書くことがパッと出てこないなら書かなくていいやと思っていたら、すっかり間があいてしまった。
さてさて。willcomが半死半生になってしまった昨今。Xperiaにでも乗り換えてしまおうかと思っている。で、スマートフォンの話。
その1:Andoroidマーケット
docomoとauが独自のAndoroidマーケットを立ち上げるという話だけれど、これはちょっと上手いアイデアかもしれない。iPhoneはSBの電波がヘチョいところが非常にダメだと思うのだけれど、仕事で考えるともうひとつ、やや難なところがある。結局のところ、素人だろうが趣味で作ったものだろうが、誰でも申請はできて、少なからず通ってしまう点だ。
販促ならまだしも会社で予算立てて収益も上げたいと思うとき、ただでさえ簡単なことではない上に個人や個人とドッコイな小さい会社の膨大なアプリと同じ棚に並んでやっていくというのはけっこう二の足を踏む要因になる。会社の偉い人がなにやら吹き込まれて「うちもiPhoneアプリのビジネスに乗り出そう」と言った場合、販促や受託だったり社内の余剰人材を取りあえず使ってみるというのならまだしも、そうでない場合は現場が上手いこと回避しないとあとで言い出した偉いさんに怒られるハメにもなりかねない。チャレンジは大いによいのだけれど、その場合「ダメ元」くらいの気でないと後で誰も幸せになれないし、そもそも現場が「ダメ元」どころか「ダメだろうなあ」と内心思いつつやるチャレンジ案件ほど不幸なこともない。
一方のdocomo・auのAndoroidマーケットは推測だけれど今の公式サイトみたいに「誰でも比較的簡単に参入できるものでもない」となるのではないか。であれば競争相手はApp Storeや本家Andoroid Marketよりもグッと少なくなるし、それらのアプリの多さが嫌になったユーザが居着いてくれるかもしれない。そもそもスマートフォンが一般化した場合、あまり知識も関心もない人を上手く囲い込めれば、本家の存在に気づかれることなくそうした人をお客さんにできるかもしれない。
こうなってくると一部の企業、特にiPhoneでのアプリ販売に踏み出せなかったところは俄然乗り気になってくるのではないか。これならまだやれるんじゃないかと思って。実際にどうかはともかく。
docomo・auがマーケットを用意するというのは、単に現在の携帯電話向けアプリ市場と同じような囲い込みを狙ってのことだけではなく、こうしたCP企業の心情を上手く汲み取り「素人お断りの会員制クラブ」を立ち上げてやろうという狙いがあるのかもしれない。だとしたら、善し悪しはさておき、上手いこと考えたものである。
その2:スマートフォン用サイト
以前、誰だったか「カニバる」という言い回しをする人がいた。「競合する・食い合う」という意味で、たぶん「カニバリズム」から来てるのだろう。その人独自の言い回しなのか、どこかで一般的な言い回しなのかは知らない。
でまあ、何の話かと言うと「スマートフォン用サイト」について。SBの端末については幅がだいたい240弱PXくらいで作っておけば、幅が480のディスプレイでもボチボチ上手いこと表示してくれる。スマートフォンも案外ディスプレイサイズは違うのだけれど、おそらく普通の携帯みたいによろしくやってくれはしないだろう。
それはさておき。
例えばの話。スマートフォンはPCサイトをそのまま閲覧出来るとはいえ、縦だけでなく横にもはみ出す事が殆どで、PCでPC向けサイトを見たり、携帯で携帯向けサイトを見るのに比べるとどうしても閲覧しやすさで劣る。今はまだ気にしないで済む程度かもしれないが、広告収入をえて居るサイトの場合、右サイドの広告類やらメニューといった掲載内容が、メイン記事見ている際にバッサリと立ち落とされることにもなる。
となると普及具合によるが、どこかの段階で「スマートフォン用サイトを作ろう」という動きが出てくる。
PCとモバイル。同じサイトで二つのバージョンがある場合、切り分けとしては
・別URLでそれぞれを運用
・同じURLで、閲覧者のUAを見て振り分け
の2種類がある。同じURLでなくても、従来のモバイルブラウザならPCサイトにアクセスするとすぐそれと判る場合がほとんどなので、大きな問題はなかった。
一方でPC版とスマートフォン版を用意した場合、スマートフォンユーザーがPC版にアクセスしても普通に閲覧できてしまうので、スマートフォン版があるということに気づきにくい。特に、すでにそれなりの期間にわたってPC版を運営してきたところならそうだ。
ということで、スマートフォン版を用意するなら同一のURLで振り分けるのが望ましい。
ブログサービスなどでは同じリソースに対してPCかモバイルかで適用するCSSを変更したりして同じURLで異なるデバイスに対応しているケースは多い。一方で、ブログ以外のサイトでは別個の運用をしている所も多いのではないだろうか。
そこへスマートフォン版を立ち上げるとなった場合、なまじスマートフォンでは通常のPCサイトも見られるだけに、別個の運用なんてのは馬鹿臭いし無駄なコストがかかるだけである。
というわけで、「既存のPCサイトがうまいことスマートフォン向けに変換されるようにする」という仕事が受託業務の制作会社に発生するだろう。
それを「PCサイトをスマートフォン向けに」なので受注するのは「PCサイトの制作を主とする」制作会社が多いだろう。元々そのサイトを作った会社が、というのが自然だろうか。
「モバイルサイトをスマートフォン向けに」というのはどうなんだろうなあ。需要あるんだろうか。あったとしても、単にスマートフォンのアクセスを弾かない、というだけで済むサイトも多いだろう。有料課金のコンテンツ販売の場合はコンテンツ自体もスマートフォン向けに作り替える必要があるから、もう全然別の話になってくる。
しかし、こうなるとモバイルサイトやモバイルコンテンツの構築、運用を主としている会社は面白くないだろう。同じ「携帯」なのにPCサイト制作が主な会社にばかりそうした需要が流れてしまうというのは。指くわえて見ているわけにもいかないだろう。なんとか入り込めるように努力するはずだ。
