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海螢の昼行燈 -To be determined-

2010年06月

28 6月

Your mouth is wired shut.

自宅の入っているビルの階段の踊り場で、半同棲状態のガールフレンドが、他の男と話をしているのを見て、逆上した男が、女性と話をしていた男を殴ってボコボコにしたところ、今度は殴られた方の男が恨みに思って、どこからか拳銃を調達し、仕返しに、殴った男の左のこめかみ付近に一発お見舞いしました。

 

弾丸はこめかみの下部から、斜め下方に向かって進み、顎を砕いて喉(のど)を貫通して出て行きました。おかげで脳味噌は無事だったのです。

こうして幸運なことに、撃たれた男は、脳損傷によって死んだり廃人になることをまぬかれました。

 

そのかわりに、形成外科医と脳外科医は、顎を整復して、金属のワイヤーで上下の顎を閉じ付け、砕けた顎の骨がくっつくまで、動かないよう固定しました。”Your mouth is wired shut.” です。口が開けられません。

 

喉の方は、呼吸のための気道を確保するために、気管切開され、気管チューブが差し込まれました。気管切開は、声帯の下方でなされるので、空気は声帯を通過せず、声が出せません。

首には念のために、頚椎損傷用のカラーを装着しています。

 

口から食べたり飲んだりすることは不可能なので、腹に穴をあけ、胃の栄養チューブの設置が、顎と喉の手術時に同時に行われました。

 

患者さんは、外傷時の状況から察しがつくように、マッチョ系の筋骨隆々たる男性で、黒人でした。手術後間もなくのため、見た目はアンドロイドみたいですが、アタマははっきりしているし、首から下は栄養チューブが腹から突き出してるほかには異常なく、点滴台に流動食のバッグをぶら下げて、ゴロゴロ押しながら歩ける状態にまで回復していました。

 

その頃、夜勤の看護師さんに、身長150センチもないような、20代後半か30代前半ぐらいの小柄なフィリピン人女性がいました。

ある朝、このコワモテ系のおっさんが、ふるふるしながら、2度とそのフィリピン人の看護師を自分につけてくれるな、と訴えたのです。

痛み止めを頼んだのに、いつまでたっても薬をよこさず、おまけに極端に無礼だったというのです。

 

その夜、痛み止めは、処方された上限の半量だけ投与されていました。フィリピン人の看護婦さんは、麻薬系の痛み止めなので、中毒を心配して投与量を加減したと言い訳をしました。

術後の痛みがあるし、身体の大きい患者さんなので、処方の痛み止めの量には問題がなく、処方通り投与して良いことが、改めて彼女に説明されました。

 

無礼だったかどうかの事実はさておき、身動き可能で怒ったら何するかわからないような、こんなコワイ系のおっさんに、そこまで強気に出るわ、オーダーは無視するわ、この小柄なフィリピン女性の神経の図太さに、びっくりしました。

 

しばらくして、このフィリピン人の看護婦さんは、夜間せん妄の患者さんから、暴行を受けたか、ほとんど受けかかったという話を聞きました。実際、本当に怪我をしたわけではありません。このときの患者さんは、クリプトコッカス髄膜炎という、真菌(カビの一種)による重症の髄膜炎の回復期で、その病棟では、それまで夜間せん妄状態になったことは一度もありませんでした。患者さんは西アフリカにあるシエラレオネからのアフリカ人移民で、英語も上手で、病気になる前は米国でソーシャル・ワーカーとして働いていました。母国では高学歴で、非常に折り目正しい人でした。

 

私は、ふうんと思って聞いていました。

 

米国にはフィリピン人の看護婦さんがたくさんいます。フィリピン人女性は小柄で美人が多いことで有名ですが、看護婦さんとしては、結構神経が荒いというか、キツイ人が多いような気もします。

でも、彼女らがどうというより、日本の看護婦さんが特別に優秀なのです。優しいし、気は利くし、看護師としての専門技量も大変優れています。看護師と医師の技術は本来別ですが、状況によっては医師をしのぐといっても良いほどの腕前の人もみかけます。

逆に看護技術において看護師をしのぐ医師というのは存在しません。

 

その大変優れた仕事内容の割には、日本の看護婦さんは、私の知る範囲では非常に粗雑に扱われていました。やりたいと思う人がいなくなっても不思議ではありません。

 

日本ではサービスを提供する人、受ける人の態度は相補的関係で、サービスを供給する時には、奴隷のようだが、受ける側になるとモンスターに豹変するということをいう人がいます。

 

ところが私の知りあった日本の看護婦さんは皆、職場で優秀な人は、立場がどう変わっても、いつも他人への気配りを忘れず、親切でやさしくて立派な人ばかりで、そのような裏表などありませんでした。

