タスキーギ梅毒実験(1)/(2)/(3)/(4)/(5)/(6)/(7)
リバーズ看護師を縛っていたもう一つのヒエラルキーがあります。それは医療従事者と医学者の関係です。タスキーギ実験が始まった当時、アメリカ社会における科学者の地位は高く、実験に携わった人の社会的地位を押し上げました。彼女の経歴はその流れに平行して深まって行ったのです。
リバーズ看護師自身は、決して医学研究が理解できるようなそぶりも示さなかったし、研究ということについて、あまり考えることもないと明言していました。彼女は臨床家だったのです。
性的役割も倫理面における彼女の受動性を示しています。看護師はほとんど女性であるし、医学界はアメリカ社会一般同様、男性優位です。
人生初期においては父親が、また、職業の上では大学病院の院長であったディブル医師が彼女の職業上のモデルとなり、また彼女を実験コーディネーターとして個人指名したのもディブル医師でした。上司に当たる人は、全て男性でした。
リバーズ看護師は、被検患者を守るためには、時には、医師と口論するのを厭わなかったこともありましたが、このほとんどのケースは、そのような状況下ではそうするよう、もともと指示されていたからでした。
最後に、人種の問題がありました。
彼女は黒人で、実験を仕切っていた医師たちは白人でした。医学・医療界は白人優勢です。
彼女は、黒人男性のみが選別され、組織的に騙されウソをつかれ、治療を拒否され、そしてそのうちの多くは、梅毒のために亡くなったことを知っていました。それでも彼女は、実験が人種差別であるとは考えていませんでした。彼女には、実験が人種差別であるということに対する否認(ディナイアル: denial)があったのです。
否認とは、受け入れがたい事実に直面しなければならない時に、その事実の存在を認めない、無視することによって、無意識的に心理的葛藤を和らげることで、心理的自己防衛機制のひとつです。
歴史学者のジェームス・H・ジョーンズは、この否認を説明する最大の理由として階級意識をあげています。
彼女が直面するジレンマは、実験にかかわる全ての黒人のプロフェッショナルに共通するものでした。
タスキーギ梅毒実験では、長いこと科学にも医療にも無視されてきた黒人に、科学研究に対する情熱と公的資金が注がれた一方、実験の枠組みそれ自体が、病気の研究ではなく、白人と黒人は医学的に異なることを証明しようとする、人種差別を強化するための病人の研究であったのです。
リバーズ看護師と実験被検患者である男性達の間には、社会的格差が存在しました。
この社会的ギャップが、黒人は白人とは異なるということを証明する試みが暗示するものに対して、彼女の感受性を鈍らせたのです。
階級意識は、看護師という専門職についているという意識によって強化され、彼女や他の黒人専門職者を、白人研究者の側に置いたのです。
社会階級を上昇しつつある黒人にとって、黒人がまたもや白人とは違うと言うこと証明することに、個人的に脅威を感じることはなかったのです注)。
そうは言っても、彼女は命じられた範囲の制限内で出来るかぎり、誠心誠意、被検患者に尽くしました。被検患者は全て、自分たちに注がれる彼女の献身を、感謝の念を持って好意的にとらえていました。
リバーズ看護師個人は、民事でも刑事でも告訴されてはいません。
さて、ここで再び改めてお聞きします。リバース看護師の取った行動について、どうお感じになられましたか?
注)この辺ちょっと、ジョーンズの、アメリカの学識者に多いと言われる、左翼がかった態度を感じます。私の個人的経験では、医学、遺伝的には人種の違いはあるというのが実感です。実際に社会的に成功した黒人が、そうでない黒人の、無知や、犯罪と暴力に支配される極貧層のすさんだ生活振りを改めようともせず、差別のせいにして社会から恵んでもらう権利があって当前としたり、逆差別をすることに同調するとしたら、そちらの方が反社会的行動であろうと思います。