というわけで、スマートフォンが普及するとサイト制作や運用において(厳密にではないが)「PC向け/モバイル向け」で棲み分けていた事業内容がカニバってしまう。現状ではモバイルサイト制作側がやや分が悪い用にも思うが、どうなるか知れたものではない。そもそも、両方を両輪として行っている会社や部署なら特に問題はないだろう。いずれにせよ、商機が拡がるというのは喜ばしい。
というわけでつらつらと書いてみたのだが、やっぱりスマートフォンはPC、モバイルに続く第3局となっていくと面白いなあ。
さてさて。willcomが半死半生になってしまった昨今。Xperiaにでも乗り換えてしまおうかと思っている。で、スマートフォンの話。
その1:Andoroidマーケット
docomoとauが独自のAndoroidマーケットを立ち上げるという話だけれど、これはちょっと上手いアイデアかもしれない。iPhoneはSBの電波がヘチョいところが非常にダメだと思うのだけれど、仕事で考えるともうひとつ、やや難なところがある。結局のところ、素人だろうが趣味で作ったものだろうが、誰でも申請はできて、少なからず通ってしまう点だ。
販促ならまだしも会社で予算立てて収益も上げたいと思うとき、ただでさえ簡単なことではない上に個人や個人とドッコイな小さい会社の膨大なアプリと同じ棚に並んでやっていくというのはけっこう二の足を踏む要因になる。会社の偉い人がなにやら吹き込まれて「うちもiPhoneアプリのビジネスに乗り出そう」と言った場合、販促や受託だったり社内の余剰人材を取りあえず使ってみるというのならまだしも、そうでない場合は現場が上手いこと回避しないとあとで言い出した偉いさんに怒られるハメにもなりかねない。チャレンジは大いによいのだけれど、その場合「ダメ元」くらいの気でないと後で誰も幸せになれないし、そもそも現場が「ダメ元」どころか「ダメだろうなあ」と内心思いつつやるチャレンジ案件ほど不幸なこともない。
一方のdocomo・auのAndoroidマーケットは推測だけれど今の公式サイトみたいに「誰でも比較的簡単に参入できるものでもない」となるのではないか。であれば競争相手はApp Storeや本家Andoroid Marketよりもグッと少なくなるし、それらのアプリの多さが嫌になったユーザが居着いてくれるかもしれない。そもそもスマートフォンが一般化した場合、あまり知識も関心もない人を上手く囲い込めれば、本家の存在に気づかれることなくそうした人をお客さんにできるかもしれない。
こうなってくると一部の企業、特にiPhoneでのアプリ販売に踏み出せなかったところは俄然乗り気になってくるのではないか。これならまだやれるんじゃないかと思って。実際にどうかはともかく。
docomo・auがマーケットを用意するというのは、単に現在の携帯電話向けアプリ市場と同じような囲い込みを狙ってのことだけではなく、こうしたCP企業の心情を上手く汲み取り「素人お断りの会員制クラブ」を立ち上げてやろうという狙いがあるのかもしれない。だとしたら、善し悪しはさておき、上手いこと考えたものである。
その2:スマートフォン用サイト
以前、誰だったか「カニバる」という言い回しをする人がいた。「競合する・食い合う」という意味で、たぶん「カニバリズム」から来てるのだろう。その人独自の言い回しなのか、どこかで一般的な言い回しなのかは知らない。
でまあ、何の話かと言うと「スマートフォン用サイト」について。SBの端末については幅がだいたい240弱PXくらいで作っておけば、幅が480のディスプレイでもボチボチ上手いこと表示してくれる。スマートフォンも案外ディスプレイサイズは違うのだけれど、おそらく普通の携帯みたいによろしくやってくれはしないだろう。
それはさておき。
例えばの話。スマートフォンはPCサイトをそのまま閲覧出来るとはいえ、縦だけでなく横にもはみ出す事が殆どで、PCでPC向けサイトを見たり、携帯で携帯向けサイトを見るのに比べるとどうしても閲覧しやすさで劣る。今はまだ気にしないで済む程度かもしれないが、広告収入をえて居るサイトの場合、右サイドの広告類やらメニューといった掲載内容が、メイン記事見ている際にバッサリと立ち落とされることにもなる。
となると普及具合によるが、どこかの段階で「スマートフォン用サイトを作ろう」という動きが出てくる。
PCとモバイル。同じサイトで二つのバージョンがある場合、切り分けとしては
・別URLでそれぞれを運用
・同じURLで、閲覧者のUAを見て振り分け
の2種類がある。同じURLでなくても、従来のモバイルブラウザならPCサイトにアクセスするとすぐそれと判る場合がほとんどなので、大きな問題はなかった。
一方でPC版とスマートフォン版を用意した場合、スマートフォンユーザーがPC版にアクセスしても普通に閲覧できてしまうので、スマートフォン版があるということに気づきにくい。特に、すでにそれなりの期間にわたってPC版を運営してきたところならそうだ。
ということで、スマートフォン版を用意するなら同一のURLで振り分けるのが望ましい。
ブログサービスなどでは同じリソースに対してPCかモバイルかで適用するCSSを変更したりして同じURLで異なるデバイスに対応しているケースは多い。一方で、ブログ以外のサイトでは別個の運用をしている所も多いのではないだろうか。
そこへスマートフォン版を立ち上げるとなった場合、なまじスマートフォンでは通常のPCサイトも見られるだけに、別個の運用なんてのは馬鹿臭いし無駄なコストがかかるだけである。
というわけで、「既存のPCサイトがうまいことスマートフォン向けに変換されるようにする」という仕事が受託業務の制作会社に発生するだろう。
それを「PCサイトをスマートフォン向けに」なので受注するのは「PCサイトの制作を主とする」制作会社が多いだろう。元々そのサイトを作った会社が、というのが自然だろうか。
