私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ジャン・ブリクモン(Jean Bricmont)

2016-06-29 19:55:11 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 ブリクモンの名前は『「知」の欺瞞』(岩波現代文庫)を通じてご存知の方もあるでしょう。ベルギーの現役の物理学者ですが、『人道的帝国主義』(新評論)という鋭利なアメリカ論の本も出しており、政治的発言もかなり活発にしています。世界の情勢について判断を下す場合に私が頼りにしている論客の一人です。
 ワシントン・ポストをはじめとする米国主要メディアのドナルド・トランプ叩きは全くなりふり構わぬ酷さで、その様子を見ていると、これだけ米国の権力層がトランプ氏を蛇蝎視するからには、この人の政策主張には何か良いところがあるに違いないと思いたくなります。私の判断では、トランプが米国大統領になった方が、クリントンがなるより、世界核戦争の危険が遥かに軽減するでしょう。これはとても重要なことです。あとでまた触れます。
 少し古い発言(2016年3月30日)ですが、米国の大統領選挙について論じたブリクモンの記事があります。タイトルは『Trump and the Liberal : a View from Europe (トランプとリベラル知識人たち:ヨーロッパからの眺め)』で、マスメディアと声を合わせてトランプ攻撃に余念のない米国の知識階層に鋭い批判を加えています。

http://www.counterpunch.org/2016/03/30/trump-and-the-liberal-intelligentsia-a-view-from-europe/

 実は、このブリクモンの発言を知ったのは、John V. Walsh という人の次の論考の中でした:

http://dissidentvoice.org/2016/06/leading-antiwar-progressives-speak-favorably-of-aspects-of-trumps-foreign-policy/

そこには、反戦の立場の有力な進歩的言論人の名が六つ挙げられています:William Greider, Glen Ford, John Pilger, Jean Bricmont, Stephen F. Cohen, William Blum.
この中で私にとって特に親しいのは、グレン・フォード、ジョン・ピルジャー、ジャン・ブリクモン、ウィリアム・ブラムです。
 ブリクモンの『人道的帝国主義』や今度の「トランプとリベラル知識人たち」の中での米国知識人論を読んでいると、私は米国の哲学者リチャード・ローティの著書『アメリカ 未完のプロジェクト(Achieving Our Country)』をどうしても想起してしまいます。この書物が私に与えたのは、一つの深刻な絶望でした。現在を含めてアメリカ300年の諸々の堅い歴史的事実が「アメリカ」という「プロジェクト」は、初めから、そして、現在も、ローティの語るようなものでは全くないことを動かし難く立証しています。私は、以前このブログでローティの語りの一片を引用したことがあります:「アメリカ合衆国は人類の新たな友愛を希望して創立された最初の国であるので、アメリカ合衆国は長い間の約束が最初に実現される場所となるだろう。」(小澤訳、23頁)
 ブリクモンの『Trump and the Liberal : a View from Europe (トランプとリベラル知識人たち:ヨーロッパからの眺め)』から、直裁な一節を引用しておきます:
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American liberal intellectuals who are horrified by Trump are quick to forget what their own country has inflicted on the “ROW” – that rest of the world where it is okay to kill masses of people, not out of “racism”, oh no, that is not nice. But killed because they have bad leaders, or bad ideas, or even – the story goes – because they need to be protected.
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 英国のEU離脱に関連して、英国の女性評論家(pundit)Zoe Williams は、最近のガーディアン紙上で、EUの理念は“愛”だと言っています:
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There is a reason why, when Marine le Pen and Donald Trump congratulated us on our decision, it was like being punched in the face – because they are racists, authoritarian, small-minded and backward-looking. They embody the energy of hatred. The principles that underpin internationalism – cooperation, solidarity, unity, empathy, openness – these are all just elements of love. Politicians only ever say the word “love” when they’re talking about gay marriage. But, to channel Lyndon B Johnson, the stakes are as high as ever, and the answer still the same: “We must either love each other, or we must die.”
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https://www.theguardian.com/commentisfree/2016/jun/26/jeremy-corbyn-labour-remain-election