 

最近では、日本人で看護師になりたい人がいないなら、外国人看護師の受け入れをすればいいじゃないかという発想のようですが、これほど要求水準が高くて、報いが少ないと、

1.    定着する人が出てこない。

2.    短期間で大量に外国人採用。マジョリティーが外国人看護師になり、看護の文化が変わる。

1.だと看護師不足は解消されない、2.だとサービスの質が外国並みに低下する、ということになります。

 

外国人労働者絶対反対とまでいう気はありませんが、やっぱり、人間評価されないとやる気なくなりますから。

 

そして、仕事を通じて社会に役立とうなどという殊勝な考えの人が多い日本のような国は、たぶん世界のどこにもないんだと思います。仕事とは、お金のためにイヤイヤするものというのが世界の常識です。それなのに、それ以上にやる気のある人まで耐えられないほどの厳しい環境を作って、人手不足、必然的に質の低下、最後に自分が身動きできなくなった時には、質の高いサービスは、もはやどこにもないという状態がやって来るのかもしれません。

まるでYour mouth is wired shut. 

不自由です。

 

やはり、お客様は神様とふんぞりかえるのではなくて、

 

「素晴らしいサービスをありがとう」

 

がいいですよ。看護師をやろうと思う人が増えるかもしれませんし、

これなら外国人にも通じます。

26 6月

ナチス人体実験

医学部の学費は値上げすべきだ  井上晃宏(医師) : アゴラ

ナチスの人体実験に、氷水に人を浸(つ)けておいたら、どのような反応がみられるか、というのがある。ナチスが、ユダヤ人被験者に苦痛を与えたのち殺害した方法の一つである。

 

今では、たとえ動物実験でも、このように苦痛を与えて最後には死なせてしまうことはしないのが常識である。

 

ところで、この残虐な人体実験のデータは、冬の海で起こるような、氷水による溺水事故の犠牲者の診断治療に有用である。溺水時の状況がわかれば、脳損傷がどの程度で、どれだけ回復できる見込みがあるのか予測でき、どの程度のどんな治療をすべきなのか、無駄なく判断できるからである。

大変、合理的・効率的に医療に貢献するではないか。

 

しかしここに、倫理の問題が生ずる。

 

このナチスの人体実験データを、実際の医療に利用してよいものか?


という問いである。


この問いについて、第二次世界大戦以来、現在でも論争中である。

 

ある人は、このデータから得られる知識を広く普及してこそ、犠牲者が浮かばれるといい、

 

別の人は、そのような実験を強制され殺された側からしてみれば、そのデータを一般に公開し利用することは、筆舌に尽くしがたい他人の苦しみと人命を、別の者が踏み台にして利益を得ることであり、そのような考えは、到底許されるべきことではないという。

 

この問題は、溺水患者の治療にあたる、現場のひとりの医師の経験や価値観による判断で、決められる問題ではない。

 

このように、医療行為とは、池田信夫氏が、”医者はオペレーター”といわれるように、研究開発や、医学そのものでもなければ、一医師個人の価値観・倫理観の範囲で、医学知識を利用して行われるものではない。
多方面における状況を考慮し、その地域における社会規範が認める”一定の基準”に従って行われるものである。
理系君でもなければ文系君でもないのである。内科系はむしろ文系に近い。


だから多くの国では、外国で何年経験があろうとも、医学知識のレベルで外国人に医療行為を許可するようなことはしない。
外国人医師など全く認めないか、外国人医師もその他の医療従事者も、現場で実習訓練の上、試験で知識を問うという手続きをとっているはずである。

 

また先進国で、医学部を設けず、試験だけで医師免許を出す国はあるだろうか?

 

日本の医学部は、それほど遠くない昔(1990年代?)、2年間の一般教養と、それに続く、4年間の専門課程から成っていた。現在は、1年生から専門課程である医学を学んでいる。

 

もし医学部に入るために高い偏差値が要求され、他の分野で活躍すべき秀才まで無闇に医学部に進学するような状況があるとしたら、かつて4年で学べた専門過程を、現在6年間に繰り下げてカリキュラムを組む必要が、どうして生じたのか?
自分で
1週間もあれば読める本を勉強してマスターできる内容なら、なぜ今そんなことをしているのか?

 

6年間特定の場で、専門家に囲まれて集中して勉強できる環境というのは、極めて効率的な制度である。長い目で見れば、少しずつあちこちから情報をかき集めて自分で勉強するより、時間・経済的にも、これ以上効率を上げることのできる方法はないのではないか?

