まだまだ戦いは続きます。

裁判所前から場所を移して、弁護士会館で記者会見、報告会が開かれました。高裁の決定要旨、抗告人団声明、弁護団声明が出され、参加者に配布されました。

 私は、午後の診療があるので、弁護士会館には行かれませんでしたが、皆さんと怒りを共有しました。伊方原発から出される温水は、瀬戸内海の環境を破壊し、さらに事故が起これば内海は死の海となるでしょう。弁護団の声明を載せますね。

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あの、3.11の福島の原発事故の教訓が全く生かされない、司法にはやはり絶望的になります。・・が、弁護団声明の最後には、「今後も闘いを続けていく。」と、力強く結ばれています。そうですね。くじけないで。

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「ハンセン氏病患者家族の勝訴」林力先生

ハンセン氏病の患者家族の方たちへの国家賠償を求める裁判で原告が勝訴したとの報道がされました。
以下、毎日新聞からですが、どの報道もほとんど同じです。

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「 約90年に及んだハンセン病患者の隔離政策により家族も深刻な差別を受けたとして、元患者の家族561人が国に1人当たり550万円(総額約30億円)の損害賠償と謝罪を求めた集団訴訟の判決で、熊本地裁は28日、隔離政策が家族への差別も助長したと認定し、初めて家族への賠償を命じた。遠藤浩太郎裁判長(佐藤道恵裁判長代読)は「隔離政策は家族が差別を受ける社会構造を生み、憲法が保障する人格権や婚姻の自由を侵害した」と指摘。原告541人に総額3億7675万円を支払うよう国に命じた。」

その報道で、原告団の団長の林力先生にお目にかかれました。

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もう94歳だと。でも、変わらずのしっかりしたお声。力強い言葉。ああ、お元気だ!!とてもうれしくて。

林力先生に広島に来て頂いたのは、いつだったでしょうか。エイズ患者さんへの差別偏見真っただ中の時、人権の勉強のためにお出で戴きました。以来、交流が続いていました。当時、九州産業大学の教授をなさっており、暫くの間同大学の一年生に人権教育としての性教育の講演の場を設けて頂きました。広大な体育館?で、新入学3000人を対象としての講演です。それは先生が退職されるまで続きました。別に、人権団体の方たちへの講演の場も用意して頂いたり。すっかりお世話になりました。以来、暫く年賀状のやりとりがありましたが、それも途絶えて。お元気だろうかと、ここの所とても気になっていました。

先生から伺ったハンセン氏病の患者に対しての差別はそれはひどいものでした。ある日突然家に多くの人が来て、縄を貼り、家中消毒されたとそして、お父様がまるで犯罪者のように連れて行かれたと。残された家族への差別。収容された患者の方たちへのひどい政策。特に、妊娠した人は、強制的に中絶させられ、出産した直後の子どもは殺され、男たちは、断種、不妊手術をされ・・・。

1960年には、感染力はとても弱いことも分かっていたし、その治療法もできていたというのに、人権蹂躙の「らい予防法」は1996年まで放置され続けたと。

林力先生の本、「山中捨五郎記-宿業をこえて」のあとがきからです。林先生へ、感謝と今後の御健康を祈ります。

「・・・出自を問うという日本人特有の差別に対して、「部落民」としても自己の存在を明らかにして胸を張り、誠実に生きている人に何人となく出会ったことは当然、わたしの心底に問いかけて来た。「何故に父を隠す」「一人娘にも隠しつづけるつもりなのか」と、屈折の想いの果てに筆をとった。それが『「癩者」の息子として』であった。父の没後十年を経ていた。三十年も前のこと。驚き、賛辞、今何のためにという疑問などいろいろあった。わたし自身にしては肩のを降ろした思いだった。不思議な事に「癩者の父」を語ることによって、今まであんなに疎ましかった父への思いがなつかしさに変わり始めた。ただ、誤解してほしくないことはあくまでもわたし個人のことである。これを他人に求めるなど、三十年前も、熊本判決後の今もまったく持ち合わせていない。わたしは教師であり、反差別運動集団の一人であったことを抜きにして「癩者の父」を語ることはありえなかった。誰でも何のためらいもなくこの病いを病んだ肉親のことを、自らのふるさとのことを、大きな声で語りうる世の中に、一刻も早くしたい思いだけだ。」

