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CLAYNOTE

終着点について 

今回の記事タイトルの『終着点』
内容は前回書いた『NARUTO』の記事内容に関連するものですが、この『終着点』てやつに関しては自分の書くテキストに関しても非常に重要で、これが決まっていないと矢鱈と大風呂敷を拡げる結果になり兼ねない。
だから自分が何か物語を書く時、まず最初に『終着点』だけはハッキリと決めておく。
勿論それは今でもブレていませんし、現在更新中の2nd Seasonに於いても、そこに辿り着くために必要な事を書いていると言うだけです。

で、話はその『終着点』に戻るわけですが、週刊少年漫画の多くがこの『終着点』に於いて失敗しがち(私はそう思っている)な理由は、やっぱり人気投票システムと言うものがネックになっているからじゃないかと思うんです。
つまり連載を続ける為には打ち切りにならない様な展開を連続して用意せねばならず、そしてそう言う展開にするには読者にとっての『予想外』を提示しなければならない。
例えばより凶悪な敵だとか、より強力な必殺技だとか、全く新しい世界だとかね。
でもそんなものを続けて行くからこそパワーインフレが起こり、殆ど理不尽としか言い様のない戦いの規模になって行く。
つまり世界を守る使命を帯びている様な主人公が、世界が滅びるだろう規模の技を使う、だとかね。

だからそう言う意味で前回も『銀魂』は上手い、と言う事を書いたのだけれど、実はそんな事(一話完結方式)をしなくてもパワーインフレや大風呂敷を拡げ過ぎずに済む遣り方はあるのです。
週刊連載の連続したストーリーもので、それが出来ていたのでは無いかと私が感じた数少ない作品、それがあの名作、井上雄彦先生の『スラムダンク』と、大場つぐみ、小畑健両先生の『デスノート』。
いや、探せば他にも沢山ありそうな気もしますが、今回はまあ一例として『スラムダンク』を。

完結後の井上先生のコメントから察するに、『スラムダンク』も『終着点』に関しては最初から決まっていたわけでは無さそうです。
ですが私はあの終わり方に納得していますし、あれ以上書く事は不可能だっただろうと思います。
その点に関しては恐らく編集部からも打診されたであろう連載引き伸ばしを強固…かどうかまでは解りませんが、とにかくあの時点で終わる事を譲らなかった井上先生の勝ち、だろうな、と。

ただそれとは別に私が井上先生を凄いと思ったのは、主人公チームの戦況もそこそこに、陵南VS海南戦をちゃんと確りメインストーリーの中で描いた事。
まあ連載当時、仙道の人気が相当高かったので描写したと言う可能性も無きにしも非ずですが、あれはどちらにしろ必要な描写だったし、必要だと思えるものを、必要なだけ描写する――その”必要なもの”が何で、どこでそれを描けば良いかを見極める能力。
作家・脚本家(演出家の要素もあり)としてのセンスと言うのかな。
たとえば田岡茂一と魚住の関係性や、神宗一郎、宮益辺りの描写は、簡潔ではあるけれど、実に丁寧に描かれていた。
彼らだけじゃなくて、たとえば山王のメンツにしても、何故彼らがあそこまでハイレベルなプレイヤーに育ったのかが、ちゃんと読者が納得出来る形で提示されていますよね。
だから読者は(少なくとも私は)湘北を応援する一方で、山王の選手たちにも深い思い入れが出来た。
それらは先に描きすぎてもだめ、後出し過ぎてもだめ。
あのタイミングで描写されなければ意味が無いものだったし、とにかく登場人物をどんなに小さな脇役でも絶対殺さない(描写的な意味で)あのストーリーの組み立て方は本当に見事だったと思います。

で、『NARUTO』の話に戻るんですけど…戻ってしまって申し訳ないんですけど…。
『NARUTO』もサスケ奪還編辺りまでは、そう言う掘り下げが割と出来ていたし、それがとても面白かった。
だけどそれ以降、新キャラクターが続々と出過ぎて、ナルトやナルトを始めとする第七班、主人公周り(それも極近しいキャラクターのみ)についての掘り下げはどんどん進んで行くけど、逆に放置され過ぎなキャラクターも莫大な数になってしまっている様な気がするんですよね。
たとえば私はサクラが何故サスケにそこまで(命を懸けるほど)の恋慕を抱いているのかが全く理解出来ていないし、第十班の家族関係は割と描写されているのに対し、第三班と第八班に関しては一部のキャラを除いてほぼ放置。
特に犬塚キバの扱いは酷い。
現状の展開で、彼らはもう用無しだと言うのなら、せめてもっと早い段階で同期のメンバーに関しては掘り下げてやるべきだったのでは…と思うのですよね。
たとえば第八班は紅の妊娠によって担当上忍を失ったわけだけど、その間の代理は誰が務めていたのかだとか、第八班のメンバーは(恐らく各家庭で親から修行をつけてもらっていたのだろうけど)ナルトがいない間、どんな修行をしていたのか、とか。

アニメオリジナルの方では割と、原作で触れられないキャラクター達が活躍する事もあったけど、アニオリの脚本が何をどう描いた所で、原作の読者にとっては所詮二次創作でしか無いわけだから、意味は無いわけです。
そこは原作者がちゃんと描かないと。
因みに、“その辺りの真相はキャラクターブックを見れば解る”と言うのは私的にはNGです。
登場人物に関しては一通り本編で掘り下げるべきだと思うし、少なくとも“ナルトの同期”と言う括りに特別感を持たせた以上、全員平等に掘り下げるべきだったと今更ながら思うのです。
けれど――週刊少年ジャンプに於いて、あまり人気の無いキャラクターを深く掘り下げた所で、読者は人気は得られない。
だから描かない。
そしてひとっとびに人気が出そうな新キャラクターを量産する。
はっきり言ってこの読者投票制と言うのは、害悪でしかないと私は思うんです。
だからって我々にはどうしようも無い事なんですけど、それでも最近の『NARUTO』を見ていると、“どうしてこうなった感”が拭えない…。


一つだけ言える事は、残念ながら『NARUTO』は最高の終わり時を既に逃した漫画だという事です。



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