私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

イサイアス・アフェウェルキという男

2023-07-29 20:59:55 | æ—¥è¨˜

 前回の『ローザンヌ条約から100年』の続きとして『クルド革命は生き残るだろう』という記事を準備中でしたが、エリトリアのイサイアス・アフェウェルキ大統領とプーチン大統領との private meetingと称する驚くべきYouTube動画に偶然行き当たりましたので、紹介します:

https://www.youtube.com/watch?v=t678GS-ritQ

https://www.youtube.com/watch?v=THydfb-Kmj0

エリトリア側はアフェウェルキを含めて4人、ロシア側はプーチンとラブロフ外相を含めて8人、アフェウェルキは手元に何のノートもなしに、約20分間、一気呵成に話し掛けます。まるで、ウクライナ戦争の本質について、プーチンとラブロフにお説教を垂れているかの様です。私なりの言葉で言えば、これぞ、釈迦に説法。エリトリアは人口約600万、九州と四国を合わせた面積の小国です。アフェウェルキは英語を使っています。一種のブロークンイングリッシュで我々にはかえって聞きやすいかも知れません。ただ、ヘジモニー(hegemony)という言葉が繰り返し使われますが、年配の日本人にはドイツ語から来たヘゲモニーの方が親しいかと思います。

 イサイアス・アフェウェルキは私が勝手に「アフリカのフィデル・カストロ」と呼んでいる傑物で、以前、米国女性ジャーナリストの極めて意地悪なインタービューで、彼女の汚い挑発的質問に、声一つ荒立てず、静かに対応する有様を報告したことがあります。このインタービューの時の彼と今回の彼とは、私には、いささか別の人物の様にさえ思われました。

藤永茂(2023年7月29日)


ローザンヌ条約から100年

2023-07-22 16:01:32 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 

 今日、7月22日は、1923年7月22日にローザンヌ条約が締結されてから100年目の記念日です。この百年は、クルド人達にとって、文字通りの苦難と闘争の百年でした。「世界史の窓」というウェブサイトに、「クルド人/クルディスタン」と題する分かりやすい解説がありますのでご覧ください:

https://www.y-history.net/appendix/wh1703-092.html

第一次世界大戦後のセーヴル条約(1920年)でクルド人の民族国家「クルディスタン」の独立が認められたかに見えましたが、直後の1923年、ローザンヌ条約によって、その独立が否認され、クルド人の苦難と抗争が始まります。第二次世界大戦直後の1946年、 ソ連の力で「クルディスタン共和国」なるものが誕生しますが、その地域が石油産地であったため、英国と米国の猛烈な反対に晒され、新国家は1年足らずで崩壊消滅してしまいました。

 この週末、7月22日と23日、クルディスタンと称される地域全域から、57のクルド人団体の代表が

スイスの都市ローザンヌに結集して会議を開き、デモ行進を行います:

https://anfenglish.com/rojava-syria/cdk-s-calls-on-everyone-to-attend-demonstration-in-lausanne-on-saturday-68355

https://anfenglish.com/news/two-day-conference-on-100th-anniversary-of-the-treaty-of-lausanne-68294

ローザンヌでのデモの呼び掛けは数多くなされてきましたが、私の目にとまった最も熱烈な呼び掛けは次のものです:

https://anfenglish.com/news/internationalist-call-major-demonstration-taking-place-in-lausanne-on-22-july-68322

この中から、三つの文章をコピーします。三番目のものだけ訳出します:

"100 years ago, on 24 July 1923, an international conference of imperialist states took place in Lausanne as a result of previously fought wars of distribution in the Middle East. At this conference, Kurdistan was divided among four nation-states through the so-called Lausanne Treaty. With this, the systematic policy of denial, assimilation, and cultural genocide against the Kurdish people was initiated, and Kurdistan was transformed into an international colony."

"The Treaty of Lausanne is a dagger in the heart of Kurdistan and forms the basis for the 100-year denial and genocide policy that finds its continuation today in the murderous attacks of Turkish fascism against the liberated areas of Rojava, Åžengal, Mexmûr, and the free mountains of Kurdistan. The fact that, until today, the Kurdish people do not have a recognised political status, that the struggle for the most basic rights is accused of terrorism with partly insane claims, that Kurdish fighters can be massacred with chemical weapons without anyone raising their voice, and that the political representative of an entire people, Abdullah Öcalan, continues to be imprisoned in total isolation against any law—all this would not be possible without the Treaty of Lausanne."

