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日本国民概念序説
安永九庚子年十一月 「二十三夜供養」 猿田彦大王の山から 日本国民概念序説



読者のみなさん。
寒冷のおり御身たいせつに、日々、がんばってください。


 結論からですが、自分にとって日本国民とは庶民です。近所の旦那さんそして奥さん、そして子供たち。
親戚家族、これまでの仕事や事業で出会った人々。事業とは革命運動、演劇運動、舞踏運動などです。
これらも「まつりごと」として経済を躍動させていきます。

なんとしても国民とは幼少時から育ててくれました親と兄弟姉妹の家族が基点であります。
また幼友達、学校での級友、サークル活動で出会った友人。別れた恋人。

いままで96年にイタリア、2002年にスロベニアに暗黒舞踏公演に行き、そこで現地の若い衆たちと
共演といいますか、舞台に一緒に立ちました。
ホテルの従業員の方とは劇場スッタフの方とも話しました。外国で出会った人々も何故か、おらのなかでは
擬似共同体としての日本国民です。

人との出会いのなかに日本国民は流れております。人生こそ日本国民です。
日本国民の定義とは民草としての根でもあります。

おのれの根がない「世界市民」「地球市民」は国際主義の美学にありますが
国際主義に幻想はもっておりません。

おのれの根っこがある人間、それが日本国民であり、根がある人間は外国語が話せなくても
現地の人々と身振り手振り片言でコミュニケーション可能となります。

日本国民の定義におきましては、かなり長文になります。

「敗北主義」と受けとられると思いますが、もはやユダヤ世界権力を凌駕することは、この21世紀において
できないのではないかと思っております。
自衛するしかありません。

選民様は京都を世界大戦で爆撃しませんでした。古代、東方をめざしたオリジナル・ユダヤ人が日本に来まして
つくったのがエレサレムとしての平安京であるとする言説もあります。
現在のユダヤ人は「ハザール王国」の末裔であります。
エレサレムであった平安京たる京都をゆえに選民様は爆撃しなかったのであります。

ゆえに21世紀、選民様による日本壊滅から日本を防衛するためには、首都を京都に遷都する必要があると
思っております。

世界権力である選民様には勝てない、しかし負けない戦略をゴイム日本は模索していかざるえません。

その自衛のための概念こそ日本国民であります。

この日本国民とはもはや国際主義と天皇主義から脱却した根のある人間であります。


マルクス・レーニン主義概念から定義いたしますと、
1、国民意識は国民国家を形成した近代ブルジュア革命によって誕生した、制度概念であるから、
  帝国主義戦争に動員されてしまう。国民主義は労働者階級にとって害悪である。

2、労働者階級に国境はない、祖国敗北主義で、侵略戦争を内乱へと転化せよ。
  内乱を革命戦争へと転化せよ。
  
3、反戦闘争とは自国帝国主義を打倒することである。

4、国民主義に対置して国際主義をスローガンとせよ。

となります。国際主義への美学でもありました。

68~72世代は、1965年中国文化革命の起動から世界的街頭運動に参加いたしました。
日本におきましてはベトナム反戦運動と大学・高校におけるバリケード闘争。学園から街頭へ、
そして首都決戦により、首相官邸へ進撃せよ、など。

ベトナム戦争と入管闘争のなかで、自国帝国主義に対する自己不定運動もかなり深化いたしました。
ここで登場いたしましたのが、反日武装戦線でありました。
反日武装戦線は三菱ビルは爆破したのですが、昭和天皇が乗った列車の爆破は失敗してしまいました。
思想といたしましては東アジアとおのれ日本との歴史諸関係における実存的決起であったと思います。
おのれの「根」とは何かを、極限まで問い詰めた思想と行為であったと思います。

68~72世代はマルクス国際主義にかなり影響されましたから、「日本=国家権力」として
日本への憎しみ、日本への呪詛が感情としてあると思います。

12月に北鎌倉をデジカメで撮影してきたのですが、円覚寺入り口近くにありました掲示板に
「全共闘世代よ、故郷に帰れ」というイベントのチラシが貼ってありました。
全共闘世代が、「男と女のだましあい」でもある人生最後の恋愛に燃えあがるのも帝国市民の
自由ではあるのですが、今、全共闘世代はひとりひとりおのれの故郷に帰還してほしいと
願っております。

