特別養子縁組について病院でのカンファレンス

 木曜日、山口県の大きな公的病院の研修に行きました。研修というか、広島で私が診ていて、その病院で出産するある妊婦さんをめぐってのカンファレンスといった方がいいかもしれません。本人が一人で育てることに不安があり、特別養子縁組を望んでいると。でも、まだ完全に望んでいるのではなく、自分が生んだ後、かわいいと思ったら自分が育てる可能性もあります。その病院では、これまで特別養子縁組の経験がないので、その研修をしたい。スタッフの皆さんが尋ねたいこともたくさんあるからと。産婦人科のドクター、小児科のドクター、両方のナース、助産師、NICUのナース、病院の相談室の相談員、それに、行政の市の子ども家庭課の職員、保健師さんなどなど。善意の皆さんが一人の女性と赤ちゃんのために一生けん命に考えて下さいました。私は、配布する資料とともに、パワーポイントを作って、それを写しながらお話をしました。

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これらに、具体的な事例や写真を交えてお話しました。

もし、本人が自分で育てると言われたら、その時点で私は引きます。もし、特別養子縁組をということでしたら、私は全力でそのあっせんをします。何回かその病院に通うことになるでしょう。距離があるので大変ですが、その女性と赤ちゃんの幸せのために頑張りましょう。

 本人には、養子縁組をするにしろ、自分で育てるにしろ、無事に産んであげること、それが何よりもあなたが赤ちゃんにしてあげる最大のことだからねとお話ししています。

 声が出なくなっていた風邪は、必死で喉のための麦門冬湯と咳止めのリン酸コデインをのんで、何とか声が出るところまで回復しました。ハスキーな声でしたが、皆さんにはちゃんと届いたことと思います。

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離婚後に生まれた子の戸籍について

10月24日の木曜日は、広島県立広島北特別支援学校のPTAに話しに行きました。


 「障害があってもなくても、すべての子どもたちが豊かな性教育を受けて豊かな大人になる権利がある」という事を大人の方たちが実践していかなくては、と思っています。それにつき、具体的に困っている方もおありで、それらの対応なども含めてお話ししてきました。今、保護者の方たちの感想文を集約されているそうですので、それが私の手元に来てから、またこれについては、お話ししますね。

 その3日後の27日の日曜日は、性教協広島サークルの例会で皆なが持ち寄りのテーマで話しました。

 まんが「あの子の子ども」について。テレビドラマ化されたけれど、その元になったまんがについて。高校生が妊娠して、そのことをとても丁寧に描いてあると。私は、ドラマは全部ではありませんが、見ていました。やはり丁寧に描かれていました。まんが、これは読まなければ。買わなければ。

 それから、学校内での性加害、被害について。日本でどんなケースがあってどう対応されたのか。とてもたくさんのケースがあることに愕然とします。それについて、学校現場がちゃんと対応できるようにならなければ。

 私は、「離婚後の出産の子どもの戸籍について」話しました。これまで、離婚後300日以内に子どもが生まれた場合、その子の戸籍は、離婚した夫の子になっていました。この縛りがあって、無戸籍の子がいるようになっていたのですね。それが、今年の4月から法律が変わりました。

 離婚後妻が再婚した場合は、児はその再婚した新しい夫の戸籍に入ると。だから、女性の再婚禁止期間もなくなりました。

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ですので、生まれた子は、前の夫の子ではなくなるので、再婚しなければ、妻、すなわち子の母の戸籍に入るものと思っていました。いわゆる非嫡出子と同じ扱いです。ところが、そうではありませんでした。離婚から300日以内に子が生まれた場合、これまでの法律と同じように、母の戸籍ではなく、元夫、子の父の戸籍に入るのです。もし、母の戸籍にいれたければ、父の戸籍に入った上で、今度は家庭裁判所に子の氏の変更の申し立てをしなければならないのです。それが許可されて初めて父の戸籍から母と同じ名前で、母の戸籍に入ることになります。

