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愚慫空論

責任が生まれるところ

粟島から戻ってきて、はや一ヶ月。

勢い勇んで向かった粟島だったけど、結果は敗退。
力量不足だったんだね。うん。

いろいろ書いてみたいこともあるけど、差し障りがあるかもしれないこともあるので、それはまたいつかの機会に――、ということで、また「空論」に戻ることにします。

ずっと考えていたこと。責任の生まれるところ。
いったいどこから責任などいうものが生まれてくるのだろう?
粟島で暮らしながらずっと考えていた。考えはだいたいまとまった。
帰ってきて、世の中のでたらめ具合を眺めながら、まとまった考えはあっているんじゃないかと思っている。
というか、考えたことに都合の良いように現象を眺めて、仮説がどのくらい当てはまるのかをチェックしている。

ちょっと時間の針を戻す。

責任がどこから生まれるのか、なんてことを考え始める種はある書物によって蒔かれた。

生きるための経済学

貨幣に殺到する人びとがはまっている呪縛とは何か。アダム・スミスから現代の市場理論にまで通底する〈選択の自由〉と〈責任〉の観念を批判し、孔子やドラッガーの思考から創発的な人間の力を導き出す。抽象的な市場ではなく、人びとの行き交う市場から考える生命のダイナミクスへの経済学、登場!

責任はコミュニケーションの失敗から生じる。

ちょっと違うな。

コミュニケーションはその性質上、失敗を避けることが出来ない。
なので、失敗に対処する必要が生まれてくる。
それには2つの構えが考えられる。

1.失敗しても諦めず成功を目指す。
2.失敗に備える。

2.の構えから生まれてくるのが責任。
必ず生じるコミュニケーションの失敗に予め対処することが、責任


...ごくごく当たり前のことを言っているだけのような?

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“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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