1985年のプラザ合意から、1989年には金融自由化。80年代後半には
「満州調査部=電通」が「開かれた国際主義」を大宣伝いたしました。
どこもかしこも国際主義のオンパレードでありました。資本の国際主義と国際化へと。
こうして国鉄は民営化され、敗戦後の日本労働運動を形成してまいりました国労は分断され
ちいさな労働組合にされてしまいました。
国際金融家にとって戦闘的労働組合はどうしても民族主義要素であり、完全植民地にする場合は
抵抗勢力になりますので、はやく壊滅したかったのであります。
こうして総評の財産を収奪いたしました「連合」が誕生いたしました。
国際金融家のために奴隷労働者を大量生産するための中間管理前衛組織こそ「連合」でした。

小泉純一郎と彼の裏方であります「満鉄調査部=電通」は、「抵抗勢力」という悪者概念を
つくりだすことに成功いたしましたが
日本完全植民地化に反対する抵抗勢力は80年代から90年代前半において予備壊滅させられました。

これまでの阿修羅の論議におきましても
マルクス・レーニン主義の国際主義はロスチャイルドの世界戦略を促進するイデオロギーであることが
語られてまいりました。マルクス・ウィルスとレーニン・ウィルスは、世界共産主義運動によって
全世界の労働者階級へと伝播いたしました。
共産主義革命党は労働者階級の前衛党ともよばれ、またそれはロスチャイルドの世界戦略を可能にする
前衛組織でもありました。前衛は労働者階級を組織いたします。
ロスチャイルドの世界戦略とは世界近代化でありました。

国際主義とは国際金融家によって操作される美学でありました。
悪魔は端正な顔と深い瞳と人を魅了する微笑で、人をだまし詐欺をいたします。
革命詐欺です。

日本および国を語る場合、どうしても天皇制がからんでまいります。
阿修羅の論議では、明治維新が欧米の介入によって形成され、明治天皇もイギリスから全面的に補給された
薩長によって、とくに長州によってつくられたと語られてまいりました。
明治維新も国際金融家によってつくられらた詐欺でありました。

明治維新は国際金融家の介在によってなしとげられた革命ではありましたが
「国民国家=共和制」ではありませんでした。
「大日本帝国=絶対天皇」でありました。
ここで庶民は日本概念のリアリティを剥奪されました。

徳川幕藩体制の方が日本のリアリティがあたっと思います。

近代の明治維新で臣民である庶民に刷りこまれたのは、「自我=天皇」でありましたから
日本を語ることは天皇を語ることとなりました。忘我における絶対自我でした。
しかしこれは絶対矛盾でもありました。
「国民国家」としての近代革命でありながら国民国家ではなく天皇国家であったからです。
絶対矛盾のリアリティを見えなくさえるために、絶対自我の刷りこみが必要でありました。
そのための絶対天皇制度でした。

明治維新は日本がロスチャイルド・システム=国際金融家に敗北しました
第1の敗戦でもありました。
敗戦とは革命後に進行いたします。第1の敗戦が終了したのが明治45年でした。
45年にわたる敗戦システムであります。
国際金融家は日本をまず近代化いたしまして、これをアジア近代化の基地といたしました。

大正1年から15年は、日本が東アジアにおいて植民地を形成した時期であります。
「大正デモクラシー」とは帝国市民の育成でもありました。

昭和1年から20年は、東アジア、東南アジアを近代化させるために、国際金融家は
アジア侵略戦争を起動させました。

USアメリカを戦争国家として育成するために、わざと国際金融家は海軍に真珠湾攻撃を
やらせました。

第2の敗戦は1945年8月でした。
ここで昭和天皇は人間宣言いたしまして、日本と日本国民の象徴となりました。
ここでも庶民は国概念のリアリティを剥奪されました。
第2次世界大戦の敗戦後は徹底して、日本なるものは
明治維新の寺院仏閣破壊のように、憎悪され破壊の対象となりました。
あらゆるこれまでのものが封建主義として否定され、民主主義が謳歌されていきました。
日本を否定破壊する国際主義の紅衛兵は教育工場から送りだしました。