このウィリアムさんは労働党を支持する名の知れた進歩的論客だそうですが、何という浮薄で欺瞞的なEU“愛の讃歌”でしょう。この記事を書いた前日にベルリンでドイツのEU担当相Michael Roth が “依然として、ヨーロッパは人々の心を動かす力のある感情的プロジェクトだ” というのを聞いたと報じています。ローティが米国について「未完のプロジェクト」を語ったように、こうした「ヨーロッパ」の声もまたバラ色の「プロジェクト」を語ろうとするのならば、私としては NO THANK YOU という他はありません。フランツ・ファノンに賛同して、英国と米国を含めた「ヨーロッパ」というプロジェクトの終焉を、私はひたすら願っているのですから。
 なお上掲の引用文の中に「to channel Lyndon B Johnson」という意味不明の一句がありますが、このリンクをたどると実に興味深い歴史的ハプニングを知ることが出来ます。英文wikipediaによると、米国選挙民の感情に巧みに訴えた ”ひな菊” という1分足らずの大統領選挙テレビ宣伝放送が政敵ゴールドウォーターに対するジョンソンの地滑り的大勝を決定付けたのだそうです。(年齢的には私がそれを知っていてもよかったのですが) 問題の動画も見ることができますので是非ご覧ください。もしゴールドウォーターが大統領になったらソ連との核戦争が起こるというメッセージを、ゴールドウォーターの名前を挙げずに、米国選挙民に訴えたというのです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Daisy_(advertisement)

 もし今回の米国大統領選挙で、“ひな菊” と同じような効果を持つ動画が出現したら、ヒラリー・クリントンの当選は絶望的になるはずですが、今の米国選挙民にそれを期待するのは無理でしょう。


藤永茂 (2016年6月29日)

いよいよエリトリアの番か?

2016-06-20 18:26:36 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 この数年間の実績に基づいて私が信頼を置くジャーナリスト論客にグレン・フォードがいます。米国の黒人でBlack Agenda Report という報道機関の編集長です。6月15日付のブログ記事『 “アフリカのキューバ”エリトリアの政権をリビア同様に打倒する米国のお膳立整う』で、オバマ大統領が任期中にエリトリアを圧殺するのではとグレン・フォードは危惧しています。

http://www.blackagendareport.com/us_plots_war_against_eritrea

 以前から私はエリトリアのことを心配していろいろ書いてきました。この紅海に臨む人口6百万の小国は、“アフリカのキューバ”、“アフリカの北朝鮮”、の二つのあだ名を持っています。米国の操り人形に成り果てた国連を利用して、米国がどのようにエリトリア政権打倒のお膳立てを整えたかは、グレン・フォードのブログ記事を読んでしっかりと理解してください。国連の三人委員会が、米国の指示通りに、作成した申し立てが大きな嘘であることは、私の目には以前から明白ですが、最近、英国のBBCのベテラン記者Mary Harperの詳細で貴重な発言がありました。ここに引用するのはエリトリアの公式の報道番組ですが、メアリー・ハーパーさんのBBC Reportは肉声で聞くことができますし、その内容も読むことができます。そして、このトランスクリプトの先にあるコメント欄を是非読んでください。エリトリアに関する真実が那辺にあるかが分かっていただけると思います。ただ、今や国営宣伝機関に等しいBBCがこの時点で何故このような真実の報道をしたのか、その政治的意図のほどははっきり分かりません。

http://www.tesfanews.net/why-outside-world-hate-eritrea-bbc-report/#disqus_thread

なお、次の記事も開けてみてください。この記事のコメントの終わりに

http://www.tesfanews.net/note-recent-eritrea-media-coverage/

米国のかつての国連大使John Bolton が「国連はアメリカのものだ」と傲然と叫ぶ動画が付いています。
 なぜ私がこうまでエリトリアにこだわるのか? 我が日本に関わりのないアフリカの小国のことを気にするより、喫緊の重要問題が日本に山積しているではないか、という声もあるでしょう。私の答えは次の通りです。
 日本の、そして、世界の反核運動の喫緊の具体的目標は核戦争の阻止でなければなりませんが、今、世界をその危険の方向に押しやっている国の代表は米国です。オバマ大統領の広島訪問が本質的に何であったかを、我々すべてが凝視しなければなりません。オバマ大統領の講演や折り鶴をめぐる日本人の反応を見ていると、情けなさよりも、空恐ろしさが背筋を走ります。米国という国(あるいは米国を牛耳っている人々)の恐ろしさです。核兵器システムの“近代化”という名目のもとに進展している米国の核軍備拡大は公然の事実で、それを知る場所はいくらもありますが、ここでは最近のもの一つだけを挙げておきます。

http://www.alternet.org/world/washingtons-aimless-middle-east-strategy

北朝鮮とは異なり、核兵器問題には全く関係のないエリトリアに注目することで何が見えてくるのか。米国の真の姿です。米国というシステムの底知れぬ残忍さです。日本が強固な同盟関係を結んでいる国の底知れぬ残忍さです。

