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愚慫空論

似~第二迷信さんの言葉

『似~メラーの言葉 』(ストップ !! 「第二迷信」 )

に触発されて。

マルチン・ニーメラー牧師の詩より。

 ナチ党が共産主義を攻撃したとき、
私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
 ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。
私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
 ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。
私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
 ナチ党はついに教会を攻撃した。
私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。


第二迷信さんの言葉

若者が、「星占い」に人生を託していた。
科学的根拠がないのは知っていたが、私は何も言わなかった。

 オッサンが「大安、仏滅、友引…」で行事の日取りを決めていた。
科学的根拠がないのは知っていたが、私は何も言わなかった。

 オバチャンが「水子のタタリ」を気にしていた。
科学的根拠がないのは知っていたが、私は何も言わなかった。

 視聴者が「占い師」の言うことを真に受けていた。
科学的根拠がないのは知っていたが、私は何も言わなかった。

 世の中がカルトに支配されそうになった。
私は声を上げたが、もう遅かった。


・・・・・・。

「星占い」に人生を託していた若者が、
科学的ではないと攻撃されていたが、私は星占いを信じなかったので何も言わなかった。

 「大安、仏滅、友引…」で行事の日取りを決めていたオッサンが、
科学的ではないと攻撃されていたが、私は大安、仏滅は信じないので私は何も言わなかった。

 「水子のタタリ」を気にしていたオバチャンが、
科学的ではないと攻撃されていたが、私は「水子のタタリ」は信じないので私は何も言わなかった。

 「占い師」の言うことを真に受けていた視聴者が、
科学的ではないと攻撃されていたが、私は「占い師」のいうことを信じないので何も言わなかった。

 世の中が科学に支配されそうになった。
科学に支配された世の中は、素晴らしい世の中なので私は声を上げなかった...否!

科学が世の中を支配するなんてことはありません。支配するのは科学を操る何者かです。その何者が世の中を支配するにたる人物であると考える根拠などなにもない。それにそもそも科学は人を支配するためのツールではない。科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。

コメント

あなたもです

>支配するのは科学を操る何者かです

あなたもその何者かです。
木を切るのに道具を使っていますね。
より安全に木の倒すための判断と措置を行っていますね。

これら、あなたのお仕事全てが、人類の営々たる科学的な実験と考察によって築き上げてきたものによって成り立っていますし、あなたもそれを日々駆使しています。

あなたもその何者かです。

はい。だからこそ、こんなエントリーをあげたりするのですが?

仰るとおり、私は木を伐るのに科学技術によって開発された機械を使っています。そして、そうした機械は効率よく目的を達することが出来ることを識っていると同時に、目的外に使用することが出来ることも知っています。

昔『13日の金曜日』でしたか? チェーンソーを振り回すホラー映画がありましたよね? 冗談ではなく、私の所有する道具で人を人を殺すことは十分可能です。チェーンソーが特殊なら、自動車でも良い。人混みに突っ込めば1人や2人、簡単に殺せることは誰にでも理解できることです。

それを知っているから、科学を操る者が支配する世の中が無条件に良いとはいえない、言うのです。

また別の例をあげましょうか? 私の知っている人で、朝夕仕事を始める前と終わったときにお祈りをする人がいます。私はもちろん、そのようなお祈りは科学的が科学的でないことを知っていますし、お祈りをしたからといって事故に遭う確率が低くなるわけではないことも知っている。私だけではない、当人も知っています。そんな話をしたことがありますからね。

でも私は科学的でないからといって、お祈りを止めろとは言いません。私は科学的でないことを知りつつもお祈りをする人を尊敬すらしています。

けれども、その気になれば科学を使ってその人を攻撃することはできます。「科学的に効果のないお祈りをする時間があればその間少しでも作業をするべきだ」とか、「ひとりでお祈りなんかしていないで、KYミーティングをしてみんなで危険を共有する意識を持つ方が、ずっと有効だ」とか。こういった攻撃を為すときには、科学というツールは極めて有効ですし、そのときの私は「科学を操る者」でしょう。

が、このような科学の使い方は、カルトと同じだと私は思います。他者を操るためのツール。科学にはそういった使い方もできるのです。

>科学を操る者が支配する世の中が無条件に良いとはいえない、言うのです。

誰もそんな事言ってませんが、この世の中の大半の人が、科学を操る人であることは間違いないでしょう。

>科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。

とくにここが、始めに結論ありきの無理強い論だから大きく的が外れるのです。

科学は道具ですよね。ツールとあなたも言っている。
では、あなたの文章の「科学」を例えば道具である「チェーンソー」に置き換えてみるとその可笑しさがより浮き彫りになります。

「チェーンソーが人を支配するためのツールとして使われるなら、チェーンソーもカルトと同じです。」

もうお分かりでしょう。
カルトとなるのは、道具ではなく、その道具を悪用する「人」です。道具はあくまでも道具。適切に使えば人々の役に立つが、悪用・誤用すれば被害をもたらす。それ以上でも以下でもありません。つまり、道具には、善も悪もカルトもありません。
同様に、科学自体には、善も悪もカルトもありません。

その通りですよ。

同様に、科学自体には、善も悪もカルトもありません。

はい。

つまりLooperさんも、世の中がカルトに支配されることと科学とは全く関係ないとお考えなわけでしょう?

私もそう思ったので、科学を根拠にカルトを攻撃するかのような第二迷信さんのお言葉に違和感を抱いたのです。私の違和感の表明の仕方がLooperさんには違和感だったのかもしれませんが、それとこれとはまた別問題ですよね?

>つまりLooperさんも、世の中がカルトに支配されることと科学とは全く関係ないとお考えなわけでしょう?

いいえ、科学自体には善も悪もカルトもありませんが、だからといって関係ないとは言えません。

なぜなら、科学風のエセが、カルト、エセ商売、エセ宗教の道具として悪用されているから。そして、それが悪用・誤用されているかどうか?の判断は、それがきちんと科学的根拠に基づいているのかどうか?という検証でのみ明らかとなる。

そして、そうした科学風の非科学・エセ科学(これらは科学ではない)が氾濫する現代において、これらのニセ・嘘・デマを見破る科学的知識・思考法を一般レベルでも向上していくことがどうしても必要となる。

第2迷信さんの言ってることは、まさに現代の状況を現している、と私は思いますね。霊とか魂とかの存在を信じている方が非常に多い。小学生の何割もが、「死んでもまた生き返る」と思っている。こうした状況は、現在の危うさ、第2迷信さんの警告が現実的であることを物語っています。

>>同様に、科学自体には、善も悪もカルトもありません。
>はい。

と、これに同意されるなら、

>科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。

この文章は明らかに誤解を招き不適切ですので、訂正されるべきなのではないですか?

論理矛盾

いいえ、科学自体には善も悪もカルトもありませんが、だからといって関係ないとは言えません。


なんですか? この文章は。

科学自体に善も悪もカルトもない。つまり関係ないのでしょう? で、そのすぐ後に関係があるという。

???

なぜなら、科学風のエセが、カルト、エセ商売、エセ宗教の道具として悪用されているから。

ここで問題を混同されている。焦点は、科学風とかニセ科学とか、そんなところにあるのではない。カルト、エセ商売、ニセ宗教の道具となるところが問題であって、その道具が真正科学であるか否かとは全く別次元の話です。

>>科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。

この文章は明らかに誤解を招き不適切ですので、訂正されるべきなのではないですか?