第2の敗戦とは近代化から現代化でありました。
現代化とは国際金融システムとの同期化であります。
第2の敗戦は昭和64年で終了いたしました。

第3の敗戦が開始されましたのが、平成1年の金融自由化であります。
日本完全植民地への道程が開始されました。
90年代は「失った10年間」と言われております。
この期間も「満鉄調査部=電通」はさかんに国際主義をあおりました。

この過程でようやくロスチャイルド・システム赤い盾が見えてきたのであると思います。

結論ですが、日本を語ることは天皇を語ることではなく、近代天皇制も国際金融家の世界システムに
よってつくられたのであり、近代天皇制機関とは日本人の自我を管理操作するための
呪術装置であったことが、いまや明確になったのであります。

天皇制の呪縛から脱却できない民族主義党派とは、歴史既得権
それは「自我=天皇」である絶対自我と忘我の明治近代主義者であると思います。
ゆえに彼らの聖地は明治維新神社靖国なのです。彼らのノスタルジアは
日本が植民地を経営していたころの第1敗戦過程にあります。
大東亞主義者でありながら、「東アジア共同体構想」不在の絶対矛盾にあります。
その絶対矛盾こそ海外からみれば「日本的グロテクス」とうつります。

ロスチャイルド・システム、国際金融家システムとその前衛組織の役割がみえてきた
この21世紀、近代天皇制をあがめる民族主義とは近代の破綻概念のひとつとなっております。
明治天皇がそれまでの血統から切断されたところによる、工作の意思によるすり替えこそ
彼ら特有の詐欺であり、詐欺を現実化できるのは、ユダヤ哲学が古代以来ひたすら人間と人類の
性根を怜悧に分析解析してきたたからこそ、実現できたのであります。

これまでの民族主義者は、おのれとおのれの一族そして共同体史から、つまり明治近代以前へと
落下せずに、短絡として明治天皇を受け入れ、近代主義者として上昇せんとしてきたのです。
ゆえに既得権右翼、利権右翼、総会屋右翼にとって、神は植民地経営の神でなくてはならなかったのです。

民族主義=天皇ではなく、民族主義は反近代天皇でしか、いまや、成立は不可能です。

何故、国際金融家は明治維新において、絶対矛盾を絶対自我の成立として刷りこんだのかは
おのれとおのれの身近な経験をめぐる思想を言及できなくさせるためであります。

第2の敗戦である1945年以後、この絶対矛盾は、憲法第9条の解釈をめぐって再度、起動して
まいりました。武装戦力を完全否定しながら自衛隊を創設、戦争を否定しながらイラク侵略戦争に派兵。
この絶対矛盾こそ自我において日本人を管理操作するための詐欺戦略であります。
国会は50年間も憲法第9条をめぐるレトリック・ゲームに終始してきました。
「壮大な詐欺」であります。
ここに平和天皇制の絶対自我でありました。
国際金融家は自我生成において、日本庶民を絶対矛盾の論理で支配コントロールしております。
絶対矛盾をかかえた自我は、ひたすら自律神経が奪われ植民地精神へと固定化されていきます。

「国際諸問題は評論家として多いに語ることは許されるが、日本の内面はあまり語れない」
「北朝鮮のことは多いに語るが、日本の実態は語れない」
おのれが絶対自我として植民地化されているからです。
そこでは国概念も日本概念もひたすら「あいまい」になっていきます。

日本人はと語るときはおのれが日本人ではなく、日本と語るときは、おのれが日本ではなく
マッカーサーのように「だから日本人はだめなんだ、だから日本は遅れているんだ、だめなんだ」と
語ります。この自虐こそ、現在に日々刷りこまれております「絶対矛盾」の自我への刷りこみから
起動している鬱積であります。自虐史観が原因ではなく、在日米軍によって監視下にある現在が
原因なのであります。しかしその事実を認めるのことは恐怖なのであります。