藤永茂 (2016年6月20日)

ノーマン・フィンケルスタイン(シュティーン)

2016-06-15 09:24:26 | æ—¥è¨˜
 前回は、我々が米国という国家の真の姿を見据えるための良い導きとなっている人物としてジョン・ピルジャーを挙げました。今回はNorman G. Finkelsteinです。次回はPaul Craig Roberts の番にしたいと思っていますが、これらの人々について語ることは、この私のブログを訪れてくださる人々には「釈迦に説法」の失礼を犯すことになるのは承知しています。
 今日の主題に入る前に、メタボ・カモさんからピルジャーの『民主主義に対する世界戦争』の立派な翻訳の所在を教えていただきましたので報告します。私も読んだはずですが、この頃は、大事なことでも、実に健やかに忘れてしまう症状に見舞われています。

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-3846.html

前々回のブログ記事の終わりの所で、米国のロビーイング団体「Avaaz」が、中国では犬を虐待して食用にしているから抗議しましょうという募金活動をしていたことにちょっと触れました。それで、メタボ・カモさんの翻訳の始めから米国がチャゴス諸島で犬に何をしたかという話が出る所までを、以下に転載させていただきます。この記事が初めての方は、その後も是非読んでください。4年も昔の記事ですが、過去だけではなく、現在のそして近未来のアメリカとイギリスを我々にはっきりと示してくれています:

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先日、リセット・タレトが亡くなった。か細いが、たくましく、並外れて知的で、決意で悲しみをおし隠した女性を覚えているが、存在感があった。彼女は対民主主義戦争に反対する民衆抵抗の化身だった。初めて彼女をちらりと見たのは、アフリカとアジアの中間、インド洋に暮らす、とても小さな混血民族、チャゴス諸島の住民達にまつわる1950年代イギリス植民省の映画の中だ。カメラは左右ぐるりと、自然の美と平穏という場面の中におかれ、栄えている村々、教会、学校、病院を撮影していた。リセットは、プロデューサーが、自分や十代の友人達に向かって、"女の子たち、微笑んでいるように!"と言っていたのを覚えていた。

何年も後に、モーリシャスの自宅キッチンに座って彼女は言った。"笑えなんて言われる必要はなかったのです。私は幸せな子供でしたから、私のルーツはあの諸島、私の天国に深く根ざしていますから。曽祖母はあそこで生まれました。あそこで私は子供を六人産みました。それで、連中は私たちを、法的に、自宅から追い出すことはできなかったのです。彼らは我々を脅して、家から出るようにさせるか、追い出すしかなかったのです。最初連中は、私たちを飢えさせようとしました。食糧船がやって来なくなり[それから]連中は、我々は爆撃されると、うわさを流し、連中は私たちの飼い犬に向かったのです。"

1960年代初期、ハロルド・ウィルソンの労働党政権は、本島デイエゴ・ガルシアに軍事基地を建設できるようにするため、イギリス植民地のチャゴス諸島の2,500人の住民を、"一掃"し"浄化"するようにというワシントンからの要求に、密かに合意していた。"連中は、私たちをペットから引き離せないことを知っていたのです"とリセットは言った。"基地建設の為にやってくると、アメリカ兵士は、私たちがココナツを蓄えていたレンガ作りの小屋に向け、大きなトラックをバックさせたのです。私たちが飼っていた何百匹もの犬が集められ、そこに閉じ込められました。それから、連中は、トラックの排気ガスをチューブで送り込み、排気ガスで殺したのです。犬達の鳴き声が聞こえました。"

