米国臨床研修1年目のときのことです。近所で洋裁店を営むコリアンのおじさんが、急病にかかって、私がインターンをしていた病院に入院しました。

この方はヘビー・スモーカーだったのですが、かなり珍しいタイプの急性心不全になっていたのです。病棟では主治医チームのほかに心臓・循環器専門医がその日の回診に加わっていました。

ベッドサイドには、少しアクセントの残る流暢な英語を話す
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代前半くらいに見える患者さんのお嬢さんが、通訳を兼ねて立ち会っていました。

心臓の先生の質問を、丁寧に訳しては父親に伝えますが、肝心の患者さんはといえば、ひとことふたこと答えるだけで、木で鼻をくくったような応対です。

それでその心臓の先生が、さらに丁寧にひとつひとつ確かめるように質問を進めてゆくと、患者さんは、終いには怒り出して、回診チームを病室から追い出すようなことになってしまいました。

 

「やっぱり、言葉のバリアがねぇ・・」

 

のようなことを、その心臓の先生はぼやいていましたが、私はそれは違う、と思って聞いていました。


患者さんは洋裁店を経営しているので、生活に必要な英語のコミュニケーションには不自由のない人なのです。


このコリアンのおじさんは、おまかせ医療の文化をそのまま米国の病院に持ち込んだだけなのです。


「俺の仕事は仕立物。

あんたの仕事はオレの病気を治すこと。

ごちゃごちゃ言ってないで、とっとと悪いところを見つけて治せよ、

プロなんだろ?」


と、実際に言葉に出して表現はしないものの、このコリアンのおじさんの心の内は、私にはそのよう聞こえたのです。


今、日本の比較的若い世代の人にはこういう患者さんは少なくなったのではないかと思いますが、これは日本でもよくある患者さんの医療に対する「構え」なのではないかと思います。

 

 

日本は個人主義individualism)ではなく集団主義collectivismの文化です。

 

個人主義では、一人一人が独立した個人、社会を構成する完全な単位です。すなわち、基本的には自分のことは自分が決める、面倒をみるという考えです。

 

一方、集団主義では個人は全体の一部であり、完全な単位である必要はありません。集団や社会の中で機能する一部であれば、それ以上個人として独立した機能、単位を形成する必要は無いのです。

 

集団主義はある意味個人に取っては、楽で居心地の良い社会です。何しろ何か一つ集団のためにできさえすれば、その他の必要なことは、他の人が面倒をみてくれるのですから。相互依存interdependenceによって社会は円滑に機能するのです。

 

これは家族にも当てはまります。男性は外で働いて一家を養う能力がありさえすればよく、家事やその他のことには関与せず、奥さんに任せておけばよいわけです。逆に奥さんは、生活の糧を得る能力は無くてもよく、家事と子育てができればよいのです。夫と妻が一人の独立した単位として社会で生存して行く機能を持つ必要はないのです。従って、日本の夫婦というのは、一人一人の独立した個人の繋がりというよりは、むしろ役割で結ばれた関係になります。

 

相互依存だと、他の人は自分の生存になくてはならない人達ですから、お互いを大事にし合う傾向が高くなります。従って親切で礼儀正しい人が多くなります。

 


医療の話に戻ってみましょう。このように集団主義だと、患者さんは病気になって医者にかかったら、自分の責任において治すという考えはないのです。それは医療従事者の仕事なのです。従って、自分の病気のことについて知ろうというモチベーションの低い患者さんが多いのです。

こうして丸投げ、盲目的に信頼を寄せて、言われたとおりに素直に医者の言うことを聞いて治療を受けるのですから、それで思ったように回復しなければ、大変不満に、そして裏切られたような気持ちになります。

 

このような感情を抱くのは、社会構成のコンセプトからは必然になりますが、現実に対する対応としては、理不尽以外の何ものでもなく、なんの解決にも結びつきません。

 

医者は現実への対処ではなく、患者の“感情”をなだめることに奔走し、患者側はますます「だまされている」という気持ちを昂じさせることでしょう。

この点が問題なのです。

 

米国に来て気付いたことは、「ゴネる患者さんがほとんどいない」ということです。医師には説明義務がありますが、患者にも納得して治療を受ける義務があるのです。必要なことは、治療効果の限界も含めて全て開示され、それを理解していることになっているので、ゴネようがないのです。

 

もし患者さん自身に、自分の病気のことや検査、治療が理解できないという状況があると、それを理解してどうしたいのかを決断することのできる代理人(power of attorneyを立てなければなりません。そのような身寄りや知り合いのない人は、裁判所が代理人を指名することさえあります。


どうですか?個人主義は、突き放されたような、なんだか冷たい社会のように感じる人もあるのではないでしょうか?私自身、当初はそのように感じました。

 

しかし、近代以降、西洋医学・医療を取り入れてきた結果、個人主義の文化でない日本にも、なんとか折衷案で、その考え方、技術を使いこなす方法を考えないといけません。