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海螢の昼行燈 -To be determined-

報道

1 3月

医療事故防止について

医療事故防止について、首都圏の病院では、事故につながりそうな危険を見つけたら、看護師でも研修医でもその上でも下でも、どのレベルからでも誰かに報告し相談し、速やかに処置が取られていた。

誰かの(特に医師の)誤りを指摘した発見者が、医師の間違いを指摘したがために報復処置を受けるということは全くなかった。これは別段事故防止のための病院の組織的通報システムが整っていたわけではなく、素朴に「患者の安全第一」という倫理観を病院全体が共有しており、各自がその職務、能力に応じてお互いに助け合っていたと思う。

一方、以前の話だが、某地方大学病院ではそうではなかった。上司に当たる医師の間違いを指摘することは、たとえ患者を危険にさらすことを防ぐ目的でも、許されることではなかった。

表立たないように、こっそり処方を変更したりして事故を未然に防ぐという静かな処置でも、間違いを正された側の、上の医師の人間性によっては、間違いを正した下の立場の医師は、これまた静かに医局を追い出されてしまった。

それでは日本より医療情報の公開が進んでいると言われる欧米ではどうであろうか。

イギリスで、病院の医療事故をはっきり指摘した医師個人が、その病院を去らなければならなくなったばかりでなく、医師社会全体から追放され、不遇のまま亡くなり、ギルド的専門職社会での自浄というのが如何に難しいことであるかということが指摘された。

アメリカでは医師に問題行動があると、公的機関に報告する義務があり、その後どこに転職しようとも、はっきりと履歴に残る。しかし報告する必要のある問題行動とは、基本的に違法行為であるとか、訴訟に持ち込まれたとかいうような重大事例だ。

アメリカの研修医は一人前でなく医師免許は仮免許で、当然事故を起こす可能性が高いと考えられ、病院内部に彼らによる医療事故を未然に防ぐための通報システムが、組織的に整っている。

しかしこれがアテンディング(attending)といって一人前の医師免許保持者になると、危険な行為や明らかに間違った診療を行っていても、誰も注意したり修正したりしない。

看護師や研修医が指摘しても、下っ端の言う事は単純に無視される。トップ・ダウン組織だ。しかし同僚やそのアテンディングの上司も何も言わない。そのアテンディングに与えられた職権範囲での権威は絶対なのである。危険が明らかでも実際に事故が起こってしまうまで放置される。そのかわり事故が起こったとき、責任の所在が明確だ。

ここら辺が、縦横双方向性にコミュニケーションのある相互依存的inter-dependent)で集団主義collectivism)である日本の組織と、個人主義(individualism)をもとにした組織の違いのようである。

ただしアメリカではアテンディング自らが、適性な診療レベルを保つために、同僚や他科の専門医に自ら助言を求める場合には、日本のような縄張り意識はなく、速やかな助言・協力が行われる。つまり、実は横のコミュニケーションもあり、アテンディング個人の力量によっては横のコミュニケーションは日本より濃密である。

どちらのシステムにも一長一短があるが、少なくとも日本が遅れを取っているという考えは間違いだと思う。

別の言い方をすると、日本ではおそらく多くの病院組織においては、たとえ一医師がボンクラであっても、周りが問題が起こらないよう、ちゃんと修正して機能しており、その医師個人に自浄作用がなくとも集団全体としてはうまく回っているということである。

ここで実際に事故が起こってしまったときに、スケープ・ゴートをあぶりだし、マスコミが大騒ぎして特定個人を集中的に叩き(叩く相手が本当に直接の原因なのかどうか疑問でもある)、民事保障は当然としても刑事責任を問い、感情的になんとなく溜飲を下げてスッキリするのが日本のパターンである。結果、その後も何も変わらないとか、叩かれる可能性のある側がさらに保身に気を向け一層情報の秘匿を画策するとか、折角存在する自浄システムそのものも、感情に任せて解体してしまえの流れになって混乱するより、冷静に日本の組織の長所を踏まえて、組織のシステムの改善を模索する議論をする方が、単に改善に要する効率・コストという計算高い面だけから考えても、良策ではないだろうか。