リセットと家族や、何百人もの島民は、4000キロも離れたモーリシャス行きのさびかけた蒸気船に無理やり乗せられた。彼らは貨物の肥料、つまり鳥の糞を積んだ船倉で眠らされた。天候は不順だった。全員が病気になった。二人の女性が流産した。ポート・ルイスの埠頭に放り出されたリセットの一番幼い子供、ジョリスとレジスは、それぞれ一週間のうちに亡くなった。"二人は悲しみのあまり亡くなったのです"と彼女は言う。"二人は、犬に起きたことについての話を全て耳にし目にしたのです。二人は家には永遠に戻れないことを知っていました。モーリシャスの医者は悲しみは治せないと言いました。"

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 ノーマン・フィンケルスタインは

The Holocaust Industry: Reflection on the Exploitation of Jewish Suffering. (London:VERSO, 2000).
立木勝訳『ホロコースト産業――同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』(三交社, 2004年)

という著作で世界中に知られるようになりました。私もこの本から強い影響を受け、拙著『「闇の奥」の奥』もこのフィンケルスタインの本が一つの契機となって書いたものです。ウィキペディのフィンケルスタインの項に説明がありますが、この本を書いたことでフィンケルスタインは大学人としての職を絶たれてしまったままですが、彼は勇気を失わず、敢然として戦っています。つい先ごろ、彼のウェブサイトで彼のお母さんについての貴重な話を読みました。ヒロシマ・ナガサキを人間の精神の問題としてどう考えるべきかについて、私にとってまさに頂門の一針ともいうべき指針を与えられました。

 ブログ記事の全体のタイトルは、
Finkelstein Breaks His Silence. Tells Holocaust-Mongers, “It is time to crawl back into your sewer!”
という激烈なもので、彼のお母さんの話はその一部にすぎず、そこだけを訳出しますが、出来れば全文をお読みください。

http://normanfinkelstein.com/2016/05/03/finkelstein-breaks-his-silence-tells-holocaust-mongers-it-is-time-to-crawl-back-into-your-sewer/

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My mother had been enrolled in the Mathematics faculty of Warsaw University, I guess in 1937-38. Jews were forced to stand in a segregated section of the lecture hall, and the antisemites would physically attack them. (You might recall the scene in Julia, when Vanessa Redgrave loses her leg trying to defend Jews under assault in the university.) I remember once asking my mother, ‘How did you do in your studies?’ She replied, ‘What are you talking about? How could you study under those conditions?’.
When she saw the segregation of African-Americans, whether at a lunch counter or in the school system, that was, for her, like the prologue to the Nazi holocaust. Whereas many Jews now say, Never compare (Elie Wiesel’s refrain, ‘It’s bad, but it’s not The Holocaust’), my mother’s credo was, Always compare. She gladly and generously made the imaginative leap to those who were suffering, wrapping and shielding them in the embrace of her own suffering.
For my mother, the Nazi holocaust was a chapter in the long history of the horror of war. It was not itself a war – she was emphatic that it was an extermination, not a war – but it was a unique chapter within the war. So for her, war was the ultimate horror. When she saw Vietnamese being bombed during the Vietnam War, it was the Nazi holocaust. It was the bombing, the death, the horror, the terror, that she herself had passed through. When she saw the distended bellies of starving children in Biafra, it was also the Nazi holocaust, because she remembered her own pangs of hunger in the Warsaw Ghetto.
「私の母は、1937年か1938年の頃と思いますが、ワルシャワ大学の数学科に入学していました。ユダヤ人は講義室の隔離された一隅に強制的に立たされていて、反ユダヤの連中から暴行を受けることもありました。(映画「ジュリア」の中で、女優のヴァネッサ・レッドグレイヴが大学で暴行を受けているユダヤ人を守ろうとして自分の足を失うシーンを思いだす人もあるでしょう)私は母に‘勉強の方はうまく出来た?’と聞いたのですが、母は‘何を言っているの、そんな状況で勉強なんか出来なかったよ’と答えたのを憶えています。
私の母には、食べる処や学校で、アフリカ系アメリカ人が分離差別されるところを見ると、ナチ・ホロコーストの発端のように見えたのでした。今では、多くのユダヤ人は「比較してはならん」(エリー・ウィーゼルの口癖、‘それは悪い、しかし、それは我がホロコーストではない’)と言いますが、私の母の信条は、「いつも比較せよ」でした。彼女は、進んでそして惜しみなく、苦難の中にある人々のそばにまで想像力で身を寄せ、彼女自身の苦難の抱擁の中に包み込み、覆い守ろうとしたのです。
私の母にとって、ナチ・ホロコーストは戦争の恐怖の長い歴史の一章でした。それ自体は戦争ではなく-それは皆殺し行為であって、戦争ではなかったと母は強調しました-世界大戦の中の特筆すべき一章でした。だから母にとっては、戦争というものが究極的なホラーだったのです。彼女がベトナム戦争でベトナム人が爆撃されるのを見ると、それはナチ・ホロコーストなのでした。それは、彼女自身がくぐり抜けてきた爆撃であり、死であり、ホラーであり、テロであったのです。ビアフラで飢餓状態の子供達の膨れあがった腹を見ると、ワルシャワのゲットーでの彼女自身の飢餓の苦痛の記憶の故に、それもまたナチ・ホロコーストだったのです。

