9.11以降の数々の戦争でアメリカは何百万人殺したのか?(要点)
2018/03/23、04/03、04/26のニコラス・J・S・デイヴィス氏のシリーズ記事3本の要点を1本に纏めた。2001年以降、アメリカ帝国の「対テロ作戦」によって6つの国が被った被害の一端の実態を計算している。細かい計算方法は専門家向けで一般の読者の関心からはずれていると思うので、ばっさり割愛させて貰ったが、或る程度の概要はここの抄訳からでも掴めると思う。
ここに書かれていることは基本的に多かれ少なかれ2001年以来、全世界の目の前で起こって来たことだ。別に秘密でも何でもない。だがこれらの戦争や紛争やテロを起こした張本人(黒幕であれ下手人であれ)は世界の情報空間の殆どを支配しているので、これらの多くは不可視化されるか過小評価されるかされ、アッと云う間に忘れ去られて、現在の事象とは認知的に切り離される。世界の物語についての人々の長期的な記憶からは盲点となって抜け落ちるのだ。TVや新聞が決して報じない、醜悪極まり無い現実についての情報に辿り着くのは、関心を持ち続けた極く少数の天邪鬼達だけだ。
私は多くの人々が見ようとしないもの、見えないフリをしているもの、忘れようとしているものが気になる———どうして気にせずにいることが出来るだろうか? 私は存在する権利を剝脱された「政治的に不都合」な事象の行く末が気になる。認知的な檻の中に閉じ込められた儘、閉じ込められていることを無視して生きて行くことなど私には出来ない。私は可能な限り包括的な視座を生き抜きたい———無論、この記事で挙げられている様な事実が氷山の一角に過ぎないことは承知している。星々を掴もうとする者は多いが、全て手に出来ると思い込むのは愚か者だけだ。だが有限的な存在たる私達は結局、自分に与えられた場所と能力に応じて微力を尽くすしか無い。無数の眼差しが際限無く反射し合うこの宇宙に於て、ささやかながらせめて悔いの無い時間の過ごし方を選びたい。
How Many Millions Have Been Killed in America’s Post-9/11 Wars?
How Many People Has the U.S. Killed in Afghanistan and Pakistan Post-9/11?
Calculating the Millions-High Death Toll of America’s Post-9/11 Wars
米国は2001/09/11に2,996人の命を奪ったテロ犯罪への対応として、数々の戦争を繰り広げて来た。
だがどんなに恐ろしい犯罪であっても、その犯罪に責任の無い国や人々に対する戦争を正当化することは出来ない。
アフガニスタン戦争を指揮したトミー・フランクス退役将軍は曾てこう言った。
「御存知の通り、我々は死者数を数えていません。」
このシリーズ記事では2018年3月時点で、9.11以降の数々の戦争でアメリカは何百万人殺したのか?と云う疑問に答えることを目指す。
イラク:240万人(150万〜340万人)
イラクに関しては私は以下の文献で度々取り上げて来た。
・2005年:Burying the Lancet report . . . and the children
・2010年:Blood on our Hands: the American Invasion and Destruction of Iraq
・2016年:Playing Games with War Deaths
・2018年:The Iraq Death Toll 15 Years After the US Invasion
2018年3月時点でのイラクでの推定死者数は240万人。
国連機関、監視団体、メディアが報じている死者数は、包括的な死亡率調査ではなく断片的な「受動的な報告」にのみ基付いているが、これで判るのは精々、最低限度の死者数だけだ。これは実際の死者数の極く一部に過ぎないことが多い。
包括的な疫学研究の知見を適用すると、実際にはこれらの数字よりも5〜20倍多くの死亡者が居ることが判明する。この比率は世界中の様々な戦争地帯で一貫しており、西洋諸国の政府が責任を負っていない戦争については、これらの数字について政治的な論争は起こっていない。
イラクについては、西洋諸国の政治家達やメディアは、政治的な理由で死亡率調査の結果を軽視している。英当局者がこの数字は「恐らく正しい」と認めた電子メールがリークされたことも有るが、その直後に同じ当局やジョージ・W・ブッシュ米大統領は「これは信頼出来る報告ではない」と云う信用失墜キャンペーンを開始した。
2006年6月時点で、英国に拠点を置く「イラク・ボディ・カウント(IBC)」が発表したイラク民間人の死亡者数(主に英語メディアの報道に基付いている)は、43,394人。他方、同時期のランセット誌の調査では、暴力による死亡者数は推定601,000人。その比率は略14:1。
2007年6月に実施された調査では、推定103万3,000人のイラク人が殺害された。
2023年に医学誌に発表された2003〜11年の死亡率調査は推定値が低過ぎる問題を取り上げているが、例えば家族が全滅したり行方不明になったりした場合には、調査チームにそれらの家族の死亡を報告する人が誰も居なくなるので、結果的に、死者が全く出なかったと記録されることすら有る。また避難民(強制移住民)が多いことも正確な統計を困難にしている。
IBCはその後2006年6月までの期間の死亡者数を52,209人に更新したが、これによりランセット報告書との比率は11.5:1にまで縮小した。この比率をベースにして2007年7月以降の推定値も加えると、2003年以降に米英による犯罪的なイラク侵攻の結果死亡したイラク人の推定者数は、238万人であると云う数字が出て来る。
この推定には大きな不確実性が伴う為、暴力による死亡の最小数と最大数を様々な比率の可能性から考えると、実際に殺害されたイラク人の数は150万〜340万であると推定出来る。
アフガニスタン:90万人(64万〜140万人)
ジャーナリストのガレス・ポーターの2011年の記事に拠ると、アフガニスタンに対する米軍の爆撃キャンペーンはオバマ政権下で徐々に50倍にまで激増した。
だが奇妙なことに、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)の報告では、2010年にアフガニスタンで米軍によって殺害された民間人の数は寧ろ減少していた。
この報告書が依拠しているアフガニスタン独立人権委員会(AIHRC)に拠ると、「この数字は、完全に調査された13件の事件で死亡した民間人の数のみを表しており、………まだ徹底的に調査されていない他の60件の事件で死亡した人は含まれていません。」
従って実際の死者数は恐らくこれよりずっと大きいが、AIHRCはタリバンが支配する地区の殆どに立ち入ることが出来ず、またその地区の人々は委員会に夜襲について苦情を申し立てることが出来ることを恐らく知らない。従ってAIHRCも国連も、民間人の死に繋がる夜襲の恐らく大部分について把握していない。
或る米軍の上級将校は曾てワシントン・ポストに対し、米特殊部隊が実施した襲撃の半分以上は誤った人物や家を標的としており、民間人の死者数が大幅に増加したのは予想されていたことだったと認めている。
2010年の過小報告がどの程度異常だったのか、他の年はどうなのか、正確なところを掴むのは難しいが、世界中のメディアで引用されるUNAMAの報告が実際の極く一部しか表していないことは明らかだ。またUNAMAの報告する死者数には年毎に比較的小さな変動が見られるが、これは殺害された人数の実際の増減だけでなく、AIHRCの資源と人員の変動を反映している可能性が有る。
民間人の死亡者の多くまたは殆どは、そもそもUNAMAやAIHCR に報告されていない。
1985年にノーベル平和賞を共同受賞した「社会的責任の為の医師会」が2015年に発表した報告書は、過小報告が明らかなUNAMAの報告書よりも信頼性が高いと思われる。アフガニスタン政府は2013年までに15,000人の兵士と警官が殺害されたと報告しているが、医師会は他の情報源や、紛争の激しさを測る他の(指標空爆、夜襲の回数等)に基付いて推定した。それに拠ると2013年末までに、推定55,000人の「反乱分子」が殺害された。
