ジキル
2011/06/29 Wed. 05:36 | 雑記 |
今回は前回の予告通り九十年代に活躍していた『Zi:Kill』と言うバンドについて語って行こうかと思います。
現在休眠状態にありますが、現X JAPANのYOSHIKIがトップを務める“Extasy Records”と言うインディーズレーベルがあります。
90年代にはこのレーベルから幾つものヴィジュアル系バンドがメジャーシーンへ送り出されました。
例えばルナシー、東京ヤンキース、レディースルーム、メディアユースなどなど。そしてジキルもまたその中の一つでした。
多くの人が彼らを知る切欠になったのは、一九九二年に武道館で開催された“エクスタシーサミット”ではないでしょうか。
これはエクスタシーレコーズ所属のバンドが一同に会した祭典で、各バンドに二、三曲ずつ演奏する場が設けられておりました。
この年以前にもサミット自体は存在していたのですが、この前年に行われた武道館公演から内容が一分映像化されて販売されていたので、なかなかライヴに足を運べないファンもイベントの内容をある程度知ることが出来たのです。
現在そのビデオが私の手元に有りませんのでうろ覚えな部分も多々ありますが、個別にステージを与えられていたのは確かルナシー、ジキル、東京ヤンキース、DEEP、メディアユース、SCREAMING MAD GEORGE、だったかな。
私がジキルを知ったのも実はこのタイミング。
振り返って見ると前年のサミットより、この九十二年のサミットの方が出演バンドの音楽性は多種多様だった気がします。
と、まぁ色んなバンドが出てたわけですが、九十一年のサミットではルナシーにピンと来るものがあったのですが、九十二年ではそれをDEEPとジキルに感じました。
※ただDEEPは楽曲は良かったのだけれどVoにあまり個性を感じなかったから漠然と“このままじゃ売れないだろうな”と思った記憶があります。
当時ジキルの演奏ナンバーは初期のアルバム“CLOSE DANCE”に収録されていた『WHAT'S』
このパフォーマンスが死ぬほど格好良かったのです。それでインディーズ時代最初に発売された“真世界”を手に入れたものの、正直このアルバムはいまいちでした。アレンジが適当と言うか、大分妥協して作っちゃった感が大きかったのですね。
でも『WHAT'S』が収録された“CLOSE DANCE”は収録ナンバーもかなり厳選してあるし、起承転結がはっきりしていて、インディーズとしてはかなり完成度が高いアルバムだったのです。
でも実は私、ジキルに関しては初期より後期の作品の方が好きですね。
これは私にしては凄く珍しい事で、Xにしろルナシーにしろ、昔好きだったバンドの音源は大体初期の作品の方が好きなんですが、ジキルに関しては全く逆です。
って事はつまり、彼らが解散したのは確か九十四年の事だったと記憶していますが、要するに全盛期の真っ只中に終焉を迎えたと言う風に捉えて間違いでは無いと思います。
それだけに解散してしまった事が今でも悔やまれますが、逆に言えばあのタイミングで解散したのは正解だったのかも知れません。
全てのバンドに起こりえる事とは言い切れませんが、劣化していく姿を見なくて済むわけですから。
閑話休題。
彼らの音楽の魅力をどう書いたものか凄く悩んだのですが、Youtubeのコメント欄に凄く解りやすくて言い得て妙な記述があったのでそれを引用させて頂きます。
“やっぱり他のV系バンドと違ってZi:Killって色んなジャンル吸収していて音楽性が妙に大人っぽい。というか彼らはただ化粧もしています、っていうだけでやっている事はミクスチャーだよね”
うん。素晴らしい解釈です。特に後期はブルース要素やジャズ要素なんかも入り乱れてまさにその通りだと思いました。
普通、これだけバラバラなジャンルを詰め込んじゃうと、聴く方はそのバンド軸が何なのか解らなくなって混乱すると思うんですよ。
でもジキルはそうならない。何故かと言うとTUSK(板谷祐)のヴォーカルとしての表現力が凄まじいからです。
楽曲との協調性が凄まじい、とも言うかな。