 そこで、DVなどで、夫から身を隠している場合。接近禁止にしてあるし、居場所も夫に分からないように、住民票の閲覧も禁止してあっても。さらにDVでけがをしながら命からがら逃げている場合、そのごたごたや元々の生理不順などで、ハッと気づいた時には、もう中絶が不可能。夫にも妊娠は知らせていないし、知られたくない。そんなケースがあり得ます。そんな時でも、生まれた子は夫の戸籍にいれなければならないのです。

 要するに、子は「男」の戸籍に入れるもの。男が死亡している場合や、どこのだれが分からないというような時は、非嫡出子として母の戸籍に入るのですが。男が分かっている場合は、何がなんでも男の戸籍に入れなければならないのです。たとえDV男であっても。「再婚した場合は再婚した男。再婚しなければ前の男」の戸籍に子どもを入れるのですよ。母の戸籍に入れればいいのに。そうはいかないのです。法律がそうなっているのです。日本の戸籍はまだまだ男中心で作られている事を痛感しました。

 そして、なんと、しんどいのは、特別養子縁組は、父母両方の同意がいるのです。非嫡出子はそうではありませんが、両親そろっている場合は、両方の意志が一致することが原則なのです。DVの男性がこのことを知ったらどうなるか、身震いするほど怖いことです。

 ここでは、事例を示すことはできませんが、例会では、具体的に例を挙げて話しました。そして、皆さんのお知恵拝借。国連に申し出て、勧告してもらったらどうかという意見も出ました。なるほど。選択的夫婦別姓などは、国連がなんども日本に対して勧告しているのですね。それは日本の女性からの国連への訴えによって、勧告が実現しているのだそうです・・。

明日の木曜日は、福山の中学生に話しに行きます。

 

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特別養子縁組

 今年1月に生まれて、特別養子縁組の申請をした二人の赤ちゃんについて、次々と特別養子縁組成立の報せが、各家庭裁判所から来ています。良かったよかった、ても、さあ、これからですね。本当の親子となっての子育てが始まります。

 先日、京都に斎藤道子さんの遺作展に行った後、特別養子縁組を申請している関西の親子さんに会いに行きました。家族の都合と、私の列車の関係で、新幹線の駅での対面となりました。家庭裁判所から来た問い合わせに私が回答をした、そのコピーをお渡しして説明をしたいのと、実母さんから、赤ちゃんにプレゼントをあずかっていたのを直接渡したくって、無理を押して会わせてもらいました。

 久しぶりに会う赤ちゃんは、見違えるほど大きく、しっかりしたお顔になっていました。

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実母さんからのプレゼント。

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私も抱っこ。赤ちゃんの感触はいつも気持ちいいです。

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この間、両親がずっと「かわいい、かわいい」と言っています。もう、本当に可愛くってかわいくってたまらない風です。

先日、100日のお食い初めをしたと写真を送ってもらいました。両親のうれしい笑顔、赤ちゃんの可愛いお顔を見てもらえないのが残念。

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可愛い、可愛いと一日百回は言っているから、100日でもう一万回言ってるね、と笑うお二人。

赤ちゃんはきっと幸せになります。無事申請が通りますように・・。

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研修と会議でした。

昨日日曜日は、朝10時から午後3時半まで子ども家庭庁、特別養子縁組民間あっせん機関責任者の研修でした。昨日までに、オンデマンドで、四つの講義を視聴しておかなければなりませんでした。

講義1・特別養子縁組に関する法令・指針について
講義2・養子縁組あっせんに必要なソーシャルワーク
講義2・子ども当事者が今の特別養子縁組に対して思うこと
講義3・養親希望者のへの研修に必要な知識

 そして、日曜当日は

演習1・養子縁組家庭のライフストーリーワーク
演習2・事例を用いた演習
演習3・アタッチメントを基盤とした子どもの最善の利益とパーマネンシー保障

演習2と3の間に1時間のお昼休憩があったので、その間に私はクリニックから大急ぎで場所移動。実は、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の反省会が午後2時からの予定が先に入っていました。で、会議の方を一時間ずらして3時からにしてもらいました。その会場に、家から持って来たワイファイもセットして、机の端っこにパソコンを置いて、イヤホンで研修を受けるようにして。お昼ご飯は、これも急いでローソンに買いに行って、冷麺ミニ、結局半分しか食べられませんでしたが、1時半からの午後の研修に突入。途中から会議の参加者がぼちぼち入って来て・・。こんな風に。