その後も暴力は激しさを増し、ニュース報道とブラウン大学ワトソン研究所の調査から私が独自に計算したところ、2013年以降、更に25,000人の兵士と警官が殺害された。
若し同数の反政府戦闘員が殺されたとすれば、2001年以来、少なくとも12万人のアフガニスタン戦闘員が殺されたことになる。だが反政府軍の損失は重武装した政府軍の損失より大きいと思われる為、より現実的な推定では、13万〜15万人のアフガニスタン戦闘員が殺されたことになる。
民間人の死者は更に把握が困難で、アフガニスタンでの死亡率に関する真剣な調査は実施されたことが無く、今後も行われそうな兆候は無い。
2015年の「ボディ・カウント」は、 2001〜06年までのネタ・クロフォードとボストン大学の戦争のコスト・プロジェクトによる推定値と、2007年以降の国連の不正確な数値を足し合わせて(最小5倍〜最大8倍)、2001〜13年に殺害された民間人の数は10万6,000〜17万と云う数値を出しているが、これは極めて控え目な数値だ。
アフガニスタンの地理的、軍事的状況は1960〜96年まで内戦が続いたグアテマラに似ているが、和平協定が結ばれた後に国連が後援する歴史解明委員会が明らかにした約20万人と云う数字は、それまで受動的な報告に基付いていた推定値の20倍に上った。これを参照枠とすると、UNAMAはアフガニスタンでの実際の民間人の死者数の5%未満しか報告していなかったと見られる(アンゴラ、ボスニア、コンゴ民主共和国、イラク、コソボ、ルワンダ、スーダン、ウガンダ等ではここまでの食い違いは見られない)。
「戦争のコスト」(下図参照)とUNAMAは、2017年末までに36,754人の民間人が死亡したとしているが、これが5%未満だとすれば、実際の死者数は約735,000人となる。
推定される最小値と最大値はそれぞれ51万5,000〜123万となる。
これに戦闘員の分を加算すると、2001年以降米軍の侵略行為によって殺害されたアフガニスタンは約87万5,000人で、最小で64万人、最大で140万人となる。
パキスタン:30万人以上(15万〜50万人)
米国は2004年にアフガニスタンでの戦争をパキスタンに拡大したが、それ以来、CIAは少なくとも430回のドローン攻撃を実施し、米国の圧力を受けたパキスタン軍はアフガニスタンとの国境地域で数回の軍事作戦を実施しており、2009年には340万人が難民と化した。
米調査報道局は米軍のドローン攻撃で2,515〜4,026人が殺害されたと報告しているが、ネタ・クロフォードとボストン大学の戦争のコスト・プログラムは、2016年8月までに約61,300人のパキスタン人が殺害されたと推定している(内訳は兵士と警官8,200人、反政府勢力戦闘員31,000人、民間人22,100人)。
受動的な報告の内高い方を採用し、5:1〜20:1と云う比率を最小値と最大値として算出すると、15万〜50万人のパキスタン人が殺害されたと云うことになる。妥当な中間推定値は32万5,000人だ。
リビア:約25万人(15万〜36万人)
リビア、シリア、ソマリア、イエメン於ける米国の秘密戦争と代理戦争は、メディア報道が殆ど為されていないので、殆どの米国人は自分達の政府がこれらの国々で何をして来たかを知らない。
NATOと湾岸のそのアラブ同盟諸国は、2011年2月からリビアに少なくとも7,700発の爆弾とミサイルを投下し、特殊作戦部隊でリビアに侵攻した。これを正当化する唯一の法的根拠は、国連安全保障理事会決議1973だけだ。これは狭義にはリビアの民間人を保護する為に「必要な全ての措置」を承認するものだった。
だがこの戦争では寧ろ、2011年2〜3月の最初の反乱で殺害された推定数1,000人(国連)〜6.000人(リビア人権連盟)を遙かに上回る民間人が死亡した。
従ってこの戦争は。リビア政府を違法に打倒すると云う裏の目的は成功させたものの、民間人を保護すると云う表向きの目的には明らかに失敗した。
安保理決議1973は、リビア領土内の外国占領軍の駐留を明確に禁止していた。だがNATOとその同盟諸国は決議が採択される前から秘密裏に侵攻を開始し、国中の反乱軍の進軍を計画し、政府軍に対する空爆を呼び掛け、トリポリのバブ・アル=アジジヤ軍司令部への最終攻撃を主導した。反乱軍とNATOの橋渡しはカタールが務めた。
リビアの指導者ムアンマル・カダフィ大佐が「NATO反乱軍」に捕らえられ、ナイフで拷問・男色された後、フランスの治安当局者が止めを刺したと云う信頼出来る報告も有る。
英議会外務委員会の2016年の調査はこう結論を出した。
「民間人を保護する為の限定的な介入が、済し崩し的に軍事的手段によるレジーム・チェンジと云う日和見的な政策に変わった。」その結果、「政治的・経済的崩壊、民兵間・部族間戦争、人道・移民危機、広範な人権侵害、カダフィ政権の兵器の地域全体への拡散、北アフリカでのISIL(イスラム国)の成長」が引き起こされた。
カダフィ殺害後、西洋の支援を受けた亡命者と反乱軍によって組織された不安定な新政府はは、死傷者数の推計を公表するのを止め、病院職員に記者に情報を公開しないよう命じた。
どの道イラクやアフガニスタンと同様、戦争中は遺体安置所が溢れ、多くの人々が愛する人を病院に搬送せずに、裏庭や何処でもいいから埋葬したので、病院の記録だけでは死傷者の実態は把握し切れない。
反乱軍指導者は8万人、新政府の保健相は3万人が殺害されたと発表した(但し後者は調査途中の為、最終的な数字は更に高くなる見込みで、戦闘員と民間人は区別していないが、約半数が兵士だとのこと)。
最も包括的な調査は2015年にアフリカ救急医学誌に掲載された論文で、著者達は住宅計画省が集計した戦争による死亡・負傷・避難の記録を入手し、チームを派遣して各家族の構成員と直接面談して家族の何人が死亡・負傷・避難したのかを確認した。これは民間人の死と戦闘員の死を区別していないものの、少なくとも21.490人が死亡したことを確認している。
2011年後も続いていた混乱と派閥争いは2014年に所謂第2次リビア内戦へと発展した。リビア・ボディ・カウントはイラク・ボディ・カウントに倣って、メディア報道に基付いて暴力による死亡者数の集計を開始したが、これは2014年1月〜2016年12月しか続かなかった。死者数は2014年が2,825人、2015年が1,523人、2016年も1,523人、合計5,871人だった。
英国に拠点を置く武力紛争位置・事象データ・プロジェクトは、2014〜16年のリビアでの暴力による死亡者数は4,062人だと記録している。リビア・ボディ・カウントがカヴァーしなかった2012年3月から2018年3月までの残りの期間については、死者数は1,874人だとしている。従ってこの比率を当て嵌めると、若しリビア・ボディ・カウントが調査を続行していたら、恐らく8,580人を記録していたと推定される。
以上の数字を合計すると、2011年2月以降に受動的に報告された死亡者数は合計30,070人となる。
リビア・ボディ・カウントは民間人の死と戦闘員の死を区別しておらず、この比率は恐らく半々だと思われるが、一般的に軍の死傷者数の方が民間人よりも正確に数えられている。しかもリビアで戦闘している部隊は、厳格な指揮系統と組織構造を備えた国軍ではない為、民間人と戦闘員の死亡はどちらも大幅に過小報告されているものと思われる。
他の従来の紛争の事例を踏まえて全ての要因を考慮すると、リビアで殺害された本当の数は、2011年のリビア武力紛争に関する調査、リビア・ボディ・カウント、武力紛争位置・事象データの報告数の5〜12倍であると思われる。
従って私の推定では、米国が引き起こした戦争・暴力・混乱によって約25万人のリビア人が死亡した。最小値は15万人、最大値は36万人となる。この被害は今に至るまで続いている。
シリア:150万人(或いは約200万人?)