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6年前の2010年5月26日のブログ記事『核抑止と核廃絶(6)』で、私は、ナチ・ホロコーストを唯一絶対的なものとする考えを問題にしましたが、その時には、ノーマン・フィンケルスタインのお母さんのようなユダヤ人がいるとは想像しませんでした。「この親にしてこの子あり。」
 ノーマン・フィンケルスタインのホームページは:

http://normanfinkelstein.com


藤永茂   (2016年6月15日)

ハロルド・ピンター、ジョン・ピルジャー

2016-06-01 19:14:14 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
グッキーさんからは「ヴェルグルの奇跡」について、キツツキさんからは「ハロルド・ピンター」について、興味深いコメントをいただきました。「ヴェルグルの奇跡」の方はまるっきり知りませんでしたが、「ハロルド・ピンター」については、昔(2007年7月25日)このブログに書いたことがありますので、それを振り返ってみます。

■『闇の奥』の読み方(4)
 『残ったのはピンターだけ』と題して、テリー・イーグルトンが、7月9日付けのガーディアン紙に、面白い記事を書いています。タイトルは“Only Pinter Remains. British Literature’s long and rich tradition of politically engaged writers has come to an end.”です。その出だしには、こう書いてあります。
「この2世紀の間で、およそ初めてのことだが、西欧生活様式の基盤を問いただす気概をそなえた著名な詩人、劇作家、小説家は、英国には一人も居なくなっている。社会主義者では全然ないというよりは、優雅な生活ぶりの社会主義者(a champagne socialist)である方がましだと賢明にも心に決めたハロルド・ピンターだけは名誉ある例外としてもよいかもしれないが、しかし、彼の最もあからさまに政治的な作品は、同時に、芸術的に最も退屈なものでもある。」
イーグルトン自身も、おそらく、優雅な生活ぶりのマルキシストでしょうが、まあ、そんな事はどうでもよろしい。
 今年の6月、サルマン・ラシュディーが英国女王からナイト称号を与えられたのを機に、ガーディアン紙から依頼されて書いた文章でしょうが、テリー・イーグルトンらしい切れ味が冴えています。ラシュディーについては「西欧についての容赦のない風刺作家であることから、その西欧のイラクとアフガンでの犯罪行為に声援を送る所まで居場所を変えた」と切り捨てます。続いて、Christopher Hitchens とかMartin Amisとか、私などにも聞き覚えのある人たちの変節ぶりを叩いたあと、イーグルトンは、英国が産業資本主義国家として台頭した頃に遡って、シェリー、ブレイク、カーライル、ラスキン、ウィリアム・モリス、など、英国の支配階級批判の健筆をふるった文人たちの伝統を辿ります。さらに、
 「20世紀の始めの三、四十年、英国ではHG ウェルズやジョージ・バーナード・ショーといった社会主義者作家が支配的地位にあった。ヴァージニア・ウルフがThree Guineas(三ギニー)で“他の人々を威圧し、・・・支配し、殺し、土地と資本を手に入れる術策”について書いた時、彼女は、彼女自身を、殆どあらゆる主要なイギリス作家よりも左に位置させたのだ。」
 しかし、第二次世界大戦後は衰退の兆が現われます。50年代の‘怒れる若者たち’の殆どは、やがて、陰気くさい老いぼれたちに変身してしまいます。英国はブレヒトやサルトルに相当するような激烈な作家たちは生まず、アイリス・マードックもドリス・レッシングも尻すぼみにおわりました。結局残るところはナイポール、ラシュディー、ストッパードなどの移民組ですが、彼らも英国の伝統にチャレンジすることよりも、それに進んで同化する方により熱心なように見えます。テリー・イーグルトンは「The same had been true of Joseph Conrad, Henry James and TS Eliot」と書いています。テリー・イーグルトンが、この点で、コンラッドをナイポールの先輩だとはっきり指名しているのは、私には大変興味があります。