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幸い、3時からの平和の夕べの会議開始時には、もう研修の方はしゃべるというか、話し合う時は終わっていて、ミュートにして聞くだけになっていましたので、何とかなりました。そして、午後4時までの研修が、3時半で終わって、後はアンケートというか、レポートの記録時間になりました。ので、レポートを書くのは後回しにして、会議に参加しました。

で、めでたしめでたしでした。平和の夕べのスタッフには、ご迷惑をかけましたけれど。平和の夕べは、アンケートを皆さん沢山書いていて下さってありがたいことでした。おおむね、今年も好評でした。来年は、被爆80年、私たちの会も20回目となります。さて、どうするか、いい会にすべく、これから悩まなければなりません。

しかし、ずっとパソコンで研修というのは、本当に疲れます。その前に、数日かけてパソコンでオンデマンドの研修をしていましたので。
ただ、演習ではグループに分かれていろいろと話し合いをするのですが、そのメンバーがとてもいい方ばかりで、それだけは楽しかったです。

とにかく終わりました。一つ一つ、義務をこなしていくのも、しんどいことです・・。

会議の後は、食事会というか飲み会で、メンバーと楽しく過ごして帰宅しましたが、もうぐったりで、パソコンを開く気力もなくって・・でした。結局アンケートも本日のお昼時間に書いて送りました。研修無事終了!!


 


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県外へドライブ

 昨日は、日帰りで県外へ。実母さんを乗っけてドライブでした。赤ちゃんと養親さんは素敵なお店の個室を取って待ってくださっていました。もっと早く、実は、赤ちゃんが養親さんのところに行くときに会ってもらうつもりでしたが、いろいろと事情があって、今になりました。私は、実母さんが望む限り、養親さんに会ってもらっています。こんなご夫妻に育てて頂くのだと安心してもらうためです。

 養親さんは、しっとりと落ち着いたやさしい夫妻。赤ちゃんはとてもかわいい子で、みんなから可愛い可愛いと言われるそうです。


「可愛く産んで頂いてありがとうございます。」
「元気でミルクも良く飲むし、夜はしっかり寝てくれるし。小児科に行っても、なんにも異常ないし、元気な子で。妊娠中、とても大切にして下さっていたのですね。」
「抱っこしてあげて下さい。写真、撮らせて下さいね。この子の大切な宝物になります。」
「不妊治療をいっぱいして、いろいろな所に養子縁組のお願いをして、でも、いつまでも連絡がないし、もう、あきらめて二人で仲良く行きていこうという話をしていた時に、河野先生からお電話があって、本当にびっくりして。泣きました。」

お父さんは、

「初めてこの子を抱いた時には、固まってしまって。」そう、カチカチでした。
「仕事が忙しくて、いつも帰ると寝ていて、寝た姿しか見てなくって。休みの日にこの子を抱いたら、泣かれてしまって。だから、それからはできるだけ早く帰るようにしています。」

 記念写真。ぼかしてすみません。

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ママからのプレゼント。大人になっても、大切にとっておくそうです。

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 実母さんも楽しくお話しできて、安心できたと思います。この後、家庭裁判所に行き、調査官とお話しして、サインも済ませて、終了。ここにいるお友だちと会って帰るということで、そこまで送って一人で帰りました。

途中、海を見ました。

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 これで、一つの養子縁組のお世話がひと段落。次の子の書類に取り掛かります。

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養子縁組・スライドづくり。

 今日は、特別養子縁組の予定の実母さんが退院して、入れ替わりに養親が入院して教育入院をする日でした。養親さんと待ち合わせをして、一緒に入院する部屋に行きました。今度は待っていた実母さんの所に行って、一緒に養親さんの部屋に行き、夫妻に会いました。みんな笑顔で会うことができました。赤ちゃんもつれて来て、記念写真を何枚か撮りました。これらは、将来、赤ちゃんの宝物になると思います。