「モバイルサイトをスマートフォン向けに」というのはどうなんだろうなあ。需要あるんだろうか。あったとしても、単にスマートフォンのアクセスを弾かない、というだけで済むサイトも多いだろう。有料課金のコンテンツ販売の場合はコンテンツ自体もスマートフォン向けに作り替える必要があるから、もう全然別の話になってくる。
しかし、こうなるとモバイルサイトやモバイルコンテンツの構築、運用を主としている会社は面白くないだろう。同じ「携帯」なのにPCサイト制作が主な会社にばかりそうした需要が流れてしまうというのは。指くわえて見ているわけにもいかないだろう。なんとか入り込めるように努力するはずだ。
というわけで、スマートフォンが普及するとサイト制作や運用において(厳密にではないが)「PC向け/モバイル向け」で棲み分けていた事業内容がカニバってしまう。現状ではモバイルサイト制作側がやや分が悪い用にも思うが、どうなるか知れたものではない。そもそも、両方を両輪として行っている会社や部署なら特に問題はないだろう。いずれにせよ、商機が拡がるというのは喜ばしい。
というわけでつらつらと書いてみたのだが、やっぱりスマートフォンはPC、モバイルに続く第3局となっていくと面白いなあ。
このごろ「HTML5があればFlashは不要」みたいなほとばしった意見を見かけることがある。そうなるかどうか、いつごろそうなるか、という点はよく判らない。どうせ棲み分けしていくんだろうけど、そうなったとして、それぞれの局面でどちらで実装するかディレクターが判断することになるんなら、ちょっと面倒だ。
ここで少し余談。Flashが担っていた部分をHTML5に置き換える理由って色々とあるだろうけど、「オープン性」を挙げている人がiPhoneやiPadについて賞賛しているのを見ると、どうにも収まりの悪い気持ちになる。なんで? と言われそうだが。
余談はさておき。「FlashをHTML5で代替する」という可能性について少し違った切り口で考えてみたい。
棲み分けがなされたとして、HTML5でやりましょうとなったとき、では誰にやってもらうのか? というのはちょっと気になる。いやまあ、アサインできる制作スタッフのうち「できる人」なんだろうけど。
Flashでの制作をお願いする場合って、以下を含むと思う。
・動きのデザイン
・パーツ類のデザイン(場合によっては)
・Flashでの実装
で、これの三つ目がHTML5になるわけだ。
「とにかくできる人に頼む」という状況でもなく、制作側の人員がそれなりに分業している場合、これは誰に頼めばいいのだろうか。
・マークアップエンジニア
→HTMLだからね! という発想。しかしHTML5のFlashと置き換わる部分というのは従来のマークアップと別物っちゃあ別物だろうし、だいたい急に「動きのデザインやって。ボタンとかのデザインも」とか頼むのってどうなんだろうね。まあ、動画の埋め込みくらいなら一も二もなくお願いすりゃいいんだろうけど。そもそも、JavaScriptが絡むんだよね? これって?
・Flasher
→フラッシャーって未だに正しい呼称なのか分からない。和製英語、じゃないのだろうか。ともあれ。彼らは一つ目と二つ目はこれまでもやってきたことだろうからお願いできるだろう。しかし「HTML5で実装」というのができるのかどうかはその人次第だし、Flasherに頼むならFlashで実装してもらやいいじゃん、という気もする。
・webプログラマ
→HTML5には諸々JavaScriptとか絡んだりしてwebプログラマに頼むのがいいようにも思うが、ブラウザ上で動作するアプリの開発ならUIのデザインなんかは別途デザイナーをアサインして普通のアプリ開発みたいにやるだろうからまだしも、ちょっとした部分についてわざわざそこだけ頼むのもスッキリしない話。JavaScript部分の素養が期待できる点では良さそうだけれど。動きやパーツのデザインをやってくれたとして、出来栄えはかなり属人的、というかwebプログラマ的には余技の範疇だしなあ。
・第3のビール
→というのは冗談だが、Flasherと同じ作業内容で、ただし実装方法がHTML5+αという専門職種がいつの日か出てくるのかも。
正直、私自身まだHTML5とかそこまでちゃんと把握してるわけでもないので見当違いな話かもしれないけれど、jQueryなんかの「Ajaxライブラリ」での動きの演出も、というか、どこにどういうふうに導入するかも含めて、分業化していると誰にやってもらうのが最適解か、ちょいと迷うときがある。カスタマイズをたいしてしないなら、マークアップエンジニアにやってもらえばいいんだけど。
というか、ガワの部分でも実装方法が多様化してくると、どれで誰にやってもらうか考えるのでディレクターはちょっと頭痛いのですよ? 私だけかもだが。
ここで少し余談。Flashが担っていた部分をHTML5に置き換える理由って色々とあるだろうけど、「オープン性」を挙げている人がiPhoneやiPadについて賞賛しているのを見ると、どうにも収まりの悪い気持ちになる。なんで? と言われそうだが。
余談はさておき。「FlashをHTML5で代替する」という可能性について少し違った切り口で考えてみたい。
棲み分けがなされたとして、HTML5でやりましょうとなったとき、では誰にやってもらうのか? というのはちょっと気になる。いやまあ、アサインできる制作スタッフのうち「できる人」なんだろうけど。
Flashでの制作をお願いする場合って、以下を含むと思う。
・動きのデザイン
・パーツ類のデザイン(場合によっては)
・Flashでの実装
で、これの三つ目がHTML5になるわけだ。
「とにかくできる人に頼む」という状況でもなく、制作側の人員がそれなりに分業している場合、これは誰に頼めばいいのだろうか。
・マークアップエンジニア
→HTMLだからね! という発想。しかしHTML5のFlashと置き換わる部分というのは従来のマークアップと別物っちゃあ別物だろうし、だいたい急に「動きのデザインやって。ボタンとかのデザインも」とか頼むのってどうなんだろうね。まあ、動画の埋め込みくらいなら一も二もなくお願いすりゃいいんだろうけど。そもそも、JavaScriptが絡むんだよね? これって?