[読後の自習問題]

  1. 医学部を廃止して、ペーパー試験で自習により一人前の医師ができる、その方が、合理的、効率的で社会還元性が高いと考える人は、どうしてそう考えるのか、その根拠は何でしょう?
  2. お金さえ払えば学力とは無関係に医学部に入れるという制度改革は、現在以上に、日本の医療レベルとその経済効率を押し上げますか?

 

http://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/Judaism/naziexp.html

 

24 6月

日本人と元号

元号を廃止してほしい  井上晃宏(医師) : アゴラ

日本人が元号を捨てるのは、日本人が天皇家の存在を認めなくなるときだと思う。

 

明治維新で陰暦から太陽暦に変えた時に、それまで農業を中心とする陰暦にフィットしていた生活と太陽暦との不一致でかなりの不便があったが、いずれ慣れた。

 

国際化ということで、簡便・便利さを追い求めるなら西暦一辺倒も良いだろう。

 

ところが、中国を筆頭に、アジアでもまだ陰暦を使って新年を祝う国はたくさんある。

 

暦ではないが、アメリカのような新興国でも、長さや重さをはかるのに、メートルやキロでなく、フィートやポンドを使っている。強い国は外国のことを気にする必要がないとでもいうかのごとく、メートルやキロになど見向きもしない。

 

ヨーロッパ先進国では階級がまだ残っているし、都市化にも慎重で、昔ながらの風景や田園の存在を大切にしていると聞く。

 

日本の都市建築は、主にアメリカ西海岸を真似たものである。

 

東部のニューイングラントや、ペンシルバニア、ニュージャージーなどに行くと、重厚な石造りの建築物をよく見かける。また生活様式も保守的で、にもかかわらず、アイビー・リーグに代表されるように、アメリカで最も文化的に洗練された地域でもある。

他にはアーミッシュのように前近代的生活を固持している人々すらある。最近アーミッシュには、一般米国人より癌の発生が少なく健康なことがわかってきた。

 

日本以外の国の人々は、戦争に負けたり他に征服でもされない限り頑固で、自主的に自分たちのやり方を変える民族は、あまりなさそうに見える。

 

日本人は、自主的に変えてしまうのが得意だが、生活様式等、外見の変わり身が早いわりに、中身というか精神性は変わらず、ちゃっかりとしたものである。


元号の話に戻ると、元号の使用には古い歴史があるようだが、皇紀の発明は意外に新しく、
19世紀半ばに過ぎない。皇紀を公文書に併用するよう制定したのは、明治になってから、太陽暦の施行とともにであり、戦後は廃止された。

 

さて、日本人にとって、このように歴史の古い元号とは、お得意の表層の可塑性のある部分か、それとも言語のように、これを捨てたら、民族の根本を変質させてしまうものであるか?

 

23 6月

遺体を解剖するという「特権」

医学部の学費は値上げすべきだ  井上晃宏(医師) : アゴラ

医学部に行くことは、「遺体を解剖する特権を得ることだ」という論者がアゴラにおられるようだが、遺体を解剖することは特権なのだろうか?

 

特権

 

辞書をみると、「特定の身分や地位の人が持つ、他に優越した権利」とある。

 

医学部の解剖実習のご遺体は、白菊会という有志の人々による、自らの身体の死後寄付によるものであり、将来の医学・医療の進歩に役立てて欲しい、という崇高な御好意に支えられている。

 

解剖実習をするということは、身の引き締まるような名誉かも知れないが、決して権利などではない。献体をされるご本人・家族の、ご篤志により、させていただくことなのである。

 

論者は医学部に行かなくても医学は学べるというご意見をお持ちのようだが、6年間医学部に通ったにもかかわらず、そんなことすら知らずに卒業して医師となり、不特定多数に向かってオープンである論壇に、医療教育は解体すべきのような意見を唱えられておられる。空恐ろしいことではないか。

 

そのような認識で、国家試験に受かったからといって医師になり、医学部などいらない、他の医療従事者の教育も不必要と論説を張り、あろうことに読者のなかには喝采する者まで出てくるというのは、献体という崇高な決断をして、死後も社会に貢献しようという尊い人々、患者さん、真面目に努力して勉強し医療従事者を目指す人、日々職務に誠実たらんと地道に働く医療従事者すべてに対する、侮辱ではないだろうか。

 

アゴラの主催者でおられる池田信夫氏は、ネットの上の中傷ということをときどき言及されるが、この問題について、実名でありさえすれば、特定のコミュニティー全体に対する、中傷どころではない侮辱と取れる言動を、言論の自由ということで、たれ流しにして放置するのであれば、これはネット言論そのものについての、危機的状況ではないか?

