日本経済新聞小説大賞決定 | |
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2006年09月13日
新潮文芸賞、すばる文学賞
第30回すばる文学賞(主催・集英社)は、瀬戸良枝さん(28)の「新しい歌」に決まった。副賞100万円。佳作に吉原清隆さん(35)の「テーパー・ジャンク」副賞50万円。
第38回新潮新人賞は吉田直美さん(27)の「ポータル・パレード」決まった。副賞50万円。評論部門は該当作なし。
文芸まるかじり
http://blog.livedoor.jp/sela1305/archives/50507964.html
● 来年3/31締め切りめざして、再挑戦、がんばるだ。
本日、「新潮」10月号発売、新人賞の予選通過発表。
本屋さんにかけこむ。新潮10月号を手にとる。
「予選通過発表新人賞」のページをめくる。
作品名、名前なし・・・・トホホ・・・
きびしい・・・・
それにしても暑い晩夏。
はやくこい秋。
夜、つくったおかずは朝なら食べられるんですけんど
2日目の夜は、もう腐っていますだ・・・トホホ・・・
おら、冷蔵庫の電源も切っている貧乏まるだし生活人。
秋になれば2日間は夕食、おなじおかずで食べられる。
まあ、今年もなんとか猛暑をのりきり
今度は厳冬とのたたかいが待っている。
100円紙パックの日本酒飲んだら、小説の構想でもすっぺ。
はらへった。飯、喰わんと・・・
http://www.asyura2.com/0601/senkyo20/msg/1008.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 4 月 09 日
フリーメーソン竹中は総務省大臣室にいた。窓の外は霞ヶ関。彼は窓から帝都の空を仰
いだ。この空の下に東京拘置所はある。そこには彼が911郵政民営化総選挙で応援した
ホリホリモンが東京地検特捜部に動物として捕獲されている。フリーメーソン竹中の構造
改革路線はホリホリモン逮捕によって後退するのか? 米国大統領府の経済政策高官が心
配をして暗号化したメールを送信してきたが彼はご心配なくと返信した。政権党のメディ
ア戦略を担当している外資PR会社が提案した戦術は、うまく野党第一党の民主党を謀略
メールにはめこみ、政権党の危機を民主党に転移させるゲームだった。見事に成功した。
「永田議員永田町より永いゲームにはまる」フリーメーソン竹中が頭で描いた川柳である。
東京地検特捜部は歌舞伎町の雑居ビルにあったライブ・デ・ドアのサーバーを押収し、六
本木ヒルズの本社からは百台のパソコンを押収した。保存された電子メールのやりとりを
解析するためであった。そのなかにあったひとつのメールを選び出し、後から偽装メール
であることが発覚できるように捏造し、その捏造メールを工作員が西澤孝にリークした。
口座番号のリークもおまけについていた。
■■■■■■■■■■■■■■■■
X―Sender:■■■■■■■■■■■■■■■■
X―Mailra:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
Date Frl,26 Aug 2005 15;21;35+0900
To:■■■■■■■■■■■■■■■■
From:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
Subject:至急
■■■■■■■
シークレット・至急扱いで処理して欲しいんだけど、おそくても31日
できれば、29日朝までに■さん宛てに3000万円を振り込むように手配して
ください(前回、振り込んだ口座と同じでOK)
項目は、選挙コンサルティング費で処理してね。
■■■■■■■■■■、宮内の指示を仰いで。■■には、こちらから伝えて
おくので心配しないで。
■江掘
敗退の弁、合成酒を飲みながら
どうにか午後3時に、大きな郵便局に応募原稿を窓口に出すことができた。
しかしこれは校正と推敲が不完全の原稿である。
締め切り12月31日当日消印有効で、応募失格には、ならないはすだが
下読みの方が10枚読めば、基本的な日本語が書けない応募者であると
判断されてしまうのは明確だった。
ゆえに、来年からは日本語の「文」、その基礎を独習しなくてはならないと思った。
小説とは糸である。糸を編む作業。
糸を編んだのが布であるが、布を解いても糸は線として存在する。
物語は両手に持つ一枚の布である。そして基軸は糸。
糸がほつれては布を編めない。糸が切れては布を編めない。
糸という線こそが小説の必然である。
それは人間と出来事の偶然を設定する。決定していく。
1+1=2、これが小説の時間論理である。
何故なら小説の人物も年齢を重ねていくからである。
人物の時間の進行を読者は読んでくださる。
過去への進行も時間。