CIAは2011年後半に、トルコとヨルダンを経由して外国の戦闘員と武器をシリアに送り込み、カタールとサウジアラビアと協力して、シリアのバアス党政府に対する平和的な抗議活動(所謂「アラブの春」)を利用して兵器化した。非暴力抗議活動の調整役だった左派主体の民主的な政治団体は、内戦を引き起こそうとする外国の取り組みに強く反対し、暴力・宗派主義・外国の介入に強く反対する声明を出した。そして2011年12月にカタールが出資した世論調査でさえ、シリア人の55%が自国政府を支持していることが判明した。
だが米国とその同盟諸国は、それが血生臭い破壊的なものになることを知りながら、リビアのレジーム・チェンジ・モデルをシリアにも適用しようとした。彼等は数千tの兵器と数千人のアル=カイダ系ジハード主義者達をシリアに送り込んだ。兵器は最初はリビアから、その後クロアチアとバルカン半島から供給された。
米国は国連の和平の取り組みに協力せず、独自に「シリアの友」と称する会議を3回開催し、そこで「プランB」を推進して、反乱軍への支援を拡大することを誓った。コフィ・アナン事務総長は、ヒラリー・クリントン米国務長官、英国、フランス、サウジアラビアが和平計画を妨害したことに嫌気が差して辞任した。
後は知っての通り、米英仏露、イラン、そしてシリアの近隣諸国全てを血塗れに渦に引き摺り込んだ、広がり続ける暴力と混乱の歴史だ。介入した外部勢力は「シリア人が最後の一人になるまで」戦う用意が出来ていた。
2014年にオバマ大統領がイスラム国(ISIS)に対して開始した爆撃作戦は、ヴェトナム戦争以来最も大規模な爆撃作戦となった。米国はシリアとイラクに10万発以上の爆弾とミサイルを投下し、大部分が瓦礫と化した。
シリアでの殺害者数に関する公的推計は全て、直接的にせよ間接的にせよ、英国のラミ・アブドゥラフマンが運営する「シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights/SOHR)」から来ている。彼はシリア出身の元政治犯で、シリア国内で4人の助手と協力しており、彼等は全国の約230人の反政府活動家のネットワークを利用している。彼は欧州連合や英国政府から資金提供を受けているそうだ。
Wikipediaはより高い死亡率推定値を示す別の情報源としてシリア政策研究センター(Syrian Centre for Policy Research)を挙げているが、これは実際にはSOHRの数字に基付く予想だ。国連の推定値はこれより低いが、こちらも主にSOHRの報告に基付いている様だ。
SOHRは堂々と反シリア政府の観点を表明しており、そのデータの客観性を疑問視する人も居る。
SOHRは米国による民間人の殺害数を大幅に過小報告している様だが、これはISIS支配地域の実態を知るのが困難だからかも知れない。
SOHRは自身のデータが不完全であることを認めているが、2018年3月の報告では、合計35万3,935人の死亡を記録しており、内民間人は106,390人だ。戦闘員247,447人の内、63,820人はシリア軍兵士。恐らくシリア軍は自軍の損失を正確に記録しているだろう。
SOHRの数字を、受動的な報告の例に従って実際の死者数の20%以下であると仮定すると、145万人の民間人及び非軍人戦闘員が殺害されたことになる。この数字に64,000人のシリア軍兵士の分を加えると、シリアでは約150万人が殺害されたと私は推定する。だがSOHRが実態を捉えるのにそれ程成功していなかった場合、殺されたのは約200万人である可能性も有る。
ソマリア:65万人(50万〜85万人)
殆どのアメリカ人は米国のソマリア介入を憶えている。これは1993年の 「ブラックホーク・ダウン」事件とその後の米軍の撤退に繋がった。
だが殆どのアメリカ人は、米国が2006年にエチオピアの軍事侵攻を支援して、ソマリアに再び「偽装した、静かな、メディアが報じない」介入を行ったことは憶えていないか、そもそもそうした事実が有ったことを知らない。
当時ソマリアは、イスラム法廷連合(Islamic Courts Union/ICU)の統治下で、漸く「自力で立ち直り」つつあるところだった。ICUは首都モガデシュの軍閥と同盟を結び、1991年の中央政府崩壊以来私領を統治して来た他の軍閥を打ち破った。
この国をよく知る人々は、ソマリアの平和と安定に向けた希望に満ちた展開としてICUを歓迎した。
だが米国は「テロとの戦い」の一環としてICUを敵であり、軍事行動の標的であると認定した。
米国はソマリアの伝統的な地域ライヴァル(そしてキリスト教徒が多数を占める国)であるエチオピアと同盟を結び、ICUを政権の座から引き摺り下ろす為に、エチオピアによるソマリア侵攻を支援して空爆と特殊部隊作戦を実施した。
2001年以来米国やその代理勢力が行って来た他の侵略の犠牲となった国々と同様、その影響でソマリアは再び暴力と混乱に陥り、それは今日まで続いている。
受動的報告では、2006年の米国が支援するエチオピアによる侵攻以降のソマリア於ける暴力による死者数は、2016までで20,171人(ウプサラ紛争データ・プログラム)または24,631人(武力紛争位置・事象データ・プロジェクト)と云う数字が出ている。
だが地元NGOであるエルマン平和人権センターは2007〜08年の2年間だけで16,210人の暴力による死亡が有ったと報告している。これは先の数字のそれぞれ4.7倍と5.8倍だ。
2つのデータを平均すると、2006年7月から2017年までの暴力による死者数は合計23,916人になるが、これをリビアの様な他の事例と比較して調整し、若しエルマン平和人権センターが集計を続けていたと仮定すると、暴力による死者は約12万5,000人に上ることになる。
だがこれは受動的な数え方に過ぎず、実際の総数は他の紛争から見られる様な比率(5:1〜20:1)を掛ける必要が有る。
エルマンが実際の死亡者数の20%以上数えていた可能性は非常に低いので、仮に15%だったと仮定すると、83万人が死亡した計算になる。ウプサラと位置・事象データが実際の死亡者数の5%以上を数えていたと仮定すると、48万人未満と云う数字が出て来る。
従って2006年以降にソマリアで殺害された本当の人の数は50万〜85万の間であろうと思われ、恐らく約65万人が暴力的な死を遂げていると私は推定する。
イエメン:18万人(12万人〜24万人)
米国は傀儡であるアブドラブ・マンスール・ハディ前大統領を政権に復帰させる為、2015年からイエメンを爆撃している連合軍の一員だ。
ハディは「アラブの春」の抗議活動と武装蜂起により、米国が支援するイエメンの前独裁者アリ・アブドゥラ・サレハが2011年11月に辞任に追い込まれたことを受け、2012年に選出された。