"However, in the 100 years that have passed since the day it was signed, the Kurdish people have defended their existence through tireless resistance against dozens of dictatorial regimes. With its uninterrupted struggle since 1978, the Kurdistan Freedom Movement has raised the resistance of the multi-ethnic Kurdistan Region to the highest level. It has created an invincible culture of resistance, and today the ideas of this movement and its mastermind, Abdullah Öcalan, show not only the peoples of Kurdistan and the Middle East but also the peoples of the whole world that another world is possible. In Kurdistan, the heart of the revolution of the 21st century, a new wave of internationalism is spreading throughout the world. "

「しかし、調印の日から100年、クルド人たちは、数多の独裁政権に対する不断のたゆみなき抵抗によって、自分たちの存在を守ってきた。1978年以来の絶え間ない闘いによって、クルディスタン自由運動は多民族国家的クルディスタン地方の抵抗を最高レベルにまで押し上げてきた。そして今日、この運動とその優れた指導者アブドゥラ・オジャランの思想は、クルディスタンや中東の人々だけでなく、全世界の人々に、もうひとつの世界が可能であることを示している。21世紀の革命の中心地であるクルディスタンから、国際主義の新しい波が世界中に広がっている。」

この「another world is possible.」という言葉は決して敗北者の虚しい負け惜しみの叫びではありません。引かれものの小唄ではありません。水俣で生まれた「じゃなかしゃば」という言葉、イニャシオ・ラモネに発したという「今の世とは違う世界は可能だ」の言葉は、眼前の現世からの逃避ではなく、新しい未来への強い希望です。

 今の世界はウクライナの話で持ち切りですが、ここからはanother worldが生まれ出る希望はありません。南北朝鮮に似た東西ウクライナが、難産の末に、生まれるぐらいが限界でしょう。しかし、この百年、体を張り、心を張って戦い続けているクルドの人々には、「私たちは世界を救う為に戦っている」と公言する資格があると私は思います。ローザンヌ条約締結から百年の今、クルド民族をめぐる情勢は困難と混乱の極にありますが、やがてそこから新しい世界が芽をふき出すだろうと私は考えます。次回にその理由を述べてみます。

 

藤永茂(2023年7月22日)


前回の記事に頂いたコメントへのお礼

2023-07-11 22:13:32 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

山椒魚様

以前(2019-02-07)に頂いたコメントに、「もし、沖縄が独立するといった場合、大和民族はどのように振る舞うのでしょうか。かつて朝鮮半島を植民地にし、大陸に攻め入り何十万人も殺戮した民族が、琉球の独立を認めるでしょうか」とありました。私は今もそのことを考えています。これは疑問文ではなく、山椒魚さんのお心の痛みの表現であることもよく分かっています。

 2021-07-02には自然法則の必然性に関連して、「人間同士が殺戮を重ねているこの状態は,必然的で変えることはできないのか,いつも考えていますが」というコメントを頂きました。物理学者の端くれとして、このお言葉も重く受け止めております。

海坊主様

 入信のお言葉、身を正して、繰り返し拝読しています。私は九州大学理学部物理学教室で理論物理の原島鮮先生の教えを受けました。先生はキリスト教信者でした。敗戦間近の1945年6月16日から17日にかけての福岡市大空襲で家屋と家財の大部分を失われた原島先生は、その後、市の東部で焼失を免れた陋屋に移住しておられました。ひどい造りで先生の机のあった二階の畳部屋の床は傾いていて丸いものは転がりました。お人柄まことに温厚な優れた理論物理学者で、私の憧れの的でした。しかし、理論物理学者が神の存在を一途に信じるという事が私には納得が行かず、しばしば、床の傾いたお部屋にお邪魔して、信仰について議論に応じて頂きました。無神論者として、先生の信仰に挑んだ訳ではなかったのですが、結局のところ、「私はキリスト教のドグマを信じています」という先生のやや厳しい言葉で、議論が終わりになりました。縁なき衆生の悲しさです。