マスコミもスケープ・ゴート憎しの感情報道より、実際に何がどういう経過で起こったのか、事実の提示、情報の開示を主眼にした報道できないものかと思う。

 

28 2月

NYT - 放射線は新たな治癒をもたらす一方、有害たる手段(9)

THE RADIATION BOOM

Radiation Offers New Cures, and Ways to Do Harm

 

(8) からのつづきです。

 

 

2年前、ニューヨーク州は、全国学会に出席している医療物理学者に、コンピューター・プログラムの過信は医療事故につながる危険があると警告を発しました。

ニューヨーク州はジェロームーパークス氏の過量照射についてなんの処罰も下しませんでしたが、ニューヨーク市は罰金1,000ドルをセント・ビンセント病院に、1,500ドルをブルックリンの大学病院に科しました。

 


取り返しのつかないダメージ

 

ジェローム‐パークス氏は(彼のエピソードは(3)4)5)をご覧下さい)強力な鎮痛剤を過量照射の直後から必要としました。しかし最悪なのは痛みではありませんでした。
ほとんど眠ることも飲み込むこともできないのに加え、ひっきりなしのシャックリ、嘔吐、胃管チューブ、
24時間持続の薬剤投与が行われました。これら全てに加え、深刻な放射線障害がもたらす真実について直面しなければなりませんでした。彼の放射線傷害を治療する方法はないのです。薬も手術も、何一つ有効な方法はないのです。


ジェローム‐パークス氏は事故後まもなく友人に
e-メールでこう言っています。

「過量照射を受けた身体部位の細胞障害を治す方法はない。」


コンサルトを依頼された国立研究所の放射線専門家も手の施しようがありませんでした。

高圧酸素療法は少しは足しになるかもしれないが、どれだけ効くかはわからない、という程度でした。

「彼は、本当に多量の放射線に暴露された。その、過量の度合いという意味で、全く途方もない間違いだった。」とスローン‐ケタリング記念がんセンターの神経内科医であるジェローム・B・ポスナー先生は言っています。ポスナー先生は家族からのリクエストによりジェローム‐パークス氏を診察し、有効な治療は無いと伝えました。

 

これほどの傷害を受けたにもかかわらず、ジェローム‐パークス氏には悲痛感や怒りはありませんでした。

教会を通じての友人であるレオナードさんはこう言っています。「誰かを本当に知るということは、その人が苦難の中にいてどう過ごすのか、目の当たりに接してはじめてわかります。そして彼こそが私たち皆を支えている強さなのです。」


ジェローム‐パークス氏は自分の陥った状況のアイロニーをよく理解していました。コンピューターにかかわる問題を解決して生計を立てている者が、コンピューターの問題によってこのような状態に陥ったのです。


ジェローム‐パークス氏は、彼の放射線傷害を引き起こした医療チームを率いていた、癌専門医のバーソン先生と親しくなって行きました。

ジェローム‐パークス氏の父親であるジェームス・パークス氏は「彼とバーソン先生はとても現実的に、何が彼の身に起こるか話し合っていた」と言っています。


ジェローム‐パークス夫人は
24時間体制で夫の介護にあたり、夫の回復を祈る祈りのグループを立ち上げました。

しかし病状は確実に進行して行きました。視力、聴力、歩行のバランスと次々に失われて行ったのです。

友人の一人ギリアノさんは、ジェローム‐パークス氏は、病状の進行は止められないことを悟り、自身の死に、何らかの意義を見出そうとしていたと言っています。

 

最終的にジェローム‐パークス夫妻は、「沈黙」と引き換えに和解補償を申し入れられ、それを受け入れました。


ジェローム‐パークス氏は彼の身に起きたことが今後繰り返されないことにより、他の人に役立つ事を願っていました。

 