訂正する必要を全く感じません。

破壊力

>同様に、科学自体には、善も悪もカルトもありません。

しかし、科学は、宗教弾圧、優性思想、自然破壊を推し進めるツールとして悪用されてきた。そして、それが悪用・誤用されているかどうか?の判断は、

唯、そのツールを用いるものの心性の問題であり、

それがきちんと科学的根拠に基づいているのかどうか?という検証は、何ら意味を持たない。

これはたとえば、

原子爆弾がどれだけの破壊と殺戮とを可能にするのかという実験を何度やったとしても、そうしてその危険性とその有用性をいくら明らかにしても、それは決して「正しいもの」にはならない、

というのと同じことである。

つまり、人の用いる「ツール」が、カルト化した思想と結び付き、大量の破壊や殺戮を犯す危険性、その因果関係は、いわゆる「科学的根拠」とは何の関わりもないということである。

それをつなげて述べるというのは「幸福の科学」という言葉が的にしているものと、よく似ている。

よく考えてみなさい。

サリンを作り出したのは、日々家の仏壇にお茶をそなえ、遺影に向かって手を合わせる人々ではなく、

科学をよく知っている人だったはずです。

そして彼らは人を支配するためにそれを使いました。

科学的認識のうえでの論理の欠乏

愚樵さん。
Looperさん。
こんばんは。

またまたお二人の会話に横から入って感想を書きますので、よろしくお付き合いくださいね。
まずLooperさん。
そもそもの愚樵さんの命題「科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。」は、命題としては「真」です。
「科学はカルトと同じではないから、科学は人を支配するためのツールではない」となります。
そして、最初のお二人の議論は、少しずれながらも、
「問題は使う側の意図、目的」であると言うことで、概ね一致していたと思います。


次に愚樵さん。
命題としては、「科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。」は真ですが、Looperさんが言われるように今回のエントリーは、誤解しやすい引用と誤解しやすい結論を導いたことは否めないと思います。
推論、前提、因果関係がもう少し丁寧に書かれていたら、より建設的な見解が構築されると思います。
そうすれば、結論も「言い放し」ではなく展望にまで肉薄できたのでは???と思います。

と、言うことで、さてさて。

愚樵さんは直近のコメントで以下のように書かれています。
「ここで問題を混同されている。焦点は、科学風とかニセ科学とか、そんなところにあるのではない。カルト、エセ商売、ニセ宗教の道具となるところが問題であって、その道具が真正科学であるか否かとは全く別次元の話です。」と。
カルトやニセ宗教の道具になるという一面もありますが、これだけが「科学」ではありません。
本来、科学とは、「理り」を明らかにするものです。
その対象が自然であっても、人文系であっても。

先に書いたように、因果関係を導くための相関関係の検証が雑で粗いと感じます。
結論を訂正する必要はない、と言われますが、補足は必要かと考えます。
(空想だった、と言う禁じ手は無しですよ)

と、言うことで、感想などツラツラと。

最後にあなたに戸坂潤の言葉を贈ります。
「科学的認識のうえでの論理の欠乏は、道徳的意識のうえでの節操の欠乏に対応する」

これは、私自身の指針であり座右の銘です。




ごんさんへ

ごんさん。
確かにごんさんが指摘なさっているような「使われ方」に対しては、危惧すべきであり、糾弾すべき事柄です。
ただ、ここで、私たちが見て行くべきことは何か、、、と言うならば、
「すべての科学、すべての科学者がそうしたもの(ごんさんが例として挙げた)ではない」と言うことです。
何が危ういか、何が時の権力やあるいは悪意に利用されるかをも冷静に判断していくために、
丁寧に一つひとつを見て行く地道さが大切なのでしょうね、、、
教育って大切だと思うことしきりです。
では、またね。

まず、ご自分の言ってることをご確認なさいね。

>科学自体に善も悪もカルトもない。つまり関係ないのでしょう?

仮に何の関係もないなら、なおのこと、

>>科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。

という文章は間違いになります。
自ら、訂正が必要だと主張しているのと同じです。

その誤解の源がどこにあるのか?

せとさん、ようこそ。

ご要望にお応えして、今回はガチンコでまいりましょうか。この問題は予てからの懸案事項ですしね。

命題としては、「科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。」は真ですが、Looperさんが言われるように今回のエントリーは、誤解しやすい引用と誤解しやすい結論を導いたことは否めないと思います。

せとさんに問いたいと思います。せとさんは「科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。」の命題を真であると言いながら、誤解を招くという。これもまた文章としては論理的に矛盾してはいませんか? 正しい命題を提示しているのであれば、それを誤解して受け取るのは、提示した者の責任でしょうか? それとも受け手の責任でしょうか? せとさんはあたかも提示者の責任のように言われますが、それは論理的には繋がっていかないと思いますが、いかがでしょう。

とはいうものの、私はせとさんやLooperさんの誤解しやすいという指摘には同意できるのです。それはつまり、以前から指摘している「科学信仰」というやつの所為だと思うのですね。命題としては真であるにもかかわらず、どこか違和感を持ってしまう。この違和感が誤解を誘導するわけですが、その源泉に存在するのは科学への非合理的な依存心ではないのか、と。

先に書いたように、因果関係を導くための相関関係の検証が雑で粗いと感じます。

エントリーの体裁を再度見ていただければわかると思いますが、もともと科学とカルトの因果関係を緻密に検証しようと意図したものではないのですが...、まあ、それはよいとして、「先に書いたように」というのも、結局のところは「誤解を招きやすい」ということですよね? で、私の論理が正しいのなら、正しい命題を正しく受け取るのは受け手の責任であるわけです。であるならば、

最後にあなたに戸坂潤の言葉を贈ります。
「科学的認識のうえでの論理の欠乏は、道徳的意識のうえでの節操の欠乏に対応する」


のお言葉は、贈り先を間違えているのではないでしょうか?

せとさんへ、

> そもそもの愚樵さんの命題「科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。」は、命題としては「真」です。

私はそうは思わないのですよ。
そもそも、その文章の前提が変だと感じます。

例えば、同じ構成の文で見てみます。
「ニンジンが人を支配するためのツールとして使われるなら、ニンジンもカルトと同じです」

で、もっと、人を支配するために使いそうな物を置き換えると、
「兵器が人を支配するためのツールとして使われるなら、兵器もカルトと同じです」

どうです?兵器はカルトになりえますか?
この文章には、
「人を支配するツールは、カルトと同じ」
という、コンセンサスが前提条件となっていることが理解できます。
私は、これがもう変だと感じます。
ツール=道具は、カルトに利用されることはあっても、カルト自身にはなれません。
これは、愚樵さんの文章のいつもの特徴だと感じます。
コンセンサスがない前提を根拠に論を展開するというね。

で、ツールはカルト自身にはなれないが、それに利用されうるという「関係」がある以上、「無関係でない」こともこれまた真なのです。

>そして彼らは人を支配するためにそれを使いました。

そうですね。
概ね、私が主張していることと同じです。

で、愚樵さんの私も一致している結論は、
サリンがカルトなわけではない。化学がカルトなわけでもない。科学がカルトなわけでもない。

カルトが使ったのが、それだったということです。カルトの使われた道具自身がカルトになる筈がありません。

道具は使いよう。道具自身に責任があるわけではない。使う人に責任があるのです。

せとさん、

「すべての科学、すべての科学者がそうしたもの(ごんさんが例として挙げた)ではない」と言うことです。

そんな当たり前のことをことさらに強調されても、困ります。

わたしが言いたいのは、

「ほとんどの宗教、習俗、伝承、そしてそれを信じる人々がそうしたもの(カルト)ではない」と言うことです。

けれどもその事実は、残念なことに、

何が危ういか、何が時の権力やあるいは悪意に利用されるかをも冷静に判断していくため、の

材料にはまったくなりません。

科学を非科学糾弾のための言い訳に利用するのとは対照的に。


せとさん、

仰るようにお勉強は大切です。ですがその前に、人の言ってることはもっと注意深く吟味なされてください。

わたしは、科学も科学者も批判してはいません。

わたしが批判しているのは科学とカルトの結び付きです。

それはいつでも、科学を武器に、非合理を糾弾する姿勢からはじまります。


国語の基本的な問題なのですが...

Looperさん

ご説明いたしましょう。

まず、「科学自体」は法則であり、また道具でもある。ゆえに、善悪やカルトといった属性とは無関係。しかし、道具であるがゆえに、使用者の善悪・カルトといった属性の影響を受けて、善悪・カルトのための道具として使うことができる。

科学を同じく道具である刃物と置き換えますとね。

「刃物自体に善悪もないし、必ずしも武器ではない」
「刃物が人を支配するためのツールとして使われるのなら、刃物は武器だ」

おかしいことはないでしょう?