・Flasher
→フラッシャーって未だに正しい呼称なのか分からない。和製英語、じゃないのだろうか。ともあれ。彼らは一つ目と二つ目はこれまでもやってきたことだろうからお願いできるだろう。しかし「HTML5で実装」というのができるのかどうかはその人次第だし、Flasherに頼むならFlashで実装してもらやいいじゃん、という気もする。
・webプログラマ
→HTML5には諸々JavaScriptとか絡んだりしてwebプログラマに頼むのがいいようにも思うが、ブラウザ上で動作するアプリの開発ならUIのデザインなんかは別途デザイナーをアサインして普通のアプリ開発みたいにやるだろうからまだしも、ちょっとした部分についてわざわざそこだけ頼むのもスッキリしない話。JavaScript部分の素養が期待できる点では良さそうだけれど。動きやパーツのデザインをやってくれたとして、出来栄えはかなり属人的、というかwebプログラマ的には余技の範疇だしなあ。
・第3のビール
→というのは冗談だが、Flasherと同じ作業内容で、ただし実装方法がHTML5+αという専門職種がいつの日か出てくるのかも。
正直、私自身まだHTML5とかそこまでちゃんと把握してるわけでもないので見当違いな話かもしれないけれど、jQueryなんかの「Ajaxライブラリ」での動きの演出も、というか、どこにどういうふうに導入するかも含めて、分業化していると誰にやってもらうのが最適解か、ちょいと迷うときがある。カスタマイズをたいしてしないなら、マークアップエンジニアにやってもらえばいいんだけど。
というか、ガワの部分でも実装方法が多様化してくると、どれで誰にやってもらうか考えるのでディレクターはちょっと頭痛いのですよ? 私だけかもだが。
なんとなく、どこぞのライフハック記事にでも書いてありそうな気がするけれど。
状況や立場にもよるが、webディレクターというのは一つのことに専念するということが難しい。なにを持って「一つのこと」とするかにもよるが、むしろ一つのことに専念してしまうと色々と弊害のある場合も多い。
というのも、複数の案件にまたがって「あれはどうなっているか。これはどうなったか」ということに目を向け、注意を注ぐ必要があるからだ。一つの案件でさえ、分野的にはweb制作における他の職種よりも多くに注意を向ける必要がある。
他の職種だって複数の案件を担当していたり、その案件の規模によっては担当領域の多くの事柄に注意を向ける必要がある。しかし、その場合も同じ案件を担当しているwebディレクターはそれら職種の人のやっていることに加えて、webディレクターだけが注意を注ぐべき事柄も相手にすることになる。乱暴に図式化するなら、注意の方向性について「webディレクター/他の職種=広く浅く/狭く深く」というイメージだ。
例えてみるなら、webディレクターは複数のDVDプレイヤーで再生されている映画を同時に一つのモニターで、せわしなくスイッチングしながら観て、その内容を最大限に理解しようとするようなものだ。おまけにこの映画は一度再生が始まると途中で停止できない。むしろトラブルで勝手に停止していたら、再生ボタンを押す必要がある。
だからといって、他の職種よりwebディレクターの方が大変な仕事だというわけではない。たんに「割り振るべき注意の対象が多い」というだけのことで、その点では大変かもしれないが、他の職種よりよっぽど楽な部分もある。どちらが、という話ではない。
さてそこで。言うまでもないが、神ならぬ人間の身としては持っている注意力は有限である。全てに等しく最大の注意を払うというわけにはいかない。
そこで、何らかの指標で以て優先順位を設け、着手する順番だけでなく振り向ける注意の割合についてもこの優先順位に従うというのが常道だろう。「影響が大きい」「クライアントが厳しい」「想定スケジュールとの乖離度合い」などなど指標によっては、この優先順位リストは着手順とはまた違ったものになるかもしれない。
この方法では優先順位を測る指標やそれに基づく優先順位の決定が難しかったり、リストアップすると上位だけで振り分けるべき注意力が尽きてしまうこともある。あと、どれにどれだけの注意力を振り分けるのが妥当か判断しづらかったり。もちろん、注意力は明確な数値ではないけれど。
でまあ、こういう難点のためではないけれども、私は「なににどれだけ注意を払うか」ではなく「注意を向けなくて良いものはどれか?」という形で把握するようにしている。なんといっても、何かに注意を向けるより、向けずに忘れてしまう方がずっと楽だからだ。
このために一番いいのは「とっとと片付ける」で、前にも書いた気がするが、私が「すぐ終わることはすぐやる」という方針にしているのはそのためでもある。終わったことは次に必要になるまでいったん忘れてしまっても大丈夫。「次に必要なとき」が永久に来ないこともあるし。
他にも「放っておいても問題なく進む」「放っておいてもアラートが来る」「把握すべきポイントが明確」などなど、あまり注意を向けておかなくても大丈夫なものというのは、その気になれば非常に分かりやすい。
もう一つの考え方としては、案件ごとに「最低限なにを把握してないといけないか」を早々に掴む、ということがある。それさえ掴めれば、他の点はあまり注意を向けていなくても済む。
そもそも「あまり注意を払わなくていいもの」というのは自然と注意を払わなくなるのだが、それを早いうちに意図的にやる、というのがポイントといえばポイントである。こうして「注意を向けなくて良いものはどれか?」が明確になれば全体からそれを差っ引いて、残りが「注意を向けるべきもの」となる。じつに簡便だ。