ジェローム‐パークス氏が亡くなった20072月、彼の両親はガルフポートでハリケーン・カタリーナで破壊された家屋が再建されるのを待っている所でした。

 

後に両親はバーソン先生からの手書きの手紙を受け取りました。その中で


「私には、スコット(ジェローム‐パークス氏)ほど深く知り合った患者はいません。そして彼以上に深い絆を感じた患者もいません。スコットは紳士で最高の尊厳を持って病気に立ち向かって行きました。彼は自分の困難にもかかわらず、周囲を思いやる人間でした。」


とあり、手紙はこう締め括ってありました。


「私はスコットと約束しました。スコットの傷害を起こした医療過誤から学んだ全てを、国中に広め、もう誰もこのような傷害を受けないようにするよう働きます。ご両親にもお約束します。個人として、スコットが私に与えてくれたものを決して忘れません。」


バーソン先生はジェローム‐パークス氏の事件をきっかけに、診療活動から引退したと、事故後にジェローム‐パークス氏の診療に加わった神経内科医のジョッシュ・トルゴヴニック先生は言っています。一方病院側はそのような事実はなく、バーソン先生は病院で診療活動を続けているとしています。


バーソン先生自身も病院もプライバシーへの懸念からニューヨーク・タイムズのインタビューには応じられないと返答しています。


7月、ジェローム‐パークス氏の父親、パークス氏はこう言いました。

 

「息子は私たちに死に方を教えてくれた。息子は、落ち着いて静かに、そして思慮深く全てを整えてから逝った。ほとんどの人間はこうは行かない。だが息子はやり遂げた。しなければならないことは全部し終えて、それから去って逝ったんだ。」

 

パークス氏は、医療過誤についてのキャンペーンを公(おおやけ)に張ることを始めようと考えましたが、しかし、実際には決して行いませんでした。そこから得られるものは何も無いという結論に達したのです。

 

 

<この項終わり>

 

 

 

 
18 2月

NYT - 放射線は新たな治癒をもたらす一方、有害たる手段(8)

THE RADIATION BOOM
Radiation Offers New Cures, and Ways to Do Harm

(7)からの続きです。

その新たな犠牲者も、複葉コリメーターが開いたままの状態で予定の6倍近くもの放射線を照射されましたが、幸いその後にすぐミスに気づき、1度だけの過量照射で済み、傷害は起きませんでした。  

この事故に関して、放射線治療機器の製造会社Varianの最高経営責任者であるガーティン氏は、事故は修正ソフトウェアの販売の前に起こったとしています。

ガーティン氏は、Varianは年間3千500万件の治療を行っており、2008年に事故に繋がる危険のあったのは、わずか70件であると、アメリカ食品医薬品局Food and Drug Administration: FDA)に報告したと述べています。


事故と信頼性

ニューヨーク放射線治療センターに問い合わせても、州政府はどこの病院でどれだけ頻繁に事故が起きているのか情報公開しませんので、患者はどの病院を選んだら良いかわかりません。

病院に事故報告を促し、病院産業(the hospital industry) をサポートするために、州の立法府は事故を起こした病院を同定する情報を秘匿することに1980年代に合意しました。この法律は非常に厳格で、放射線治療についての文書を規制している連邦政府の役人ですら、通常の状況ではこれらの病院名にアクセスすることはできないのです。

このような米国内でも最強の特別保護を、病院は受けているにもかかわらず、ニューヨーク市と州において多くの放射線事故は報告されていません。ニューヨーク・タイムズが放射線事故について訊き始めた後、7月にニューヨーク市の健康精神衛生局は、病院に法的事故報告の義務があることを再び通達しました。ニューヨーク市は放射線治療の事故は実際には報告されている数倍の規模で起こっているようであり、深刻であるとしています。