 ハロルド・ピンターが世界の人間の敵と看做す政治家たち、とりわけブッシュ大統領を愚弄する彼の毒舌は痛快なものです。今年の3月の発言では、
If you are not with us, you are against us” President Bush has said. He has also said “We will not allow the world’s worst weapons to remain in the hands of the world’s worst leaders”. Quite right. Look in the mirror chum. That’s you.
と言っています。最後のところを訳してみます。「全くもってその通り。だが、あんた、鏡で自分をよく見てごらん。そりゃ、あんたのこった。」
 ハロルド・ピンターは、2005年12月にノーベル文学賞を受賞しました。その受賞講演『Art, Truth & Politics』の内容も烈しいものですが、ここで彼は、芸術における真実の追求を政治における真実の回避に対置して論じています。コンラッドの小説『闇の奥』を芸術作品として読みたいと願っている私にとっては、ピンターが、作家というものは、芸術的言語を使って、作中のキャラクターたちを創造し、彼/彼女らと作家自身の格闘を通して、芸術的真実を追求するものだと語っているのは、たいへん参考になります。これに対して、大部分の政治家は真実というものには興味がなく、権力に、そして、その権力の維持にのみ関心を持っています。「その権力を維持するためには、人民一般が無知の中に止まり、真実について、彼ら自身の生についての真実についてさえ、無知のままで生活していることが肝要である。したがって、われわれを取り巻いているのは嘘で出来たでっかいタペストリー(a vast tapestry of lies)であり、その嘘を糧にして、われわれは日々を生きている」とハロルド・ピンターは言います。今、ブッシュ大統領の大嘘のつづれ錦に包み込まれて、イラク戦争を遂行しているアメリカ国民にそっくり当てはまる言葉と言えましょう。
 前にも取り上げたことがありますが、「嘘」の問題は、昔から、『闇の奥』評論の大きなテーマの一つです。中央出張所に到着したマーロウは、所長をはじめとする白人たちの殆どが、自分の内も外も嘘で固めるような生き方をしているのを目撃して、こう言います。「君らも知っての通り、僕は嘘が大嫌い、何とも我慢がならないのだ。それも、僕が他の人間よりも真っ当で正直だからじゃなく、ただ、嘘というものが僕をぞっとさせるからなのだ。嘘には死の汚れ、免れられない死の匂いのようなものがある?そして、それこそが、まさに此の世で僕が憎み、忌み嫌う?何とかして忘れたいと願うものなんだ。何か腐ったものを口の中で噛んだみたいに、惨めな気持になり、むかついてくる。」(藤永 73)。ところが、これほどまで「嘘」がきらいだった筈のマーロウ本人が、『闇の奥』のエンディングの場面で、クルツの婚約者に、クルツの最後の言葉は「あなたの名前」だったと嘘をつきます。本当は「地獄だ!地獄だ!」と言って果てたのですが。この大きな矛盾をどう読み解くか、これが『闇の奥』解釈の一つの大きなポイントというわけです。
 この点に限らず、クルツやマーロウについての私の読みが、浅薄なポストコロニアル論的レベルに止まっている可能性を,私は、よく反省すべきなのかも知れません。「小説はまず小説として読むこと」--以前そうしたタイトルでブログを書いたことがありました。私は、依然として、同じ地点で足踏みをしているような気がしてならず、ハロルド・ピンターのノーベル賞受賞記念講演の政治的コンテントより、彼が芸術作品の芸術的真理について語っている部分に,より強く惹かれてしまいます。小説『闇の奥』の芸術的真実とは何か?
 そうした想いもあって、久しぶりにシャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』(大久保康雄訳)を読み返しました。1847年に世に出たこの小説は、80の齢をこえた日本の一老いぼれ(an old buffer)に、いまも強い感銘を与える力を持っています。当時の英国植民地がこの小説の上に落す長い影もいくつか認められます。そうした事を,次回には、論じてみたいと思います。
藤永 茂 (2007年7月25日)■