「注意を向けるべきもの」についても「どれだけの注意を払う必要があるか」よりは、時に応じて「どれだけ注意を払わなくていいか」という点から把握しているとあまり迷わないし気が楽だ。
このブログの常で普通の話を仰々しく語っているけれど、さらに言い換えるならここまでの話はつまり「使う注意力を最低限にする」という観点でタスクを見るということだ。上手く説明できているか心もとないが、「効率化によって使える注意力を最大化する」のとは違う。
凄いこと、大きいことがしたいと思っている人には悪影響な気もするが、仕事に限らず「最低限」をはっきりと把握しておくことは何かと精神衛生上良いので、気が向いたら試してみて欲しい。
状況や立場にもよるが、webディレクターというのは一つのことに専念するということが難しい。なにを持って「一つのこと」とするかにもよるが、むしろ一つのことに専念してしまうと色々と弊害のある場合も多い。
というのも、複数の案件にまたがって「あれはどうなっているか。これはどうなったか」ということに目を向け、注意を注ぐ必要があるからだ。一つの案件でさえ、分野的にはweb制作における他の職種よりも多くに注意を向ける必要がある。
他の職種だって複数の案件を担当していたり、その案件の規模によっては担当領域の多くの事柄に注意を向ける必要がある。しかし、その場合も同じ案件を担当しているwebディレクターはそれら職種の人のやっていることに加えて、webディレクターだけが注意を注ぐべき事柄も相手にすることになる。乱暴に図式化するなら、注意の方向性について「webディレクター/他の職種=広く浅く/狭く深く」というイメージだ。
例えてみるなら、webディレクターは複数のDVDプレイヤーで再生されている映画を同時に一つのモニターで、せわしなくスイッチングしながら観て、その内容を最大限に理解しようとするようなものだ。おまけにこの映画は一度再生が始まると途中で停止できない。むしろトラブルで勝手に停止していたら、再生ボタンを押す必要がある。
だからといって、他の職種よりwebディレクターの方が大変な仕事だというわけではない。たんに「割り振るべき注意の対象が多い」というだけのことで、その点では大変かもしれないが、他の職種よりよっぽど楽な部分もある。どちらが、という話ではない。
さてそこで。言うまでもないが、神ならぬ人間の身としては持っている注意力は有限である。全てに等しく最大の注意を払うというわけにはいかない。
そこで、何らかの指標で以て優先順位を設け、着手する順番だけでなく振り向ける注意の割合についてもこの優先順位に従うというのが常道だろう。「影響が大きい」「クライアントが厳しい」「想定スケジュールとの乖離度合い」などなど指標によっては、この優先順位リストは着手順とはまた違ったものになるかもしれない。
この方法では優先順位を測る指標やそれに基づく優先順位の決定が難しかったり、リストアップすると上位だけで振り分けるべき注意力が尽きてしまうこともある。あと、どれにどれだけの注意力を振り分けるのが妥当か判断しづらかったり。もちろん、注意力は明確な数値ではないけれど。
でまあ、こういう難点のためではないけれども、私は「なににどれだけ注意を払うか」ではなく「注意を向けなくて良いものはどれか?」という形で把握するようにしている。なんといっても、何かに注意を向けるより、向けずに忘れてしまう方がずっと楽だからだ。
このために一番いいのは「とっとと片付ける」で、前にも書いた気がするが、私が「すぐ終わることはすぐやる」という方針にしているのはそのためでもある。終わったことは次に必要になるまでいったん忘れてしまっても大丈夫。「次に必要なとき」が永久に来ないこともあるし。
他にも「放っておいても問題なく進む」「放っておいてもアラートが来る」「把握すべきポイントが明確」などなど、あまり注意を向けておかなくても大丈夫なものというのは、その気になれば非常に分かりやすい。
もう一つの考え方としては、案件ごとに「最低限なにを把握してないといけないか」を早々に掴む、ということがある。それさえ掴めれば、他の点はあまり注意を向けていなくても済む。
そもそも「あまり注意を払わなくていいもの」というのは自然と注意を払わなくなるのだが、それを早いうちに意図的にやる、というのがポイントといえばポイントである。こうして「注意を向けなくて良いものはどれか?」が明確になれば全体からそれを差っ引いて、残りが「注意を向けるべきもの」となる。じつに簡便だ。
「注意を向けるべきもの」についても「どれだけの注意を払う必要があるか」よりは、時に応じて「どれだけ注意を払わなくていいか」という点から把握しているとあまり迷わないし気が楽だ。
このブログの常で普通の話を仰々しく語っているけれど、さらに言い換えるならここまでの話はつまり「使う注意力を最低限にする」という観点でタスクを見るということだ。上手く説明できているか心もとないが、「効率化によって使える注意力を最大化する」のとは違う。
凄いこと、大きいことがしたいと思っている人には悪影響な気もするが、仕事に限らず「最低限」をはっきりと把握しておくことは何かと精神衛生上良いので、気が向いたら試してみて欲しい。
「よもやま」という語感が好きだ。「もょもと」に似てる。いや、逆か。
さて、電子書籍の話題をよく見かけるのでとりとめのない話でも。ただの雑談です。
個人的に今の電子書籍にはあまり期待していない。ケータイで読める書籍と似たりよったりなラインアップばかりだと買う気にはなれない。最低でも「早川書店」「東京創元社」が電子書籍版の発行を始めるまでは。ということは、紙の書籍が滅びかけるその時まで電子書籍端末を買う可能性はあまりない、ということだ。できればその時には「ちくま文庫」「岩波文庫」「講談社学術文庫」も移行していて欲しい。
