このブログでは、いつも米国の批判ばかりしているように聞こえるかもしれませんが、米国の医療でこれは手放しに素晴らしいと思うのはホスピスです。

 

ホスピスは2006年に専門科として認められました。その後ホスピス専門医取得のためには、通常の臨床研修後、さらなる専門科の訓練であるフェローシップというトレーニングプログラムで実地専門教育を受けることが必須になりました。

 

ホスピスは、基本的に手の施しようのない病気で、余命6ヶ月以内と判断された患者さんに適応とされます。

 

ホスピスでは、患者さんの側に選択の幅があって、自宅療養から医療施設への入院まであります。

 

そのうち自宅療養は、最期のときを慣れ親しんだ環境で、家族や親しい人に囲まれて過ごすというものです。

 

病院でスパゲティー状態にされて最期を迎えるよりは、よほど人間的な尊厳死が確保されます。

 

ホスピスでは麻薬をふんだんに使い、苦痛をできる限り取り除くようにすることが認められています。

 

米国で研修医中、基礎医学のローテーションをしていたときのことです。大学を出て5年ほど社会人をした後に、医者になろうと決心して、プレ・メディという、医学部に進学するために必要な自然科学系の科目を大学に戻って勉強しながら、研究助手として生活費と同時に履歴書を強化するために、実験室で働いている人がいました。


彼は週末になると、自宅療養のホスピスの患者さんのお宅に数時間立ち寄って、主に患者さんの話し相手になるという、ボランティア活動もしていました。将来ホスピスの専門家になるんだと言っていました。その後、私などとは違って優秀だったので、その実験室での仕事から筆頭著者としての論文までものにして、アイビー・リーグの医学部に見事に合格して去って行きました。今どうしていることでしょうね。

 

話がそれましたが、こうして自宅療養になっても、ホスピスの患者さんは、看護師の訪問はもちろん、ボランティアという、地域社会のサポートもあって、家族や介護人ばかりでなく、社会との繋がりも保とうと思えば保つことが出来ます。またこういうボランティア活動は、学生さんのような若い人にとって、大変貴重な体験足り得ると思います。

 

死を忌み嫌うのではなく、人生の必然として受けれる覚悟があれば、病院のようなところで人生の最期を希望もなく漠然と過ごすのとは異なる選択を、ホスピスは可能にします。

最期の貴重な時間を、好きな所で、家族や最も親しい人々と、思ったように過ごす方が、静穏で有意義な最期の時を楽しみ、豊かな人生をまっとうできるのではないでしょうか。