ヒロシマの有る国で
このブログで私のブログは長い休みに入ります。ここに、私の好きな歌の歌詞を書いておきます。これは、山本さとしさんの作詞・作曲の歌です。著作権の問題が有るかと調べたら、すでにいろいろなブログにこの歌は書いてあるので、きっといいのだろうと思います。それでは、皆様ごきげんよう。また、お会いしましょう。
ヒロシマの有る国で
山本さとし 作詞・作曲 後藤寿美 編曲
八月の青空に 今もこだまするのは
若き詩人の叫び 遠き被爆者の声
あなたに感じますか
手のひらの温もりが
人の悔し涙が 生き続ける苦しみが
* 1 わたしの国と かの国の
人の生命は同じ
この青い大地のうえに
同じ生を得たのに
* 2 ヒロシマの有る国で
しなければならないことは
ともる戦の火種を
消すことだろう
かの南の国では 大国がのしかかり
寡黙な少年らが 重い銃に身を灼く
やせた母の胸に 乳飲み子が泣き叫び
はだしではだかのまま
逃げ惑う子どもたち
故国の土を踏むことも
家族と暮らすことも
許されない戦争が なぜに今も起こる
*2 くりかえし
*1 くりかえし
*2 くりかえし
*2 くりかえし
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コメント
いつも楽しみに読ませていただいてます。
いつかコメントを…と思いながら
20年間、憧れの女性であり続けた先生に
コメントを書くのはドキドキしてしまって
隠れファンを自負しておりました。
私は今年、22年間勤めた教職を退きましたが、
若い頃参加した性教育のセミナーで
先生のお話に何度も感銘を受けました。
十分とは言えない性教育の実践でしたが、
性教育の授業の後、子ども達は
友達に対してとても優しくなるのです。
自分を大切に、友達を大切に、
そんな心が自然に芽生えている姿に
教師の方が教えられるようでした。
「ヒロシマの有る国で」は
クラスの子ども達と一緒に何度も歌った
思い出の歌で、感慨深いものがあります。
本当に素晴らしい歌、
忘れてはいけない歌だと思っています…。
しばらくブログを拝見できないのは
とても残念なのですが、
復活を楽しみにしながら
陰ながら応援しております。
投稿: マリリン | 2007年7月11日 (水) 22時40分
久しぶりにコメントします。
梅雨のせいか体調が悪化しているのでみなさんのブログはほとんど読み逃げしてます。
私は長年、生協ひろしまの平和活動に携わってきました。
微力ながら地域の子どもたちを対象にした平和のつどいを企画したり、平和行進でアナウンスをしたり・・・。
この歌は随分前に生協ひろしまのコーラスグループ『虹のコーラス』のみなさんが歌ってくださって初めて知りました。
以来、昨年まで毎年その歌声を聞かせていただく機会があり、心の奥に染み渡る歌となっています。
ブログの再開、楽しみにしてますね。。。
投稿: アクビちゃん | 2007年7月11日 (水) 23時13分
娘が教育実習で性教育の研究授業をするというので、性教育なら河野先生と、検索しましたらこのブログに出会いました。性教育がバッシングを受けていると人づてに聞いてはいましたが、なんという現実。私に広島の選挙権がないのが悔しい。頑張ってください。今、命ある者と、これから生まれる命のために!ぜひぜひ当選してください。全国で応援している人はいっぱいいます。17日後、このブログが再開された時、一緒にお祝いします!
投稿: ペア | 2007年7月11日 (水) 23時48分
河野先生、いよいよ今日この日を迎えましたね。
先生の高い志、熱意、使命感、指導力、博愛、豊かな見識、行動力、それら全てを尊敬しています。
混迷のこの時代において日本の民がどう生きるべきか、どの方向に進んでいくべきかを的確に示すことが出来るリーダーの一人だと認識しています。
河野先生が国会の場でその力を発揮するのはもはや運命として義務付けられているものと思います。
私たちはそのために助力を惜しまないでしょう。
11日夜11時に最後のポスティングをし終わりました。一人でも多くの人に先生の思いを知ってもらいたいと願って。
今日からの選挙活動をどうぞお元気で乗り切って下さいますようお祈り申し上げます。
投稿: のぞみ | 2007年7月12日 (木) 01時02分
当選を確信しています。
頑張ってください。
投稿: 元安川 | 2007年7月12日 (木) 07時48分
ラストスパート?ですね。私のありあまるほどの体力をエネルギーにかえて、風に乗せて先生の元に下に届けます!頑張ってください。又の再開(再会?)を楽しみにしています。
投稿: かぜ | 2007年7月12日 (木) 15時58分
私が河野先生とお話しさせて頂いた時間は本当に短くて、
ぜーんぶひっくるめても一時間にも満たないと思います。
けれども、そんなわずかな時間の
わずかな出逢いの中で
先生は私に「いのち」の尊さを教えて下さいました。
その後先生のお書きになったものも読ませて頂きました。
「そうよ、そうなんだよ!」と心の中で、
拳を握りしめ、ふるえるような想いで、
何度も何度も読み返しました。
そして今日の出発式。
先生のひと言ひと言に、じわじわと、じんじんと、熱いものがこみ上げてくるのです。
なんだろう、この想いは?と
自分でもうまく表せなくてもどかしいのですが、
いろいろな想いがこみ上げて、涙があふれそうになりました。
生きていても「しょうがない」いのちなんんてない。
死んでしまっても「しょうがない」いのちなんてない。
その想いを託せるのは先生だけであると、改めて強く思いました。
私にはちっぽけなお手伝いしかできません。
でも、この、私が抱いた心の温度の高さを、
少しでも多くのまわりの人達に伝えていきたいと思います。
投稿: Hoch | 2007年7月12日 (木) 21時34分
6月30日に三原近辺の先生たちが中心になって、リージョンプラザの野外で平和集会をしました。そのとき私たちおとぎぞうしも出演させていただいたのですが、同じく出演及び主催されていた教員のバンドヒューマンチェインの皆さんが、この曲を歌われていました。とても感動しました。アマチュアの歌唄いは、誰にも左右されず歌う歌を選べます。これから私たちも思いを歌に託し、聴き手に伝わるよう精進していきたいと思います。河野先生選挙戦がんばってください。私も精一杯の口コミ戦術で票を獲得していきます。必ず国政の場へ出て行ってもらえるように!