Amazoneなんかは個人出版、というか個人のAmazoneでのKindle向け委託販売に力を入れたいらしい。これはなかなか可能性がありそうだけれど、そんなこんなで出版社を通しての出版が相対的に減り(出版社が死ぬとまでは思えないけれど)、電子書籍市場での作者による委託販売が主流になると、ちょっと個人的に懸念される点がある。
というのは、私は翻訳小説をよく買うのだけれど、いまでさえ数が少ないのに、さらに少なくなるんじゃないだろうか。特に非英語での書籍は。ひょっとしたら違うのかもしれないけれど、ああいうのは原語の出版社と翻訳先の出版社とで契約をかわして翻訳し、出版してるんじゃないかという気がする。そうなると、日本の翻訳者が個人で元本の版元と契約して翻訳して…ってのはハードルが上がるんじゃなかろうか。
あとまあ、クトゥルー神話系の翻訳アンソロジーなんかも好きなんだけれど、ああいうのはどうなるんだろう。いや、すでにたくさん訳出されているのだけれど、新しい作品や気の利いた新しいアンソロジーなんかは。大瀧大先生が私家版として出すとか? ないか。
他にも、再ダウンロードの有効期間があったりするとちょいと難だなあ。そういう制限がなくっても、配信元が事業やめちゃったらアウトだろうし。PCにバックアップを取れるんならまだマシか。
最後の点はともかく、他の点を気にしている人間は国内でも僅かだろうなあ。ああでも、アメコミが買いやすくなりそうってのはいいな。
電子書籍がらみだと、フォーマットの話を聞いた。正しさについて裏を取ってないのだけれど、ケータイはそうだがPSP goやらその他新興の電子書籍リーダーも、ファイルのフォーマットがいちいち違うらしい。同じでもDRMのかけ方が違ったりで、複数のデバイスで出そうとするとちまちま対応作業が必要で地味に面倒らしい。読者にとってはどうでもいいのだけれど、当事者のことを思うと早く統一規格ができて欲しいものだ。まあ一社独占じゃ無理だろうから、大多数の主要プレイヤーが合同で綱引きもせずに策定してくれないと実現しないだろう。今後もデバイスが増えてそのたびにフォーマットやらが増えていったら、ちょっと可哀相だな。
さて、話がやや変わって。仮に近々「早川書店」「東京創元社」の電子書籍事業参入など諸々の懸念点が解決して、まとまった金が手に入ったら、というif的状況で物欲リストを上げてみる。
・Xperia
・Inspiron mini 10
・Kindle
・iPadかAndoroid OS搭載の似たようなの
リストの一番上を見て「おや?」と思った人は、よくそんなことを覚えていると思う。というのも前にもなんか以下書いたが私は熱烈なwillcomファンなので。今ごろはHYBRID W-ZERO3で幸せに…。と思いたかったのだけれど、相変わらずの出来栄えらしいので無理。そもそもOSが…。法的整理でXGPはソフトバンクに持っていかれるらしいし。正直、もう愛しきれなくなってきた。
それはさておき。
さて、上記リストのデバイスはそれぞれ持ち歩きが可能である。そのうちKindleはAmazoneが通信費を肩代わりしているのでいいとして、他の4つは外でネットに繋ぐには個別に回線を持たないといけない。いや、Xperiaはケータイだから他の3つか。
ともあれ、都合3回線も契約が必要。家のも合わせると5回線か。通信費はいくらだろう。どこと契約するかにもよるが、考えたくない。ああ、イーモバイルのPocket WiFiという手があるか。「遅い」「エリアが…」って話だけど本当はどうなんだろうか。あ、SIMロックフリーのがあるのか。ほほう。
ではSIMロックフリーのPocket WiFiを導入するとして2回線。Xperiaはwillcomの回線t置換えなわけだし、それならまあ、なんとか。
いや、考えてみればリストの2番目と4番目は役割が大きくかぶっている。2番目は持ち出し用で4番目は家用で…。いや、その使い分けの意味がわからない。2で4の代わりはできるが、4で2の代わりはできない。ということは、iPad的なものは諦めるか。据え置きゲーマーとしてはiPhoneアプリのゲームとかそんなやる気ないし。その他のiPhoneアプリやら、今後出るだろうiPadアプリもなくたって、どうにかなるだろ。
Kindleはどうか。if的世界なので魅力的ではあるが、文庫に比べるとやはりデカい。通勤電車で読める機会が制限されるんじゃなかろうか。防水ってわけでもないだろうしなあ。紙の本が滅びてなければ「Kindleでたいてい買えるから」って本屋に行かなくなるはずはないし、行って欲しい本があったらKindle取り出すのももどかしく、その場で買っちゃうんだろうな。
そもそも自分にとってKindleの魅力ってなんだろうか。「紙の本より安い」「ガジェット欲が刺激される」。安いのは魅力だ。けれど、うーん。どうだろうか。今回は保留ということで。
となると最終的なリストは
・Xperia
・Inspiron mini 10
なんだか最近の話題とはあまり縁もゆかりもないものになってしまった。っていうか、最近のデジタルガジェットはみんなちょっとずつキャラかぶりすぎだろ。悩ましいにもほどがある。
さて、電子書籍の話題をよく見かけるのでとりとめのない話でも。ただの雑談です。
個人的に今の電子書籍にはあまり期待していない。ケータイで読める書籍と似たりよったりなラインアップばかりだと買う気にはなれない。最低でも「早川書店」「東京創元社」が電子書籍版の発行を始めるまでは。ということは、紙の書籍が滅びかけるその時まで電子書籍端末を買う可能性はあまりない、ということだ。できればその時には「ちくま文庫」「岩波文庫」「講談社学術文庫」も移行していて欲しい。
