日本思想史新論/中野剛士
現在の日本を巡る状況は非常にきな臭い状態にあります。
戦後ずっとこの国にはびこった平和論の1つには、日本さえ軍備を持たなければ、日本さえ軍事的行動を起こさなければ、それだけで平和は保たれるというもの、少なくとも日本が戦時中迷惑をかけたアジアの平和は保たれるというものがあります。
これが、とんだ机上の空論も空論であり、空論というよりも誇大妄想というのに相応しいくらい現実と乖離している事は、学力が底辺の私にも分かります。
日本さえ何もしなければ、世界平和になっているかなんていうのは、日本にとっての戦後直後からあっさりと復されていますし、規模の大小を問わなければ世界的に戦乱がどこにも起きていない時期を探すとなると、隙間を探すようなものになるでしょう。
その中に、日本が積極的に戦争を仕掛けた物があったか?当然皆無ですね。
そして、今現在日本は軍事力をちらつかせて攻撃的な態度をとっているわけでもなんでもなく、戦争の当事者となってもおかしくない(戦争になって欲しいなんて微塵も思っていないですけどもね)状況になっています。
この現状と、戦後蔓延した平和主義者の考える現実との乖離っぷりは一体なんでしょう?
簡単に言えば、現実と理想をごちゃまぜにして、現実を見ることなく、理想の方が正しく現実が間違っているというような、視野の狭い偏狭な思想に囚われていたという事なんでしょう。
現実と机上の論理が乖離する事など、いくらでもあります。
社会科学系の理論は、理論としてまとめるために、複雑な現実社会のうちで複雑すぎる部分をとりあえず横において考えて理論作りをするものだったりします。
それによって、すっきりとした理論を作る事が出来るのですが、問題は、その理論がきれいにまとまりすぎると、これこそがあるべき姿として絶対視し過ぎる事にあると思います。
理論上正しい事と、現実に正しい事、似て非なるものであるという前提条件を忘れてしまうと、理論と現実との乖離がどんどん進んでしまい、どうしてこうなった?という惨状になってしまう事はよくある事ですね。
一応私でも理解できる分野として、経済学の考え方の1つとして、市場に任せておけばそれですべてが上手くいくという市場原理主義というのがありますが、それを成り立たせるための多くの条件があるにもかかわらず、何でもかんでも規制を取っ払って市場に任せればどうなるのかというと、現在の世界的大不況へと誘ったと言っても過言ではないでしょう。
こういった例も極端ではありますけどもね。
日本の開国論というものがあり、それは日本は開国する事によって、進歩し明るい社会になり、開国前は暗くて閉鎖的で非論理的であったとする考え方であると。
机上の空論と現実との乖離という事にぴったりと当てはまるのがこの開国論であるというのが本著になります。
そもそも、日本は開国しなければ果てしなくダメな社会であったかと言うと決してそうではなく、むしろ平和主義であり、平和を維持するために日本にとって有害だと思われる思想(キリスト教等)を排除するなど、非常によく考えられていたと。
また、最初の開国とも言える、明治維新の頃の尊王攘夷というのも、狂信的なナショナリズムが出発点では決してなく、それが狂信的な部分だけ取りあげられていると、尊王攘夷の本来の意味にスポットライトを、特に水戸学に力点をおいて説明しています。
正直、私は思想史という物について詳しくないので、元来の取り扱われ方と、それを間違いであるとして本著が取りあげるスタンスと、判断しきれるほど詳しくはありませんが、それでいて納得しやすいものが多くありましたね。
