ヒトとして? 人間として? 「死に方」について考えてみる
2016-02-29
個人的な話で恐縮です。
もうまもなく、親父が死にます。
末期の癌です。
以前、ここに書いたこともありますが、ボクは家族とは疎遠なんですね。
普段からほとんど交流がなくて、連絡をするのも年に2,3度――というレベル。
世間的に見れば、淋しいとか、冷たいとか、感じられるんでしょうけど、まあ、仕方がない。
なるべくして、そうなってしまった。
これはボク自身にとって、ごく自然なこと。
なので、正直に言ってしまうと、もう面倒臭い。
なにがって、関わるのが。
勝手に死んでくれていいよ――と思っている。
そしておそらく、あちらもそう思っている。
勝手に死ぬよ、と。
で、それが、どう「ヒトとして」あるいは「人間として」というテーマと関わってくるのか?
今回は、そのあたりを考えてみたいと思います。
親父が癌だと聞かされたのは、約2年前のことです。
母親が脳出血で倒れて、緊急入院した――という知らせを受けて見舞いに行った。
それが二年前のGWの頃。
その病室で、実は親父が癌と診断されていて、治療を施さなければ半年の命だと宣告されていると知らされたんですね。
その時は、これは大変なことになるかもしれない、と思いました。
母親は、身体が不如意になる可能性が高い。
父親は、こちらはもう間違いなく、動けなくなっていく。
親が二人とも同時に具合が悪くなるとなると、さすがに関わらないわけにはいかない、と考えたから。
この二人には、育ててもらったという「負い目」があります。
こんなことを書くのは残念なんだけど、「恩」ではなく「負い目」です。
ボクが自身の家族と疎遠なのは、「負い目」がゆえにです。
ボクも、父母も、互いに「負い目」を自覚している。
だから、離れていた方が自然で具合がいい。
しかし、二人とも身動きが取れないとなると、具合がいいとは言っていられないことになります。
ところが、幸いなことに、母親の方は医者も驚くほど順調に回復してくれたんです。
何らかの後遺症が残るだろうと言われていたのも、ほぼ残らなかった。
そのおかげで、ボクは今までのように、疎遠で関わらずに済ますことが出来た。
助かりました。
で、それ以来、顔を拝んでいなかった親父の様子を見に行ってきました。
それが先週のこと。
親父が癌で余命宣告されたと聞いた頃。その少し前だったかな?
とある本がアキラさんのところで紹介されていたんです。
「癌で死ぬのは、一般的に考えられているより幸せなんですよ」
――なるほど、そうかもしれないけど、ボクにはちょっと素直に受け入れられない。
けれど、親父にとってはタイムリーな本かもしれない。
それで、読んでみました。
親父が読んでみれば、慰めになるかも知れない。
けれど、贈ることは、結局しませんでした。
どうしても、ひっかかるものがあったので。
今回、親父の顔を見てきて、それでよかったと思った。
そして、そのときの「ひっかかり」が何だったのかが理解できました。
ほぼ2年ぶりに会った親父は、容貌がすっかり変わってしまっていました。
衰えて、もう、骨と皮だけになってしまっていたので、容貌が変わるのは仕方がないのですけれど、
それ以上に、驚かされたのは、表情というか、雰囲気というか、オーラというか。
これがまったく変わっていた。
生きることの苦痛に満ちたものになっていました。
抗がん剤治療を受けて幾ばくかの時間を生きながらえたものの、
もはや効果がなくなって、苦痛を緩和するだけのターミナルケアの状態。
いくら苦痛を薬で緩和できると言ったって、根っこから痛みがなくなるわけでない。
その苦痛に、ただじっと耐えているだけの姿。
そんな親父の姿を見て、生命というのはやはり侮れない、と思った。
薬などでは、根っこのところは誤魔化すことはできない。
純粋な生物としてのヒトにとっては、癌でゆっくり死ぬということは、不幸なことだと思いました。
では、『大往生なんか、せんでもええやん!』に書かれていたことは、誤りだったのか?
いいえ。
逆です。
「ヒトとして」は不幸かもしれない。
けれど、「人間として」は正しい。
「人間」とは何か?