ハディには2年以内に新憲法を制定し、新たな選挙を実施する責務が課されていたが、彼はこのどちらも実行しなかった。そこでザイド派(イエメンの人口の45%を占めるシーア派の一派)のフーシ運動が2014年9月に首都に侵入してハディを自宅軟禁し、彼とその政府が任務を遂行し新たな選挙を実施するよう要求した。
ザイド派のイマームはイエメンの大部分を千年以上統治して来た。スンニ派とザイド派は何世紀もの間、イエメンで平和に共存しており、通婚も一般的に行われており、同じモスクで祈りを捧げている。
最後のザイド派イマームは1960年代の内戦で打倒された。この戦争でサウジアラビアはザイドの王党派を支援したが、ジプトは共和主義軍を支援する為にイエメンに侵攻し、共和主義軍は最終的に1970年にイエメン・アラブ共和国を設立した。
2014年、ハディはフーシへの協力を拒否し、2015年1月に辞任した。彼は故郷のアデンに逃亡し、その後サウジに逃亡したが、サウジは彼を権力の座に戻そうと、米国の支援を受けて野蛮な爆撃作戦と海上封鎖を開始した。
空爆の大部分を実行しているのはサウジだが、米国はサウジが使用している飛行機、爆弾、ミサイル、その他の兵器の殆どを売っている。英国はその次に大きな武器供給国だ。また米国が提供している衛星諜報と空中給油が無ければ、サウジは今の様にイエメン全土を空爆することは出来なかった。
つまり米国の武器、空中給油、外交支援を遮断することこそが、この戦争を終わらせる決定的な要因だ。
イエメンで公表されている戦没者数の推計は、WHOによる現地の病院の定期調査に基付いており、多くの場合、国連人道問題調整事務所(UNOCHA)によって中継される。2017年12月時点の最新の推計では、民間人5,558人を含む9,245人が死亡したことになっているが、UNOCHA自身が、この数字が恐らく過小報告されたものであることを認めている。
もそも病院に辿り着けずに死亡する人が多い上、イエメンの幾つかの病院はサウジの空爆により攻撃され、また海上封鎖によって医薬品の輸入は制限されており、電気・水・食料・燃料の供給は全て爆撃と封鎖の影響を受けている。従って実際の死亡者数は病院の報告よりも遙かに多いと思われる。
武力紛争位置・事象データ・プロジェクトは2017年末までに7,846人と云う、WHOより僅かに少ない数字を報告しているが、2018年1月以降、更に2,193人が死亡したと報告している。WHOの数字にそれまでの比率(18%多い)を当て嵌めると、11,833人と云う数字が出て来る。
過小報告の割合は5:1〜20:1の間を変動しているが、15:1と仮定すると、約175,000人(最低12万人〜最大24万人)が死亡したと推定される。
戦争の真のコスト
以上の数を合計すると、私は9.11以降の米国の戦争によって約600万人が殺害されたと推定した。ひょっとしたら本当は500万人だけかも知れない。或いは700万人かも知れない。だが数百万の単位になることは確かだ。
その数は多くの報道が主張している様な数十万ではあり得ない。何故なら「受動的な報告」は、これまで説明して来た様に、2001年以降米国が解き放って来た暴力と混乱を経験している国々で実際に殺された人の数のほんの一部しか捉えていないからだ。米英の一般大衆の殆どはほんの数万人だと信じているが、これは現実を反映していない。
米国が2001年以来戦火に沈めて来た全ての国々で包括的な死亡率調査を実施する為に、我々には公衆衛生の専門家達が緊急に必要だ。でなければこれらの戦争が引き起こした真の規模の死と破壊に対して、世界は適切に対応出来ない。
2001年の武力行使に唯一反対票を投じたバーバラ・リー議員が警告した様に、我々は「嘆かわしい悪になって」しまったのだ。
これらの戦争は恐るべき軍事パレードや世界征服についての演説と共に行われた訳ではない。その代わり、彼等は敵を悪魔化する「情報戦」によって侵略を正当化し、危機を捏造し、そして米国の公衆と世界から人間の血によって払われる戦争の真のコストを隠す為に、「偽装した、静かな、メディアが報じない」戦争を仕掛けて来た。
16年間に及ぶ戦争、約600万人の非業の死、6つの国の完全破壊、更に多くの国々の不安定化———今や米国の公衆にとって、自国の戦争による真の人的コストと、我々がどの様に操られ、誤った認識によって現実に対して盲目にされて来たのかを理解することが急務だ。さもなくば彼等は更に戦争を長引かせ、更に多くの国々を破壊し、更に国際法の支配を弱体化させ、更に何百万人もの人類同胞を殺害するだろう。
ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』でこう書いた:
「過去に良かったものを単に自分達の遺産と呼んだり、単に悪いものを切り捨てて、時間が経つと忘れ去られる過去の荷物と考えることは最早許されない。西洋の史の底流が遂に表面化し、我々の伝統の尊厳を奪ったのだ。それが我々の生きている現実だ。」
ここに書かれていることは基本的に多かれ少なかれ2001年以来、全世界の目の前で起こって来たことだ。別に秘密でも何でもない。だがこれらの戦争や紛争やテロを起こした張本人(黒幕であれ下手人であれ)は世界の情報空間の殆どを支配しているので、これらの多くは不可視化されるか過小評価されるかされ、アッと云う間に忘れ去られて、現在の事象とは認知的に切り離される。世界の物語についての人々の長期的な記憶からは盲点となって抜け落ちるのだ。TVや新聞が決して報じない、醜悪極まり無い現実についての情報に辿り着くのは、関心を持ち続けた極く少数の天邪鬼達だけだ。
私は多くの人々が見ようとしないもの、見えないフリをしているもの、忘れようとしているものが気になる———どうして気にせずにいることが出来るだろうか? 私は存在する権利を剝脱された「政治的に不都合」な事象の行く末が気になる。認知的な檻の中に閉じ込められた儘、閉じ込められていることを無視して生きて行くことなど私には出来ない。私は可能な限り包括的な視座を生き抜きたい———無論、この記事で挙げられている様な事実が氷山の一角に過ぎないことは承知している。星々を掴もうとする者は多いが、全て手に出来ると思い込むのは愚か者だけだ。だが有限的な存在たる私達は結局、自分に与えられた場所と能力に応じて微力を尽くすしか無い。無数の眼差しが際限無く反射し合うこの宇宙に於て、ささやかながらせめて悔いの無い時間の過ごし方を選びたい。
How Many Millions Have Been Killed in America’s Post-9/11 Wars?