現在の日本の問題、主にマスコミが喧伝するような社会論は現実と机上の論理との乖離っぷりが激しく感じられるわけですが、ここで扱われているものは現実と論理の乖離っぷりを放っておく事の害悪、これが繰り返されている当たり納得しやすいと。
今の日本の閉塞感の打破と日本と言う国家の維持のためとなると、やはり尊王攘夷思想の現代的な見直しと応用ではないのかと思わずにはいられないですね。
そして、改めて福沢諭吉に関してはどんどん思想の流布を必要とするかなと。
私はさらに福沢諭吉に心酔しやすいように、すかし入りの福沢諭吉ブロマイドが大量に欲しくなったり。
第1章 消された系譜 古学・実学・水戸学
1 開国イデオロギーの呪縛
「開国物語」とは何か
構造改革の無残な結果
TPP参加という誤りまで引き起こす
2 開国までの歴史
誤解されている鎖国
本当の鎖国はレザノフ来航以降
攘夷としての維新
3 会沢正志斎の『新論』
『新論』の先駆性
『新論』の戦略性
『新論』の論理性
4 実学から尊王攘夷へ
尊王攘夷の源流
朱子学の思考様式
朱子学と合理主義
プラグマティズムとしての尊王攘夷
第2章 伊藤仁斎の生の哲学
1 尊王攘夷の導火線
2 解釈学
血脈と意味
人倫日用
3 生の哲学
「道」とは何か
四端の心
下学上達
活動理と中庸
4 仁義の政治哲学
愛の問題
義の問題
仁斎を巡る誤解
5 仁斎におけるナショナリズム
愛国心としての仁
仁義における「日本」
第3章 荻生徂徠の保守思想
1 徹底したプラグマティスト
2 方法論
実践哲学
歴史哲学
3 政治哲学
制度論
礼と義
公と私
4 政治における「聖なるもの」
丸山眞男の徂徠解釈
反合理主義
天命とは何か
5 政策論
江戸の経済問題
徂徠のマクロ経済政策
土着の意味
第4章 会沢正志斎の自由主義
1 古学が生んだ戦略家
2 古学と水戸学
正志斎の愛の思想
自然か作為か
ナショナリズム
3 国内改革
邪説の害
武士土着論
4 水戸学の悲劇
正志斎の保守性
ナショナリズムの過激化
第5章 福沢諭吉の尊王攘夷
1 実学を重んじたナショナリスト
2 福沢諭吉の国体論
国体論と文明論
金甌無欠の国体
「国体」と「政統」の区別
皇統の連続性
3 文明論と尊王攘夷論
福沢の攘夷論
福沢の尊王論
キリスト教に対する態度
国民の「気力」
4 ビジョンの力
戦後ずっとこの国にはびこった平和論の1つには、日本さえ軍備を持たなければ、日本さえ軍事的行動を起こさなければ、それだけで平和は保たれるというもの、少なくとも日本が戦時中迷惑をかけたアジアの平和は保たれるというものがあります。
これが、とんだ机上の空論も空論であり、空論というよりも誇大妄想というのに相応しいくらい現実と乖離している事は、学力が底辺の私にも分かります。
日本さえ何もしなければ、世界平和になっているかなんていうのは、日本にとっての戦後直後からあっさりと復されていますし、規模の大小を問わなければ世界的に戦乱がどこにも起きていない時期を探すとなると、隙間を探すようなものになるでしょう。
その中に、日本が積極的に戦争を仕掛けた物があったか?当然皆無ですね。
そして、今現在日本は軍事力をちらつかせて攻撃的な態度をとっているわけでもなんでもなく、戦争の当事者となってもおかしくない(戦争になって欲しいなんて微塵も思っていないですけどもね)状況になっています。
この現状と、戦後蔓延した平和主義者の考える現実との乖離っぷりは一体なんでしょう?