おのれの国の方向決定ができない植民地精神はどうしても、現在のリアリティではなく
日本が植民地経営していたころへのノスタルジアに向かい、そのロマンに酔いしれ、
日本列島がまだ在日米軍によって占領されていなかった時こそ、おのれの姿であるとします。
日本の侵略戦争を語るのは「自虐史観」であると攻撃するのですが、その自虐とは
在日米軍によって植民地化されている、おのれの姿を感情として露出しているのです。
なにひとつ在日米軍の撤退を主張できない植民地根性、これこそが自虐です。
在日米軍基地の前の恐怖を忘却してくれるのが「北朝鮮」であります。
ゆえに「自虐史観」と攻撃し、「北朝鮮は悪である」と語るのであります。
こうした絶対矛盾からくる心理構造はあまり分析解析されてきませんでした。
為政者はおのれの目の前の在日米軍をみるのが恐怖なのです。その前では
おのれが植民地政治家であることが刻印されてしまいますので・・・
ゆえに日本のことは日本の実態は語ることができないのであります。

植民地である日本はその自我の構造において北朝鮮よりも
絶対矛盾に落下しているのですが、これまでやってこれたのは
ただひたすら経済大国をめざしてきまして、大経済主義が価値観であったからであります。
その大経済主義が頓挫してしまった今、ここでの日本国民とは
おのれの自我を呪縛している詐欺近代天皇制から脱却するしかないと思っております。

「天皇制は草木一本一本に宿っている」と教えられてまいりましたが
それは嘘であります。近代天皇制のでっちあげであります。

草木思想は明治維新のはるか前にあった民衆思想だったのです。


昨年の12月末、おのれが育った山とちいさな村である増録村に行って写真をとってまいりました。
昔住んだ家はいまはもうなく、宅地住宅が建っておりました。
ちいさな村である増録へ入る道は、開かれた田園地帯である成田村から、ちいさな山を越えていくのでありすが、
その山の近くに来たとき、犬を連れた婦人に出会いました。
東京の近郊住宅地にある犬と買主が散歩する風景であります。

道路は「矢板~烏山線」で増録村に入る基点には、昔、バス路線の停車場「宮田」があったのですが
今はもうありません。

おらが住んでいた頃は60安保の頃であります。
開かれた田園地帯である里の成田村に出るためには、獣道を登り下りました。
しかし、宅地住宅となり、大きな道が出来ておりました。

その道から山に入り嶺ぞいに歩き、おらたち増録村の子供たちが遊んだ、ちいさな神社に出ました。
神社はまだありました。
おらはその前に土下座をして、イスラムの民が祈るように、頭を大地につけ
「ただいま帰ってまいりました」と山の神々に報告いたしました。

増録村に入ると、宅地住宅を造成した「斎藤建設」の人間がうろうろしておりました。
おそらく村の土地を物色していたのであると思います。
今、地方は「カニバリズム - 人間は如何にして人間を食べてきたか」という
カニバリズム資本主義に突入しております。

うかうかしておりますと山も田んぼも畑も家も、だましとられてしまいます。
銀行が融資をしない、デットロックの社会とは生き抜くために
他人の財産を収奪する意思的行為としての資本主義本来の動物性が現出しております。

世界諸問題への「思考停止・判断停止」よりも深刻なのは
日本諸問題への実情が現実のリアリティが都市生活者は見えなくされていることであります。

おらは上野駅から矢板駅まで電車男としてやってきて、金がないので歩いて増録までやってきたので
ありますが、道路は車が何台も疾走しているのですが、人は歩いておりません。
地方は車社会が貫徹しております。貧乏人は都市に追い出されるしかないのです。

増録へ行く前、矢板駅周辺を歩いてまいりました。
70年安保の頃に家族で住んでいた長屋はもうなく、「小堀建設」の建造物がそこにはありました。

おらが中学生のとき新聞配達をしておりました末広町は区画整理で、一切の面影はなく
東京近郊の風景へと変貌しておりました。
貧乏人はどこかへ追い出されてしまったのであります。
土地がない貧乏人は追い出す、これが日本の地方政治であり現実でありました。

おらは増録村に入り、子供の頃、いつも遊んだ「まさちゃん」の家にあいさつに行きました。
家の人々は最初、おらをまた土地を物色にきた人間かもしれないと警戒しておりました。
以前、前に住んでいた人間として名を告げたら安心してくれました。