ニューヨーク・タイムズが、これら行政に報告されたもの、されないものを含め事故の概要記録を収集し調べたところ、スタッフやその訓練の不足、質を確保するための計画に沿わない診療行為、ソフトウェアの誤動がこうした事故に寄与していることを示していました。

たとえば、14歳の少女は予定の2倍の線量の治療を10回に渡って受けました。計算が間違っていた上に、予定線量を確認することを怠っていたのです。前立腺癌の患者は、38回の治療の内32回に渡って間違った身体部位に照射を受けていました。この患者がかかった同じ病院で、もう一人の前立腺癌患者は19回に渡って間違った治療を受けていました。これら全ての例は、治療機器を修繕した後に起き、修繕後機器が正しく作動するかどうか確認していなかったのです。

2007年3月、アップステート・ニューヨークのクリフトン温泉病院で、31歳の女性患者が放射線療法チームの経験不足により、予定の80%を越える過量線量を膣癌の治療に照射され、直腸と膣を貫通する穴が生ずる危険にさらされました。

2008年にはロングアイランドのストニー・ブルック・ニューヨーク州立大学メディカル・センターでは、63歳のバーバラ・バレンザ‐ゴーマンさんが、あるときは予定の10倍の線量、一方別のときは10分の1の線量を受けました。このときの放射線治療士は、後に別の患者のカルテの記録が適切でなく後に戒告処分を受けました。しかしこの治療士は病院職を保持し続けただけでなく、他の従業員のトレーニングにも当たっていました。

他でも治療士には問題がありました。ブロンクスのモンテフィオレ・メディカルセンターでは、アネッテ・ポーターという治療士を解雇しました。彼女は間違った患者に放射線治療を施す等、三回事故を起こしました。ポーターさんはそれでも治療士の免許を保持しています。

「我々はその人物については何も知らないーゼロだ。」と、放射線技師の免許を発行するニューヨーク州の環境放射線防護局のアソシエイト放射線テクノロジー専門家であるジョン・オコーネル氏は言いました。

モンテフィオレ・メディカルセンターは、ポーター治療士が、弁護士を通じて3回の医療過誤事故を起こしたことを否定したことについてコメントするのを避けました。

罰金や免許停止が安全規則を行使するのに使われることは稀です。過去8年以上に渡って何百件もの医療過誤による事故が生じているのにもかかわらず、ニューヨーク州の放射線治療に対して命じた罰金はわずか3件であり、最大額は8,000ドル(1ドル=100円のレートとすると80万円)。

ニューヨーク州の放射線局のディレクターであるステファン・M・ガヴィットは、医療過誤による事故が州法に触れないのであれば、罰金は適切でないとしています。

州は放射線治療センターに事故の原因を突き止め、医療サービスの質を確保すべく適切な改善をするよう要求しています。また州の行政官は、ニューヨーク州は個々の医療施設が施設とは無関係の専門家による外部監査を行うように求め、その遂行のためにリーダーシップを取って来たと述べています。


<つづく>

15 2月

NYT - 放射線は新たな治癒をもたらす一方、有害たる手段(7)

THE RADIATION BOOM

Radiation Offers New Cures, and Ways to Do Harm

 

(6) からの続きです ―私の胸にぽっかりあいた大きな穴

 

放射線過量照射による損傷は治りそうにありませんでした。高圧酸素療法にもかかわらず、傷は大きくなって行きました。このため傷を閉じるために外科手術が試みられ、繰り返し4回も行われたのです。胸壁再形成のためには背中の筋肉や脚(あし)の皮膚が使われました。


胸には大きな穴が開き、そこからは肋骨が見えました。ジェン
-チャールズさんは自分が崩れ落ちていくように感じました。以前には何不足なかったのに、今では子供の世話はおろか、自分で着替えをすることすらできません。彼女が泣く姿を見て、子供たちが怯えて心配したこともありました。