Looperさんの

いいえ、科学自体には善も悪もカルトもありませんが、だからといって関係ないとは言えません。

の文章がおかしいのは、道具としての「科学自体」の属性を“善も悪もカルトもない”といいながら“関係ある”としているからです。同じ属性の問題において、肯定と否定とが同居している。

対して

科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。

では、前の「科学」は純粋にツールであり無属性ですが、“人を支配するためのツールとして使われるなら”という言葉で属性が付けられて、後ろの「科学」は属性のついたものになっている。その属性のついた科学に限定してカルトであると言っているのであって、無属性の科学について言っているのではないのですね。

そしてさらに言うならば、私は科学に属性を付けることそのものが科学的でないと言っているのです。

誤魔化しはムダ

> 「刃物自体に善悪もないし、必ずしも武器ではない」

笑われてくれますね。
なぜ刃物と武器に置き換えたのです?
一生懸命誤魔化そうとする意図がスケスケですよ。

使いようによっては武器という属性を持ちうる刃物を持ってきた。その上で、
> 「刃物が人を支配するためのツールとして使われるのなら、刃物は武器だ」
>おかしいことはないでしょう?
と誤魔化そうとなさる。笑わせないでくださいね。

で、なぜあなたが、「武器」を持ってきたか?
それは、「人を支配するツール=武器」なら、なんとか成立するかもしれないからですね。あまりの稚拙さに、ガキの言い訳かと思いましたよ。

でも、あなたの元の文章の「人を支配するツール=カルト」は、成立しない等式です。カルトはツールの一種じゃありませんからね。で、この等式の成立を証明できない限り、あなたの文章は変なので、訂正すべきですね。

>わたしが批判しているのは科学とカルトの結び付きです。

科学を利用するカルトもあれば、利用しないカルトもありますね。人類愛を利用するカルトも沢山あります。で、科学や人類愛に問題があるのですか?

>それはいつでも、科学を武器に、非合理を糾弾する姿勢からはじまります。

それは真ですか?
どうかお示し下さい。

何ですかこれは??

Looper:
=================
あなたもです
>支配するのは科学を操る何者かです

あなたもその何者かです。
木を切るのに道具を使っていますね。
より安全に木の倒すための判断と措置を行っていますね。

これら、あなたのお仕事全てが、人類の営々たる科学的な実験と考察によって築き上げてきたものによって成り立っていますし、あなたもそれを日々駆使しています。
=================

何ですかこれは??

>科学が世の中を支配するなんてことはありません。支配するのは科学を操る何者かです。

に対してのコメントでしょうけど意味のない(くだらない)コメントです。
本文に書かれた内容を受けてさらに考察を深めようという意図がまるで感じられません。

以前の記事内容や文脈から、「科学(の権威)を操る何者か」が(科学というだけで無批判に受け入れてしまう人々の心性を悪用して)「世の中を支配する」ことの指摘であるように読めます。

科学論文を査読しているわけでは有りません。
実のある議論をしたければ決めつける前に作者の意図を確認すべきではないですか?

>それは真ですか?
>どうかお示し下さい。

あなたが否定して見せな。

あなたが、科学を武器に、非合理を糾弾する姿勢から「はじまらない」科学カルトがあることを例示すればいい。

たった一例でいいぜ。

みなさんそれを望んでるよ。




検証しました

愚樵さん。
おはようございます。
では、ガチンコでいきますかぁ、、、

と、言うことで早速本文を検証させてください。

===========
科学が世の中を支配するなんてことはありません。支配するのは科学を操る何者かです。その何者が世の中を支配するにたる人物であると考える根拠などなにもない。それにそもそも科学は人を支配するためのツールではない。科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。それにそもそも科学は人を支配するためのツールではない。
(愚樵さんの結論部分引用)
=============
まず、愚樵さんの論理の展開は、
科学が世の中を支配するなんてことはなく、支配するのは科学を操る何者かであると述べます。
ここではっきりと、「科学は世の中を支配しない」明言。

そして、次に「その何者が世の中を支配するにたる人物であると考える根拠などなにもない」、「それにそもそも科学は人を支配するためのツールではない。」と書かれています。

ここまでは了解です。

が、
が、
次に前文を否定するような推定がなされます。
「科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。」と。

この文がLooperさんご指摘の箇所でもあります。
このいきなりの文が、雑では、、と思うのです。

科学が人を支配するためのツールではない、と前言でご自身がのべています。
つまり、
前提はすでにご自分で棄却、否定しているので、そもそもこの前提が体をなしていません。
が、これはこれとして次に進むと、
結論が、またまた「科学はカルトと同じである」と言うかなり大味なものになります。
カルトなんて、今まで出ていなかった、
いや詩で登場していたと、言われるのでしょうが、、、
これはこれで、説明不足です。
これでは徒に誤解を招くと考えます。
なお、
この文だけを取り出せば、
真であることは、先に書いた通りですが、
これはあくまで形式論理として、この文だけ取り出したら、という条件つきです。
(命題として正しくても、それが事実であるとならないところが、形式論理の限界というものです。
そのため帰納法や演繹法、その他の方法で検証を丁寧に行っています。ついこの前は帰無仮説について学びましたが、これもまた大切な統計処理の一つで、学ぶこと大でした)

と、言うことで愚樵さんの文は、
むしろ、構成としては、最初に当該のこの文を持ってきて、
そのあと、検証していけば速やかに結論に導くことができたと考えます。
なにしろ、文のアチコチに「科学はツールではない」と強調されているのだから、
入れ子構造にしないほうがより真意が伝わったかと。

と、言うことであなたの文の検証をいたしました。
結論は、
「結局、科学そのものに責任はなく、使う側の責任」ということで読み取ってよろしいのでしょうか???


なお、戸坂潤の言葉は、
あなたもお好きかと思ってお贈りしたのですが、、、、、
私は大好きなのです。
では、、、また。

では、撤回しましょ(笑)

Looperさん

なぜ刃物と武器に置き換えたのです?

いや、失礼しました。Looperさんは論理の基本的なところを解されていないように見受けましたので、分かりやすいかなと思いまして(笑)。それだけのことですので、おわかり頂けないのなら撤回します。

さて、それにしてもです。どうにも話が噛み合いませんね? せとさんも「科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。」は命題として真だと言明されているのですが...。

もう一度だけおつきあいします。

「科学は道具である」という命題があります。この命題が真であることは、私も認めますし、Looperさんもお認めになるでしょう。

で、次は「科学=道具」という命題に限定条件を付ける。それが「人を支配するためのツールとして使われるなら」です。「科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。」の命題は、「科学=道具」の命題に限定条件付けることで成立する命題、つまり「科学=道具」を一般命題としますと、「科学もカルトと同じです。」は一般命題に限定条件を付けた特殊命題だということが出来ます。

(また一般命題の条件付けには、「道具は扱う者によって属性が付加される」という命題が隠れていますが、この命題についてもせとさんがご指摘くださっているとおり、互いに諒解しています。)

論理というものは互いに諒解できる命題から組み立てるものであり、一般命題に条件付けを行い限定していって特殊命題へ進むのが常道です。ところがLooperさんは、一般命題と特殊命題の差を理解されていないのですね。特殊命題を成立させる条件付けを無視して、特殊命題が言明する結論に一般命題を当てはめようとするからおかしなことになる。

そんなのは揚げ足取りの言いがかり以外の何者でもありませんよ。

それと。せとさんへの解答の横レスになりますが。

「人を支配するツールは、カルトと同じ」

善悪とかカルトというのは、モノや行為に対する属性だというのは理解できますよね? そしてモノ・行為とその属性は全く別次元のものであることも。

「科学はカルト同じ」という時に、暗黙の前提になっているのがモノ・行為と属性とは別次元であるということです。「同じ」はモノ・行為をいっしょくたにしてしまうことではありません。科学という道具の属性がカルトという属性になってしまうということです。ところがLooperさんの文章では、モノ・行為と属性とがごちゃ混ぜになってしまっている。

私の表現は確かに不正確な省略形ではありますが、普通に言語を操る人なら十分に理解できる範囲内だと思いますよ? コンピュータならデータそのものと属性とがごちゃごちゃになったプログラムを走らせれば暴走するでしょうが(笑)

持論に対する質問をされたら、それに答える責任は持論の発信者にあるわけですが、それすら理解しないで、お前が答えてみろ態度を取られるとは、やはり議論というものの基本をご存じでないようですね。

> あなたが、科学を武器に、非合理を糾弾する姿勢から「はじまらない」科学カルトがあることを例示すればいい。

本来答える義務はないが、仕方がないので付き合いましょう。では、一例を。
「統一教会」

早雲さん、

> 何ですかこれは??

議論はもうとっくに先に行っています。
今頃何を茶々入れてんです?

それよりも、ソースも示せないデマを早く撤回してくださいね。

>「統一教会」

それは宗教カルトでしょう。

わたしが聞いているのは科学カルトですよ。

科学とカルトが結びついた。

論理ではないけれど

ワタシには、愚樵さんのエントリーのなかでは珍しくすんなり入ってきたのになんで揉めるのかなぁ、と読み返してみました。

もともと、×第二迷信さんがupした詩の意図は「世がカルトに支配されるのはまずい」、ってことでしょ。このエントリーに愚樵さんが、あえてTBしたのは、×第二迷信さんが「科学」を前提に「世がカルトに支配されるのはまずい」って、言ったことだよね。
「科学」だって、カルトと同じように世を支配している、または、支配する、ことを警戒すべきじゃないか? ってこととちゃうの? なんで、こんなに揉めるのだろう?