簡単に言えば、現実と理想をごちゃまぜにして、現実を見ることなく、理想の方が正しく現実が間違っているというような、視野の狭い偏狭な思想に囚われていたという事なんでしょう。
現実と机上の論理が乖離する事など、いくらでもあります。
社会科学系の理論は、理論としてまとめるために、複雑な現実社会のうちで複雑すぎる部分をとりあえず横において考えて理論作りをするものだったりします。
それによって、すっきりとした理論を作る事が出来るのですが、問題は、その理論がきれいにまとまりすぎると、これこそがあるべき姿として絶対視し過ぎる事にあると思います。
理論上正しい事と、現実に正しい事、似て非なるものであるという前提条件を忘れてしまうと、理論と現実との乖離がどんどん進んでしまい、どうしてこうなった?という惨状になってしまう事はよくある事ですね。
一応私でも理解できる分野として、経済学の考え方の1つとして、市場に任せておけばそれですべてが上手くいくという市場原理主義というのがありますが、それを成り立たせるための多くの条件があるにもかかわらず、何でもかんでも規制を取っ払って市場に任せればどうなるのかというと、現在の世界的大不況へと誘ったと言っても過言ではないでしょう。
こういった例も極端ではありますけどもね。
日本の開国論というものがあり、それは日本は開国する事によって、進歩し明るい社会になり、開国前は暗くて閉鎖的で非論理的であったとする考え方であると。
机上の空論と現実との乖離という事にぴったりと当てはまるのがこの開国論であるというのが本著になります。
そもそも、日本は開国しなければ果てしなくダメな社会であったかと言うと決してそうではなく、むしろ平和主義であり、平和を維持するために日本にとって有害だと思われる思想(キリスト教等)を排除するなど、非常によく考えられていたと。
また、最初の開国とも言える、明治維新の頃の尊王攘夷というのも、狂信的なナショナリズムが出発点では決してなく、それが狂信的な部分だけ取りあげられていると、尊王攘夷の本来の意味にスポットライトを、特に水戸学に力点をおいて説明しています。
正直、私は思想史という物について詳しくないので、元来の取り扱われ方と、それを間違いであるとして本著が取りあげるスタンスと、判断しきれるほど詳しくはありませんが、それでいて納得しやすいものが多くありましたね。
現在の日本の問題、主にマスコミが喧伝するような社会論は現実と机上の論理との乖離っぷりが激しく感じられるわけですが、ここで扱われているものは現実と論理の乖離っぷりを放っておく事の害悪、これが繰り返されている当たり納得しやすいと。
今の日本の閉塞感の打破と日本と言う国家の維持のためとなると、やはり尊王攘夷思想の現代的な見直しと応用ではないのかと思わずにはいられないですね。
そして、改めて福沢諭吉に関してはどんどん思想の流布を必要とするかなと。
私はさらに福沢諭吉に心酔しやすいように、すかし入りの福沢諭吉ブロマイドが大量に欲しくなったり。
第1章 消された系譜 古学・実学・水戸学
1 開国イデオロギーの呪縛
「開国物語」とは何か
構造改革の無残な結果
TPP参加という誤りまで引き起こす
2 開国までの歴史
誤解されている鎖国
本当の鎖国はレザノフ来航以降
攘夷としての維新
3 会沢正志斎の『新論』
『新論』の先駆性
『新論』の戦略性
『新論』の論理性
4 実学から尊王攘夷へ
尊王攘夷の源流
朱子学の思考様式
朱子学と合理主義
プラグマティズムとしての尊王攘夷
第2章 伊藤仁斎の生の哲学
1 尊王攘夷の導火線
2 解釈学
血脈と意味
人倫日用
3 生の哲学
「道」とは何か
四端の心
下学上達
活動理と中庸
4 仁義の政治哲学
愛の問題
義の問題
仁斎を巡る誤解
5 仁斎におけるナショナリズム
愛国心としての仁
仁義における「日本」
第3章 荻生徂徠の保守思想
1 徹底したプラグマティスト
2 方法論
実践哲学
歴史哲学
3 政治哲学
制度論
礼と義
公と私
4 政治における「聖なるもの」
丸山眞男の徂徠解釈
反合理主義
天命とは何か
5 政策論
江戸の経済問題
徂徠のマクロ経済政策
土着の意味
第4章 会沢正志斎の自由主義
1 古学が生んだ戦略家
2 古学と水戸学
正志斎の愛の思想
自然か作為か
ナショナリズム
3 国内改革
邪説の害
武士土着論
4 水戸学の悲劇
正志斎の保守性
ナショナリズムの過激化
第5章 福沢諭吉の尊王攘夷
1 実学を重んじたナショナリスト
2 福沢諭吉の国体論
国体論と文明論
金甌無欠の国体
「国体」と「政統」の区別
皇統の連続性
3 文明論と尊王攘夷論
福沢の攘夷論
福沢の尊王論
キリスト教に対する態度
国民の「気力」
4 ビジョンの力
日本思想史新論: プラグマティズムからナショナリズムへ (ちくま新書) (2012/02/06) 中野 剛志 商品詳細を見る |