尾道市 おとぎぞうし竹本
投稿: おとぎぞうし竹本 | 2007年7月16日 (月) 15時58分
ここにコメントを寄せたら読んで頂けるのかと思い、
書かせて頂きます。
お忙しいのは重々承知しているのですが、
どうしてもお伝えしたい、希望の言葉に出会いました。
私の息子の学校に転校してきたお子さんがいます。
お父さんはオーストラリア人、お母さんは日本人。
その子の妹はまだ幼稚園の年長組なのですが、
公園で遊んでいたら、よそのおばさんが、こんなことを聞いてきたそうです。
「Mちゃんは、日本とオーストラリアとどっちが好き?」
そばにいたMちゃんのお母さんは、
「親でも聞けないようなことを!」と内心ビックリしたそうですが、
Mちゃんはしばらく考えてから、「日本」と答えました。
おばさんが「どうして?」と聞くと、
「日本は戦争をしないと決めた国だから!」
きっと幼稚園での平和教育のおかげねと、
Mちゃんのお母さんは言ってましたが、
Mちゃんのピュアな想いに涙が出ました。
あと数年で、またオーストラリアに帰ってしまう一家です。
でもMちゃんやお兄ちゃんのH君の心に、
「日本は戦争をしないと決めた国なんだ」という記憶が残って欲しいです。
なんとしても、「戦争をしないと決めた国」であることの誇りを守っていきたい!
強く強く思っています。
投稿: Hoch | 2007年7月18日 (水) 14時18分
今日は河野先生の乗った車に出会えて、朝からめいっぱい手を振りました~♪
ちょうど息子と出かけるところで、
玄関で息子を待っていると、目の前の通りを先導車が行くので、
猛ダッシュして先生の車に間に合いました。
家に戻って息子に「河野先生だよ~!早く早く~!」と声をかけると、
猛然と駆けだしてきて、
私が自転車にのせてやるというのもきかず、
「危ないぞ~」という声にも耳を貸さず、
先生の車を必死で追いかける息子・・・。
私が自転車で追いつくと、
ちょうど赤信号で止まっていた車を発見して、追いついたは良いけれど、
「で・・お母さん、どうすればいいの?」と立ちすくんでいる彼。(笑)
「思いっきり手を振るんだよ!」
信号待ちのタイミングもあって、
その後もまた思いっきり二人で手を振ることが出来ました。
「あの先生が、ボクのこと、おなかから引っ張り出してくれたんだよね」
「そうだよ」
おなかの中に宿ったまだ小さい光だったこの息子。
「この子を生みたい・・・けれど・・」と逡巡していた私を、
先生が支えて下さったおかげで、
こうやって朝からハイテンションに手を振りまくる親子が存在してます。
私たち親子のいのちは、先生が守って下さいました。
私たち親子の願いがどうか叶いますように。
子どもの夏休みに突入して、事務所にお手伝いに伺えず心苦しい限りですが、
先生の車を見かけたら、また息子と二人、盛大に手を振りますね♪
投稿: Hoch | 2007年7月23日 (月) 18時14分
先生、お疲れさまでした。
残念で、無念で、
私にはもっと何かできたはずじゃないかと、
悲しくてたまりませんでしたが、
今朝はぐいぃっと前を向いています。
9年前にはじめて先生のクリニックを訪れたことで、
私は「いのち」の大切さを教えて頂きました。
先生に支えて頂いたことで、息子をこの世に生み出すことが出来、
今度はその息子に「いのち」の大切さを教えていきます。
そしてまた、先生の熱い想いを知った時、
私は「信念」というものを知りました。
当たり前のように教えられていた「平和憲法」が、
他のことに気を取られているうちに、違う色に塗り替えられようとしている・・、
そんなことにも気づかずに、何の信念も持たずに生きた来たことを恥じました。
人生を歩む上で、「師」となる人との出会いは何よりの宝です。
私は、先生との出会いのおかげで、
「いつ死んでもいいや。。。」という、無気力なそれまでの毎日から、
「死ぬまでは生きてやる。生きて、やらねばならぬことがある」
という毎日に変わりました。
先生のおかげでこの世に生まれることの出来た息子は、
先生を「いのちの恩人」と信じています。
街頭演説の際にはちょろちょろ動き回り、
ご迷惑をおかけしたかと思いますが、
あれはまっすぐな彼の想いです。
先生にありがとうを言いたい、先生がんばってと言いたい、
その想いで、暑い中私についてきてくれました。
そんな自閉症スペクトラムの子ども達の持つ、
そんな真っ直ぐで純粋な優しさを、決してねじ曲がることのないように、
これから母として支援者として、もっともっと勉強を続けていきます。
私に出来ることを、死ぬまで生きて、がんばって続けていきます。
そして、これからもずっと先生のお手伝いをさせてください。
本当に本当にありがとうございました。
投稿: Hoch | 2007年7月30日 (月) 09時21分
作者のさとうぼうこと山本さとしくんは私の学生時代の
友達です。
30年前に造られたこの歌が今でも歌われ続ける日本。
日本の本当の平和はいつ来るんでしょうか
投稿: jiye | 2010年8月 6日 (金) 19時09分