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しばらくお話しして養親さんとお別れして、実母さんと近くのカフェに行って話をしました。これまでの事、これからの事、養親さんはとてもやさしそうで安心したと。これからも時々は、赤ちゃんの写真を送りますからね。頑張って生きましょうねと。まだ明日お昼時間に実母さんと役場に行って、残りの手続きをします。

 火曜日には、お昼時間にズームでこんな話をします。スライドを作るのに苦労しました。

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木曜日には、別の実母さんと県外の養親さんに会いに行き、その足で、その地の家庭裁判所に行くことにしています。実母さんが望めば、必ず養親さんに会っていただくのですが、ちょうど病気と重なって約束が果たせなかったので、この度やっと実現します。何人か重なると、いろいろと手続きが大変ではありますが、休みや夜の時間を使って何とかなるでしょう。

 来週の日曜日には、ある団体でこんな話をします。団体名はつぶしています。そのスライドも作って、配布資料を今日送りました。ホッとしました。しばらくスライドづくりからは解放されます。

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今日はカープも負けたので、プロ野球ニュースは観なくて済みますし、今から明後日の予行演習をします。早口でスムーズにしゃべって、時間内に収まるようにしなければ。

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うれしいことがありました。

今日、ちょっとうれしいことがありました。

広島大学医学部の同窓会、広仁会の総会があり、その場で広仁会地域貢献賞を頂きました。

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私は、広仁会の総会など出席したことは一度もなく、こんな表彰があることも知らず、だから賞の授与をしますとの知らせを受けた時には、びっくりでした。表彰の理由は、特別養子縁組です。これもびっくりです。秘かに、そっとやって来たことですが、ここに焦点を当てて頂いて、なんか、正直うれしかったです。

こんな賞状というか、盾と副賞を頂きました。

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そもそもは、広島県の女性医師の会の情報誌に養子縁組の事を二回に渡って書いて、今度は総会で話をと要請されて、「医療と医療の隙間の医療」というへんてこな題で講演をしたことが今回の受賞の推薦のきっかけになりました。ありがたいことでした。

もうお一人、同じ賞を頂いたのは、小坂和輝先生。東京中央区で病児保育室を併設した小児科専門クリニックを開業。中央区の病児保育事業のモデルとなっています。また、同時に区議会議員の四期目。子育て支援事業に子どもの声を反映させるためにアンケートを実施したり、各委員会への子どもを参加させる取り組みなどをしていらっしゃいます。先生は、平成6年広島大学卒。昭和47年卒の私より22才も若く、私の講義を聞いたと言われました。

小坂先生と。

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総会には200人くらいの方が出席。後の懇親会で、いろいろと懐かしい方たちに声を掛けて頂きました。「元気ですね」と。元気にしているのはいいのですが、いつまでこれらを続けるのか、そろそろ決めなければ、です。私がクリニックを辞める時は、特別養子縁組のお世話もやめる時です。

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卒後52年で初めての総会の参加。思いがけず表彰してただいて、スピーチではちょっとしかお話しできませんでしたが、特別養子縁組についてエキスだけでも多くの先生方に知って頂いてありがたいことでした。心から感謝申し上げます。

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関西の一日でした。

 昨日は、日帰りで関西に行ってきました。特別養子縁組の養親さんのお宅へ家庭訪問です。新幹線から乗り換え。びっくりしたのは、新大阪はものすごい人だし、トイレに行っておこうとすると、大行列。トイレからの行列が折れ曲がって向こうに突き当たって、折れ曲がってまた延々とトイレの前迄。たぶん、100人を超えて。もっと女子トイレをたくさん作るべきですね。何とか済ませて乗り換え。最寄りの駅まで雨の中お迎えに来ていただきました。夫妻のお宅は、静かな住宅地。お二人とも静かで優しくて、このご夫妻なら、しっかりと可愛がって育てて頂けるだろうと思いました。お家にはすでにこども部屋も用意してあって。これまで使わないままでしたが、やっとお部屋が生きてきます。

