露にとってのセルビアの重要性、西側にとっての危険性、大局的に
Jó estét.
エルジェーベトです。
今回は、エリシュカが書いたひとつ前のエントリについて、より大局的に。
バルカンの民族問題の構造を把握している人には、セルビアとセルビア人に対し露が影響力を持っていることの危険性はよく理解できる。
これはポーランドの研究所OSWが発表した、Russia in Serbia – soft power and hard interests という論文。この問題についての論文でもっとも簡潔でよくまとまっている。
http://www.osw.waw.pl/en/publikacje/osw-commentary/2014-10-29/russia-serbia-soft-power-and-hard-interests
今回はこれを見ながら私の見解を述べたいと思います。
まず押さえておかなければならないのは、ロシアが影響力を保持しているのはセルビア本国だけではない。ボスニアのスルプスカ共和国とコソヴォのセルビア人に対しても。
コソヴォのセルビア人に対しての露のアプローチについては、以前のエントリでも触れています。たとえばこれ。
http://crnogorac.blog117.fc2.com/blog-entry-62.html
このときはコソヴォのセルビア人はロシアに対しロシア国籍の取得のための嘆願書を提出しています。
http://www.balkaninsight.com/en/article/russia-reviews-kosovo-serbs-request-for-citizenship
彼らにとってロシアの存在は予想以上に大きいものです。
これは、セルビア本国のセルビア人で西側に不満を持つ者たちと通じるものがあります。
90年代のユーゴ内戦の歴史を覚えている方にはわかりづらいでしょうが、セルビア人には常に被害者意識があります。
まあこれは、セルビア人だけでなくバルカン半島の民族に共通している心理的現象。
あそこに行けばどの民族も何かしら歴史的「不満」を持っている。
少なくともミロシェヴィッチなど腹黒い国家指導者などは除外できるにしろ、彼らにとってセルビア人のこの感情は道具として使い勝手がいいもの。
90年代のクロアチア内戦に連邦軍が参加した大義名分は、クロアチアの民族主義政権により「弾圧」されているクロアチアのセルビア人ディアスポラを「悪しき」クロアチア政府から守るというもの。
ついでながら、セルビア人には欧州の防衛者、具体的には欧州のためにイスラムと戦ってきたという意識もある。
コソヴォの戦いはこの文脈でも語られる。
こうした心理状態でクロアチア内戦に突入した際、気が付いたら世界の悪者扱いされていたことを自嘲して、当時のセルビアでは「セルビア語を話せ、全世界がわかってくれる!」というジョークがあったという。
ともあれ、こうした心理状態において、1999年にNATOに空爆され、その結果としてコソヴォには独立され、ミロシェヴィッチはハーグで死亡した。
先日プーチンがセルビアを訪問した際、「プーチン! NATOからセルビアを守って!」という横断幕があったという報道があった。
こうした西側不信は、クロアチアとアルバニアのNATO加盟とクロアチアのEU加盟によって増幅されていると思われます。
ムラディッチと並ぶクロアチア側の戦争犯罪容疑者ゴトヴィナが無罪放免されたのは、司法判断なのでそれ自体にはどうとも言えませんが、セルビア政府からは不信が向けられていました。
こうした風潮の中、セルビア正教会もロシアに接近しています。
セルビア大主教イリネイは7月下旬のモスクワ訪問でコソヴォ問題におけるロシアのサポートの重要性を訴えたが、
http://www.kurir.rs/irinej-kod-putina-nadamo-se-u-boga-i-rusiju-clanak-909257
こうした思惑とは別に、ロシアの正教会のように西側文化に対する反感もあるようです。
話がそれましたが、ロシアの影響力はスルプスカ共和国に対しても同じで、同共和国のドディク大統領は、今年9月にモスクワを訪問しただけでなく、プーチンのセルビア訪問時にもベオグラードに来ています。
http://eng.kremlin.ru/news/22969
さらに南ストリームの件やロシアとの経済関係もあります。
こうした状況下で、セルビアとコソヴォ、さらにアルバニアとの関係改善は一向に進んでいないどころか、先のアルバニアのラマ首相の「歴史的」セルビア訪問はコソヴォ問題に対する両者の対立をさらに激化した様相があります。
ラマ首相は帰国途上のコソヴォで、大アルバニアの旗を振る一団のところでわざわざ車列を止め握手をしています(動画あり)
http://www.rts.rs/page/stories/ci/story/1/%D0%9F%D0%BE%D0%BB%D0%B8%D1%82%D0%B8%D0%BA%D0%B0/1748021/%D0%A0%D0%B0%D0%BC%D0%B0+%D0%BD%D0%B0+%D0%9A%D0%BE%D1%81%D0%BE%D0%B2%D1%83+%D1%83%D0%B7+%D0%B7%D0%B0%D1%81%D1%82%D0%B0%D0%B2%D1%83+%D1%81%D0%B0+%D0%BC%D0%B0%D0%BF%D0%BE%D0%BC+%22%D0%92%D0%B5%D0%BB%D0%B8%D0%BA%D0%B5+%D0%90%D0%BB%D0%B1%D0%B0%D0%BD%D0%B8%D1%98%D0%B5%22+.html
そのほか、今年は1924年のユーゴスラヴィア王国時代のサンジャクでのボシュニャク人虐殺の記念関連で動きがあります。
ボスニア国内も根っこでは安定しているとは言えません。
さらに、これは民族対立には結び付きがたいとは思いますが、セルビア人とセルビア語の地位についてモンテネグロ国内で議論があります。
この時期に問題をややこしくする可能性があるのが、ヴォイスラヴ・シェシェリの帰国です。
これは、次のエントリでエリシュカが書きます。
それでは、今日はここまでです。
köszönöm. Viszontlátásra.