社会という集団を営む習性をもった生き物です。
「ヒト」は社会を営むことによって「人間」になる。
「ヒトとして」の身体的な苦痛に苛まれながらでも、周囲のケアを受けながら、ゆっくりと死んでいけるということは、
「人間として」は、幸せなことなんだ、と。
これは、生まれてくるときと、鏡で映したように正反対です。
人間は、ヒトとして母親の胎内から生まれてきた後に、社会に育まれて人間へと育つ。
ヒトが人間として育つには社会からの愛情のこもったケアが必要だし、
そのようなケアに恵まれることが幸福ということです。
人間としての「幸福の種」を、ヒトから人間へと成長する間に受け取る。
ゆっくりと死ぬことが出来れば、「幸福の種」の収穫を受け取ることが出来ます。
その収穫は、おそらく、「ヒトとして」生きながらえるの苦痛に勝る。
『大往生なんか、せんでもええやん!』に書かれていたことは、そういうことだと。
本当に、ヒトというのは、どうしようもなく社会的な生き物だ。
だから、ボクの中の違和感に従って、『大往生なんか、せんでもええやん!』を贈らなくて正解だった。
もし贈っていたら――、皮肉か、あるいは復讐になっていたと思う。
哀しいことだと思うけれど、ボクのなかには、親父に返してあげることができる「幸福の種からの実り」がない。
「ヒトとして」身体を成長させる手助けはしてもらった。
でも、「人間として」は、残念ながら、ボクの中を探してみても、見当たらない。
そして、そのことは、親父もよくわかっているのだろうと思う。
両親がいるところを実家とするならば、先週の実家訪問は、滞在時間は8時間ほど。
その間、親父と対面していたのは、1時間にも満たない。
交わす言葉も、ほとんどなかった。
もはや、話すべきことが見つからなかった。
帰り際に親父は言った。
「見ての通りのありさまでやってる。わかったら、もう、ええやろ。」
「うん、わかったよ」
としか、応えられなかったが、まさしく、これで必要十分だった。
次に親父と対面するのは、おそらくは、その亡骸とだろう。
哀しいけれど、それで十分。
もうまもなく、親父が死にます。
末期の癌です。
以前、ここに書いたこともありますが、ボクは家族とは疎遠なんですね。
普段からほとんど交流がなくて、連絡をするのも年に2,3度――というレベル。
世間的に見れば、淋しいとか、冷たいとか、感じられるんでしょうけど、まあ、仕方がない。
なるべくして、そうなってしまった。
これはボク自身にとって、ごく自然なこと。
なので、正直に言ってしまうと、もう面倒臭い。
なにがって、関わるのが。
勝手に死んでくれていいよ――と思っている。
そしておそらく、あちらもそう思っている。
勝手に死ぬよ、と。
で、それが、どう「ヒトとして」あるいは「人間として」というテーマと関わってくるのか?
今回は、そのあたりを考えてみたいと思います。
親父が癌だと聞かされたのは、約2年前のことです。
母親が脳出血で倒れて、緊急入院した――という知らせを受けて見舞いに行った。
それが二年前のGWの頃。
その病室で、実は親父が癌と診断されていて、治療を施さなければ半年の命だと宣告されていると知らされたんですね。
その時は、これは大変なことになるかもしれない、と思いました。
母親は、身体が不如意になる可能性が高い。
父親は、こちらはもう間違いなく、動けなくなっていく。
親が二人とも同時に具合が悪くなるとなると、さすがに関わらないわけにはいかない、と考えたから。
この二人には、育ててもらったという「負い目」があります。
こんなことを書くのは残念なんだけど、「恩」ではなく「負い目」です。
ボクが自身の家族と疎遠なのは、「負い目」がゆえにです。
ボクも、父母も、互いに「負い目」を自覚している。
だから、離れていた方が自然で具合がいい。
しかし、二人とも身動きが取れないとなると、具合がいいとは言っていられないことになります。
ところが、幸いなことに、母親の方は医者も驚くほど順調に回復してくれたんです。
何らかの後遺症が残るだろうと言われていたのも、ほぼ残らなかった。
そのおかげで、ボクは今までのように、疎遠で関わらずに済ますことが出来た。
助かりました。
で、それ以来、顔を拝んでいなかった親父の様子を見に行ってきました。
それが先週のこと。
親父が癌で余命宣告されたと聞いた頃。その少し前だったかな?
