永田浩三さんの講演の続きです。杉並では、6年前からネットワークの活動が本格始動しています。そのベースにあったのは、2005年の杉並区教育委員会が「新しい歴史教科書をを作る会」の教科書を採択した、その反対運動があります。この採択については、私も広島から心を痛めておりました。私の息子が杉並に住むと決めた時、もし子どもが生まれたら新しい歴史教科書で学ぶようになるのだろうかと、秘かに心配したものです。その反対運動を初めとして、永田さんのレジュメにあるのは、「足腰の弱い立憲、地元に根付いた共産、緑の党、生活者ネットワーク、鍵となった社民党支持の人達」、たまり場に高円寺のカフェとして。
しかし、社民支持層と共産支持層が一緒に頑張る土台ができても一本化は難しかったと。
かつての都知事選挙にてのトラウマがあると。細川護熙候補の時、宇都宮健児候補降りろの大合唱で、でも降りなかったと。鳥越俊太郎候補の時にも宇都宮さん降りろの大合唱で、結局降りたのだけれどその時はつらくて皆さん号泣だったと。
そして今回。ついに一本化できないままに、9月26日、「政治をかえる8区の会」集会。
ところが、思わぬ展開です。れいわの山本太郎さんが8区から立候補すると発表したのですね。それは、山本さんの一人フライングではなく、どうも立憲は2年も前から山本さんに立候補の打診をしていたみたいだと。それが大騒ぎになって住民からここがすごい所だと思うのですが。「吉田晴美だと思ってた」という横断幕を貼っての集会が開かれたのだそうです。その三日後に、山本さんは8区から立候補はしないと表明したのだと。すると、共産の候補が私も立候補を断念すべきだと、自ら本部に申し出たと。そうして、奇跡のように一本化が出来たのだと。
選挙戦です。
立憲、共産、社民、みどり、生活者ネットが一緒に街宣をしたと。司会は立憲がしない。市民が仕切る。がなり立てない、小さなマイクで丁寧に語ると。れいわの山本さんも二回来て応援したと。
石原伸晃氏の選挙戦は、これまでは石原軍団が大挙して来て、はでに応援ををしていたと。その石原軍団が解散し、今年は来ない。石原氏の演説は本当に冴えないものだったと。私もテレビで何度か見ました。公示第一声で最前列の女性が「なんにもやってないじゃないか」と批判したため演説中断。そして、女性がいなくなってあらためて、「今回の選挙は今いた女性をみても分かるように、共産と立憲が野合して、相容れないものは排除、邪魔をする」と言ったと。その後ひたすら「助けて下さい。」というばかりだったと。岸田氏も行ったみたいですね。
結局は、吉田さんの大勝で、石原氏は比例でも復活できなく、議席を失ったと。
何がポイントだったのか永田さんの分析です。これが素晴らしいので。
「6年に及ぶ信頼関係の構築。若い人達に前面に立ってもらう。経験不足をみんなで補う。候補者の孤独を支える。パワハラは絶対にしない。楽しい作業を一緒に行う。おじさんが偉そうにしない。思いもかけない風が吹く。そのチャンスを最大限生かす。ただただ地味な日常のつみかさね。」
最後に、今の日本の世界と比べての分析と、若者の状態も語られました。
若いころから「政治」に無関心ではいられなかった自身から見て、とても不思議なのですが。でも、今の権力者が目指している教育、その成果が着々と進んでいるのではないかと思います。
永田さんのお話は痛快でした。暗いことが多い今、希望がもてそうな気もしました。先日聞いた山本太郎さんの話でもそうでした。もう私は年ですが、まだまだ絶望しないで見守りたいと思います。
永田さんの話の後、どうしても質問したいと構えていたのですが、質疑応答はなしということで、がっかり。強引に挙手して発言すればよかったと後悔しました。それで、後で永田さんのところに行って質問したのです。
「8区では、連合はどうだったのでしょうか。連合の新しい会長が、共産党との共闘が立憲の負けを招いたと盛んにいっていますが、それは根拠があることなのでしょうか」と。明日書きますね。
今日の木曜、休診日、私は午前中は電話当番、午後銀行に行き、従業員のボーナスを手配しました。何とかボーナスを支給することが出来て、ほっとしましたが、まだ今年は厳しくて。これから、諸支払いと12月の給料も手当しなければなりません。通帳を見てため息です。
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
最近のコメント