この祐と言う人は物凄くネイキッドな感性の持ち主なんですよ。
初期はどうもそう言う彼本来の感性を表に出す事を躊躇っていた、と言うかエクスタシーの中に居ると言う概念に縛られていたような気がするんですよね。
それが少しづつ表に出てきたと思えたのがメジャー一発目の“DESERT TOWN”と言うアルバム。
このアルバムは彼らにとってみればある意味実験的なものだったんじゃないかと思えるんだけど、蓋を開けてみればリスナーが評価したのはまさにその隠していた部分だった。
このアルバムはオリコンチャートで上位を獲得したわけですが、その成功は彼らにとって“やりたい事をやっても良いんだ”と言う自信に繋がったのではないでしょうか。
そしてメジャー二作目のオリジナルアルバム“IN THE HOLE”
ジキルが本格的にミクスチャー化して来たのはこのアルバムからですかね。祐の歌う言葉にも、飾り気の無い、よりストレートな表現が多く見受けられる様になりました。
先日、新宿ロフトが主催するサイトに掲載されていた“新宿心音会板谷祐/THE SLUT BANKS”としての対談(※1)を読む機会があったのですが、その対談での彼の発言を目にして、当時私が彼に感じていたものは間違っていなかったんだな、と思いました。
仲の良い者同士の対談だったと言うのもあるでしょうが、相手の意見に流されず、違うと思った事ははっきりそう主張するし、見栄を張ったり、妥協点を模索した様な言動をする事も無い。
凄く自分に正直な生き方をしてるなぁ、と思いました。
かと言って別に他人を不快にさせるような言い方をするわけでも無い。
例えばこんなの。
“今は自分の事でいっぱいいっぱいだからお客さんにライブを観に来てほしいとかそこまで考えられない”
また、『詞を書きなよ』と対談相手に対して、
“書く時は来ると思うが、一人で始めて二年ぐらい経つけどまだ足場がぬかるんでるからまだ“これだ!”っていうのは歌えない”
とも答えていました。
これって凄く冷静に自分を分析出来てる証拠だと思うのですよね。この飾り気の無さはジキルの頃から全く変わっていない。
対談相手の方も仰っていたけれど、そんな祐だからこそ、書くべき時に書いた歌詞の持つ、言葉のパワーに圧倒されるのです。
それを私が物凄く感じたのはジキルとして最期に発表された“Rocket”と言うアルバム。
不思議なのはこれが発売された当時は、前作“IN THE HOLE”のインパクトが強すぎて、あまり好意的に受け止めていなかったのに、今聴き比べると自分の中の評価は“Rocket”が圧倒している事。
そう言えば私の友人にもジキル好きな野郎が一人いるんですが、彼も当時は同じ評価でしたっけ。
最近連絡取って無いけど、その辺りを今の彼にもちょっと訊いてみたいですね。
えーと少し祐の事ばかり書き連ねて来ましたが、ジキルをジキルたらしめていた存在は彼だけではありません。
ギターの松平健の柔軟な音楽性は、特に後期のジキルにとって非常に重要なものでした。
確かに雑誌や映像で見る限り、彼の人間性はあまり万人受けする類のものでは無いと感じましたが、(性質的には映画監督の北村龍平氏に近いものがある)ギタリストとしてもコンポーザーとしても、アレンジャーとしても実力は紛れも無く本物でしたよ。
そして彼のトリッキーなサウンドを支える大黒柱の飯田成一(Ba)とエビちゃん(Dr)。
成一さんのベースは、凄くシンプルです。別段テクニカルを前面に押し出すプレイでは無いのですが、出るべき場所と退くべき場所を弁えた楽曲の雰囲気を第一に考えたベースプレイです。
彼が主張しすぎるベーシストであったなら、恐らくジキルのあのサウンドは完成しなかっただろうと思いますね。
そう言った意味で、影の功労者は彼だったと言えるかも知れません。
そして性格的にも非常に我慢強い人だったと思います。だからこそリーダーとしてあのメンバーを上手く纏められていたのかも知れませんね。
そしてドラムのエビちゃん。
実はこのジキルと言うバンドは唯一ドラムだけが度重なるメンバーチェンジを余儀なくされていたバンドでもあります。
