アゴラの本論からは話がそれてしまうのですが、タスキーギ梅毒実験は政治制度とは関係のない状況で発生しました。もとは梅毒の治療とともに公衆衛生管理を含む国家プロジェクトだったのですが、経済大恐慌のために予算が尽きて、プロジェクトそのものが廃止されそうになりました。存続のために短期間病気の自然経過を追うという低予算研究にして生き延びた梅毒の研究プロジェクトです(1932年)。その当時、梅毒に本当に有効な治療法は、まだ確立されていませんでした。
その後この実験は、惰性とも言える状況で長期間続くことになったのです。
もともとの主任研究者は、実験が始まって1年で退官し、その時点でこの応急処置的避難である「梅毒の自然経過を追う」というプロジェクトは打ち切るか方向を変えるはずだったのですが、実際の実験に従事してプロジェクトを引き継いだ、考えの未熟な比較的若い医師や研究者が、そのまま継続しました。この世代の職員も退官し、その後抗生物質のペニシリンによる梅毒の治療が1947年までに確立した後も、米国公衆衛生局の“お役人医師研究者”は、自分が何をしているのか自問自答することなく、この「伝説」と呼ばれた研究を漫然と引き継いで行きました。
最終的に内部告発により衆目に触れ、ようやく中止されました。1972年のことです。
40年が経過していました。
実験停止後、事件に驚愕した米国社会は、しかし、これを機会に患者の知る権利、保護のための現在の臨床研究の規制、基準を作り上げました。起こった出来事はとてつもなくひどいことでしたが、ジャーナリズムも世論も、独裁政権下とは異なり健全に機能し、その反省から、一歩進んで、臨床研究を専門家による密室内の研究環境から開放し、社会が納得・共有できるルールを作り上げたのです(National Research Act, 1974)。
大変な痛ましい事件でしたが、それを白日のもとにさらして、議論を積み上げ、現在の最も先進した臨床研究のルールを生み出したのは、民主主義のアメリカ合衆国ならではです。
現在の中国のような独裁政権による厳しい社会統制下では想像も及ばない出来事でしょう、
というか、中国の庶民は、政府がそのようなひどいことをしていても、知る由もないですね。