人間と社会の出来事を日本語によって表示する小説は、時間である。
そして場所。人間の関係糸。糸地獄。
小説は読者を牢獄へと誘惑する。牢獄の世界へ魅了する。
記述されたもうひとつの歴史に小説は照明を当てる。
そのとき、人物の時間の経過は厳密であり正確に時を打つ。
時に誤りがあれば、小説は読者に読まれることはない。
読者が糸の誤りを察知すれば、その時点で小説はゴミ箱に捨てられる。
生身の俳優が演ずる舞台は、どうにでもごまかせるが
小説が文と文字において誤れば、読者はそれを捨てる。
読者との糸がそこで切断されるからである。
これが「本」だ。
小説とは「本」という商品へ飛躍かもしれない。
「本」になるためには、厳密と体系からの校正が、格闘となる。
劇場の観客は俳優が台詞を間違っても、席を立って、途中から帰らない。
舞台の俳優の身体は劇の糸であり、俳優に身体が舞台にある限り、劇という布は
「劇的なるもの」をめぐって風を孕む。
しかし小説の身体は、ただ読者の読む行為としての「文」へ没入する進行時間にある。
身体は読者の側に現有している。
おそらく小説とは読者の身体の時間であろう。
ゆえに「本」に従事する人間は校正に全力投入するのであろうか……
日本語という共通言語による原稿が「本」という社会の商品となるために
上部構造がある。
記述された言語が「本」に生成することは、上部構造への挑戦でもある。
言語市場という小説「本」の市場へと飛躍する商品とは社会化される可能性を持つ商品。
小説の「文」とは商品を生成するのだが、そこにおける戦略的部品が
不良品であっては商品が成立しない。不良品を使える部品とするのが校正であり推敲であろう。
小説家のパソコンは小説という「本」を誕生させる工場であるが
手元に国語辞典を置かないと、市場の商品として飛躍する製品に生成する部品を作れない。
「文」とは部品であり糸である。
いずれにしても書きながら自己学習していくしかながっぺ。
来年から勝負だっぺ。
郵便局にはいっぱい年賀状を出す人が来ておりました。
おら、その風景、もらったんべ。いいシーンだんべ。
紅白歌合戦よりも、郵便局の方が大晦日の雰囲気が出ているっぺ。
男は大晦日の中央郵便局の窓口に年賀状を出しにいった。
そこで出会ったのは女だった……男と女は明日年が越える街を歩いていった。
「故郷に帰らないか?」男が聞いた。
「……」女は黙っていた。女のコートが冬の風に踊っている。
街は生活者が往来し、家族連れが目立った。
男は女の手を握った。
「ふたりで年を越さないか?」
女は黙って、うなづいた。
さぇてぇとぉ、これから飯を食って、12月31日、夜の街、人間様の群像を
すこし観察してくっぺ。小説のネタはやっぱ、テレビじゃなくて、街の群像だっぱ。
12月31日は、やっぱ、雰囲気あるわぁ。なんでだんべぇ……、過去と望郷があるんだんべか。
やっぱ、なんか郷愁がただよっているんだわぁ。
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真夜中、新年の参拝、神社めぐりをしてきた。
塩釜神社で甘酒と豚汁をごりそうになった。
おいしかった。
接近してきた。
韻文から散文への領域へと脱出できたと思う。
長編小説は一冊の本、その物量ボリュームテキスト原稿を
応募するということである。
ダイナミックであり膨大な時間が労働力として投影される。
虚構であるが、読者に虚構の匂いを嗅がせないようにしていく。
膨大な資材で、家を建築する作業である。
東京戯園館
工藤丈輝×若林淳 「虚空華」
虚空華
工藤丈輝と若林淳(大駱駝艦)の共演によって、未聞の花が咲く!
齋藤徹によるサルプリと身体のコラボレーション。
■工藤丈輝 若林淳(大駱駝艦) 齋藤徹
■スタッフ
舞台監督 真嶋大栄
照明 鈴木洋次
装飾 湯澤幸人
衣装 伊丹路恵
宣伝美術 川村格夫
制作 東京戯園館
松岡真弥
協力 元藤がら
望月泰江
とりふね舞踏舎
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昨日、若き舞踏者、工藤丈輝さんと若林淳さんの舞踏をみてきた。
劇場は神楽坂だった。
工藤丈輝さんと若林淳さんとは、1996年、藤沢で
共演させていただいた。
あれから9年がたった。
いま自分は舞台から身を引き
小説で勝負しようとしている。
舞台を手伝いたいが
まず、小説を構築できる原点を確立しないと
すべてが中途半端になってしまう。
小説のほうは、どうにか52枚になった。
あと250枚以上、書かなくてはならない。
小説の「文」とは、カメラワークでもあると思った。
「文」がカメラとなり、被写体を切り取っていくのである。
50枚を越えたら、リズムが出てきた。
これからである。
今月中の100枚を書けたらと思う。
十二月三十一日まで、300枚以上……
オリジナルを作る、苦しい。
でも、やる。