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福島みずほさんの提訴を支持します。

ヘイトスピーチ、フェイクニュースについて。福島みずほさんが、名誉棄損で訴えた事。福島みずほさんを強く支持します。

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静岡新聞の2月6日の二面の「論壇」の大きな記事。屋山太郎氏が「ギクシャクしている日韓関係」と題して、福島瑞穂さんについて、全くの事実でない記事を書いています。

屋山氏はこのような事を書いています。

「徴用工に賠償金を払えと言うことになっているが、この訴訟を日本で取り上げさせたのは福島みずほ議員。日本では敗訴したが韓国では勝った。福島氏は実妹が北朝鮮に生存している。政争の具に使うのは反則だ。」

福島みずほさんには、そもそも妹はいませんし、ご両親をさかのぼっても、彼女は日本人です。それに彼女は徴用工裁判にはかかわっていません。

みずほさんのフェイスブックから。

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福島さんの抗議に、静岡新聞は2月9日に小さな訂正記事を出したのですが。私は、屋山氏だけでなく、このようなウソを紙面に出した静岡新聞の責任も大きいと思います。

この前に、ニッカウィスキーの余市蒸留所の営業部長が、同じようなウソの内容のツイートをしつこく頻回に出していた件で、私はみずほさんに「ニッカウィスキーに抗議しましたか?黙っていてはいけないと思います。」とメールしました。

小柄な体で全国飛び回って、大活躍しているみずほさんが提訴するというのは、とても大変だと思います。私自身も名誉棄損の訴えを起こしたことがありますので、どれだけ大変か分かります。たとえ彼女自身が弁護士であっても。

でも、フェイクが流され、ネットを使って拡散され、ウソがウソを呼び続け、今や、嘘が大手を振っている社会になってしまいました。

誰かが、このような手段を使ってでも、止めなければ。

この提訴についても、いまだに屋山氏を擁護するようなネトウヨのツイートがあふれています。やはり静岡新聞の罪は大きいと思います。こんなウソを書いて、訂正文を出さなければならなくなっても、未だに静岡新聞は屋山太郎氏に論壇を書かせていると。

メディアは、政権を忖度し、政権にすり寄る評論家に自由に書かせ、今や、政権をチェックする機能が完全に失せた状況となってしまいました。

だからこそ、私は今回の福島みずほさんの提訴を支持し、応援します。

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伊方原発運転差止広島裁判・山下氏の陳述

8.6ヒロシマ平和の夕べのスタッフの仲間である山下徹さんが、この度、広島地裁の伊方原発運転差し止め広島裁判において原告の一人として意見陳述をしました。お昼時間に聞きに行きたかったのですが、午前中の診療が長引いて行くことができませんでした。でも、サイトに掲載されている山下氏の陳述を読んで、その素晴らしさに心打たれました。サイトのアドレスはここです。

http://saiban.hiroshima-net.org/

山下氏の了解を得て、私のブログにも陳述を転載させて頂きます。

伊方原発運転差止広島裁判は、広島高裁で仮処分の決定が出て、現在運転は止められています。この裁判は、その本裁判です。やはり、江田島に暮らす人々や生活についての陳述、「人」を感じるお話が胸を打つのですね。

『伊方原発広島裁判原告団

伊方原発運転差止等請求事件本案訴訟
2018 年 1 月 31 日第 9 回口頭弁論期日
意見陳述 要旨
原告 山下 徹(第 4 陣)

山下 徹と申します。瀬戸内海を死の海にしてはならない、それだけは絶対 阻止しなければならない、そういう思いで私は今回この裁判の原告になりまし た。本日は意見陳述の機会を与えていただき感謝いたします。

はじめに、2017年 12 月 13 日の広島高裁の四国電力伊方原発 3 号機の 運転即時停止の命令は伊方原発の危険性について抗告人側の主張を認めた画 期的な決定であり、心より感謝しています。

広島高裁決定が指摘するように、伊方原発は阿蘇カルデラの160km圏に すっぽり入っている“立地不適地”であり、私たちが日ごろ抱いている伊方原 発に対する不安は決して根拠のないものではないと思いました。
さらに伊方原発は日本最大の中央構造線断層帯の直近に位置していると聞 きますし、その意味では日本の原発の中でもっとも危険な原発ではないかとも 感じています。さらに3号機で使用されているのは通常ウラン燃料よりもさら に危険といわれる MOX 燃料と聞いています。