おらは70年代~80年代、
成田空港に反対する三里塚農民支援活動などをやっていた時期があったのでありますが
農地を強制執行で収奪された三里塚農民の現実が90年代におきましては全国的現象となった
のでしょうか・・・

さて、おらは増録村から親戚がある豊田村に向かいました。山道であります。
おらたち増録村の子供たちが1時間ほど歩きまして豊田小学校に通った山道です。
増録村の山はおらの親戚である本宅が所有していたのですが、その山を売ってしまったのです。
都市生活者の別荘なども造成してありました。
建設会社の重機置き場や廃物としてのゴミ置き場にもなっておりました。
「ちくしょう」と親戚への憎しみがわいてまいります。

おらの親父とお袋が山を切り開き畑にしました日向山の場所も、建設会社の場所となって
おりました。

おらは山の獣道を下り、豊田村に出ました。
一族の頭領であった本宅にはよりませんでした。

豊田村のお寺に行って、「まんどころ」の墓参りをしてきました。
幼少時のおらを育ててくれました、ばあちゃんと、いとこが眠っております。
「まんどころ」とはやはり親戚でありまして、一族の分家でもありました。
おらは「まんどころ」に1歳から3歳まで預けられておりました。

「まんどころ」にあいさつに行き
「ちいさい頃育ててくれまして、ありがとうございました」と頭をさげてまいりました。
「まんどころ」はいま、80歳のおじさんがひとりで住み、歴史を守っておりました。
おじさんから、一族の頭領であるべき本宅の話しを聞きました。
「本宅は山も田んぼも畑もすべてとられてしまったんべ」
「おらは、むこに入ったもんで、意地があるもんで、売らなかったよ」
そう話してくれました。
おじさんは死んだ息子が残した1000万の借金を
この12年間、支払ってきたのであります。

「なにもいいことはなかったよ・・・」そう話しておりました。

おじさんに別れのあいさつをして、自分は再度
山を越え増録村をめざしました。
ちいさな道はまだありました。その山は買収されておりませんでした。
山には木野子の「しいたけ」を生産する木々が並べらておりました。
人が仕事ために入っている山は実に美しいのであります。
幼少の頃にみた道沿いの木々・・・

増録村に出たおらは。そこから喜連川町の河戸に向かいました。
60年安保の頃はまだおらも小学1年制でありましたが、よくお袋にたのまれ
河戸にある雑貨店に「醤油」「塩」「砂糖」を買いにひとりで行きました。
そのお店がまだ現存しているかどうか確かめたかったのであります。

増録村に帰る前、増録村周辺地図はインターネットで調べておりました。
お店はありました。
おらはそこから、烏山~矢板線の道路を矢板に向かいました。
路線バスも廃止されておりますので歩くしかありません。
ちょうど、山に囲まれた増録村を回りこむ形になる道路であり、成田村から
増録村に入る入り口である、基点にもどることになります。

道路沿いの神社などを撮影しながら歩いていきました。夕暮れが近づいております。

増録村入り口の基点にもどりました。
帰る前にもういちど、幼少の頃遊んだ、神社におまいりしていきたいと思いました。
獣道のような神社への登り道。村人に忘れさられてしまったかのような道。
道の入り口になにか刻まれている石がありました。


「安永九庚子年十一月 二十三夜供養」
そこは草木塔の神社であったのです。「安永」とは江戸時代です。

「草木に神々が宿る」それは民衆思想であったのです。

日本国民の概念とはおらにとって、明治維新以前の時、そこにおける民衆思想から
復活することであります。


東京首都圏からは日本は見えないばかりか、深刻な実態がかくされております。
今と今の今、日本のリアリティに接近する方法概念こそ日本国民であります。
世界の諸問題に接近する方法こそ日本国民の概念であります。

草や樹木が根を記憶装置の大地にはり、立ち上がっているように
人間も身体から根が大地にはって生きているのであります。
人間の根は地球の中心へと向かい、その波動は裏側へと到達いたします。
おのれをまた世界の中心軸を形成している、これが実存の根拠であり
根のある人間は根源へと旅だっていきます。そこで出会いますのが日本国民であります。

 


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