 『残ったのはピンターだけ』とテリー・イーグルトンが書いたのは2007年7月、翌2008年12月24日にハロルド・ピンターは78歳で亡くなりました。ノーベル文学賞受賞は2005年でした。キツツキさんがコメントで取り上げておられる2007年に発行された集英社新書のピンターの講演集『何も起こりはしなかったーー劇の言葉、政治の言葉』のタイトル“何も起こりはしなかった”はノーベル文学賞受賞講演(集英社新書に含まれています)から取った言葉です。原文は下のサイトにあります。

https://www.theguardian.com/stage/2005/dec/08/theatre.nobelprize

『芸術、真理、政治』と題するこの講演は再読三読に値します。始めのところを写します:
â– In 1958 I wrote the following:
'There are no hard distinctions between what is real and what is unreal, nor between what is true and what is false. A thing is not necessarily either true or false; it can be both true and false.'
I believe that these assertions still make sense and do still apply to the exploration of reality through art. So as a writer I stand by them but as a citizen I cannot. As a citizen I must ask: What is true? What is false? â– 
この「作家としてはこの立場を守りますが、市民としてそうは出来ません。市民として私は問わなければなりません:何が真実か?何が虚偽か?」というピンターの強くきっぱりとした言葉に彼の哲学が凝縮されています。
 芸術を通してこの世の現実を探る場合に正邪の見分けは容易につくものではないことは私のような凡夫にもわかります。しかし、心中に或るアジェンダを抱いて「すべては解釈の問題だ」と主張することとは、全く別のことです。政治の世界では、何が真実か、何が虚偽か、が意図的に誤魔化されている場合があり、私たちは、その真偽をはっきりと見据えなければなりません。これは、政治の世界に限られたことではありません。自然現象に対処する場合にも同じ問題に直面します。科学哲学では、これは真理の対応説とか素朴実在論などの名目で議論しますが、「自然現象はこういう風に起こる」という自然科学の理論も真か偽かをはっきりする手立てはないという立場の人たちがいます。
 上のブログの始めに出ているテリー・イーグルトンの英国文学の現状についての見解は

http://www.theguardian.com/commentisfree/2007/jul/07/comment.politics

ほぼ10年経った今でも充分通用しますが、でも、ピンター亡き後に、米国の悪魔的な世界制覇の行動の真の様相を私たちのために暴き続けてくれている気骨のある人たちが絶えてしまったわけではありません。ジョン・ピルジャーがその一人です。私たちにとって、常々、闇夜の道しるべである『マスコミに載らない海外記事』(http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/)にしばしば登場するPaul craig Robertsもそうした貴重な存在です。
 しばらく前、たまたま次のような記事に行き当たりました:

『この記事を読んでもまだ沖縄の米軍基地は日本の抑止力と言えるでしょうか   民主主義に対する世界戦争(John Pilger)』

http://maiko.cocolog-nifty.com/kuma/2012/02/post-3a23.html

残念なことに、自動翻訳に基づいた抄訳のようです。ピルジャーの原文は次のサイトにあります。

http://johnpilger.com/articles/the-world-war-on-democracy

このピルジャーの発言は2012年1月19日付で、インド洋にあるチャゴス諸島の最大の環礁ディエゴガルシア島で英国と米国が何をしたか、何をしているか、についての、真実を述べたものです。この島の名前が初耳のように思える人々は是非読んでください。その中に、ピンターへの言及もあります。どうしても英語を読むのが嫌なら、maiko さんの翻訳でも一応は間に合います。
 ごく最近(2016年5月27日)ピルジャーは『Silencing America as it prepares for war (国民を黙らせたまま戦争に向かうアメリカ)』と題する激烈な米国糾弾の一文を発表しました。方々に転載されています。