ワタシは、もともと論理なんて身につけてないし、肌感覚だけなんだけど、そういう人はコメントすべきじゃないのかな?でもしちゃお。

>科学自体には善も悪もカルトもありません

かもしれないけど、
科学、てのは、人間と独立して存在しているのかな? 「科学自体」は独立して存在しているのだろうね。でも人間が科学と言ったときに人間によって認識されたこととセットで「科学」というのでは? 人間が使う(認識する)ことを前提に「科学」って言われているものになるのとちゃうのだろうか?

 でね、ワタシは思うんだけど、(人間の言う、認識する、使う)「科学」には、善とか悪とかってのはあるんじゃないの? 現実にあるし、時にカルト(的)になりうる。また、なっている。
 で、語弊があるかもしれないけれど、科学を善としたい、または、と前提とする人と、科学を悪と疑う(悪かもしれないと警戒する)人はこのコメント欄のように、すれ違うものかなぁ、と思った次第。
 
 善としようが、悪かもしれないと思おうが、今の生活が科学に頼っているだろ、と指摘されれば、頷くしかない。でも、だからといって科学を善としろ、と言われても、悪かもしれないと警戒する要素が多すぎるので無理です。しかもこれほど警戒する要素が多いと、「科学」をも疑いたくもなります。こうした疑う態度を批判することを警戒すべきじゃないのかな、と思うのさ。

蛇足ですが

Looperさん

>霊とか魂とかの存在を信じている方が非常に多い。小学生の何割もが、「死んでもまた生き返る」と思っている。こうした状況は、現在の危うさ、

これは、あまり科学的な発言ではないような気がします。(ワタシが霊とか魂を信じているわけではないのですが、解らない、としかいいようがありません)


Re:検証しました

せとさん、どうも、ありがとうございます。

むしろ、構成としては、最初に当該のこの文を持ってきて、
そのあと、検証していけば速やかに結論に導くことができたと考えます。

なるほど。そのようにご指摘いただければ私も納得できるというものです。

というわけで、せとさんとのガチンコは早々に私が寄り切られて土俵を割ってしまいました(笑) せとさん、ありがとうございました。

科学カルト?

>それは宗教カルトでしょう。

カルト(セクト)とは「反社会的な宗教団体」の事ではないのですか?あなたは一体どういう意味で用いているのでしょうか?

>わたしが聞いているのは科学カルトですよ。
「科学カルト」って始めて聞く言葉ですが、それってなんですか?

こういう洒落なら、私も笑えるんだが・・・
http://ansaikuropedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88
特に、似非「“科学”カルト」の所が笑えた。

>科学とカルトが結びついた。
では、例えばそれは何です?
で、質問に質問返しはルール違反ですからね。

ツールはカルトには決してなれない

> で、次は「科学=道具」という命題に限定条件を付ける。それが「人を支配するためのツールとして使われるなら」です。「科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。」の命題は、「科学=道具」の命題に限定条件付けることで成立する命題、つまり「科学=道具」を一般命題としますと、「科学もカルトと同じです。」は一般命題に限定条件を付けた特殊命題だということが出来ます。

で、その「限定条件」とやらは何か?
「人を支配するためのツールとして使われるなら」
ですよね。

で、


>論理というものは互いに諒解できる命題から組み立てるものであり、一般命題に条件付けを行い限定していって特殊命題へ進むのが常道です。ところがLooperさんは、一般命題と特殊命題の差を理解されていないのですね。特殊命題を成立させる条件付けを無視して、特殊命題が言明する結論に一般命題を当てはめようとするからおかしなことになる。

嘘を言ってはいけません。
あなたの命題をその「限定条件」きちんと付加して述べているのが以下の私の指摘です。

>「人を支配するツールは、カルトと同じ」

あなたの文章をそのまま使うなら、
「人を支配するために使われるツールは、カルトと同じ」
となりますが、「限定条件」とやらは基本的に同じです。

で、私が指摘しているのは、どんな使われ方をしようとも、ツールは「カルトと同じ」とは、決して言えないということです。
「カルトに科学が利用される」という文章なら構成上、何の問題もございません。
しかし
「XXなツールはカルトと同じ」という文面は、成立不能です。なぜなら、ツールとカルトは、どういう条件を与えてもイコールで結べないからです。

失礼

別に原典を隠しているわけではありませんよ。
簡単に確認できます。
あなたのようにデータの読み方も知らない「非科学的」な方に有用かどうかは疑問ですが。

脳死・臓器移植の本当の話 (PHP新書) (新書)
http://books.google.co.jp/books?id=47Hh1wwih28C&dq=%E8%84%B3%E6%AD%BB%E3%83%BB%E8%87%93%E5%99%A8%E7%A7%BB%E6%A4%8D%E3%81%AE%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E8%A9%B1&printsec=frontcover&source=bn&hl=ja&ei=wERhSrKxA5H26gP8meSsDw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=4

p-66
本を購入しなくてもここで確認できます。

なんとも…

霊も魂もなければ、神も仏もいない。
易も信仰もなければ、氣もオーラも過去世もない。お経や祈りにも何の意味も力もないというのは、ずいぶん平板で奥行きのない世界観と感じます。

そうした奥行きと広がりのない世界観を‘科学教’といい、その世界観の信奉者のコミュニティーを『科学カルト』といいあらわしているのかな、という気がします。

もちろん、わたしは如何なる宗教カルトに属しているわけでもないし、教祖達を、イエスやブッダの生まれ変わりと信ずるコミュニティーに、共感を覚えるわけではありません。

しかし、‘宗教カルト’と‘科学カルト’の冷戦は、世界中のあらゆる国々で起こっている、れっきとした事実ではないでしょうか?

その冷戦に首を突っ込みたいわけではないのですが…。

>科学カルト
>科学とカルトが結びついた。

原爆の実験をしたり

優性思想を信奉したり、断種法をつくったり

(捕虜の)人体を使って医療の研究をしたり

そんなことをする連中のことだよ。


その本質は「新しい形の全体主義」だそうだ。

人の死を一律に決めたりするのもそれに含まれるんじゃないか。



「カルト(セクト)」現在wiki先生====================

フランス国民議会「アラン・ジュスト報告書」によるセクト(カルト)の定義

この中で、セクトの本質を「新しい形の全体主義」と定義した上で、以下のように「セクト構成要件の10項目」を列挙している。

1. 精神の不安定化
2. 法外な金銭的要求
3. 住み慣れた生活環境からの断絶
4. 肉体的保全の損傷
5. 子供の囲い込み
6. 反社会的な言説
7. 公秩序の攪乱
8. 裁判沙汰の多さ
9. 従来の経済回路からの逸脱
10. 公権力への浸透の試み

以上の項目のいずれかにあてはまる団体をセクトとみなしている

そうすると、一般的には

単なる科学の信奉者の場合は、‘カルト’は言いすぎですね。

共感は可能か?

>科学が世の中を支配するなんてことはありません。支配するのは科学を操る何者かです。

エントリー全体の流れからすれば、すんなり入ってきて、私としては何も問題ないですけどねぇ。

悪乗り的に言えば、

科学が世の中を支配するなんてことはありません。世の中を支配しようとする何者かが自分の利益を誘導するために科学を騙り、利用しているだけです。

なんてすれば尚いいかとは思いますが。


>科学が人を支配するためのツールとして使われるなら、科学もカルトと同じです。

この一節も問題になっているみたいですけれど、わたし的にはまったく問題ないですね。

しかし、文全体の意味を読み取ることをせず、一点を取り出して噛み付くやりかたは、カルト、あるいはセクトの典型だと思うんですけどねぇ。それとしつこいところも。

共感派の愚樵さんとしては、どこら辺で線を引かれるのか、興味があります。

早雲さん、

ソースの提示ありがとう。

でも、私の要求したのは一次ソースです。
あなたが引用している文面が、そのソースの文面を正確に解釈・引用しているのか?を確かめるのが目的なのですから、解釈済みの2次ソースを出されても意味がありません。「本当の話」とやらが本当なのか?を確認するためです。「当然英文でしょうが」と断って要求しているのもそのためです。

その本には、まともな本なら大抵ついているソースの索引がついていないか、見えないようですので、その「スチーブンソンさんらの論文」がどれなのか?少し調べてみましたが分りません。ご存じでしたらご提示下さい。