How Many People Has the U.S. Killed in Afghanistan and Pakistan Post-9/11?
Calculating the Millions-High Death Toll of America’s Post-9/11 Wars
米国は2001/09/11に2,996人の命を奪ったテロ犯罪への対応として、数々の戦争を繰り広げて来た。
だがどんなに恐ろしい犯罪であっても、その犯罪に責任の無い国や人々に対する戦争を正当化することは出来ない。
アフガニスタン戦争を指揮したトミー・フランクス退役将軍は曾てこう言った。
「御存知の通り、我々は死者数を数えていません。」
このシリーズ記事では2018年3月時点で、9.11以降の数々の戦争でアメリカは何百万人殺したのか?と云う疑問に答えることを目指す。
イラク:240万人(150万〜340万人)
イラクに関しては私は以下の文献で度々取り上げて来た。
・2005年:Burying the Lancet report . . . and the children
・2010年:Blood on our Hands: the American Invasion and Destruction of Iraq
・2016年:Playing Games with War Deaths
・2018年:The Iraq Death Toll 15 Years After the US Invasion
2018年3月時点でのイラクでの推定死者数は240万人。
国連機関、監視団体、メディアが報じている死者数は、包括的な死亡率調査ではなく断片的な「受動的な報告」にのみ基付いているが、これで判るのは精々、最低限度の死者数だけだ。これは実際の死者数の極く一部に過ぎないことが多い。
包括的な疫学研究の知見を適用すると、実際にはこれらの数字よりも5〜20倍多くの死亡者が居ることが判明する。この比率は世界中の様々な戦争地帯で一貫しており、西洋諸国の政府が責任を負っていない戦争については、これらの数字について政治的な論争は起こっていない。
イラクについては、西洋諸国の政治家達やメディアは、政治的な理由で死亡率調査の結果を軽視している。英当局者がこの数字は「恐らく正しい」と認めた電子メールがリークされたことも有るが、その直後に同じ当局やジョージ・W・ブッシュ米大統領は「これは信頼出来る報告ではない」と云う信用失墜キャンペーンを開始した。
2006年6月時点で、英国に拠点を置く「イラク・ボディ・カウント(IBC)」が発表したイラク民間人の死亡者数(主に英語メディアの報道に基付いている)は、43,394人。他方、同時期のランセット誌の調査では、暴力による死亡者数は推定601,000人。その比率は略14:1。
2007年6月に実施された調査では、推定103万3,000人のイラク人が殺害された。
2023年に医学誌に発表された2003〜11年の死亡率調査は推定値が低過ぎる問題を取り上げているが、例えば家族が全滅したり行方不明になったりした場合には、調査チームにそれらの家族の死亡を報告する人が誰も居なくなるので、結果的に、死者が全く出なかったと記録されることすら有る。また避難民(強制移住民)が多いことも正確な統計を困難にしている。
IBCはその後2006年6月までの期間の死亡者数を52,209人に更新したが、これによりランセット報告書との比率は11.5:1にまで縮小した。この比率をベースにして2007年7月以降の推定値も加えると、2003年以降に米英による犯罪的なイラク侵攻の結果死亡したイラク人の推定者数は、238万人であると云う数字が出て来る。
この推定には大きな不確実性が伴う為、暴力による死亡の最小数と最大数を様々な比率の可能性から考えると、実際に殺害されたイラク人の数は150万〜340万であると推定出来る。
アフガニスタン:90万人(64万〜140万人)
ジャーナリストのガレス・ポーターの2011年の記事に拠ると、アフガニスタンに対する米軍の爆撃キャンペーンはオバマ政権下で徐々に50倍にまで激増した。
だが奇妙なことに、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)の報告では、2010年にアフガニスタンで米軍によって殺害された民間人の数は寧ろ減少していた。
この報告書が依拠しているアフガニスタン独立人権委員会(AIHRC)に拠ると、「この数字は、完全に調査された13件の事件で死亡した民間人の数のみを表しており、………まだ徹底的に調査されていない他の60件の事件で死亡した人は含まれていません。」
従って実際の死者数は恐らくこれよりずっと大きいが、AIHRCはタリバンが支配する地区の殆どに立ち入ることが出来ず、またその地区の人々は委員会に夜襲について苦情を申し立てることが出来ることを恐らく知らない。従ってAIHRCも国連も、民間人の死に繋がる夜襲の恐らく大部分について把握していない。
或る米軍の上級将校は曾てワシントン・ポストに対し、米特殊部隊が実施した襲撃の半分以上は誤った人物や家を標的としており、民間人の死者数が大幅に増加したのは予想されていたことだったと認めている。
2010年の過小報告がどの程度異常だったのか、他の年はどうなのか、正確なところを掴むのは難しいが、世界中のメディアで引用されるUNAMAの報告が実際の極く一部しか表していないことは明らかだ。またUNAMAの報告する死者数には年毎に比較的小さな変動が見られるが、これは殺害された人数の実際の増減だけでなく、AIHRCの資源と人員の変動を反映している可能性が有る。
民間人の死亡者の多くまたは殆どは、そもそもUNAMAやAIHCR に報告されていない。
1985年にノーベル平和賞を共同受賞した「社会的責任の為の医師会」が2015年に発表した報告書は、過小報告が明らかなUNAMAの報告書よりも信頼性が高いと思われる。アフガニスタン政府は2013年までに15,000人の兵士と警官が殺害されたと報告しているが、医師会は他の情報源や、紛争の激しさを測る他の(指標空爆、夜襲の回数等)に基付いて推定した。それに拠ると2013年末までに、推定55,000人の「反乱分子」が殺害された。
その後も暴力は激しさを増し、ニュース報道とブラウン大学ワトソン研究所の調査から私が独自に計算したところ、2013年以降、更に25,000人の兵士と警官が殺害された。
若し同数の反政府戦闘員が殺されたとすれば、2001年以来、少なくとも12万人のアフガニスタン戦闘員が殺されたことになる。だが反政府軍の損失は重武装した政府軍の損失より大きいと思われる為、より現実的な推定では、13万〜15万人のアフガニスタン戦闘員が殺されたことになる。
民間人の死者は更に把握が困難で、アフガニスタンでの死亡率に関する真剣な調査は実施されたことが無く、今後も行われそうな兆候は無い。