エビちゃんより以前に所属していたドラマーとしては現デランジェの菊池哲、現ラルクのYukihiroなどがおりまして、今考えると物凄いメンツです。
元々エクスタシーレコーズの映像監督やプロデューサーをしていたエビちゃんですが、何故かひょんな事からジキルに加入。
以来解散までジキルのリズム隊として彼らを支えて来ました。
ニコ動で誰かがコメントしてましたが、私も色んな意味でエビちゃんは大人だったと思います。
何がどうとかって言葉で言うのは難しいんだけど、前任ドラマーがかなり評価されてたのもあるし、何より良く言えばバカ正直、悪く言えば毒舌な松平健の王様気質を何も言わずジッと耐えていた節がある。
一応正式メンバーとしてクレジットされてはいたけど実質的にはスタジオミュージシャン的な扱いだったかな。
でも私はエビちゃんのドラムが一番好きでした。
とまぁジキルに関して語り始めると本当キリが無いのですが、いい加減にしないと本が一刷作れる量になってしまうので、ここらへんでお開きにしたいと思うのですが、最期に一つだけ。
ブックレットに歌詞が載ってないので今までさっぱり何を言ってるのか解らなかった『TERO』と言う初期の楽曲があるのですが、それが此処に来て漸く判明したので、記念に掲載しときます。
◇◆◇
ruin war my any lie time
ruin for my sun devil
ruin war my any lie time
ruin for my sun devil
Rain The Pain
Low call oh sun take me are
Rain The Pain
Low call oh sun take me are
one More Self!
rain of sin so cry try my
ruin for my sun devil
◇◆◇
でも祐さん…ライヴでは全くこの通り歌っちゃいません。
故にライヴでのこの曲の歌詞は敬意を込めて『タスク語』と呼ばれております。
(※1)対談相手はASAKI(BUG/AGE of PUNK/ex.GUNIW TOOLS) + 高木フトシ(vez/ex.HATE HONEY/ex.BAD SiX BABiES)
現在休眠状態にありますが、現X JAPANのYOSHIKIがトップを務める“Extasy Records”と言うインディーズレーベルがあります。
90年代にはこのレーベルから幾つものヴィジュアル系バンドがメジャーシーンへ送り出されました。
例えばルナシー、東京ヤンキース、レディースルーム、メディアユースなどなど。そしてジキルもまたその中の一つでした。
多くの人が彼らを知る切欠になったのは、一九九二年に武道館で開催された“エクスタシーサミット”ではないでしょうか。
これはエクスタシーレコーズ所属のバンドが一同に会した祭典で、各バンドに二、三曲ずつ演奏する場が設けられておりました。
この年以前にもサミット自体は存在していたのですが、この前年に行われた武道館公演から内容が一分映像化されて販売されていたので、なかなかライヴに足を運べないファンもイベントの内容をある程度知ることが出来たのです。
現在そのビデオが私の手元に有りませんのでうろ覚えな部分も多々ありますが、個別にステージを与えられていたのは確かルナシー、ジキル、東京ヤンキース、DEEP、メディアユース、SCREAMING MAD GEORGE、だったかな。
私がジキルを知ったのも実はこのタイミング。
振り返って見ると前年のサミットより、この九十二年のサミットの方が出演バンドの音楽性は多種多様だった気がします。
と、まぁ色んなバンドが出てたわけですが、九十一年のサミットではルナシーにピンと来るものがあったのですが、九十二年ではそれをDEEPとジキルに感じました。
※ただDEEPは楽曲は良かったのだけれどVoにあまり個性を感じなかったから漠然と“このままじゃ売れないだろうな”と思った記憶があります。
当時ジキルの演奏ナンバーは初期のアルバム“CLOSE DANCE”に収録されていた『WHAT'S』