一年以上もの間、ジェン
-チャールズさんは痛みのために入退院を繰りかえし、傷から漂う臭いにも耐えて暮らしました。その間に乳癌もまた再発したのです。


数ヵ月後ついに、放射線損傷が癒えたにもかかわらず、ジェン
-チャールズさんは亡くなりました。

心臓に自信のある方は、ジェン‐チャールズさんの胸部の損傷の写真がこちらでご覧になれます。

 

 

安全装置なし(No Fail-Safe Mechanism)

 

(ジェローム‐パークス氏の写真はこちら

ジェローム-パークス氏の事故にたいする捜査の矛先は線状増幅器を操作するVarian 社のソフトウェアに向けられました。

ソフトウェアは、3つの基本的なプログラミング・インストラクションを順番どおりに保存することを指示していました。第一に放射線ビームの量、第二に治療域のデジタル・イメージ、最後に複葉コリメーターの設定です。

コンピューターがクラッシュし続けた時、医療物理学者のカラチさんはコリメーターの設定入力が保存されていなかったことに気づきませんでした。

Varian 社のソフトウェアにはミスを防ぐための安全装置がついていなかったのです。

 

ソフトウェアの不備にせよ、ミスに気づく機会は他にもありました。

医療物理学者が患者の初めて治療の前にコンピューターが正しくプログラムされているかどうかを確認するのは、強制ではないもののルーチーンでした。しかしそれが3回目の過量照射のあとまでなされなかったのです。

病院はスタッフ不足のため確認作業をするまでに時間が掛かったと行政側に報告しています。

 

最後にもう一つ、過量照射を防ぐチャンスがありました。治療士は皆コンピューター画面を監視しなければならないことになっていたのです。そしてコンピューター画面はコリメーターが開きっぱなしであることを明示していました。しかし、治療士らは画面を見守ってはおらず、病院にも画面の監視について具体的なマニュアルはありませんでした。その代りに彼らの視線は、ジェローム-パークス氏に注がれていました。治療前に唾液腺の保護のためにジェローム‐パークス氏が服用する薬は吐き気を起こすことがあり、ジェローム-パークス氏が頭を固定するマスクの中に吐きはしないかどうかに注意が向けられていたのです。

 

行政捜査官はセント・ビンセント病院と不備なソフトウェアを作ったVarian社の双方に責任があるとしとしました。

 

これに対し病院側は「事故に対応すべく素早く行動し、医療機器会社と規制を設けた行政側とに密接に連絡を取り合った」としています。

 

Varian社の社長で最高経営責任者であるティモシー・E ・ガーティンは、ジェローム‐パークス氏の事故後、会社は使用者に、機器使用の際にはとりわけ注意深く取り扱うよう警告の上、安全装置の付いた新しいソフトウェアを世界中に供給していると、インタビューで答えています。

 

しかし新しいソフトウェアはガーティン氏の言うようにすぐには出回らず、数ヵ月後、再び喉頭がんの女性患者で事故を起こしたのです。

 


<つづく>

 

 

 

6 2月

NYT - 放射線は新たな治癒をもたらす一方、有害たる手段(5)

THE RADIATION BOOM

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(4)からの続きです。

 

ウェアー-ブライアンさんはセント・ビンセント病院に電話をかけ、自分は看護師であると名乗り、ジェローム-パークス氏をもう一度よく診察するよう主張しました。

翌日、病院は精神科医をジェローム-パークス氏の奥さんのもとに送りました。2時間後、ジェローム-パークス氏はその日の放射線治療を受けました。

 


放射線過量投与


ニューヨークタイムズは、ジェローム
-パークス氏の治療にかかわった医師、友人、e-メール、インターネット、そして以前は封印されていたニューヨーク州政府の記録をもとに、ジェローム-パークス氏に何が起こったのかを追いました。

ジェローム-パークス氏の妻、医療物理学者のカラチ氏、癌治療会社の*アプティウム、制御コンピューターを製作したVarian、そしてセント・ビンセント病院はインタビューに応じませんでした。

 