20 6月

墓場と病院とスキンヘッド

日本で初期研修をしていた時のことです。

一年目の研修医のなかにスキンヘッドの男性がいました。

 

当時、日本でスキンヘッドの人と言えば、お坊さんかソノ筋系の人でした。

というわけで、スキンヘッド氏はかなり目立つ容貌だったと思います。でも穏やかな性格の人物で、別段コワイ人ではありませんでした。

 

ある日患者さんの一人がスキンヘッド氏に大変立腹し、

 

「まだ生きているのに、坊主”を呼ぶとは何事か、縁起でもない

 

と、文句を言ったのだそうです。

 

その後スキンヘッド氏はカツラをつけることを余儀なくされました。

 

当時の私は、患者さんのいうことは、もっともだと思っていました。

 

ところが、アメリカに来てみると、スキンヘッドのドクターが、うようよいます。

キリスト教の坊さんは、べつだん剃髪をしませんので、アメリカではなんとなく、ひとつのファッションといったところでしょうか。

 

白人には日本人よりハゲになる男性が多いので、その徴候も比較的若年から始まり、それを克服するためにスキンヘッドがはやっているように、私には見えて仕方がありません。

 

スキンヘッドは、日本では坊さんとソノ筋系の人のシグナルですが、米国でもスキンヘッドはその人物をなんとなくシャープに見せる効果があるような気がします。

 

また牧師さんや神父さんは末期の患者さんばかりではなく、回復する患者さんともコンタクトがあり、病院にほぼ常駐しています。

 

冠婚葬祭のときだけ坊さんを呼ぶ人の多い日本人とは、日常生活宗教の関わり方が、根本的に違うのです。

 

 

話が飛びますが、アメリカで臨床研修の志願過程の一環として、南部の田舎町にある教育病院にインタビューで訪れた時のことです。

 

そこの研修プログラムのメインな教育病院は、退役軍人病院VA Hospital あるいはVAMC: Veterans Affairs Medical Center)だったのですが、南北戦争の後、比較的すぐに建てられ、退役軍人病院としては米国内でも草分け的歴史を持つ病院なのだそうで、レンガ造りの由緒を感じさせる建物でした。

 

その病院に向かう道すがら、病院の敷地の一部、というか前庭に当たる部分が墓地であるのを発見しました。また同じ病院のエリアにはナーシング・ホームもあるのです。

そうです。ナーシング・ホーム、病院、墓地がワンセットなのです。

 

ナーシング・ホームと病院は、まあいいとして・・・墓地です。

そこでそのとき私の脳裡にひらめいたのが、スキンヘッド研修医の思い出だったのです。正直言って、ナーシング・ホーム、病院、墓地がワンセットとは、なんとキッカイ(奇怪)な、という違和感だったのでした。

 

南北戦争後、敗戦した南部は高額の賠償金を科せられ、大変疲弊してしまいました。ちまたには戦争のために財産はもちろん、身よりを亡くし、障害者になった人があふれ、そういう人々が身を寄せ合って暮らそうと建てたのが、そこのナーシング・ホームのはじまりだったのだそうです。次にちょっと余裕ができたら医療従事者を呼んできて病院を作り、最後に終の安息場としての墓地、という経緯で、ナーシング・ホーム、病院、墓地が一ヶ所に出現したのでした。

 

こうして自主的な相互扶助により出現したコミュニティーの一部である研修病院には、慈愛に満ちたやさしい雰囲気が、隅々にまで行き渡っていました。

 

恵まれない境遇の者同士の助け合いから始り、生病死を切り離すのでなく、人生の自然の流れとして受け止めていることに強い印象を受けました。

 

こういうコンセプトで、ナーシング・ホーム、病院、墓地という、日本ではちょっと考えられないような組み合わせが、評価の高い施設としてワンセットなのです。

 

このインタビュー旅行はそういう環境で働く慈愛にあふれる人々との印象深い出会いとなりました。

残念ながら、結果としては、そこの病院の研修医のポジションにはマッチしませんでしたが**

 


 

ちゃんとした一次情報を探し出すのがメンドーなので、今回はパスしましたが、これは事実(白人男性の70%くらいだったかな)。しかも前頭部後退型より、てっぺんハゲが圧倒的に多そうです。

 

**米国の研修医制度というのは、志願者と研修病院側がそれぞれ、全米とカナダで一貫したコンピューターシステムを通して志願申し込み、採用条件についての書類を提出後、病院側が研修医候補者をインタビューしたのち、研修医候補者と研修病院側が、お互いにランク・オーダー・リストという志望順位表を提出して、コンピューターマッチングを行って採用が決められます。

プロフィール

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