このパフォーマンスが死ぬほど格好良かったのです。それでインディーズ時代最初に発売された“真世界”を手に入れたものの、正直このアルバムはいまいちでした。アレンジが適当と言うか、大分妥協して作っちゃった感が大きかったのですね。
でも『WHAT'S』が収録された“CLOSE DANCE”は収録ナンバーもかなり厳選してあるし、起承転結がはっきりしていて、インディーズとしてはかなり完成度が高いアルバムだったのです。
でも実は私、ジキルに関しては初期より後期の作品の方が好きですね。
これは私にしては凄く珍しい事で、Xにしろルナシーにしろ、昔好きだったバンドの音源は大体初期の作品の方が好きなんですが、ジキルに関しては全く逆です。
って事はつまり、彼らが解散したのは確か九十四年の事だったと記憶していますが、要するに全盛期の真っ只中に終焉を迎えたと言う風に捉えて間違いでは無いと思います。
それだけに解散してしまった事が今でも悔やまれますが、逆に言えばあのタイミングで解散したのは正解だったのかも知れません。
全てのバンドに起こりえる事とは言い切れませんが、劣化していく姿を見なくて済むわけですから。
閑話休題。
彼らの音楽の魅力をどう書いたものか凄く悩んだのですが、Youtubeのコメント欄に凄く解りやすくて言い得て妙な記述があったのでそれを引用させて頂きます。
“やっぱり他のV系バンドと違ってZi:Killって色んなジャンル吸収していて音楽性が妙に大人っぽい。というか彼らはただ化粧もしています、っていうだけでやっている事はミクスチャーだよね”
うん。素晴らしい解釈です。特に後期はブルース要素やジャズ要素なんかも入り乱れてまさにその通りだと思いました。
普通、これだけバラバラなジャンルを詰め込んじゃうと、聴く方はそのバンド軸が何なのか解らなくなって混乱すると思うんですよ。
でもジキルはそうならない。何故かと言うとTUSK(板谷祐)のヴォーカルとしての表現力が凄まじいからです。
楽曲との協調性が凄まじい、とも言うかな。
この祐と言う人は物凄くネイキッドな感性の持ち主なんですよ。
初期はどうもそう言う彼本来の感性を表に出す事を躊躇っていた、と言うかエクスタシーの中に居ると言う概念に縛られていたような気がするんですよね。
それが少しづつ表に出てきたと思えたのがメジャー一発目の“DESERT TOWN”と言うアルバム。
このアルバムは彼らにとってみればある意味実験的なものだったんじゃないかと思えるんだけど、蓋を開けてみればリスナーが評価したのはまさにその隠していた部分だった。
このアルバムはオリコンチャートで上位を獲得したわけですが、その成功は彼らにとって“やりたい事をやっても良いんだ”と言う自信に繋がったのではないでしょうか。
そしてメジャー二作目のオリジナルアルバム“IN THE HOLE”
ジキルが本格的にミクスチャー化して来たのはこのアルバムからですかね。祐の歌う言葉にも、飾り気の無い、よりストレートな表現が多く見受けられる様になりました。
先日、新宿ロフトが主催するサイトに掲載されていた“新宿心音会板谷祐/THE SLUT BANKS”としての対談(※1)を読む機会があったのですが、その対談での彼の発言を目にして、当時私が彼に感じていたものは間違っていなかったんだな、と思いました。
仲の良い者同士の対談だったと言うのもあるでしょうが、相手の意見に流されず、違うと思った事ははっきりそう主張するし、見栄を張ったり、妥協点を模索した様な言動をする事も無い。
凄く自分に正直な生き方をしてるなぁ、と思いました。
かと言って別に他人を不快にさせるような言い方をするわけでも無い。
例えばこんなの。
“今は自分の事でいっぱいいっぱいだからお客さんにライブを観に来てほしいとかそこまで考えられない”
また、『詞を書きなよ』と対談相手に対して、
“書く時は来ると思うが、一人で始めて二年ぐらい経つけどまだ足場がぬかるんでるからまだ“これだ!”っていうのは歌えない”
とも答えていました。
これって凄く冷静に自分を分析出来てる証拠だと思うのですよね。この飾り気の無さはジキルの頃から全く変わっていない。
対談相手の方も仰っていたけれど、そんな祐だからこそ、書くべき時に書いた歌詞の持つ、言葉のパワーに圧倒されるのです。