Amazoneなんかは個人出版、というか個人のAmazoneでのKindle向け委託販売に力を入れたいらしい。これはなかなか可能性がありそうだけれど、そんなこんなで出版社を通しての出版が相対的に減り(出版社が死ぬとまでは思えないけれど)、電子書籍市場での作者による委託販売が主流になると、ちょっと個人的に懸念される点がある。
というのは、私は翻訳小説をよく買うのだけれど、いまでさえ数が少ないのに、さらに少なくなるんじゃないだろうか。特に非英語での書籍は。ひょっとしたら違うのかもしれないけれど、ああいうのは原語の出版社と翻訳先の出版社とで契約をかわして翻訳し、出版してるんじゃないかという気がする。そうなると、日本の翻訳者が個人で元本の版元と契約して翻訳して…ってのはハードルが上がるんじゃなかろうか。
あとまあ、クトゥルー神話系の翻訳アンソロジーなんかも好きなんだけれど、ああいうのはどうなるんだろう。いや、すでにたくさん訳出されているのだけれど、新しい作品や気の利いた新しいアンソロジーなんかは。大瀧大先生が私家版として出すとか? ないか。
他にも、再ダウンロードの有効期間があったりするとちょいと難だなあ。そういう制限がなくっても、配信元が事業やめちゃったらアウトだろうし。PCにバックアップを取れるんならまだマシか。
最後の点はともかく、他の点を気にしている人間は国内でも僅かだろうなあ。ああでも、アメコミが買いやすくなりそうってのはいいな。
電子書籍がらみだと、フォーマットの話を聞いた。正しさについて裏を取ってないのだけれど、ケータイはそうだがPSP goやらその他新興の電子書籍リーダーも、ファイルのフォーマットがいちいち違うらしい。同じでもDRMのかけ方が違ったりで、複数のデバイスで出そうとするとちまちま対応作業が必要で地味に面倒らしい。読者にとってはどうでもいいのだけれど、当事者のことを思うと早く統一規格ができて欲しいものだ。まあ一社独占じゃ無理だろうから、大多数の主要プレイヤーが合同で綱引きもせずに策定してくれないと実現しないだろう。今後もデバイスが増えてそのたびにフォーマットやらが増えていったら、ちょっと可哀相だな。
さて、話がやや変わって。仮に近々「早川書店」「東京創元社」の電子書籍事業参入など諸々の懸念点が解決して、まとまった金が手に入ったら、というif的状況で物欲リストを上げてみる。
・Xperia
・Inspiron mini 10
・Kindle
・iPadかAndoroid OS搭載の似たようなの
リストの一番上を見て「おや?」と思った人は、よくそんなことを覚えていると思う。というのも前にもなんか以下書いたが私は熱烈なwillcomファンなので。今ごろはHYBRID W-ZERO3で幸せに…。と思いたかったのだけれど、相変わらずの出来栄えらしいので無理。そもそもOSが…。法的整理でXGPはソフトバンクに持っていかれるらしいし。正直、もう愛しきれなくなってきた。
それはさておき。
さて、上記リストのデバイスはそれぞれ持ち歩きが可能である。そのうちKindleはAmazoneが通信費を肩代わりしているのでいいとして、他の4つは外でネットに繋ぐには個別に回線を持たないといけない。いや、Xperiaはケータイだから他の3つか。
ともあれ、都合3回線も契約が必要。家のも合わせると5回線か。通信費はいくらだろう。どこと契約するかにもよるが、考えたくない。ああ、イーモバイルのPocket WiFiという手があるか。「遅い」「エリアが…」って話だけど本当はどうなんだろうか。あ、SIMロックフリーのがあるのか。ほほう。
ではSIMロックフリーのPocket WiFiを導入するとして2回線。Xperiaはwillcomの回線t置換えなわけだし、それならまあ、なんとか。
いや、考えてみればリストの2番目と4番目は役割が大きくかぶっている。2番目は持ち出し用で4番目は家用で…。いや、その使い分けの意味がわからない。2で4の代わりはできるが、4で2の代わりはできない。ということは、iPad的なものは諦めるか。据え置きゲーマーとしてはiPhoneアプリのゲームとかそんなやる気ないし。その他のiPhoneアプリやら、今後出るだろうiPadアプリもなくたって、どうにかなるだろ。
Kindleはどうか。if的世界なので魅力的ではあるが、文庫に比べるとやはりデカい。通勤電車で読める機会が制限されるんじゃなかろうか。防水ってわけでもないだろうしなあ。紙の本が滅びてなければ「Kindleでたいてい買えるから」って本屋に行かなくなるはずはないし、行って欲しい本があったらKindle取り出すのももどかしく、その場で買っちゃうんだろうな。
そもそも自分にとってKindleの魅力ってなんだろうか。「紙の本より安い」「ガジェット欲が刺激される」。安いのは魅力だ。けれど、うーん。どうだろうか。今回は保留ということで。
となると最終的なリストは
・Xperia
・Inspiron mini 10
なんだか最近の話題とはあまり縁もゆかりもないものになってしまった。っていうか、最近のデジタルガジェットはみんなちょっとずつキャラかぶりすぎだろ。悩ましいにもほどがある。
webディレクターにとっては、人から少しでも早く返事をもらうために粉骨砕身するのも大事な仕事のひとつだ。
