« 特別養子縁組について病院でのカンファレンス | トップページ | 谷龍介のデビュー20周年記念コンサート »

被爆者の患者さんと。

今日、92歳の方が来院されました。カルテの上には、原を〇で囲んだ印が押してあります。原爆医療のことです。症状を聞いて、ひと段落したときに
「何歳の時に被爆されましたか?」と尋ねました。本当は、年齢からわかるのですが、話のきっかけにするために。そしたら、

「12歳です。女学校の一年生でした。」そこから続きます。

「建物疎開で、中島町に行くことになってたんです。その日、私は学校を休んだんです。行ってたら、死んでました。友達はみんな亡くなりました。」

「中島町なら、二中の一年生と同じですね。爆心地ですもの、助かりませんね。」

「前の日、私は目に砂が入って。十日市の眼科の先生が、明日は学校に行かない方がいいよ。と言って、証明を書いてくださったんです。だから休みました。」

「お宅はどこだったのですか?」

「三篠北町です。家も焼けました。でも、命は助かりました」

「ほんとに偶然ですねえ。その前の日に目に砂が入って命が助かったのですね。偶然で助かった人と、偶然に亡くなった人もいるでしょうね」

こんな話が、広島では、日常的にできます。患者さんとして来られる被爆者の方には、できるだけ話を聞いて置きたいと思います。それぞれの被爆体験を。「8.6広島平和の夕べ」でもそうであるように、年々自らの被爆体験を話して下さる方が少なくなっています。

 先日友人に聞きました。広島でないところに住んでいる人は、被爆していることは話すことできないと。奇異の目で見られたり、明らかな差別をされたりで、つらい、いやな思いをすることもあるからと。そうでしょうね。広島に育っている私たちは、日常的に被爆者と接しています。近所でお好み焼きを焼いてくれていたお姉さんは、腕にひどいケロイドがありました。大学の先輩にも、顔や腕にケロイドのある人は何人もいましたし。そんな中であたり前のように生活をしていましたから。

 でも、時がたつにつれて、そんな状況も段々と薄れて来ています。そしたら、被爆者差別もなくなるのでしょうか。二世や三世への差別もなくなるのでしょうか。

今日のお昼時間にバスセンターにジャンボを買いに行きました。最終日に買えました。残り物に福があるかな?その次いでに、ばすまちでラーメンを食べました。つい美味しそうに見えたので、うま辛ラーメンを頼みました。それはそれはおいしいラーメンでした。が、辛すぎて。涙と鼻水で、途中でギブアップ。今度は味噌ラーメンを食べます。

Photo_20241222022001

 

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。広島ブログ

|

« 特別養子縁組について病院でのカンファレンス | トップページ | 谷龍介のデビュー20周年記念コンサート »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 特別養子縁組について病院でのカンファレンス | トップページ | 谷龍介のデビュー20周年記念コンサート »