 カトリック教修道僧トマス・マートンが書いた七篇のアルベール・カミュ論があります。私はその翻訳をほぼ済ませたところです。カミュは非信仰者で、人間は、神に頼らず、人間らしく、立派に生きることが出来る筈だという立場を取りました。トマス・マートンはアルベール・カミュに強い親近感を抱き、カミュは本当のキリスト教、本当のキリスト教徒を知らなかったからだと惜しんでいます。恩寵という、私にはよくわからない言葉を使えば、マートンは恩寵に預かり、カミュはそうでなかったということでしょう。縁なき衆生の私もそうです。

ただ、「悪」の存在は、私の内にも、また、外にも、確かに存在するように私には思われます。「悪の凡庸さ」についての問題があります。人間は、本来、善的な存在であって、悪しき行為は思考の欠如と無知から結果すると考えることも出来ましょう。しかし、眼前の事実として物理的現象としての「悪しき状態」は否定し難く存在します。「悪」は存在し現前します。例えば、世界に溢れる難民の苦難、これは、我々が消滅に力を尽くすべき「悪」ではありますまいか。パレスチナの人々の苦しみは、単なる、人間の思考の欠如と無知から結果しているとは、私にはどうしても思われません。地球上に現前する「悪」の状態を何とか解消しようと我々は努力すべきではありますまいか。トマス・マートンもドロシー・デイも確かに神の恩寵に預かったキリスト教徒でしたが、この世の悪を正すことに力を尽くしました。そのため、デイは幾度も投獄され、マートンはCIAによって暗殺された可能性もあります。省みますと、これまで数多の卓見を寄せて頂きました。どうか今後も引き続きよろしくお願いいたします。

井原大地(名無しの整備士)様

 Rodney Barker ã®ã€ŒThe Hiroshima Maidens」の立派な和訳を出版して頂いて有難うございました。ロドニー・バーカーさんの「前書き」にあるように、本書が沢山の人々に読まれて、反核の書として大いに役立ってくれるものと信じています。ご苦労様でした。

https://www.amazon.co.jp/ヒロシマ・メイデンズ-ロドニー・バーカー-ebook/dp/B0BG8413ZS

<付記>井原大地さんのお仕事に便乗して、私の出版物「オペ・おかめ」の宣伝をさせて頂きます。ロドニー・バーカー著「広島乙女」は戯科学小説「オペ・おかめ」の272頁に出てきます。私としては、サイエンス小説の形を借りて核戦争反対の声をあげたつもりなのですが、「小説として薄っぺらで体をなしてない」とか「作中のキャラクターが全く描けてない」とか、散々な批評を受けました。老いた物理学徒に同情して褒めて下さった方もあるにはありますが:

https://yomodalite.blog.fc2.com/blog-entry-1884.html

小説として、文学作品として駄作なことは十分自覚していますが、反核の志の一つの表明として読んでいただければ嬉しく存じます。

Oseitutu Miki 様

 これまで多くの貴重なコメントを寄せて頂きました。この機会に、他の方々にも読んで頂きたいと考え、Miki 様に関係したいくつかのブログ記事を引用することをお許しください:

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/599591b3b186826bb00986f3bfbdd529#comment-list

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/18884b195540b2daf4f282a2f8e1e90b

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/4bd3cd1e2089819766cd8d36c9cd6a05

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/9830e02981531882526f91e53cbe361f

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/f97a3d8865f8fb1aa29b40ed4578f365#comment-list

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/f97a3d8865f8fb1aa29b40ed4578f365#comment-list

Miki 様とお姉様がそれぞれの人生をどのようにして選ばれたか存じませんが、私の場合、私がいわゆる人種偏見なるものを身に付けずに育ったのは、私の父親のおかげだと思っています。人種偏見は親が、あるいは社会が、子供に与えるものではありますまいか。

櫻井元様

 4年ほど前、7回にわたって寄稿して下さった記事シリース『侵略の共犯ー侵略者のウソに加担する者の罪』は、出版物で言えばPerennial Best Seller で、未だに読者が絶えません。今後とも宜しくお願い致します。

<付記>櫻井さんへのお礼の場を借りて、これまで大変お世話になってきましたコメンテーターの方々に熱く御礼を申し上げます。

藤永茂(2023年7月11日)