 私は、スーツケースにプロジェクターもパソコンも入れてきました。重ーいの。手作りの教科書とパワーポイントで研修をしました。これまでのエピソードも含めて、赤ちゃんを迎えるにあたっての心構え等を。印象としては、文句なく大丈夫。次の赤ちゃんは、こちらでお願いします。

 また雨の中を駅まで送って頂きました。その後は、大阪、梅田の駅に行って、姪夫妻と三人で食事をしました。昨年8月に会って以来です。今回は、梅田大丸デパートのレストラン。シンガポール料理リパブリックで。外の景色が見える窓辺の席で。こんなエプロンで。この前の東京の焼肉のエプロンと違って使い捨てですので、今回は大丈夫。

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前菜は、サーモンのサラダ。野菜もサーモンも全部混ぜて食べて下さいと。

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香ばしいスープには、ぷりぷりの海老が二匹も。

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ステーキはとっても柔らかくて。

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そして、メインはチリクラブ。揚げパンも。カニの甲羅が固い。ペンチの様なので甲羅を割って。からの固さから、これはきっとヤシガニでしょう。手袋の手で手掴みで戴きます。ソースが甘辛で、とっても美味でした。一緒に揚げパンも。サクサクでおいしくて。

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チキンライスとメニューに書いてあったので、赤いのかと思ったら、タイのカオマンガイのようなの。ソースがついていましたが、カニのソースもそのままに置いていて頂いて、それをかけて食べるとうんと美味でした。

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姪夫妻。ブログに出すのO.K.でしたので。カニと格闘しています。

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デザート。ワッフルは持って帰りました。

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シンガポールに行った時を除いて日本で食べるのは初めてでしたが、バランスが取れて食べやすい食事だと思いました。若い人との食事、いろいろと話をしながら、それだけでも楽しくて。大阪駅、久しぶりでしたが、ずいぶん変わりましたね。ここもすごい人。あらかじめネットで調べて行ってよかったです。

 予定より40分早い新幹線に変えて帰りました。大阪までだと近いですね。日帰りで十分仕事ができます。

 

 

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書類を届けて温泉でした。

 多くの方には三連休、私にとっては二連休、この休みは大切にとっておきました。土曜日には診療後、必死で養子縁組の書類づくり、深夜まで。で、後もう少しという所で翌日に持ち越し。11日日曜日の朝早く職場に行って、その続き。お昼過ぎに出来上がって、それをもって、大急ぎで家に帰り、車で出発。養親と赤ちゃんが教育入院から自宅に帰る日。この連休が終わるとすぐに家庭裁判所に養子縁組の申し立てに行かれます。その書類を届けます。家庭裁判所あてと県知事あて。それと養親の保存用。後は、13日に広島市に提出の書類と、当方の保管用。5種類のそれぞれ少しずつ異なる書類をそれぞれの封筒に入れ、それを大きな封筒に入れ・・。合わせて150枚余りの書類。でき上がりました。この前、一人用ができて、今回は二人目用。でも、またすぐに次の子が生まれます。次の養親候補のお宅に連絡をし、とりあえず今の戸籍謄本や住民票などの書類の取り寄せを依頼。大喜びで依頼を受けて頂きました。

 なぜか私の車のナビがおかしくって、迷い迷いながら予定していたホテルへ。養子縁組の家族が住まわれる所のすぐそばのホテル、山の中腹にあって、海が見える温泉のある国民宿舎です。写真は翌朝のほんのり朝焼けの海です。

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 ホテルには予定よりも一時間も遅くに着きました。そこから養子縁組一家のご自宅に行こうとしたら、ホテルに行きましょうかと。長距離の運転で疲れていたので、ありがたくお願いしました。教育入院で帰って来たばかりなのに、申し訳ない事でしたが。ホテルのロビーで。まだ抱っこはぎこちないけれど、本当にうれしそうで幸せそうで。


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こんなプレゼントを頂きました。これをたくさん作って、明日からご近所にご挨拶に回ると。