それを私が物凄く感じたのはジキルとして最期に発表された“Rocket”と言うアルバム。
不思議なのはこれが発売された当時は、前作“IN THE HOLE”のインパクトが強すぎて、あまり好意的に受け止めていなかったのに、今聴き比べると自分の中の評価は“Rocket”が圧倒している事。
そう言えば私の友人にもジキル好きな野郎が一人いるんですが、彼も当時は同じ評価でしたっけ。
最近連絡取って無いけど、その辺りを今の彼にもちょっと訊いてみたいですね。
えーと少し祐の事ばかり書き連ねて来ましたが、ジキルをジキルたらしめていた存在は彼だけではありません。
ギターの松平健の柔軟な音楽性は、特に後期のジキルにとって非常に重要なものでした。
確かに雑誌や映像で見る限り、彼の人間性はあまり万人受けする類のものでは無いと感じましたが、(性質的には映画監督の北村龍平氏に近いものがある)ギタリストとしてもコンポーザーとしても、アレンジャーとしても実力は紛れも無く本物でしたよ。
そして彼のトリッキーなサウンドを支える大黒柱の飯田成一(Ba)とエビちゃん(Dr)。
成一さんのベースは、凄くシンプルです。別段テクニカルを前面に押し出すプレイでは無いのですが、出るべき場所と退くべき場所を弁えた楽曲の雰囲気を第一に考えたベースプレイです。
彼が主張しすぎるベーシストであったなら、恐らくジキルのあのサウンドは完成しなかっただろうと思いますね。
そう言った意味で、影の功労者は彼だったと言えるかも知れません。
そして性格的にも非常に我慢強い人だったと思います。だからこそリーダーとしてあのメンバーを上手く纏められていたのかも知れませんね。
そしてドラムのエビちゃん。
実はこのジキルと言うバンドは唯一ドラムだけが度重なるメンバーチェンジを余儀なくされていたバンドでもあります。
エビちゃんより以前に所属していたドラマーとしては現デランジェの菊池哲、現ラルクのYukihiroなどがおりまして、今考えると物凄いメンツです。
元々エクスタシーレコーズの映像監督やプロデューサーをしていたエビちゃんですが、何故かひょんな事からジキルに加入。
以来解散までジキルのリズム隊として彼らを支えて来ました。
ニコ動で誰かがコメントしてましたが、私も色んな意味でエビちゃんは大人だったと思います。
何がどうとかって言葉で言うのは難しいんだけど、前任ドラマーがかなり評価されてたのもあるし、何より良く言えばバカ正直、悪く言えば毒舌な松平健の王様気質を何も言わずジッと耐えていた節がある。
一応正式メンバーとしてクレジットされてはいたけど実質的にはスタジオミュージシャン的な扱いだったかな。
でも私はエビちゃんのドラムが一番好きでした。
とまぁジキルに関して語り始めると本当キリが無いのですが、いい加減にしないと本が一刷作れる量になってしまうので、ここらへんでお開きにしたいと思うのですが、最期に一つだけ。
ブックレットに歌詞が載ってないので今までさっぱり何を言ってるのか解らなかった『TERO』と言う初期の楽曲があるのですが、それが此処に来て漸く判明したので、記念に掲載しときます。
◇◆◇
ruin war my any lie time
ruin for my sun devil
ruin war my any lie time
ruin for my sun devil
Rain The Pain
Low call oh sun take me are
Rain The Pain
Low call oh sun take me are
one More Self!
rain of sin so cry try my
ruin for my sun devil
◇◆◇
でも祐さん…ライヴでは全くこの通り歌っちゃいません。
故にライヴでのこの曲の歌詞は敬意を込めて『タスク語』と呼ばれております。
(※1)対談相手はASAKI(BUG/AGE of PUNK/ex.GUNIW TOOLS) + 高木フトシ(vez/ex.HATE HONEY/ex.BAD SiX BABiES)