帝国主義の家族的起源
2021/02/20(土)の呟きより。
「家族と言えど他人(他者)」と云う発想がナチュラルに理解出来ないおっさん連中は腐る程居る。だから家族の他の構成員(特に女子供)が自分の意のままにならないと、当たり前の様にキレたりする。個我が家族内に埋め込まれていて切り離せないのだ。「国家無くして個人無し」なんて言う人達と一緒。
まぁ公平を期せば、女性にも多いけどね、常に集団や組織との不可分の関係性の中でしか自己を認識出来ない人。他人を他人として放っておくことの出来ない人。
「普通の日本人」と云う表現に特徴的だけど、彼等は他者に自分の欲望を押し付ける時でも、「これは私が望んでいることであり、私自身の欲望だ」と(ニュルンベルク裁判の時のヒムラーの様に)認めたりはしない。「それが普通のことだからだ」と、世間一般で言われている「普通」の権威に訴えたがる。
ラカン風に言うなら、「これは私自身が勝手に望んでいることではなく、大文字の他者が望んでいることなのだ」、カント風に言えば「これこそがそれ以上根拠を遡ることの出来ない定言命法だ」と言いたがる。
(無論彼等は根拠を遡る様なまどろっこしい真似はしない、最初から「これが最終的な命令だ」と言い、それ以外の可能性はそもそも思い付きもしない。)
彼等は「自分は普通だ」と云うことに自らのアイデンティティを賭けている。逆に言えば、「自分は『普通でないもの』『おかしなもの』ではない」と云う否定命題によって自己を肯定している。
だから「普通でないもの」「おかしなもの」、即ち自分の考える「普通」とは異なるものが自らの存在を主張し始めると、彼等はそれを自分に対する攻撃と受け止める。独立した自由な他者は、存在自体が脅威なのだ。
これが国家レヴェルの話になると帝国主義や植民地主義になる。他者を支配するだけでなく、場合に依っては絶滅まで追い込まなければ気が済まないと云う偏執的な狂気が生まれて来る。そこから、自分達の思い通りに動いてくれない他者を悉く悪魔化する必要性が出て来る。
その為にどれだけ現実像が歪められようと問題ではない。何が確固たる現実であり、世界の為に何が善なのかを知っているのは「私達」であり、「彼等」ではないのだ。
「子供の持ち物を勝手に捨ててしまうお母さん」程度の話であれば、大抵は後で笑い話に出来るかも知れない。だけど「彼等の為に何が善なのかを知っているのは、彼等自身よりも私達の方なのだ」と云う思い込みは、時にジェノサイドにまで発展する。
私達西側市民が日々「国際報道」と云う名で目にさせられているものは、最終的には或いはそこへ至るかも知れない洗脳プロパガンダだ。
「家族と言えど他人(他者)」と云う発想がナチュラルに理解出来ないおっさん連中は腐る程居る。だから家族の他の構成員(特に女子供)が自分の意のままにならないと、当たり前の様にキレたりする。個我が家族内に埋め込まれていて切り離せないのだ。「国家無くして個人無し」なんて言う人達と一緒。
まぁ公平を期せば、女性にも多いけどね、常に集団や組織との不可分の関係性の中でしか自己を認識出来ない人。他人を他人として放っておくことの出来ない人。
「普通の日本人」と云う表現に特徴的だけど、彼等は他者に自分の欲望を押し付ける時でも、「これは私が望んでいることであり、私自身の欲望だ」と(ニュルンベルク裁判の時のヒムラーの様に)認めたりはしない。「それが普通のことだからだ」と、世間一般で言われている「普通」の権威に訴えたがる。
ラカン風に言うなら、「これは私自身が勝手に望んでいることではなく、大文字の他者が望んでいることなのだ」、カント風に言えば「これこそがそれ以上根拠を遡ることの出来ない定言命法だ」と言いたがる。
(無論彼等は根拠を遡る様なまどろっこしい真似はしない、最初から「これが最終的な命令だ」と言い、それ以外の可能性はそもそも思い付きもしない。)
彼等は「自分は普通だ」と云うことに自らのアイデンティティを賭けている。逆に言えば、「自分は『普通でないもの』『おかしなもの』ではない」と云う否定命題によって自己を肯定している。
だから「普通でないもの」「おかしなもの」、即ち自分の考える「普通」とは異なるものが自らの存在を主張し始めると、彼等はそれを自分に対する攻撃と受け止める。独立した自由な他者は、存在自体が脅威なのだ。
これが国家レヴェルの話になると帝国主義や植民地主義になる。他者を支配するだけでなく、場合に依っては絶滅まで追い込まなければ気が済まないと云う偏執的な狂気が生まれて来る。そこから、自分達の思い通りに動いてくれない他者を悉く悪魔化する必要性が出て来る。
その為にどれだけ現実像が歪められようと問題ではない。何が確固たる現実であり、世界の為に何が善なのかを知っているのは「私達」であり、「彼等」ではないのだ。
「子供の持ち物を勝手に捨ててしまうお母さん」程度の話であれば、大抵は後で笑い話に出来るかも知れない。だけど「彼等の為に何が善なのかを知っているのは、彼等自身よりも私達の方なのだ」と云う思い込みは、時にジェノサイドにまで発展する。
私達西側市民が日々「国際報道」と云う名で目にさせられているものは、最終的には或いはそこへ至るかも知れない洗脳プロパガンダだ。