加えて、その2次ソースの内容すらも、あなた方は恣意的に引用し、内容を歪めていることがよく分りました。

| 2009-07-04 | 早雲 #- URL [ 編集 ] | コメント番号2993 |
において、早雲さんは、そのソースから、『移植の延命効果は限定的』『心臓移植の延命効果はマイナスになる』 との主張を展開されている。

しかし、その著者ですら、これは心臓移植に限ったことであり、さらに91年という古いデータであると断った上で述べている。実際2000年以降の移植結果の向上は著しい。

さらに著者は、そのデータから得られる事として、以下の2点を上げている。
「第一に、心臓移植は心臓移植をしなければただちに死没してしまう患者に実施しなければならない」
「第二に見いだされる点は、移植手術をしない方が一年生存率の高い患者に少なからず移植が行われている、ということである。」

その元論文が著者の引用通りなら、そう結論するのはそれほどおかしいとは私でも思わない。なぜなら、それは臓器移植の運用問題であり、そうした問題を解決していることが必要なのは当然だからです。

しかし、この本は、実は『移植の延命効果は限定的』とも、『心臓移植の延命効果はマイナスになる』とも述べていない。むしろ、臓器移植の医療効果を認めつつも、その運用上の問題点をあぶり出そうとしている本であるように読めます。早雲さんの視点とはそもそも立ち位置が異なると思いますね。

naokoさん

科学は魂や霊の存在を否定するでしょう。
しかし、魂や霊や神や仏を信じる人の心、精神活動を否定したりはしません。

無神論者の科学者が、宗教が無意味であるとかの否定しないのもそのためです。むしろ人類社会にとって有用であるとさえ述べるでしょう。私も同じです。

ほとんどの方は、サンタクロースがいないことはご存じです。しかし、クリスマスを祝うことや、子ども達がサンタクロースを信じることを禁止したりはせず、尊重しますよね。それと同じです。

無神論者の私でも、お葬式、墓参り、初詣をします。それは、我々の社会が長年の歴史の中で築きあげてきた大切な知恵・精神文化の1つと理解しているからです。

つまり、「魂や霊の存在」を否定すること=人類の精神文化の否定、ではないのです。

その上で、無神論者の世界観が「奥行きと広がりのない世界観」とどうして言えますか?

Looperさんへ

>科学は霊や魂を否定する。
>しかし、(科学者は?)霊や魂を信じる人の心を否定しない。

わかるようでわからない言説です(笑)。

だからといって、科学者の‘心’が霊や魂や神を信じるという訳ではないのですね?
単に、‘霊や魂や神を信じる’という心の働きが、人間精神に及ぼす効能を認めているということですよね。
なんか、「箱庭療法とかアロマテラピィーの効能を認めている」みたいな感じに聞こえます。
あるいは「共同幻想の効能」みたいな。

古来、霊とか神とか呼ばれてきた自然界の作用や働きを、現実のものとして(可能性としても)認めるというわけではない。

あまり世界観が広がっている気はしませんね。
むしろ卑小化されている。

あくまでも、個人的感想ですが…。

ホントかな?

>科学は魂や霊の存在を否定するでしょう。

科学ってもっと謙虚だと思う。
存在が絶対にないと「科学的に」言い切れないものに対して、頭から否定したりはしないんじゃないのかな。

「現時点では、科学的に存在が解明されていない」というような感じじゃないのかな。それが「科学的に」誠実な態度だと思う。

naokoさん

もう少し説明を試みます。

>だからといって、科学者の‘心’が霊や魂や神を信じるという訳ではないのですね?

まず、「神」と「霊や魂」は同列には扱えません。
神の定義も個々人で様々なので困るのですが、定義次第では「科学考察」の範疇を超えるので、肯定も否定もできません。ですから、科学者にも神を信じる人も沢山いますし、なんらおかしくありません。それでも、神の存在を示す証拠は自然界には見つかっていませんし、自然界の理解に神の手を借りる必要はまだありません。

しかし、一般に言われている「人とコミュニケーションする」「壁を通り抜ける」といった「霊や魂」は、現代科学に照らせば、その存在確率は限りなくゼロであるということはいえるでしょう。なぜなら、その存在を仮定すると、既存の自然科学体系を根本から否定し、ほぼゼロから作り直さないといけなくなるからです。でも、純粋にフィクション(非現実)の世界での議論に、科学は口を出したりしません。科学の領域外だからです。
このように、科学は自然界に現実に起こることのみを議論の対象とします。ですから「霊や魂が自然界に存在する」と言えば、それは「その証拠はないし、蓋然性もほぼゼロである」と否定するでしょう。

>古来、霊とか神とか呼ばれてきた自然界の作用や働きを、現実のものとして(可能性としても)認めるというわけではない。

いいえ、それなりに再現性があれば、科学はその「現象の存在」は当然認めます。
ただし、それは「霊や神の仕業」である必要はないというだけの事です。

益川敏英氏の、「科学とは、肯定のための否定の連続である」
http://www.news.janjan.jp/culture/0901/0901084999/1.php
という言葉の通りです。

霊や魂や神の仕業だと一般に信じられてきた自然界の現象は沢山ありますし、その現象が起きることを自体を科学は否定などしませんが、それが確かに「魂や神の仕業だ」と実証された事例はこれまでのところ一つもなく、否定され続けています。それだけでは、まだ完全否定には至りませんし、もちろん既存の科学ではまだ分からないことも沢山あります(だからこそ科学者の飯の種があるわけです)が、神の存在を信じている科学者ですら「魂や神」を導入して説明しようとはしません。なぜなら、それは彼が信じている「神が創った美しい体系」をも壊してしまうからです。

雨乞いで雨が降るようになる事も、てるてる坊主のおかげで晴れる事もないことは皆さん既にご存じですが、科学者は、それには科学的根拠がないとはいうでしょう。しかし誰もてるてる坊主を壊したりなんぞしません。で、これが、「世界観を狭める事」なのでしょうか?
また、ツバメが低空飛行したり、太陽にリングが出来ると雨が降るというのは、同じ言い伝えでも科学的根拠がある事を説明します。これも「世界観を狭める事」なのでしょうか?

科学は現実に起きる現象が、なぜ起きるのか?を誠実に探求するだけ、仕組みを解明するだけです。ですから、科学の成果は人類の新たな知見を広めます。人類がこれまで築いてきた精神文化と同様に、それは我々の世界観を広げるものです。実際、その世界観の広がりは、レーシズムやジェンダーを否定する運動のベースともなったでしょう。

そして、科学の成果自体は、人には何の物理的作用ももたらしません。人にそうした作用をもたらすのは、その知見を元に編み出された技術です。最近は、水商売などのニセ科学を元にした科学的根拠のないニセ技術も氾濫しています。核兵器も科学ではなく技術です。そして、科学自体は、どうこねくり回しても善にも悪にもカルトにもなれません。そこには、自然現象の仕組みへの説明があるだけだからです。

Looperさんへ

神を不可知のものとして科学的考察の範疇を超えるとするなら、同様に霊(精霊・聖霊・悪霊?)も、魂(ダイモーン・霊魂?)も不可知のものでありうるのです。

ゆえに「脳死は人の死である」という定義についても、はなはだ不可知の部分を残していると言えます。
なぜなら、「人に霊魂はあるのか?」「人(魂)はどこから来てどこへ行くのか?」という科学的に不可知の領域が、この定義の前に立ちはだかるからです。
それは、宗教や信仰の領域ですね。

ですから、法的に「脳死は人の死」と定めることは、明らかに「科学というツールの乱用である」ということができます。

さらに、そういうことすべてに思い至らないとしたら、その人の世界観はずいぶん窮屈なものであると、そして科学というツールを偏重した平板で矮小なものであると、やはり感じずにはいられません。

なんら信仰の確信を持っていないわたしですらそう感じるのですから…。

信仰を確信している方を相手にしたら、これは間違いなくHotwarになりますよ。

以上、あくまでも感想です。

ネタ元ですが。

引用されるなら、引用元にTBなり何らかのメッセージを送ってほしいですね。
毒多のところで初めて知りました。

「星占い」に人生を託していた若者が、
科学的ではないと攻撃されていたが、私は星占いを信じなかったので何も言わなかった。

「星占い」そのものが信用できるか否か、という前に、
「なぜ星占いに頼るか」という、根本姿勢なしに、
「みんなが言ってるから」に流される危険の問題なんですね。

だいたいが、TVの星占いでも「ズームイン」と、「おは朝」と、「めざまし」で、運勢が違う。
何が根拠の星占いか?
ということがなければ、意味がない。

「友引」「仏滅」にしても、「仏教的な意味」はなく、戦争の占いで、「共に兵を引く→共引」、「敵を払い滅する→払滅」の当て字。

アルキメデスが原理を発見しようがすまいが、物体に浮力は働き、
ニュートンが原理を発見しようがすまいが、物体は飛んでいく。
エラトステネスが地球の丸さを測ろうが測るまいが、ヨーロッパから西にアメリカがあり、アジアがあり、またヨーロッパに戻ってくる。

「科学的」と言うのは、筋道をたてて物事を考えること、(人文科学も社会科学も「科学」である)
であって、
非・理系の人たちが、すぐ、
物理学や化学のアレルギーをもって「科学」という言葉に過敏反応するのが、我々からみるとこっけいです。

13世紀の親鸞が「占いやまじないに頼って、今を生きることを疎かにする」人々をたしなめたことが、
21世紀になって、さらにはびこってる現実をどう見るか、というところですね。

「藁w」人形論法

>物理学や化学のアレルギーをもって

呼びました?