とある本がアキラさんのところで紹介されていたんです。
「癌で死ぬのは、一般的に考えられているより幸せなんですよ」
――なるほど、そうかもしれないけど、ボクにはちょっと素直に受け入れられない。
けれど、親父にとってはタイムリーな本かもしれない。
それで、読んでみました。
親父が読んでみれば、慰めになるかも知れない。
けれど、贈ることは、結局しませんでした。
どうしても、ひっかかるものがあったので。
今回、親父の顔を見てきて、それでよかったと思った。
そして、そのときの「ひっかかり」が何だったのかが理解できました。
ほぼ2年ぶりに会った親父は、容貌がすっかり変わってしまっていました。
衰えて、もう、骨と皮だけになってしまっていたので、容貌が変わるのは仕方がないのですけれど、
それ以上に、驚かされたのは、表情というか、雰囲気というか、オーラというか。
これがまったく変わっていた。
生きることの苦痛に満ちたものになっていました。
抗がん剤治療を受けて幾ばくかの時間を生きながらえたものの、
もはや効果がなくなって、苦痛を緩和するだけのターミナルケアの状態。
いくら苦痛を薬で緩和できると言ったって、根っこから痛みがなくなるわけでない。
その苦痛に、ただじっと耐えているだけの姿。
そんな親父の姿を見て、生命というのはやはり侮れない、と思った。
薬などでは、根っこのところは誤魔化すことはできない。
純粋な生物としてのヒトにとっては、癌でゆっくり死ぬということは、不幸なことだと思いました。
では、『大往生なんか、せんでもええやん!』に書かれていたことは、誤りだったのか?
いいえ。
逆です。
「ヒトとして」は不幸かもしれない。
けれど、「人間として」は正しい。
「人間」とは何か?
社会という集団を営む習性をもった生き物です。
「ヒト」は社会を営むことによって「人間」になる。
「ヒトとして」の身体的な苦痛に苛まれながらでも、周囲のケアを受けながら、ゆっくりと死んでいけるということは、
「人間として」は、幸せなことなんだ、と。
これは、生まれてくるときと、鏡で映したように正反対です。
人間は、ヒトとして母親の胎内から生まれてきた後に、社会に育まれて人間へと育つ。
ヒトが人間として育つには社会からの愛情のこもったケアが必要だし、
そのようなケアに恵まれることが幸福ということです。
人間としての「幸福の種」を、ヒトから人間へと成長する間に受け取る。
ゆっくりと死ぬことが出来れば、「幸福の種」の収穫を受け取ることが出来ます。
その収穫は、おそらく、「ヒトとして」生きながらえるの苦痛に勝る。
『大往生なんか、せんでもええやん!』に書かれていたことは、そういうことだと。
本当に、ヒトというのは、どうしようもなく社会的な生き物だ。
だから、ボクの中の違和感に従って、『大往生なんか、せんでもええやん!』を贈らなくて正解だった。
もし贈っていたら――、皮肉か、あるいは復讐になっていたと思う。
哀しいことだと思うけれど、ボクのなかには、親父に返してあげることができる「幸福の種からの実り」がない。
「ヒトとして」身体を成長させる手助けはしてもらった。
でも、「人間として」は、残念ながら、ボクの中を探してみても、見当たらない。
そして、そのことは、親父もよくわかっているのだろうと思う。
両親がいるところを実家とするならば、先週の実家訪問は、滞在時間は8時間ほど。
その間、親父と対面していたのは、1時間にも満たない。
交わす言葉も、ほとんどなかった。
もはや、話すべきことが見つからなかった。
帰り際に親父は言った。
「見ての通りのありさまでやってる。わかったら、もう、ええやろ。」
「うん、わかったよ」
としか、応えられなかったが、まさしく、これで必要十分だった。
次に親父と対面するのは、おそらくは、その亡骸とだろう。
哀しいけれど、それで十分。