嵐(オルーヤ)作戦記念式典、クロアチアとセルビア
Dobry vecer!
エリシュカです。
8月4日、クロアチアにおいて、クロアチア内戦の決をもたらした1995年の嵐作戦の記念式典が首都ザグレブと当時のセルビア人勢力の「クライナ共和国」の首都であったクニンで行われました。
http://www.b92.net/eng/news/politics.php?yyyy=2015&mm=08&dd=05&nav_id=94991
セルビアの報道ではクニンの式典のほうではウスタシャ賛美色が強かったと書かれていますが、セルビア側もこの件については感情的になっておりこのあたりは差し引いて見るべきかと思います。
http://www.b92.net/eng/news/region.php?yyyy=2015&mm=08&dd=05&nav_id=94992
クニンではクロアチアを独立させ内戦終結までこぎつけた当時のフラーニョ・トゥジマン大統領の銅像が建立されました。
この戦争は20年前に終わったものであり、当時の状況は錯綜していてつかめにくいと思いますので、現在のウクライナの状況に例えて説明すると、
「停戦合意後、西側の援助でいつの間にか軍事力を強化したウクライナ軍が東部のロシア系分離地域に大規模侵攻し現地のロシア人がほとんど難民として国外流出し民間人の死者も大量に出て、それで個別的犯罪行為以外お咎めなしになってるようなもの」
というものです。
今のロシアならプーチンが黙っていないでしょうが、当時のクロアチアとボスニアのセルビア人はミロシェヴィッチに見捨てられていました。
あれほど彼らの持つ恐怖心と憎悪に強く訴えるプロパガンダを行い戦争に駆り立てたにもかかわらずです。
私はミロシェヴィッチはセルビア民族主義を単に立身出世・権力維持の道具として見ていなかったという考えを変えていません。
ただ、ミロシェヴィッチのこうした姿勢は、この嵐作戦の後のデイトン合意が成功裏に終わり、クロアチアとボスニアの内戦が終結した最大の要因となりました。
この嵐作戦は西側諸国の援助で強化されたクロアチア政府軍によって行われ、ウクライナのたとえで書いたように大量のセルビア人難民と民間人の死者を発生させ、このことは民族浄化とも見られました。
しかし最終的にハーグはクロアチアには国家レベルで民族浄化を行う意志はなかったとし、以前から書いていますように指揮官のアンテ・ゴトヴィナは無罪放免になって帰国しています。
この戦争はクロアチアにとっても西側諸国にとっても必要なものでした。
当時セルビア人の支配地域はクライナ地方だけでなく西スラヴォニアと東スラヴォニアにあり、
穀倉地帯であるスラヴォニアに占領地を作られ、また幹線道路も使えない状況であり、
また「クライナ共和国」の「首都」クニンは、クロアチア経済の牽引車であるダルマツィアの海岸地方の各観光地へのハブの位置にあり、国家経済的に是非とも「奪還」する必要がありました。
またクロアチア・ボスニア戦争をバランスオブパワーの原則で終わらせようとする西側諸国にとってもクロアチアにセルビア人の支配地域があることは容認できないものでした。
セルビアでは逆に嵐作戦の犠牲者のための追悼式典が行われました。
正午になるとベオグラードの教会の鐘とサイレンが鳴り、国民は黙祷をささげました。
http://www.b92.net/eng/news/society.php?yyyy=2015&mm=08&dd=05&nav_id=94988
この二つの式典とそれに関連する政治的リーダーの発言を見るに、それぞれ自分たちの被害のみを言い立て、相手側の被害については言及していません。
今回はセルビア側が被害者というスタンスでこの件を捉えていますが、
クロアチアのセルビア人の占領地クライナ、西スラヴォニア、東スラヴォニアは平和裏に設立されたのでは無論ありません。現地のクロアチア人住民に対する民族浄化を経て設立されたものです。
さらにこの嵐作戦後ボスニアとセルビア本国のクロアチア人に対し報復行為が行われました。
ただ、まあ、こうしたことはバルカンの諸民族に共通して見られるものであり、バルカンならどこでも見られるトルコ式コーヒーと同じようなものだと諦観しています。
要するに90年代のあの戦争は第二次大戦で生起した民族紛争で生じた恐怖心と憎悪の再生産であり、
また紛争が起きる要因が整えば再び戦火を交えるのだろうし、そしてまた先の内戦でそうなったのと同じように憎悪と復讐心が更新され、そうやってあそこの昔から変わらない歴史が今後も続いていくのでしょう。
私は、クラウゼヴィッツが言うように戦争は政治の一部であり、戦争と平和の区別は単に政治的角逐が武器を持って行われるか否かの違いによってのみなされると考えています。
バルカンではこの「政治」は「民族間の角逐」です。
我々にできることは、紛争の根本的解決などではなく、平和な期間をできるだけ伸ばすにはどうしたらいいか、仮に戦争になってしまった場合はできるだけ被害を出さず速やかに解決させるにはどうしたらいいかを研究し、実行していくしかないと思っています。
今日はこんなところでしょうか。
それでは、Na shledanou!
---------------------------------------------------------
管理人への執筆依頼などはこちらの連絡先でお受けいたしております。 http://seeuro.com/?page_id=10