私は、広島県江田島市に住んでいます。1950 年 8 月生まれで、現在 67 歳です。脳出血による後遺症で失語症があり、寝たきりで要介護5の妻がいま す。

私が住む江田島市は、広島湾に浮かぶ江田島と能美島からなる人口約 2 万 4 千人の瀬戸内海で 4 番目に大きな島です。

江田島市は、江田島市内への通勤通学のほか、広島市や呉市を通勤通学圏と する人も多いのですが、ミカンなどの柑橘や、美観や緑化のための花卉、また キュウリ、トマトなどの野菜のハウス栽培をはじめとする農業、カキ養殖を始 めとする漁業に加え、新たに地域の活性化のために江田島市が打ち出した「オ リーブの島構想」でオリーブを特産品として育てていこうという取組もやっと 軌道に乗りかけています。また体験型修学旅行の訪問先として、主に海のない 地域の中学生や高校生たちも島を訪れてくれるようになりました。このため大規模な宿泊施設の乏しい江田島市では、新たに民泊産業とも呼ぶべき観光産業 も発展しつつあります。

人口減少と高齢化が進むなかで、これらの新たな取り組みをすることにどれ ほどの智恵とエネルギーが必要かはお分かりいただけると思います。

江田島市民のみなさんは、温暖少雨の気候と多島美など、瀬戸内海の海、山、 空の自然の恵みに、私たちの生活が、これまでもこれからも依拠していること を前提として、未来の豊かな江田島市の建設と都市圏への安全安心な食糧、食 材などの生産に誇りを持って日々いそしんでいるのです。

この瀬戸内海の面積は約19,700平方kmで、ほぼ四国の面積と同じだ そうです。 平均水深は約30数mと聞いています。 水深の分布は、10m~ 30mの水深が一番多く分布していて浅いところが多く、水深が70m以浅の 海域が全体の約98%を占めている閉鎖的な海域だそうです。

しかし、ひとたび伊方原発で事故が起きたら瀬戸内海はいつまでも汚染され、 この江田島市をはじめとする島嶼部や沿岸部で暮らす人々の生活がたちまち 破壊されてしまいます。私たちの努力も全く無に帰してしまうのです。

また、事故が起こらずとも、伊方原発の稼働による温排水によって瀬戸内海 の生態系が大きく影響を受けている可能性も指摘されています。また原子炉冷 却のために。豊かな生命を育んでいる瀬戸内海の海水を1秒間に数十トンも吸 い込み、全く稚魚、プランクトン、海の栄養分のない死の水に変えてまた瀬戸 内海に戻している、しかも海水温度から7度も高い温水に変えて吐き出してい るとも聞きます。長い目で見て、島の漁業や生態系に悪影響をあたえるだろう ことは子どもにもわかる理屈です。

江田島市は伊方原発から海を隔ててほぼ80km圏に位置しています。昨年 12月の広島高裁決定は、100km圏の広島市でも、事故が起これば放射性 物質によって生命・身体に直接的かつ重大な被害が及ぶ蓋然性が想定できる、 としています。江田島はもしかすると蓋然性どころか確実に被害が及ぶかも知 れません。

また伊方原発を運転する四国電力も、絶対苛酷事故を起こさないとは明言し ていないと聞きます。それどころか、伊方原発の地元では、将来起きるかも知 れない苛酷事故に備えて避難訓練を繰り返しているという報道も目にします。 絶対苛酷事故を起こさないなら、避難計画も避難訓練も必要ないはずです。想定されるどんな地震や津波にも耐えるのなら、原発に避難してもよいのです か?