2015年の「ボディ・カウント」は、 2001〜06年までのネタ・クロフォードとボストン大学の戦争のコスト・プロジェクトによる推定値と、2007年以降の国連の不正確な数値を足し合わせて(最小5倍〜最大8倍)、2001〜13年に殺害された民間人の数は10万6,000〜17万と云う数値を出しているが、これは極めて控え目な数値だ。
アフガニスタンの地理的、軍事的状況は1960〜96年まで内戦が続いたグアテマラに似ているが、和平協定が結ばれた後に国連が後援する歴史解明委員会が明らかにした約20万人と云う数字は、それまで受動的な報告に基付いていた推定値の20倍に上った。これを参照枠とすると、UNAMAはアフガニスタンでの実際の民間人の死者数の5%未満しか報告していなかったと見られる(アンゴラ、ボスニア、コンゴ民主共和国、イラク、コソボ、ルワンダ、スーダン、ウガンダ等ではここまでの食い違いは見られない)。
「戦争のコスト」(下図参照)とUNAMAは、2017年末までに36,754人の民間人が死亡したとしているが、これが5%未満だとすれば、実際の死者数は約735,000人となる。
推定される最小値と最大値はそれぞれ51万5,000〜123万となる。
これに戦闘員の分を加算すると、2001年以降米軍の侵略行為によって殺害されたアフガニスタンは約87万5,000人で、最小で64万人、最大で140万人となる。
パキスタン:30万人以上(15万〜50万人)
米国は2004年にアフガニスタンでの戦争をパキスタンに拡大したが、それ以来、CIAは少なくとも430回のドローン攻撃を実施し、米国の圧力を受けたパキスタン軍はアフガニスタンとの国境地域で数回の軍事作戦を実施しており、2009年には340万人が難民と化した。
米調査報道局は米軍のドローン攻撃で2,515〜4,026人が殺害されたと報告しているが、ネタ・クロフォードとボストン大学の戦争のコスト・プログラムは、2016年8月までに約61,300人のパキスタン人が殺害されたと推定している(内訳は兵士と警官8,200人、反政府勢力戦闘員31,000人、民間人22,100人)。
受動的な報告の内高い方を採用し、5:1〜20:1と云う比率を最小値と最大値として算出すると、15万〜50万人のパキスタン人が殺害されたと云うことになる。妥当な中間推定値は32万5,000人だ。
リビア:約25万人(15万〜36万人)
リビア、シリア、ソマリア、イエメン於ける米国の秘密戦争と代理戦争は、メディア報道が殆ど為されていないので、殆どの米国人は自分達の政府がこれらの国々で何をして来たかを知らない。
NATOと湾岸のそのアラブ同盟諸国は、2011年2月からリビアに少なくとも7,700発の爆弾とミサイルを投下し、特殊作戦部隊でリビアに侵攻した。これを正当化する唯一の法的根拠は、国連安全保障理事会決議1973だけだ。これは狭義にはリビアの民間人を保護する為に「必要な全ての措置」を承認するものだった。
だがこの戦争では寧ろ、2011年2〜3月の最初の反乱で殺害された推定数1,000人(国連)〜6.000人(リビア人権連盟)を遙かに上回る民間人が死亡した。
従ってこの戦争は。リビア政府を違法に打倒すると云う裏の目的は成功させたものの、民間人を保護すると云う表向きの目的には明らかに失敗した。
安保理決議1973は、リビア領土内の外国占領軍の駐留を明確に禁止していた。だがNATOとその同盟諸国は決議が採択される前から秘密裏に侵攻を開始し、国中の反乱軍の進軍を計画し、政府軍に対する空爆を呼び掛け、トリポリのバブ・アル=アジジヤ軍司令部への最終攻撃を主導した。反乱軍とNATOの橋渡しはカタールが務めた。
リビアの指導者ムアンマル・カダフィ大佐が「NATO反乱軍」に捕らえられ、ナイフで拷問・男色された後、フランスの治安当局者が止めを刺したと云う信頼出来る報告も有る。
英議会外務委員会の2016年の調査はこう結論を出した。
「民間人を保護する為の限定的な介入が、済し崩し的に軍事的手段によるレジーム・チェンジと云う日和見的な政策に変わった。」その結果、「政治的・経済的崩壊、民兵間・部族間戦争、人道・移民危機、広範な人権侵害、カダフィ政権の兵器の地域全体への拡散、北アフリカでのISIL(イスラム国)の成長」が引き起こされた。
カダフィ殺害後、西洋の支援を受けた亡命者と反乱軍によって組織された不安定な新政府はは、死傷者数の推計を公表するのを止め、病院職員に記者に情報を公開しないよう命じた。
どの道イラクやアフガニスタンと同様、戦争中は遺体安置所が溢れ、多くの人々が愛する人を病院に搬送せずに、裏庭や何処でもいいから埋葬したので、病院の記録だけでは死傷者の実態は把握し切れない。
反乱軍指導者は8万人、新政府の保健相は3万人が殺害されたと発表した(但し後者は調査途中の為、最終的な数字は更に高くなる見込みで、戦闘員と民間人は区別していないが、約半数が兵士だとのこと)。
最も包括的な調査は2015年にアフリカ救急医学誌に掲載された論文で、著者達は住宅計画省が集計した戦争による死亡・負傷・避難の記録を入手し、チームを派遣して各家族の構成員と直接面談して家族の何人が死亡・負傷・避難したのかを確認した。これは民間人の死と戦闘員の死を区別していないものの、少なくとも21.490人が死亡したことを確認している。
2011年後も続いていた混乱と派閥争いは2014年に所謂第2次リビア内戦へと発展した。リビア・ボディ・カウントはイラク・ボディ・カウントに倣って、メディア報道に基付いて暴力による死亡者数の集計を開始したが、これは2014年1月〜2016年12月しか続かなかった。死者数は2014年が2,825人、2015年が1,523人、2016年も1,523人、合計5,871人だった。
英国に拠点を置く武力紛争位置・事象データ・プロジェクトは、2014〜16年のリビアでの暴力による死亡者数は4,062人だと記録している。リビア・ボディ・カウントがカヴァーしなかった2012年3月から2018年3月までの残りの期間については、死者数は1,874人だとしている。従ってこの比率を当て嵌めると、若しリビア・ボディ・カウントが調査を続行していたら、恐らく8,580人を記録していたと推定される。
以上の数字を合計すると、2011年2月以降に受動的に報告された死亡者数は合計30,070人となる。
リビア・ボディ・カウントは民間人の死と戦闘員の死を区別しておらず、この比率は恐らく半々だと思われるが、一般的に軍の死傷者数の方が民間人よりも正確に数えられている。しかもリビアで戦闘している部隊は、厳格な指揮系統と組織構造を備えた国軍ではない為、民間人と戦闘員の死亡はどちらも大幅に過小報告されているものと思われる。
他の従来の紛争の事例を踏まえて全ての要因を考慮すると、リビアで殺害された本当の数は、2011年のリビア武力紛争に関する調査、リビア・ボディ・カウント、武力紛争位置・事象データの報告数の5〜12倍であると思われる。
従って私の推定では、米国が引き起こした戦争・暴力・混乱によって約25万人のリビア人が死亡した。最小値は15万人、最大値は36万人となる。この被害は今に至るまで続いている。
シリア:150万人(或いは約200万人?)