アメリカでは医療も通常の経済活動と同じで、医療サービスを提供する利潤を見込んだ会社がある。アプティウムは癌専門の会社で、巨大製薬会社アストラ・ゼニカの一部門である。極端な話、セント・ビンセント病院が病院内のスペースという店舗を貸し、店子としてのアプティウムが入院治療サービスを商品にしているのである。病院自身は非営利団体ということもよくある。異常なように響くが、一般に開業医は数人以上のグループによる自営業で、外来診療所のほかに地域の病院と契約を結んで連携して診療していることが多い。開業グループの医師は、定期的に病院を訪れ入院患者も診ている。病院を通じて他科とのコネクションもできる。自分の患者の具合が悪くなったら、すぐに病院に送ることもできれば、退院患者を新規に自分の診療所で引き継いで診ることもする。そこで患者にとっては一貫した診療が確保される。

アプティウムは‘“癌専門”という特殊性から、おそらく大きな設備投資を要し、診療活動が巨大化して会社組織に成長したという見方ができるかもしれない。あるいはアストラゼニカの新薬開発を通じて癌診療部門が発展したのかもしれない。

 

セント・ビンセント病院はジェローム-パークス氏のケースを「不幸な出来事」であり、「特殊かつ予期できない状況が重なって起こった」という声明を出しています。

 

316日の午後、ジェローム-パークス氏が、プログラム変更後の3度目の治療を終えた数時間後、カラチさんは治療が正しく行われているかどうかチェックすることにしました。

午後6:29、ジェローム-パークス氏の舌癌をピンポイント照射するための複葉コリメーターが働かず、照射野が広範に及んでいたのを発見した時、カラチさんは恐怖におののきました。30分以上経って再び確かめた時も、結果は同じでした。

午後8:153度目の確認をした時も同じ結果でした。戦慄すべき誤りでした。頚部全体、頭蓋底部から喉頭にかけて放射線は照射されたのでした。

 

次の日の午後、ジェローム-パークス氏と奥さんが友人とともに4回目の治療を待っていると、突然、バーソン先生が病室に現れました。ジェローム-パークス氏と奥さんを別室に連れて行き説明がなされました。

 

ジェローム-パークス氏は、治療量をはるかに超える放射線を間違って照射され、その結果は深刻であろうこと。

ジェローム-パークス氏の奥さんはショックのあまり呆然として、病院を飛び出し数区画離れた教会に行きました。他にどこへ行けば良いのかわからなかったのです。

 

その翌日、ジェローム-パークス夫人は2人の友人(一人はソーシャル・ワーカー)とともに、バーソン先生と病院の管理職員に会いました。

病院側は事態の責任を認めましたが、今後何がジェローム-パークス氏を待ち受けているかについては推測することしかできないと伝えました。急性放射線障害については、皮膚の熱傷、嘔気、口腔の乾燥、嚥下障害、味覚の喪失、舌の腫れ、耳痛、そして頭髪の脱毛について伝えられましたが、それ以上のことはわからないのです。

過量照射を受けたのは脳幹部で、両下肢麻痺(四肢麻痺の間違いと思われる)になって人工呼吸器が必要となるか、あるいは2-3ヶ月も持たないようにも思われました。

患者とその家族のためだけでなく、病院スタッフと医師についても、この困難な出来事をいかに克服して行くかの歩みが、すでに進められており、ジェローム-パークス氏がなぜ7にも及ぶ過量照射を受けるはめになったのか原因を突き止める詳細な調査がなされることも述べられました。

バーソン先生が席を立った時、その背中は汗でぐっしょりと濡れていました。

 

 

警告は発せられても受け止められず


レニー・ジェン
-チャ―ルズは、喜びに満ちたその日の、妻のアレクサンドラの姿を覚えています。

「見て、癌は無くなったの。私は自由よ。」

医師はアレクサンドラに、手術と化学療法は成功し、後は放射線治療が28日間あるのみ、と伝えたのです。

 

<つづく>

プロフィール

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