福島第1原発事故のときは、病院や施設の入院患者や利用者のみなさんや、 人工透析患者など居宅で様々な援助を受ける人びとが避難できずに又は避難 の過程で多くの被害を受けたと聞いています。

18 歳のときから社会福祉を学び、社会福祉士として江田島市の高齢者施設 に勤務していた私は、その経験から瀬戸内海の島嶼部や沿岸部で暮らしながら 様々な支援、援助、配慮を求めている人たちの避難の困難性も肌で感じており ます。

もし伊方原発で過酷事故が起これば、間違いなく大量の放射性物質が瀬戸内 海になだれ込み、瀬戸内海は放射能で死の海になることでしょう。江田島で生 まれ育ち、そこで暮らしている者として、私たち島の人間が有形無形にどれほ ど瀬戸内海の恵みを受けているか、肌で感じております。

環境に放射能を放出するような事故を起こすことは絶対ないと保証される ならともかく、万が一でもその可能性があるなら運転しないでいただきたい。 私たちにとって命の海である瀬戸内海を放射能で死の海にすることだけはや めて欲しいのです。

科学的に安全だと思うから動かす、という説明をするのであれば、明らかに 間違いだと思います。そのように述べたとたんに、また新たな安全神話が作り 出されることになると思うのです。最近では、草津の本白根山の噴火もありま した。分からないことは分からない、リスクがあるのだということを認識した うえで、立地や再稼働の是非を判断すべきだろうと思うのです。

伊方原発を運転させてはならない、先人や私たちが営々として築いた生活を 壊してはならない、美しい瀬戸内海を子々孫々に残さなくてはならない。こう いう思いで本日意見陳述をさせていただきました。どうか伊方原発の運転停止 を命じていただきたいと心からお願いいたします。

ご清聴ありがとうございました。 』

私のクリニックには、毎週嵯峨御流の青野直甫さんがいけ花をいけて下さっています。いつもとてもかわいくて素敵なお花で私たちを和ませて下さいます。この一角はすっかり春ですね。

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岡井崇先生

先日、広島の産婦人科医会から訃報としてお知らせがありました。見て、驚きました。愛育病院の院長、元昭和大学の教授、岡井崇先生の訃報でした。

調べると、ネットにも配信されていました。岡井先生は、私にとっては、大恩人です。地方の一町医者に過ぎない私ですが、それでも助けて頂きました。

読みドクターの記事を貼り付けますね。


https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20171223-OYTET50000/ 



産科医療の安全性向上に取り組んだ昭和大客員教授で愛育病院(東京都港区)病院長の 岡井崇おかいたかしさんが21日、肺がんで死去した。70歳だった。告別式は近親者で行う。喪主は長男・巌さん。後日、 ぶ会を開く。

 超音波診断の専門家で、皇族の診療にも携わった。出産事故で脳性まひになった子どもに補償金を支払い、原因分析や再発防止策の検討も行う「産科医療補償制度」の創設に尽力。日本医療機能評価機構が運営する同制度の原因分析委員長や、日本産婦人科医会副会長などを務めた。

 産科医療の抱える課題を広く認識してもらおうと、10年前から計3作の小説を発表。出産事故や訴訟に揺れる医療現場を描いた「ノーフォールト」、生殖医療の問題点を問う「デザイナーベイビー」は、ともにテレビドラマ化された。

もう、ずいぶん前です。私はある訴訟を抱えていました。それはつらい訴訟でした。ひとりで文献を探し、人を尋ね、文章を書く。私が書いたものは膨大な量の準備書面になりました。

友人の当時四国がんセンターの名医だった日浦先生が送ってくれた文献の中に、広島にいては手に入らない貴重な論文がありました。京都大学の小西先生の論文でした。小西先生にも何回も会って頂きました。その論文を手掛かりに、次々ともつれた糸が解けるように広がりました。

関東の大学病院の教授から電話がありました。これは、全ての産婦人科医にとって貴重な裁判です。私が電話をしておきますから、昭和大学の岡井教授を訪ねて下さいと。お電話を下さった先生も岡井先生も東大人脈でした。本当にありがたく感謝申し上げました。

岡井先生に連絡を取り、お忙しい先生にアポイントを半ば強引にお願いし、それまでに数々の資料をまとめて送りました。

でも、そのアポイントメントの日、台風が来ました。この日を逃しては、もうダメかもと必死の思いで飛行場に行くと、予約していた便まで運行され、その次の便から欠航となって、本当にラッキーでした。ジェットコースターのようなすごい揺れでしたが、無事羽田に着き、品川の病院の教授室に訪ねました。私が送った資料は、先生の机の上の山の中にありました。