CIAは2011年後半に、トルコとヨルダンを経由して外国の戦闘員と武器をシリアに送り込み、カタールとサウジアラビアと協力して、シリアのバアス党政府に対する平和的な抗議活動(所謂「アラブの春」)を利用して兵器化した。非暴力抗議活動の調整役だった左派主体の民主的な政治団体は、内戦を引き起こそうとする外国の取り組みに強く反対し、暴力・宗派主義・外国の介入に強く反対する声明を出した。そして2011年12月にカタールが出資した世論調査でさえ、シリア人の55%が自国政府を支持していることが判明した。
だが米国とその同盟諸国は、それが血生臭い破壊的なものになることを知りながら、リビアのレジーム・チェンジ・モデルをシリアにも適用しようとした。彼等は数千tの兵器と数千人のアル=カイダ系ジハード主義者達をシリアに送り込んだ。兵器は最初はリビアから、その後クロアチアとバルカン半島から供給された。
米国は国連の和平の取り組みに協力せず、独自に「シリアの友」と称する会議を3回開催し、そこで「プランB」を推進して、反乱軍への支援を拡大することを誓った。コフィ・アナン事務総長は、ヒラリー・クリントン米国務長官、英国、フランス、サウジアラビアが和平計画を妨害したことに嫌気が差して辞任した。
後は知っての通り、米英仏露、イラン、そしてシリアの近隣諸国全てを血塗れに渦に引き摺り込んだ、広がり続ける暴力と混乱の歴史だ。介入した外部勢力は「シリア人が最後の一人になるまで」戦う用意が出来ていた。
2014年にオバマ大統領がイスラム国(ISIS)に対して開始した爆撃作戦は、ヴェトナム戦争以来最も大規模な爆撃作戦となった。米国はシリアとイラクに10万発以上の爆弾とミサイルを投下し、大部分が瓦礫と化した。
シリアでの殺害者数に関する公的推計は全て、直接的にせよ間接的にせよ、英国のラミ・アブドゥラフマンが運営する「シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights/SOHR)」から来ている。彼はシリア出身の元政治犯で、シリア国内で4人の助手と協力しており、彼等は全国の約230人の反政府活動家のネットワークを利用している。彼は欧州連合や英国政府から資金提供を受けているそうだ。
Wikipediaはより高い死亡率推定値を示す別の情報源としてシリア政策研究センター(Syrian Centre for Policy Research)を挙げているが、これは実際にはSOHRの数字に基付く予想だ。国連の推定値はこれより低いが、こちらも主にSOHRの報告に基付いている様だ。
SOHRは堂々と反シリア政府の観点を表明しており、そのデータの客観性を疑問視する人も居る。
SOHRは米国による民間人の殺害数を大幅に過小報告している様だが、これはISIS支配地域の実態を知るのが困難だからかも知れない。
SOHRは自身のデータが不完全であることを認めているが、2018年3月の報告では、合計35万3,935人の死亡を記録しており、内民間人は106,390人だ。戦闘員247,447人の内、63,820人はシリア軍兵士。恐らくシリア軍は自軍の損失を正確に記録しているだろう。
SOHRの数字を、受動的な報告の例に従って実際の死者数の20%以下であると仮定すると、145万人の民間人及び非軍人戦闘員が殺害されたことになる。この数字に64,000人のシリア軍兵士の分を加えると、シリアでは約150万人が殺害されたと私は推定する。だがSOHRが実態を捉えるのにそれ程成功していなかった場合、殺されたのは約200万人である可能性も有る。
ソマリア:65万人(50万〜85万人)
殆どのアメリカ人は米国のソマリア介入を憶えている。これは1993年の 「ブラックホーク・ダウン」事件とその後の米軍の撤退に繋がった。
だが殆どのアメリカ人は、米国が2006年にエチオピアの軍事侵攻を支援して、ソマリアに再び「偽装した、静かな、メディアが報じない」介入を行ったことは憶えていないか、そもそもそうした事実が有ったことを知らない。
当時ソマリアは、イスラム法廷連合(Islamic Courts Union/ICU)の統治下で、漸く「自力で立ち直り」つつあるところだった。ICUは首都モガデシュの軍閥と同盟を結び、1991年の中央政府崩壊以来私領を統治して来た他の軍閥を打ち破った。
この国をよく知る人々は、ソマリアの平和と安定に向けた希望に満ちた展開としてICUを歓迎した。
だが米国は「テロとの戦い」の一環としてICUを敵であり、軍事行動の標的であると認定した。
米国はソマリアの伝統的な地域ライヴァル(そしてキリスト教徒が多数を占める国)であるエチオピアと同盟を結び、ICUを政権の座から引き摺り下ろす為に、エチオピアによるソマリア侵攻を支援して空爆と特殊部隊作戦を実施した。
2001年以来米国やその代理勢力が行って来た他の侵略の犠牲となった国々と同様、その影響でソマリアは再び暴力と混乱に陥り、それは今日まで続いている。
受動的報告では、2006年の米国が支援するエチオピアによる侵攻以降のソマリア於ける暴力による死者数は、2016までで20,171人(ウプサラ紛争データ・プログラム)または24,631人(武力紛争位置・事象データ・プロジェクト)と云う数字が出ている。
だが地元NGOであるエルマン平和人権センターは2007〜08年の2年間だけで16,210人の暴力による死亡が有ったと報告している。これは先の数字のそれぞれ4.7倍と5.8倍だ。
2つのデータを平均すると、2006年7月から2017年までの暴力による死者数は合計23,916人になるが、これをリビアの様な他の事例と比較して調整し、若しエルマン平和人権センターが集計を続けていたと仮定すると、暴力による死者は約12万5,000人に上ることになる。
だがこれは受動的な数え方に過ぎず、実際の総数は他の紛争から見られる様な比率(5:1〜20:1)を掛ける必要が有る。
エルマンが実際の死亡者数の20%以上数えていた可能性は非常に低いので、仮に15%だったと仮定すると、83万人が死亡した計算になる。ウプサラと位置・事象データが実際の死亡者数の5%以上を数えていたと仮定すると、48万人未満と云う数字が出て来る。