http://johnpilger.com/articles/silencing-america-as-it-prepares-for-war

その中ほど近くにあるハロルド・ピンターの引用部分とそれに続くオバマ大統領の核兵器政策への言及の部分を写し、オバマ部分を訳出します。

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The breathtaking record of perfidy is so mutated in the public mind, wrote the late Harold Pinter, that it "never happened ...Nothing ever happened. Even while it was happening it wasn't happening. It didn't matter. It was of no interest. It didn't matter... ". Pinter expressed a mock admiration for what he called "a quite clinical manipulation of power worldwide while masquerading as a force for universal good. It's a brilliant, even witty, highly successful act of hypnosis."
Take Obama. As he prepares to leave office, the fawning has begun all over again. He is "cool". One of the more violent presidents, Obama gave full reign to the Pentagon war-making apparatus of his discredited predecessor. He prosecuted more whistleblowers - truth-tellers - than any president. He pronounced Chelsea Manning guilty before she was tried. Today, Obama runs an unprecedented worldwide campaign of terrorism and murder by drone.
In 2009, Obama promised to help "rid the world of nuclear weapons" and was awarded the Nobel Peace Prize. No American president has built more nuclear warheads than Obama. He is "modernising" America's doomsday arsenal, including a new "mini" nuclear weapon, whose size and "smart" technology, says a leading general, ensure its use is "no longer unthinkable".
<訳文>オバマを見てみよ。大統領退任の日が近づくにつれ、人心への媚態がまたぞろ始まった。彼は“クール”だということになっている。暴力的な歴代大統領の一人として、彼は、不評嘖嘖たる前任者(ブッシュ)の戦争機関ペンタゴンを自由気ままに振るまわせてきた。彼は、真実を告げる内部告発者たちを、他の如何なる大統領よりも多く起訴した。彼はチェルシー・マニングを彼女が裁判を受ける前に有罪だと言明した。現在、オバマはドローンを使って全世界にわたる前代未聞のテロと殺人作戦を遂行している。
2009年、“世界から核兵器をなくす”手助けをすると約束して、ノーベル平和賞をものにした。ところが、オバマよりも多くの核弾頭を製作したアメリカ大統領はいないのだ。彼はこの世の終わりをもたらす備蓄兵器の“近代化”をやっている。その中には新しい“ミニ”核兵器も含まれていて、そのサイズと“スマート”なテクノロジーのおかげで、“これならホントに使えそう”と偉い将軍さんがお墨付きを与えている。
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オバマ大統領の広島猿芝居に随喜の涙を流しておられる方々は、心を落ち着けてジョン・ピルジャーの言うことにも耳を傾けてください。オバマという人は「反核を唱えた米国大統領」という名を残すことを望んでいるだけです。もしも本当に、この人が無辜の人々を残忍に殺戮することをやめなければと考えるのなら、この人には、いま即刻やれることが山ほどあります。
 上で訳出しなかった部分、つまり、ピンターの言葉が引かれている部分を英語原文で読んでみようと思う方々は、ピルジャーの文章よりわかり易いピンターその人の次の文章を読んでください。彼のノーベル文学賞受賞講演からの引用です:
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The United States supported and in many cases engendered every right wing military dictatorship in the world after the end of the Second World War. I refer to Indonesia, Greece, Uruguay, Brazil, Paraguay, Haiti, Turkey, the Philippines, Guatemala, El Salvador, and, of course, Chile. The horror the United States inflicted upon Chile in 1973 can never be purged and can never be forgiven.
Hundreds of thousands of deaths took place throughout these countries. Did they take place? And are they in all cases attributable to US foreign policy? The answer is yes they did take place and they are attributable to American foreign policy. But you wouldn't know it.
It never happened. Nothing ever happened. Even while it was happening it wasn't happening. It didn't matter. It was of no interest. The crimes of the United States have been systematic, constant, vicious, remorseless, but very few people have actually talked about them. You have to hand it to America. It has exercised a quite clinical manipulation of power worldwide while masquerading as a force for universal good. It's a brilliant, even witty, highly successful act of hypnosis.
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最後のところ;“それはいとも鮮やかな、機知にさえ溢れる、高度な成功を収める催眠術の行使である”を、ピルジャーは、ピンターのa mock admiration だと言いますが、オバマの広島訪問の全体像を見ていると、彼らの催眠術の行使が如何に見事なものであるかに、私などは、ほとんど見惚れてしまったほどです。これぞ、まさに恐るべき強敵。


藤永茂 (2016年6月1日)