当然予測していたことです。私は丁寧にこれまでの事をお話し、先生の見解を録音させていただきました。それを文字に起こし、先生に読んで戴いて訂正して頂き、準備書面を作りました。教授室には何回通ったでしょうか。

京都大学の論文、そして岡井先生の準備書面、それが決定的になって、私は百パーセントの勝訴となりました。判決の日には沢山のマスコミの方が法廷にいて、もしもの時のためにコメントも用意していましたが、私が負けなかったので、全く報道されませんでした。控訴もなく、何年もの裁判が終わって、本当に開放されました。

地方の私に力を下さった岡井先生には心から感謝しています。

それにしても、この度の訃報で初めて知りました。岡井先生が私と同じ年だったとは。すごい業績でしたので、もっと年上かと思っていました。産婦人科界とって、もう少し長くいて活躍して頂きたい大切な先生でした。合掌。

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大阪でデモ行進

 昨日は、朝新幹線で出て、大阪へ。三井まり子さんの裁判の「館長雇止めバックラッシュ裁判」の支援の集会とデモ行進に参加して来ました。多くの女達があちこちから集まって、楽しい会とデモでした。デモの先頭には、車いすの人や赤ちゃん連れの人も。ギターやサックス(アメリカから丁度帰ってらっしたMASAさん)の演奏も素敵だったし、デモ周囲で配るチラシも多くの市民が次々と受け取って、しっかりアピール出来たと思います。

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 広島に帰って、夜はお寺で滝の行でした。さすがに寒くて、震えました。12時近くにうちに帰って、買って来ていた駅弁を食べてこたつに入ると、いつの間にか眠ってしまっていました。よって、ブログは一日飛びです。コメント下さっている方、ごめんなさい。今日中に必ずお返事を書きます。関西の女性達が次々と「ブログ、読んでますよ」と言って下さって、びっくり。頑張って続けようと、元気が出ました。

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性教育裁判報告集会

 以前、一度述べた「性教育バッシング広島裁判」終了の報告集会を18日日曜日に行う。すでに、スタッフと打ち合わせを済ませた。これまで、多くの人たちが「支援する会」をつくって支えて下さった。私が自ら訴えたこととはいえ、裁判というのは、本当にしんどいものである。相手からは容赦ない非難の言葉が浴びせられる。それらに一つ一つ丁寧に証拠を集め、提示し、反論をしていく。それには大変なエネルギーを要する。

 ここまで持続出来たのは、性教育に対しての、私のこれまでの努力を、こんな事でつぶされてたまるものか、という怒りのエネルギーでであったのだが、それでも、支援する会の人たちの支えがなかったら、とてもやって行けなかったと思う。ひたすら感謝、感謝の思いである。

 その日はゲストに三井まり子さんを迎える。三井さんは、私なんかより、本当にしんどい裁判を闘っている。私の裁判の相手と同じ勢力により、それまで勤務していた女性センターを一方的に首になった。東京では、七生養護学校に勤務していた先生や保護者が性教育を巡って「こころとからだの学習裁判」を闘っている。知的障がいがあるこども達に、体や命を教える、その懸命な授業を、一方的にわいせつと決めつけた勢力により、多くの教師が処分された。私の裁判は終わったけれど、まだまだ社会には、不当な勢力により苦しめられている人たちがいる。

 今日は、朝から廿日市の友人の医院で診療。お昼には、帝王切開も行った。先週も、今週も、新しい命に出会えて、本当にシアワセだと思う。そして、「フジ」で、とっさり買い物をして宮島口の我が家に来た。日曜日、三井さんがここに泊まられる。他にもきっと何人かが泊まるだろう。掃除をし、こたつを引っ張り出してセットし、ベットに冬用のボアシーツなどを敷いて、すぐに寝られる様に。何しろ、ここに人が泊まるのは、夏以来だから。お風呂も丁寧に磨く。後は、朝ご飯のメニューをあれこれ考えて、出来る範囲での準備をした。

 明日、日帰りで大阪に行く。三井さんと打ち合わせ。そして、三井さんの裁判を支援している、主に女性達がデモ行進をする。たぶん、私もそれに出るだろう。みなさんに私の裁判の報告と、お礼をぜひ述べたいから。デモなんて、学生時代以来、38年ぶりだ。頑張って来よう。だから、きっと明日はブログが書けなくて、皆様に失礼するだろう。