もちろん、あたしは、アレルギー持ってるよ。

自然破壊に宗教(思想)弾圧に
優性思想、断種法
人体実験

そして核兵器

「なぜ科学に頼るか」という筋道の理路さえ説明がつけば何をしてもいいと思ってる連中の危険性、

そのことに対するアレルギーね。

それを滑稽だと笑うのならどうぞ笑い飛ばしておくんなさい。

あたしはテレビに出てくるような占い師なんて全然怖くないんだけどさ。

第二迷信さんは怖いの?

======================
http://blog.livedoor.jp/kissei888/archives/17089398.html

「往生ー浄土に行くことーが素晴らしいことは
頭ではよくわかっているのですが、
私の心はすこしも喜ばないのです。

これはどうしたことでしょう?」

と聞かれて親鸞はこう答えたのです。

「唯円さん、あんたもそうか。実はわたしも」

科学がツールなら占いもまじないもツールです

それは自分自身が生き易くなるためのもの。
人生の試練に直面し、乗り越えていくのを助けてくれるもの。
そのように利用するなら、科学的思考法でも、直感的思考法でも、霊感でもまじないでも科学的知識でもかまわないのです。
ようするに自分に前を向く勇気を与えてくれる支えになるものということですね。

それが現実に役に立たないものなら、いずれにしても歴史の中で廃れていくでしょう。

第二迷信さん

引用されるなら、引用元にTBなり何らかのメッセージを送ってほしいですね。

あれ? 申し訳ありません。TB届いていませんでしたか? TBの操作はしたのですが、届いたかどうかの確認までは怠っていました。

それにしても、今回はとても良いネタを提供いただきました。TB未送付の失礼をお詫びするとともに、お礼を申し上げます m(_ _)m

世界観開放の歴史

naokoさん、

これでも、科学の事を説明するために正確な表現を心掛けて書いているので、大雑把に読まれたんでは困ります。

>神を不可知のものとして科学的考察の範疇を超えるとするなら、

だれが「不可知だから」と書いてます?
逆に、不可知ならどうして神の存在を感じたり、霊や魂を見たという人がいるのです?

>同様に霊(精霊・聖霊・悪霊?)も、魂(ダイモーン・霊魂?)も不可知のものでありうるのです。

また、「一般に言われている「人とコミュニケーションする」「壁を通り抜ける」といった「霊や魂」」=全ての「霊や魂」と読んでは困ります。

神(例外的に霊魂も)の定義によっては、そもそも科学的に扱い不能の場合がある。
では、その分かれ目は何か?

すでに説明しているように、科学は物質世界の作用の仕組み、原因を解明します。
ですから、物質世界と作用を起こす事が示されている(人に語りかけたり、壁を通り抜けたりする)場合なら、科学の検証対象となりうる。しかし、中には、物質世界に何の作用も起こさない神や霊魂を信じている方がいらっしゃる。我々の世界に存在せず、何の痕跡も示さず、決して誰かに語りかけたり感じさせたりしないという神や霊魂です。科学は、現象を検証するわけですから、検証できる現象がそもそもないのでしたら、科学の対象外です。
あなたがそれを「不可知」と呼んでいるなら、誰も見たり、感じることは出来ないのです。ただ、想像の世界に存在するだけです。

でも、それは一般に語られる霊魂とは違いますよね。
だから、わざわざ「一般に言われている」と書いているのです。

>ですから、法的に「脳死は人の死」と定めることは、明らかに「科学というツールの乱用である」ということができます。

全く分りませんね。
我々は、これまで3兆候をもって社会的な「人の死」としてきましたが、それは問題ないのですか?
脳死にいたり、2兆候が人工的にしか動かない状況は、かつての3兆候と全く同様の症状だと言うことがお分かりになりませんか?

>さらに、そういうことすべてに思い至らないとしたら、その人の世界観はずいぶん窮屈なものであると、そして科学というツールを偏重した平板で矮小なものであると、やはり感じずにはいられません。

実はあなたの世界観には、科学の知見が満ちあふれています。
脳死が人の死か?という議論も、あなたはご自分の科学の知見をベースに考えているのです。
私から見れば、心臓が動いているか?という生には本質的でない世界観に窮屈に縛られているのはあなた方でしょう。過去の中世の宗教世界が、実は精神的自由度が極めて低い世界であったことが理解できていますか?それを開放したのが科学的知見であったことを貴方はご存じですか?科学的発見の歴史は、人類の世界観の開放の歴史であるとも言えると思いますね。

科学戦隊ガッチャマン

ピラミッドの前で十年ほど禅を組んでみれば分かると思うのですが、「なぜ、ここにこんな物があるのか?」という疑問が誰にでも立ち上がってくるのですね。
もともと科学的な思考は、農耕や航海をやるための天文学において素晴らしい立ち上がりを見せた。このことは、多くの方がご承知のことと思う。
ただし、この蓄積には気の遠くなるような年月がかかっている。何世代にもわたって人が観察を繰り返す中で、ようやく「そこに法則がある」ことに人類は気付き始めた。
科学教育は、この恐ろしい時間を僅か数ヶ月・数年でやっているものだから、実体験を伴わない場合、理論はその人の中で棒暗記されるだけに終わる。

しかしながら、世の中には変態的に執着心の強い人間がいるものです。千冊の古書を諳んじることに苦の無い人間、あらゆる音を我がものにする人間、そして観察することに全てを注ぎ込む人間。彼を科学者と呼ぶ。
とりあえず私は、古書と音と観察のどれもこれも支配しなければ気がすまない業突く張りですが、別に他の人も同じようにすべきだとは言わない。世界には、私と知識と、ただそれだけあれば充分だから。

しかし、「楽しいよ」とは思う。一枚の絵画一冊の本から、新しくものごとが広がって見えた経験は、多くの人がしていると思う。
それと同様に、世界そのものは驚くほど繊細で複雑な構築物であることを知れば、少年漫画風に言うところの「オラ、わくわくしてきたぞ」「海賊王に俺はなる」な気持ちにもなるものです。

ちなみに、私は「演劇を勉強するには狼煙の勉強から入れ」って思ってる。
全然関係ない? いやいやそんなことない。空間内に光による変化が作られ、首の上下によってこれを視認した人は、ここに文意を見い出す。ほら、空間芸術の基本動作がここにある。
そこから、花火やネオンサインの学習に移り……。
要は、高度に発展したアートは複雑すぎるから、入門者の土台作りにはもっとプリミティブな感覚を刺激する必要があると。

科学学習についても、「人間の原初的な営みを論理的に解読する」経験が絶対に不可欠だと思うんだよね。ドアを開ける、自販機にコイン入れる、鋏で布を切る……。そんな単純なことが、どれほど複雑なアートであることか。
我々の科学における躓きは、三角形や掛け算の学習から既に起きている。三角形とは何か、三角形とはどこにあるのか? その謎を追うより前に授業は進むから、「数学はどこに存在するものなのか」把握する前に数学嫌いが生まれる。

まあ、科学に限らない。言葉や感情についても、どう使いどう表せばいいのか、わかる人とわからない人の食い違いは、子どもの時から開き続けている。

伝言ゲーム

「狼煙」という言葉の由来は「狼の糞を燃料にすると煙が真っ直ぐに上がる」という言い伝えによるものだというのを読んだことがあるんだけど、

< ちなみにいつもお世話になってるwiki先生では「煙が多くでる狼の糞を燃料にした」とある。検索するとほかに「狼の糞がよく燃える」というのもあり >

わたしなんかは、それって「狼が糞をするところに上昇気流が発生してる」ということじゃないか、なんて思い浮かべたりするのだけど。逆に言ってみれば「すべての風下(=風の集まるとこ)に狼たちは糞をする」なんてこともあるのかもね、とか(笑)

