サンジャクの自治要求
Picka ti materina!
アーニツァだ。
今回は、コソヴォ同様セルビア国内において不安定の核の一つになっているサンジャク情勢だ。
サンジャクについて、またどのような状況になっているかについては前のエントリを見て欲しい。
まあ簡単に言うと、サンジャクとはセルビアとモンテネグロに折半されている帯状の地域で、
コソヴォ北部とボスニア東部に挟まれる。
住民はボシュニャク人(彼らがどこから来たかは説明すると複雑なので省略するが、彼らはボスニアのボシュニャク人に対し共感を持っており、こう自称している。)が多い。
出典:WIKIPEDIA
前回、この地域でボシュニャク人が二つ(ジュコルリッチ派とジルキッチ派)に別れ、暴力事件が起きていることをお伝えした。
そうした暴力事件はその後も続いた(2008年)が、
事態はジュコルリッチによるサンジャクの自治権要求にまで発展した。
繰り返すが、サンジャクには二人の政治的リーダー、スレイマン・ウグリャニンとラシム・リャーイッチがいる。
もともとサンジャクの政治的リーダーはウグリャニンだったのだが、彼の急進的思想に反発してリャーイッチが反対勢力となった。
政治的つながりは、
ウグリャニン - ジルキッチ と、
リャイーッチ - ジュコルリッチ となる。
ウグリャニンはミロシェヴィッチ体制崩壊後サンジャクに戻り、中心都市ノヴィ・パザールの市長となっていたが、
2008年より現在までセルビア政府の無任所大臣となっている。
一方のリャーイッチは、ミロシェヴィッチ体制崩壊後からずっと内閣のメンバーになっている。
当然のことながら、彼ら二人は入閣後も対立していた。
だが2009年1月24日、この二人はサンジャクの情勢悪化を受け、タディッチ大統領の仲だちで和解の誓約書にサインをした。
こうした中で、サンジャクのボシュニャク人の諸グループが対立しながらも、ジュコルリッチのサンジャク自治要求は先鋭化していく。
現在ウグリャニンもリャーイッチも事態の沈静化に努めているが、現在どこまで影響力が残っているのかは不明だ。
私の考えでは、サンジャク全体が一つにまとまって自治権獲得に突っ走る可能性は低い。
ボシュニャク人同志の対立が根深い上に、サンジャクの東部ではセルビア人の人口のほうが多く、地域全体のコンセンサスは得がたい。
しかし、問題はサンジャクの地域内での混乱が深化することだ。
ジュコルリッチは未だ先鋭的なスタンスを崩していない。
そして、問題なのは、この地域がコソヴォ北部と隣接していることだ。
ここのボシュニャク人とコソヴォのアルバニア人が連携しているわけではないが、将来そういうこともある可能性があるし、またそうならなくともサンジャクとコソヴォで危機・混乱が並行して進んだら、事態の収拾は困難になるだろう。
それでは今日はここまでだ。
次回はコソヴォだ。
Laku noc i Do vidjenja!
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