 皆様、私の裁判の報告書の新版が出ます。訴状や、裁判所の和解調書や、それから、私が懸命に書いて裁判所に提出した3つの陳述書、それぞれの主張について、どのような証拠を提出したかの証拠説明書、それから、弁護士の解説、多くの方達の励ましの言葉など。500円で販売するつもりです。ぜひ、ぜひ、買ってください。そして、一人でも多くの方に読んで戴いて、理解して欲しい、そう訴えます。よろしくお願いします。

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裁判がおわりました

 一部報道がされていますので、ご存じの方もおありかと思いますが、昨日、私の裁判が終了しました。私が「月刊ビジネス界」の出版社展望社とそれに連載を書いていた当時の広島市PTA協議会会長渡部武氏を名誉毀損による損害賠償で2005年6月1日に訴えたのものです。

 この終了がほぼ確定的だったため、ブログでも必死で性教育について私の思いを書かせていただいたものです。ただ、事前に和解が成立すると言うことを公表することが出来ませんでしたので、黙っていてすみませんでした。

 和解の条件は「ビジネス界」の紙上に双方の主張を掲載するというものです。ただ、双方と言っても被告側の主張は自分のメディアですから、自由に自分の主張を載せてもいいのですが、「原告の主張」を載せると言うことが書かれた側の「反論権」を認めるということで、これは意義のあることであると裁判所の裁判官にねばり強く説得されました。

 確かに、これまで日本共産党が産経新聞社に共産党批判を書いた記事に対して紙上で反論させよと訴えた事件で最高裁判所が「反論権は認めない」という判決を出しています。また、本多勝一さんが雑誌「諸君!」に反論分を掲載させよと訴えた事件でも最高裁の判決が「認めない」と出ています。最高裁の判例は覆すことが出来ないので、判決でこれを出すことは出来ない、と。しかし、和解であればこれを認めるということは画期的なことなのだそうです。初めは私もとまどいましたが、これは「勝利的和解」であるということがはっきりわかりましたので、一年間の和解協議を経て今回の結論となりました。もし私の敗訴であれば「原告の訴えを棄却する」となるわけですから。

 これにより、私の陳述書が雑誌に掲載され、その雑誌が20部ですが私に提供されます。

 このような結論ですが、私は今、終わった!とほっとしています。というか、負けなかった!という思いです。裁判というのは、たとえ訴えた側でもなかなかしんどいものですが、多くの方が支えて下さいました。それに、とてもとても勉強になりました。

 私は、性教育が、今若者達になされなければ、と言う思いで一心に活動をして来ました。それをあまりにひどい中傷を、それも教育界に影響を与える立場であるPTA協議会の会長が書いた、というのが許せなかった故に訴えました。しかし、裁判の中で、広島市のPTA協議会が、日本全体で活躍している「バックラッシュ」と言いますが、たとえば「新しい歴史教科書を作る会」が作った教科書を採択せよ、などという動きと全く連動して動いて来たという構造もよく分かりました。その一貫として私たちへの根拠のない批判がなされたということも。だって私たちは、「若者達にフリーセックスをそそのかして家族解体をめざす革命家だ」とまで書かれたのです。わかもの達にクラミジアなどの性感染症が増えているのも、私たちの性教育で若者をそそのかして来たからだ、などと。

 それらに対して、丁寧に、全力で沢山の資料を集め、提出し、立証するべく務めて参りました。このような裁判の為の活動を通してでも、私は今の日本の社会が置かれている危険性、安倍内閣やその元で行われて来たあの「教育再生会議」のひどい問題なども見えて来ました。

 私は、言いっぱなしは許せないと思います。何を書かれても、泣き寝入りをするしかないのだという風潮も許せません。今、本当にほっとしています。

 また、安倍首相が退陣し、おそらく教育再生会議とそれを宗教団体のバックにして動かして来た方は退陣するでしょう。その時期が同じくなりましたが、広島においても、また、若者達に生きる力をつける、命の教育である性教育が復活することを強く願っています。私もこれからも負けることなく、頑張って活動を続けたいと思います。