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連れて帰ったその日にご挨拶に回った人の事を研修の中でお話ししました。それを再現して下さるのがうれしくて。嘘のない子育てを、それが一番大切なこと。こんな素敵な写真とメッセージを作られて。いよいよの子育て。頑張って!!いえ、頑張り過ぎないで、楽しんで下さいね。すべての書類を渡して、本当にホッしました。後は、13日に私は広島市に書類を届けにいます。それで、ぃったん終わります。

 朝、少し時間が経つと、何艘もの船が。何の漁をしているのでしょうか。

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書類を届けた後は、少しの間一休み。ここに泊まって温泉に入ってリラックスしました。海が見えたのがうれしいことでした。

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特別養子縁組を知らない行政、またです。

 今日はくたびれました。診療をしながら、ある県での赤ちゃんの住民票移動について、ずっとやり取りをしていました。またまた、厚い行政の壁。特別養子縁組を知らない窓口の住民票の転入の受け入れを事実上拒否。信じられない言動。

 そもそもは、広島市が出した住民票の転出証明書。これには、これまでの赤ちゃんの住所(住民票の世帯主は実母)も転出先の新しい住所とそこの世帯主名もちゃん書かれています。それをもって、新しい世帯の住民(これから家庭裁判所の決定を受けて養親になります)が、転入の届けに行ったものです。そこで新しい父母と、赤ちゃんが生活をし、その状況を家庭裁判所が半年以上観察をした上で、特別養子縁組を認めるというものです。ですから、その世帯の住民票は絶対に必要なものですし、それがないと、家庭裁判所に申し立てもできません。

 転出証明とに一緒に入っている書類には、「1.新しい住所に転入したら14日以内に、新住所の市町村で転入届をして下さい。※14日以内に届出をされない場合は、住民基本台帳法第53条の規定により5万円以下の過料に処せられる場合があります。」と書かれています。だから、養親予定の方が、転出証明をもって転入届に行ったのですが。

 そしたら、その県の役場の人が、私に電話をかけてこられました。このままでは、住民票に入れることはできないと。親権者の方に来てもらわないと、と。は?親権者というと、〇〇さんですね。ええ?もう赤ちゃんは一人で転出しています。実母とは離れています。今、その県に実母がいくことはできません。そしたら、信じられないことを言われました。役場の人が「上申書を書いて下さい」と。それも、「上申書を読ませてもらいました。それを市役所あてにも書いて下さい」と。ええ?上申書って?どこ宛てのものを読まれたのですか?そしたら、私が家庭裁判所にあてて書いた上申書を養親が出したと。もう、びっくりです。養親に事情を聴くと、「上申書が必要」と言われたので、これを読んだら、事情が分かってもらえると思って、提出したと言います。そんな、そこには、どれだけの個人情報が入っていることか、それも養親だけでなく、実母のやむを得ず子どもを手放さざるを得ない、極めて個人的な事、実父についても。裁判所は、それらの個人情報を調査した上で、決定を下します。それがスムーズに行くようと思って書いた裁判所あての上申書です。誰にも見せていいものではありません。そのコピーを養親に渡したのは、将来、子どもに告知する時に、必要になるであろうと思って渡したものです。それが役場に!!それはすぐに返してもらってと言いました。

 私は、役場の人に、「なぜ私がそちらに上申書を書かなければならないのですか?」そしたら、「そちらが、裁判所に特別養子縁組の申請をされたと聞きましたので」と。「何をおっしゃいますか。申請をするのは、養親予定の〇〇さんです。私は、そのサポートをするだけです。」「もう提出されたのではないのですか?」と。「なんと。お宅が住民票を出して下さらないと、裁判所に提出できないのですよ。真っ先に住民票が必要なのです。私がなぜそちらに上申書を出さなければならないのですか。私は、こんなことを言われたのは初めてなので、お聞きしています。どこにそんな文書がありますか、または法律がありますか?その文書を見せて下さい。そもそも、広島市が転出証明を出しています。その手続きをしたのは実母です。それには、転入する予定の住所も〇〇さんの名前迄出ているのに、その広島市の文書は信用できないということなのでしょうか。」そしたら、検討させて下さい。また連絡します。ということでしたので、一旦終えました。そして、その間に、子ども家庭庁に連絡しました。