従って2006年以降にソマリアで殺害された本当の人の数は50万〜85万の間であろうと思われ、恐らく約65万人が暴力的な死を遂げていると私は推定する。
イエメン:18万人(12万人〜24万人)
米国は傀儡であるアブドラブ・マンスール・ハディ前大統領を政権に復帰させる為、2015年からイエメンを爆撃している連合軍の一員だ。
ハディは「アラブの春」の抗議活動と武装蜂起により、米国が支援するイエメンの前独裁者アリ・アブドゥラ・サレハが2011年11月に辞任に追い込まれたことを受け、2012年に選出された。
ハディには2年以内に新憲法を制定し、新たな選挙を実施する責務が課されていたが、彼はこのどちらも実行しなかった。そこでザイド派(イエメンの人口の45%を占めるシーア派の一派)のフーシ運動が2014年9月に首都に侵入してハディを自宅軟禁し、彼とその政府が任務を遂行し新たな選挙を実施するよう要求した。
ザイド派のイマームはイエメンの大部分を千年以上統治して来た。スンニ派とザイド派は何世紀もの間、イエメンで平和に共存しており、通婚も一般的に行われており、同じモスクで祈りを捧げている。
最後のザイド派イマームは1960年代の内戦で打倒された。この戦争でサウジアラビアはザイドの王党派を支援したが、ジプトは共和主義軍を支援する為にイエメンに侵攻し、共和主義軍は最終的に1970年にイエメン・アラブ共和国を設立した。
2014年、ハディはフーシへの協力を拒否し、2015年1月に辞任した。彼は故郷のアデンに逃亡し、その後サウジに逃亡したが、サウジは彼を権力の座に戻そうと、米国の支援を受けて野蛮な爆撃作戦と海上封鎖を開始した。
空爆の大部分を実行しているのはサウジだが、米国はサウジが使用している飛行機、爆弾、ミサイル、その他の兵器の殆どを売っている。英国はその次に大きな武器供給国だ。また米国が提供している衛星諜報と空中給油が無ければ、サウジは今の様にイエメン全土を空爆することは出来なかった。
つまり米国の武器、空中給油、外交支援を遮断することこそが、この戦争を終わらせる決定的な要因だ。
イエメンで公表されている戦没者数の推計は、WHOによる現地の病院の定期調査に基付いており、多くの場合、国連人道問題調整事務所(UNOCHA)によって中継される。2017年12月時点の最新の推計では、民間人5,558人を含む9,245人が死亡したことになっているが、UNOCHA自身が、この数字が恐らく過小報告されたものであることを認めている。
もそも病院に辿り着けずに死亡する人が多い上、イエメンの幾つかの病院はサウジの空爆により攻撃され、また海上封鎖によって医薬品の輸入は制限されており、電気・水・食料・燃料の供給は全て爆撃と封鎖の影響を受けている。従って実際の死亡者数は病院の報告よりも遙かに多いと思われる。
武力紛争位置・事象データ・プロジェクトは2017年末までに7,846人と云う、WHOより僅かに少ない数字を報告しているが、2018年1月以降、更に2,193人が死亡したと報告している。WHOの数字にそれまでの比率(18%多い)を当て嵌めると、11,833人と云う数字が出て来る。
過小報告の割合は5:1〜20:1の間を変動しているが、15:1と仮定すると、約175,000人(最低12万人〜最大24万人)が死亡したと推定される。
戦争の真のコスト
以上の数を合計すると、私は9.11以降の米国の戦争によって約600万人が殺害されたと推定した。ひょっとしたら本当は500万人だけかも知れない。或いは700万人かも知れない。だが数百万の単位になることは確かだ。
その数は多くの報道が主張している様な数十万ではあり得ない。何故なら「受動的な報告」は、これまで説明して来た様に、2001年以降米国が解き放って来た暴力と混乱を経験している国々で実際に殺された人の数のほんの一部しか捉えていないからだ。米英の一般大衆の殆どはほんの数万人だと信じているが、これは現実を反映していない。
米国が2001年以来戦火に沈めて来た全ての国々で包括的な死亡率調査を実施する為に、我々には公衆衛生の専門家達が緊急に必要だ。でなければこれらの戦争が引き起こした真の規模の死と破壊に対して、世界は適切に対応出来ない。
2001年の武力行使に唯一反対票を投じたバーバラ・リー議員が警告した様に、我々は「嘆かわしい悪になって」しまったのだ。
これらの戦争は恐るべき軍事パレードや世界征服についての演説と共に行われた訳ではない。その代わり、彼等は敵を悪魔化する「情報戦」によって侵略を正当化し、危機を捏造し、そして米国の公衆と世界から人間の血によって払われる戦争の真のコストを隠す為に、「偽装した、静かな、メディアが報じない」戦争を仕掛けて来た。
16年間に及ぶ戦争、約600万人の非業の死、6つの国の完全破壊、更に多くの国々の不安定化———今や米国の公衆にとって、自国の戦争による真の人的コストと、我々がどの様に操られ、誤った認識によって現実に対して盲目にされて来たのかを理解することが急務だ。さもなくば彼等は更に戦争を長引かせ、更に多くの国々を破壊し、更に国際法の支配を弱体化させ、更に何百万人もの人類同胞を殺害するだろう。
ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』でこう書いた:
「過去に良かったものを単に自分達の遺産と呼んだり、単に悪いものを切り捨てて、時間が経つと忘れ去られる過去の荷物と考えることは最早許されない。西洋の史の底流が遂に表面化し、我々の伝統の尊厳を奪ったのだ。それが我々の生きている現実だ。」
- 関連記事
-
- 9.11以降の数々の戦争でアメリカは何百万人殺したのか?(要点) 2024/12/29
- ハーグ法廷の最後の恥ずべき歓声(抄訳) 2024/12/28
- 勇敢なムジャヒディーンの自由の戦士達 2024/12/28
- イスラエルの活動家アルセン・オストロフスキーが、ホロコーストの責任をポーランド人全員に負わせるのは間違っている(抄訳) 2024/12/28
- 証拠が物語る:ロシアの化学防衛主任殺害に於けるウクライナの直接的役割(抄訳) 2024/12/28