 これまで私を支えて下さった皆様に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

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ノーフォールト

 今、京都のホテル。診療を済ませて新幹線に飛び乗って来た。明日は福井で講演をする。全国あちこち行ったって、ただ講演をするだけ。途中に泊まる時も、どこかに遊びに行くでもなく、飲みに行くでもなく、ホテルにこもっている。この年になっても、一人でどこか知らない所で食事をしたり、飲みに行くという勇気もなくて。食事は駅弁を食べた。

 来る途中、この前買っていた「ノーフォールト」を読み始めた。が、つらい。なんども中断しながら、でも気になってまた読み始める。何回中断したことだろう。昭和医大の産婦人科の教授である岡井崇先生が書いた小説である。一つひとつ手に取るように状況がよく分かる。しかし、どうにもつらい。あまりに思い当たることが多くて、まるで自分のことを書かれているような気がする。

 私は、岡井教授を訪ねて行ったことがある。私が抱えていた裁判で、どうしても意見書を書いて欲しかった。岡井教授の専門は超音波。私の超音波の写真を読んでの意見を書いて欲しかった。でも、先生は産婦人科界では高名な教授で、私は一地方の町医者。連絡を取るにも何回電話をしたことだろうか。それに、超忙しい先生が私の事件で意見書を書いてくださる可能性はほとんどないだろう。私は、先生は何件もの裁判の鑑定を抱えていらっしても、なかなか書かれない、という情報を得ていた。でも、私にはどうしても必要だったから。何回か秘書さんと話したあげく、とうとう電話で先生が捕まって、そして、強引に逢っていただきたい日時を予約した。

 ところが、その日、台風が来ていた。祈るような思いで空港へ。なんとか東京行きの飛行機が飛ぶことになって、やれやれで乗ったのはいいけれど、ものすごい揺れで。飛行機には何回も乗って慣れている私でも、もうすさまじくて体が振り回されて、乗るのではなかったと後悔したものだ。次の便からは欠航になったそうだった。羽田についてからも、風の中、ようようの思いでたどり着き、訪ねて行ったら、先生は私との約束を忘れていらっした。でも、「広島から来ました。どうしても逢っていただきたくて。」と、必死で訴えて、やっとのことで逢って戴いた。そして、あらかじめ送っていた私の書類を山のように積まれた机の上の書類から、引っ張り出して、見てくださった。「でも、僕は忙しくて、書けないよ。書かなければならない鑑定がこんなにあるんだから。」と言われる。「分かっています。お忙しいことは重々承知しています。お手間は取らせません。先生、しゃべってください。録音を取らせて下さい。私がそれを起こして文章にしますから、どうぞ、それを点検してください。お願いします。」と、すがりつく思いでお願いした。

 それまで、多くの人に見てもらっていて、私に過失はないという確信はあった。しかし、裁判と言う場では、いかに権威のある人に証言して戴くか、それが裁判官を説得する手段であるということも、事実だ。相手方からも大学教授のとんでもない意見書が出ていた。でも、全くその先生の専門ではなく、事実をひどく間違った鑑定書であった。それをひっくり返すことが出来るのは、まさに岡井教授であった。

 しゃべって戴いたテープを大切にもって帰り、文章にし、また其れを持って行き、何回か繰り返して、立派な文章となり、それに印鑑を押して戴いて、出来上がった。まさに執念で出来上がった文章だ。忙しい先生の迷惑も顧みず、お気の毒ではあったけれど、でも、私に全く過失がないとされた判決は、それからの産婦人科界に大きな影響のある意味のある判決だと、専門誌に載り、最高裁のインターネットにも凡例として載った。

 私には過失はないとの信念を持っての裁判ではあっても、この闘いは、まことに孤独で苦しい。もうこのあたりで投げ出そうか、と何回も思う。それを思いとどまりながら最後まで闘かわせたものは、やはり悔しさと執念でしかない。完全に無過失が証明されたとしても、それでも裁判というのは、教訓は残る。その後も、常に患者さんには謙虚であれ、常に細心の注意を払え、よく理解していただくように説明を、と言い聞かせながら日々の診療をしている。

   もっとも、その岡井教授が書かれた小説は、私の事件とは全くことなる事件で、ミステリーじかけである。主人公の若き女医が昔の私のようで、だから、読んでいると胸が痛い。これからも、つらくて中断しながらも読み続けるだろう。

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