 「今、住民票の転入について、役場とトラブっています。そもそも、子ども家庭庁が、全国の行政に、特別養子縁組の手続きについて、きちんと説明なり、情宣なりしていないと、際限なくこんなことが繰り返されます。ちゃん全国に説明して下さい。それから、今トラブっているのは、〇〇県の〇〇市役所です。そこからお宅に電話をしてもらいますので、新しい住所の同居人として住民票に入るということを説明して下さい。」といったら、それを引き受けて下さいました。全国に説明せよということは、提案として受けさせて頂きます、と。すぐにそのことを養親に連絡しました。

また、役場から電話です。それなら、委任状を出してくださいと。誰から誰への委任なのでしょうかと尋ねました。そしたら、親権者から新しい住民の方へです。どんな委任ですか?そちらで転入の手続きをしてくださいという委任状です。まーあ、それが転出証明ではありませんか。そこに新しい住所として書いてある住民が、転入手続きに行ったのですよ。これ以上にどうしてそんな委任状が必要なのですか。言っておきますが、私たちは、すべて善意で、決められた通りの事をしています。お宅たちのように、まるで悪意で何か事をしているかのような扱いで、それで善意の人達を傷つけているのですよ。それが分からないのですか。

 それからしばらくして。なんと、もっと信じられない事を聞きました。養親からです。出生届か、出生証明書か、母子手帳の出生の証明かどれかを提出してくださいと言われましたと。まあ、なんと。出生届も出生証明書も、出生した実母の居住地の役場に届け出るものであって、住民票の移動などに提出するものではありませんし、普通は、提出する際にコピーなど取らないものです。私は、これも将来の子どもの告知にとして、コピーを取っておいて、それも養親さんに渡しています。どうして、そんなものが住民票の移動なんかに必要なのか、そもそも、広島市で出生届ができたからこそ、広島市の住民票ができたわけだし、実母が届けた転出の届も受理されたわけだし。やっぱり広島市の書類は信頼できないということなのでしょうか。私は、養親さんに、頑張りなさい。全く不当な事をしているわけではないので。頑張って!!と励ましました。

 またまた養親から電話です。午後2時9分。4時間半かかって、やっと住民票が出ましたと。よく頑張りましたねと言ったら、私一人では、とてもできませんでした。先生がいて下さったからこそと。でも、その後で、国保の手続きに行ったら、そんなことは例がないので、どう国保に入れたらいいのかわからないと。県に尋ねないとわからないので、入れたら、郵送します、だと。それなら、県にお伺いをする間に、母子手帳の手続きに行ってきますと。母子手帳にあるワクチンや三か月健診などの票の交換と、子ども医療の手続きなどが必要です。それに行って来て、またここに戻ってきますと言いましたと。だいぶ養親も強くなってきました。頑張ってというしかありません。まるで闘いです。単なる手続きなのに。本来なら、赤ちゃんの健康保険、養親候補の方の社保や養親が国保の人はその国保にに入っていいはずだと私は思うのです。保険には、「見届けの妻」なんてあるのですから、「養子候補、見届けの子」としての扱いがあってもいいはずなのですが。養子縁組が認められるまでは子ども単独で「国民保険」に入るのが決まりなのです。そのことも知らない行政の方が多くて。だから、子ども家庭庁には頑張って全国に知らせてほしいと思うのです。

 そして、午後4時39分、「今、保険証、乳児医療証いただきました。市役所やっとこさ終了しました。」と連絡がありました。なんと何と、7時間ですよ、私は、「お疲れさまでした。よく頑張りましたね。これで次に続く人が楽になるでしょう」とメールしました。

 これと似たようなことが広島市であった時、それは住民票の移動ではなく、出生届の手続きがなかなかできなかったことなのですが。何度でもいいますが、ここから二日にわたって書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/index.html

この時の赤ちゃんの家に、家庭訪問に行ってきました。もう赤ちゃんは二歳になっています。ほんとうに元気一杯。お父ちゃんにもお母ちゃんにも可愛がってもらって、幸せに育っています。

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