そもそも出したメールになかなか返事が来ないなんてのはザラで、その理由も「現在確認中。確認が取れたら連絡しようと思ってた(ら、ずいぶん間があいた)」「忘れてた」「見落としてた」「あえて無視してた」「忙しいので後回しにしてた」などなど多岐に渡る。
と、そんな日々にあって以下の記事を目にした。
相手に負担にならないメール返信の催促の仕方
読んで思ったことはひとつだけ。
「こんなことで返事が来るんなら世話ねーよ。ナメてんのか?」
いやまあ、絶対に来ないとは限らないけれど、困るのはこういう「書けて当然の初歩的な確認メール」で返事が来ない場合だろう。そして、そういう状況は往々にしてある。
と、その後に出てきた記事が以下。
『相手に負担にならないメール返信の催促の仕方』をもうちょっとだけ科学する
挙げられているのは効果の不確かな小手先の技だけれど、これは共感できる。というのも、メール(に限らないが)の返事をもらう方法として比較的広い状況で使えるのは「とにかくもう知ってる限りの小手先の技を弄しまくる」ということぐらいだからだ。一つ一つはおまじない程度の効果しか期待できなさそうなあの手この手を束ねて使う。まあ、個人的な経験則だけど。というか、まずその前に相手へ電話しろ。電話。捕まえたらその場で相手にメールへ目を通してもらえ。もしくは返事がない理由を聞け。
と、本題は以上なのだけれど、おまけで自分も小手先の技を少し追記しておく。
・「ウドで訊く!」方式
→ちゃんと観たことないのだけれど、「ウドで訊く!」という番組がある。ゲストに対して別室の人がウドを通して質問させるような番組。これに近い。自分ではなく誰か別の関係者を通して聞いてもらう方法だ。ディレクターなら制作スタッフだと良い。
聞きにくいから他人に聞いてもらうというものではない。いつも同じ人から確認を出していると「またこの人かよ」と思われるばかりで印象に残りにくい。というわけで「同じことでも変化球的に知らない人から聞かれると印象に残る」を狙ったもの。人は同じ刺激を受け続けると慣れて感じなくなるって言うし(少しだけ科学してみた)。また、いつもの人ほど馴染んでない相手から聞かれる心理的プレッシャーも期待できる。
・「昨年」って書く
→この時期限定。つい一週間ほど前の話でも「昨年お出ししたメール」と書くとずいぶん前のことのように思えて相手に「ヤバい」と思ってもらいやすい。
・CCに入れる
→返事が欲しい人とは別の関係者にToで確認メールを出す。本当に返事が欲しい人はCCに入れる。CCに入れられた人がToの人に面倒かけてると思ってもらうのが狙い。ただし、Toの相手へメールするのが筋違いな場合は普通にマズいので、使える場面が限定的。
以上。これで効果があるか? たぶん、おまじない程度には。しかし、どうしても電話ができないorしたくない場合はとにかく思いつく限りの小手先の技を駆使してみてください。
そもそも出したメールになかなか返事が来ないなんてのはザラで、その理由も「現在確認中。確認が取れたら連絡しようと思ってた(ら、ずいぶん間があいた)」「忘れてた」「見落としてた」「あえて無視してた」「忙しいので後回しにしてた」などなど多岐に渡る。
と、そんな日々にあって以下の記事を目にした。
相手に負担にならないメール返信の催促の仕方
読んで思ったことはひとつだけ。
「こんなことで返事が来るんなら世話ねーよ。ナメてんのか?」
いやまあ、絶対に来ないとは限らないけれど、困るのはこういう「書けて当然の初歩的な確認メール」で返事が来ない場合だろう。そして、そういう状況は往々にしてある。
と、その後に出てきた記事が以下。
『相手に負担にならないメール返信の催促の仕方』をもうちょっとだけ科学する
挙げられているのは効果の不確かな小手先の技だけれど、これは共感できる。というのも、メール(に限らないが)の返事をもらう方法として比較的広い状況で使えるのは「とにかくもう知ってる限りの小手先の技を弄しまくる」ということぐらいだからだ。一つ一つはおまじない程度の効果しか期待できなさそうなあの手この手を束ねて使う。まあ、個人的な経験則だけど。というか、まずその前に相手へ電話しろ。電話。捕まえたらその場で相手にメールへ目を通してもらえ。もしくは返事がない理由を聞け。
と、本題は以上なのだけれど、おまけで自分も小手先の技を少し追記しておく。
・「ウドで訊く!」方式
→ちゃんと観たことないのだけれど、「ウドで訊く!」という番組がある。ゲストに対して別室の人がウドを通して質問させるような番組。これに近い。自分ではなく誰か別の関係者を通して聞いてもらう方法だ。ディレクターなら制作スタッフだと良い。
聞きにくいから他人に聞いてもらうというものではない。いつも同じ人から確認を出していると「またこの人かよ」と思われるばかりで印象に残りにくい。というわけで「同じことでも変化球的に知らない人から聞かれると印象に残る」を狙ったもの。人は同じ刺激を受け続けると慣れて感じなくなるって言うし(少しだけ科学してみた)。また、いつもの人ほど馴染んでない相手から聞かれる心理的プレッシャーも期待できる。
・「昨年」って書く
→この時期限定。つい一週間ほど前の話でも「昨年お出ししたメール」と書くとずいぶん前のことのように思えて相手に「ヤバい」と思ってもらいやすい。
・CCに入れる
→返事が欲しい人とは別の関係者にToで確認メールを出す。本当に返事が欲しい人はCCに入れる。CCに入れられた人がToの人に面倒かけてると思ってもらうのが狙い。ただし、Toの相手へメールするのが筋違いな場合は普通にマズいので、使える場面が限定的。
以上。これで効果があるか? たぶん、おまじない程度には。しかし、どうしても電話ができないorしたくない場合はとにかく思いつく限りの小手先の技を駆使してみてください。