だから「狼煙を上げたいな」と思ったら、

まずは「狼の糞をさがせ」

なぜなら「そこで煙を起こせばよく上がる」から

なんて思うんだよね。

< それにしても「煙がよく出る」とか「よく燃える」って、言葉の「由来」としてwikiや辞書なんかにさらりと載ってるわけだけど、「それはホントか?」と検証してみた人はいないのかな。別の素材、あるいはほかの動物のそれと比較したりして。ま、そういう研究成果が「ない」から『伝承』や『俗説』の類として辞書におさまってるんだろうけど >

とりあえず「狼の糞があるとこで火を起こせば煙はよく上がる」という説を、あたしはとることにするよ。

わがままな第六感がそういってる(笑)

わくわくすること

人生アウトさんのコメントに刺激されて、ちょっとだけ。なお、表題はわくわく44さんとは関係ありません。

科学に限らず、新しい知見を得ること、物事を深く広く知ることは、人生アウトさんが言うように、本来とてもわくわくする出来事です。

私はNHKラジオ第一で夏休みになると始まる、子ども電話科学相談という番組が大好きです。子ども達が、ふとした自然の観察から得た疑問、大人ではなかなか出てこない素朴で、ユニークな質問。そして、それを子どもの言葉に置き換えながら、分りやすく、それでいて私でも知らなかったことも満載で自然の奥深さに感心させられる先生方の回答。そして、「へー」とその説明を懸命に聞く子どもたち。彼らの心は知的好奇心でわくわくし、その目は輝いているに違いないと思う。

本来、「科学する」というのはそうした人本来の知的好奇心を刺激し、わくわくすることなのです。そうして、人類は自らの歴史を作ってきたのだろうと思います。

不可知であるということ

それは、存在するかしないのか、誰にも知りえないということです。
ですから、それをこの自然界に存在しないと言い切ることもできないわけです。

これが有神論者(あるいは有神可能性論者)のものの見方であり、立場です。
ですからその立場からすると、「脳死は人の死」と法的に定めることは、論理的にも誤りなのです。

もちろんこれはLooperさんの無神論の立場とは異なるものの見方です。
わたしは自分の立場が多数派なのか少数派なのかわかりませんし、Looperさんの立場をとる人の考え方の道筋が理解できないわけでもありません。

また、有神論者(少なくともわたしは)が科学的考察や知見を軽視しているということではないのです。「科学技術の進歩」に対する‘わくわく’は、十分わたしも共有できますよ。

ですから、高性能の人工臓器ならまよわず使わせていただきますとも!
さらに、臓器移植全般に関しての判断は、今のところ容認という意識です。

ただ、法的に「脳死は人の死である」という一点につき、容認できないと言っているだけです。
その主な理由は二点。それはもう何度も述べましたね。
「脳死者」への社会保障の適用に関する将来の憂いと、移植仲介のはらむ問題の不可避性です。

それは、愚樵さんが、『「臓器移植技術」によって社会に引き起こされる容認できない‘格差’』と述べられた問題と深く関わってくる気がします。

求道者アインシュタイン

理詰めで物事を考えることによって、
新しい発見をしたことは、
私には一度もない。

=======================

知性は、方法や道具に対しては、
鋭い鑑識眼を持っていますが、
目的や価値については盲目です。

=======================

無限なものは二つあります。
宇宙と人間の愚かさ。
前者については断言できませんが。

=======================

人生の意義に答えるのが宗教だ。

=======================

だそうです。(例によってネットからの拾いものですが)


naokoさん

> 不可知であるということ
> それは、存在するかしないのか、誰にも知りえないということです。
> ですから、それをこの自然界に存在しないと言い切ることもできないわけです。

当然です。ただし、同時に存在するという証拠も痕跡も何もないのが不可知ということです。
で、あなたの考える「不可知な霊魂」とはどういった物ですか?

実際未知の物質も自然界には存在しているでしょう。
まだ、存在が理論で予言されているが、実験で証明されていない粒子だって沢山あります。
ただし、それを霊魂だとか神だとかと我々は呼びませんし、それは不可知ではなく未知なだけです。

仮にこの空間に存在しているなら、他の物質と何らかの作用をすることが期待されますから、最近タウニュートリノの存在が証明されたように、通常我々の世界では存在できない反物質の存在が証明されたように、存在するならなんらかの痕跡を示すのです。

で、一番大事な事は、未知の物でもこの空間に存在している以上、既知の存在と調和していないといけない。つまり、既知の物質の自然法則を壊す物であってはいけないということです。巷間に言われている霊魂(の定義)は、いずれも既知の自然法則を壊すものばかりです。本当に存在するなら、そんな霊魂の存在とも調和可能である上位の自然法則を構築しないといけなくなります。その可能性はゼロではありませんが、これまでの緻密で高度に調和している物理学、生物学、化学の全ての法則・知見を根本から見直さないといけなくなることは確実でしょう。
(巷間言われている)霊魂が存在すると仮定することは、それほどの事を要求するのです。これは、存在しない蓋然性が極めて高いということを意味します。

>これが有神論者(あるいは有神可能性論者)のものの見方であり、立場です。

そんないい加減な事を言わないでください。
不可知論に立つ人もいれば、そうでない神を信じている方も沢山(むしろそちらの方が多い)います。
仮に「神の啓示」のようなものの存在を信じているなら、それは「不可知論」ではありません。

>ですからその立場からすると、「脳死は人の死」と法的に定めることは、論理的にも誤りなのです。

ものすごい論理の飛躍です。その論理を説明してください。ちなみに、神を「不可知」とすることと、「人の死を社会的に定める」こととは何の関係も在りません。
これまでも、「人の死の定義を社会的に定める」事をそれぞれの社会や宗教はしてきました。
それは、社会の要請だからです。
それを決めておいてくれないと、医者はいつ死亡を宣告できるのか?家族は、いつから死者として弔う行為を始めていいのか?が分らない。医者も、遺族も、葬儀屋さんも困るでしょう。法医学なんか社会的な死の定義を決めてくれないといつまでも検死ができません。「人の死」の定義を決めるのは、社会の要請なのです。

で、最近まで我々が使っていたのが、3兆候(特に心臓死)が確認されたら死とするという定義です。
ですので、「社会が人の死を法的に定めることは論理的にも誤り」というのは、現状をも否定しています。
それを定めなければ、社会が困るから定めているのです。

>ただ、法的に「脳死は人の死である」という一点につき、容認できないと言っているだけです。

まず、法的に決めること自体は、社会の要請です。それは、臓器移植治療に関わらず必要です。
で、「脳死は人の死である」と一般化できるかどうか?は、別の議論です。
これは、社会的合意が形成されているか?また、それ以外の選択が容認されているか?などが議論となるでしょうから、それに対する反対意見ならあって当然だろうと思いますので、それを議論するなら構いませんが、法律で決めるのがおかしいという議論なら、それはおかしいと思います。逆に、なんであれ決めておいて貰わないとみんなが困る事になるでしょう。

Looperさんへ

Looperさんは、相手の話していることを全体として捉え、整理するということができていないように思えます。

わたしが「脳死は人の死である」と法的に定めることを問題としている理由については、これ以上書く必要はないでしょう。
「脳死が人の死ではない」ということを一般化できるかどうか、そんなことはどうでもよいのです。また、人の死を法的に定めること自体に異議を唱えているわけでもありません。
ただ、まだ温かいわが子の身体を死んでいると法定されたくないと言っているだけです。

そして、脳死を人格死とし、それによって「わが子が感じたり考えたりすることが、以後は一切ないのだ」とする唯物論的結論にも懐疑を呈しているということです。
「もし、人に魂があり、それが身体に宿るとするなら、まだあたたかいこの子の身体には魂が宿っているかもしれない。ならば、この子の心臓が動く限り、世話をし、話しかけ、抱きしめていたい」と思うだけです。

この子のあたたかい身体に魂が宿っていないと誰に言えるだろう?
それが、‘不可知’という言葉に込めたわたしの本当に言いたかったことです。

ピカソが十五歳の時描いた傑作に、『科学と慈愛』と彼が名づけた名画があります。
息を引き取ろうとしている母親を中心に、片側には冷静に脈を取る医師が、片側には子どもを抱えて悲嘆にくれる乳母が描かれています。

現代の「科学と慈愛」の構図は…。

医師(科学)は「脳死は人格の消滅である」と宣言する。
一方で、母親(慈愛)はわが子の人格の消滅を否定する。

今ピカソが生きていたならば、そんな絵を描いたかもしれません。
そして、(その絵の中では)貧しい母親は、人工呼吸器を取り外されたわが子が青ざめ、冷たくなっていくのを見ながら泣き崩れるのです。

科「学」とは

「筋道を通して考えること」そのものを指すもののはずです。
「学」というのは。

結果は結果。 考えそのものではない。

考える以前に「科学」という言葉にアレルギー反応しちゃうのが、すでに「迷信」と同じレベルなんだと思います。

私が指摘したのは、「何も考えずに、みんなが言うから」に従うような人々が主流になる現状。

脳死問題についても、「何が問題なのか?」と考えること自体は、「科学的」な立場です。
(その結果導かれる結論には、とうぜん、価値観が含まれるので、「決まり」はない)

みかけは「科学的用語」を並べながら、他人のコメントについて(「○○・・に対して△△・・は、話がかみあってないよ」、と言ったら、「人格攻撃だ」とか「番組を見たことあるのか」とか、)
トンチンカンな反応しかできないのも「科学」的とはいいがたい。

そもそもは

>若者が、「星占い」に人生を託していた。
>科学的根拠がないのは知っていたが、私は何も言わなかった。


「何も言わない」ですませてはまずいだろう、は、
「星占い」そのものでなく、
「それ」に人生を託す若者の増加。

遊びのネタに占いを使う分には、楽しいもんです。
「カレシとは、相性が悪いから別れなさい」
なんていう占いは、けっこうあります。

「ひのえうま」とか「友引葬式」とかは、20世紀になってから広がった迷信です。
(人口ピラミッドが凹むような「ひのえうま」は、人工衛星が飛んでる時代が初めてのこと)

話の流れが、私の元記事から離れてるのは、
元記事の解釈そのものの問題かな?
と思ってのコメントです。

心理「学」

>「それ」に人生を託す若者の増加。

増えたの?統計は?ソースは?
・・・なんちゃって(笑)

>「カレシとは、相性が悪いから別れなさい」
>なんていう占いは、けっこうあります。

占い師に別れなさいなんて言われて別れられるんなら別れてもええんちゃうん?

沖縄では、親が気に入らん相手をたとえば息子が嫁にしたいと言ってきた場合に霊媒師みたいなのを呼んでその縁談にインネンを付けて別れさせようとする、なんてよくある話しだよ。若い頃はひでえ話しだと思っていたけど、最近は、親が「あたしはイヤなんだけど、その嫁」って直接言うのよりはマシかもな、と思うようになったよ。霊媒師に言わせとけば、息子がそれでも結婚するって言って結婚して、いい人だったら「あの霊媒師はインチキだったんだね。ごめんよ。よかったね」で済ませられる。

< 息子や娘の結婚相手がどうしても気に入らないという問題。そんな時あたしだったらどうするか、2分ほど考えてみたんだけど、やっぱり直接子どもに言うだろうな。「こうこうこういう理由であたしはあの人のこと好きになれないんだけど」と。もちろん、霊媒師にそれを託す親はその「理由」が言えないから霊的な権威にでも頼ろうとするのだろうけどね。たとえば、直感的に「なんとなくイヤだ」という場合に。わたし自身(その「直感」にけっこう自信がある、というか自分の子どもよりは上だろうと思ってるから)これが一番困るんだろうけど。でも、やっぱりそうなった時は、その相手と一番近くにいる子どもの選択を信じるほかはないよね。人は「直感」なんかで結婚相手を決めてるわけじゃないんだから。それに、子どもの立場からしてみれば、そんなこと(現世でのパートナーシップ)を「霊媒師」なんぞに頼る親に、まず不信感を持つだろうし >

ぐでぐでと書いたけど「優性思想」や「断種法」なんかよりよほど罪ないと思うよ。>インチキ霊媒師

>「ひのえうま」とか「友引葬式」とかは、20世紀になってから広がった迷信です。
>(人口ピラミッドが凹むような「ひのえうま」は、人工衛星が飛んでる時代が初めてのこと)

ああ、もしかしてこれが根拠?

「インチキ占いに人生を託す若者の増加」の。

これは、その程度の不安で子どもを生む生まないを決めてしまう「大人」が増えたと言うことでしょう。人の脳が考えたことが出生数に影響を及ぼす割合が大きくなった、と。結果として相対的に人生が軽くなったよね。

ところで、今どき「丙午」だからという理由で、あの人とは結婚しない、なんていう「若者」いるの?


優性「学」

>元記事の解釈そのものの問題かな?

そうそう。

「優性思想」のナチスのことをあらわしたニーメラーの言葉に「心霊アレルギー」による斜め上な解釈を当てはめて、それを根拠に人々の文化を嘲笑った元記事に対する「アレルギー反応」だよね。

(ニーメラーの言葉を思想糾弾に転用しようなんて)

それはむちゃくちゃやで、と。

以下は毎度お世話になっている現在wiki先生より

====================

1896年のコネチカット州を皮切りに、多くの州で優生学に基づく結婚法が立法化された。それは癲癇患者や知的障害者の結婚を制限するものであった。

< 略 >

彼らの方法論と研究手法は今日では大いに問題ありと考えられている。だがその当時、この方法は科学的に合理性をもったものであると考えられていた。

=======================

はじめはアメリカだったのかな。

優性「学」

「移民」を制限する口実に使われたみたいだね。

わはは!

>占い師に別れなさいなんて言われて別れられるんなら別れてもええんちゃうん?

私もそう思う。
心理学を「科学」とするなら、それは科学的な説明がつく。笑

ああ、またやっちゃったよ

言いたいのはこっちだった。

(あたしゃいつも肝心なとこをはずすんだよね。でも、わざとじゃないよ。許してね)

>1896年のコネチカット州を皮切りに、多くの州で優生学に基づく結婚法が立法化された。それは癲癇患者や知的障害者の結婚を制限するものであった。

占い師に因縁をつけられても別に怖くないけど、

「科学に結婚を制限される」なんて話しが現実にあったなんて聞くと、

ぞっとする。

そのへんがあたしの肌感覚(=アレルギー)だよね。

わはは!

>占い師に別れなさいなんて言われて別れられるんなら別れてもええんちゃうん?

まったく。科学的なアドバイスです。

<どうせ、「その程度の下らん奴」なんだから。>
  ・・っていうことを言うと、

「科学的ではないと攻撃」したことになるんでしょう。たぶん。

なまえをいれてください

そう言えば、名前と占いの関係はどうなんだろう?

画数とかで決めるってパターンは割と多そうだけど、逆にその方が良かったりする気も。
というのも、あの種の本ってズラリと膨大な名前サンプルが並んでますよね? 漢字を知らない若い親にとっては、むしろそういうので「名前のつけ方」を覚えられる面もあるのかも。

いやだって、フィーリングだけで名前つけてると、ほら、その、暴走族のような名付け方が最近ちらほら……。

統計学

姓名判断って統計学なんですよね。風水も占星術もそうだけど。

小倉千香子だったか、彼女は名前を見ると瞬時に画数を計算できるそうです。それで航空機事故の死亡者名簿がテレビで流れるのを見て、亡くなった方たちの姓名判断を片っ端からしたそうなんですが、凶画数の人が多い、ということはなかったとか。笑

はじめまして

ちょっとここを見ていて気になったからコメントします。
科学が悪用されるなら、科学もカルトと同じという考えに対して。
確かに、科学自体は悪い面を持っていますが、それはすべてに対して言えることでしょう。
宗教にしても、人の心に安らぎを与えるものも、人から物を騙し取ることも出来ます。
科学知識にしろ、宗教にしろ、ネットにしろナイフにしろ薬にしろ、悪い面もいい面も持っています。
たとえ科学が悪い、ああそうかとこの世からすべての「科学」を駆逐して人間が原始人と同じような生活に戻っても、たぶん犯罪や戦争がなくなりません。
そんな石槍と棍棒で戦う世界より、ABC兵器を使った戦争のほうが危ないと思うかもしれないが、その分文明の利器とやらが手に入らなくなって全体的に平均寿命が落ちるでしょう。
あなたたちはこの科学文明の世界と、危険な野性の世界と、どっちがいいかって話。
何が一番危険かって、たぶん科学でもカルトでもなく、人間の「破壊」の意志でしょう。
何事でもほどほどに。
人間の道徳について語るべきであって、科学が危ない、カルトだ、というのは少々ピントがずれている、と思いました。
以上、長文、駄文、しつれいしました。

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