私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

メルヴィルのビリー・バッド(2)

2021-07-26 19:51:36 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 NHKテレビで人間の「泣く」という行為を取り上げた番組がありました。その中で、「人はどのような時に涙を流すか」を調べたところ、第一位は「ペットが死んだ時」で「近親者が亡くなった時」は第二位だったと報じていました。意外な結果でしたが、考えているうちに、順位よりも、人間の「心」そのものの性質の方が興味深いと思うようになって行きました。「心」とか「魂」とかいう言葉は曖昧そのものですが、私たちはこうした言葉を、日常、実によく使います。「ペット・ロス」という精神医学の言葉があります。愛するペット動物を持った経験のある人はペットにも「魂」があると、無意識にしても、固く思い込んでいると思います。だから、ペットの死に直面して涙するのです。「心」、「魂」、心と心の触れ合い、魂と魂との結びつき、これらが空語でないことを、私も妻を失って痛烈に実感している毎日です。そして、それは一方通行であっても良いのです、片思いでも構いません。人間とはそういう性格を具有した動物であるという事実こそが重要です。

 『ビリー・バッド』の話に戻ります。急ぎ開廷された軍艦上の軍法法廷で死刑の判決が下され、翌朝、絞首刑の実施が決まります。法廷の判決をビリーに自ら伝えようと艦長ヴィアは申し出て、二人だけで個室に入ります。密室内で何が行われたか、どのような会話が交わされたのか? 作者(ナレーター)は推測をするだけで、はっきりしたことは何も読者に語ってくれません。ヴィアから翌朝絞首刑の判決を聞いた罪人ビリーは、個室から出た後、足枷をされて甲板に転がされていましたが、不思議なことにその表情はまるで穏やかで、時折は微笑みのエクボらしいものも浮かんでは消えるといった有様でした。従軍牧師が、通例に従って、最後の懺悔を訊くためにビリーのそばに跪いても、牧師の存在など意識する気配がないのを見てとって、牧師はビリーのから身を引いてしまいます。朝が来て、絞首刑執行の直前、ビリーは朗々たる声で「神よ、ヴィア艦長に祝福を与え給え」と叫びました。飯野友幸訳には「はっきりとした言葉と自然に発した谺とが渦巻くように跳ね返ってきたが、ヴィア艦長はストイックな自己抑制のせいか、それとも感情を揺さぶられて瞬間的に麻痺したせいか、兵器係用の棚にならんだマスケット銃のように直立不動で立っていた。」とあります。

 ヴィアを艦長とする軍艦は、やがて敵艦に遭遇し、敵艦から発射されたマスケット銃の銃弾を浴びてヴィアは甲板上に倒れて戦死します。彼の最後の言葉は「ビリー・バッド、ビリー・バッド」というものでした。

 前回のブログ記事の末尾に引いた福岡和子さんの論文にも大塚寿郎さんの解説にも、また、Spanos の本にもある通り、ビリー・バッドとヴィアとは同性愛の関係にあったという解釈が広く行われているようです。それならばそれでよろしい。二つの魂が美しく触れ合ったということだけが私にとって大切なのです。同性愛であったか、なかったかなど、どうでもよいことです。

 密室の中でビリー・バッドとヴィアの間にどのような会話が交わされたのか、想像するしかありません。同じことは、歌舞伎菅原伝授手習鑑「寺子屋の段」の小太郎と源蔵の関係についても言えます。家屋の奥で、源蔵が小太郎の首をはねる前に二人の間で交わされた会話を私たちは知ることができません。しかし、斬首の後にやって来た小太郎の父親の松王丸は、源蔵から事の次第を聞いて、「何、にっこりと笑いましたか。にっこりと、こりゃ女房、にっこりと笑うたというやい。・・・・」という名台詞を吐きます。

 「勧進帳」は、歌舞伎通でない私のような者にも、数多ある見せ場の面白味がよくわかる名作ですが、私にとってのクライマックスは、何と言っても、安宅の関の関守、冨樫左衛門が、弁慶一行の正体をはっきりと見抜きながらも、弁慶という男の見事な魂に触れて感動し、一行を通せば源頼朝が自分を殺しにかかるのを承知の上で、弁慶と義経の命を救う決意をする瞬間の一場面です。

冨樫左衛門には実在のモデルがあったようで、その名、冨樫泰家(やすいえ)、ウィキペディアによると、関守の職を剥奪された後、故郷の地に潜んで死を免れ、やがて出家して「成澄」を名乗り、奥州平泉まで出かけて弁慶との再会を果たしました。弁慶はやがて平泉で「弁慶の立ち往生」で知られる壮烈な戦死を遂げますが、冨樫(成澄)は故郷で天寿を全うしたそうです。

 源蔵が匿っていた主君の子息の身代わりとして、笑顔で死んでいった美少年小太郎と源蔵の関係は、ビリーとヴィアの関係に似ています。外的な exceptionalな状況の重圧のもとで、何の罪もない子供が犠牲となって殺されました。「テロとの戦い」という錦の御旗、大国の身勝手な口実によって、世界中の無辜の人間たちが、数知れず、殺害されている現実は、Spanosの新しい『ビリー・バッド』解釈を生み出しました。

 今の世界を支配している権力構造に蹂躙されるままになっている無数の無名の人間たちはお互いにあらゆる形態の「魂と魂の絆」で結ばれて暮らしています。ペットとの間柄も含まれます。あまりにも使い古された言葉ですが、私は、ここで、「愛」について語っているつもりです。

 「ビリーが反乱を企てている」と艦長ヴィアに讒訴するクラガートは人間の心に潜む邪悪のシンボルです。個人の内心に潜む悪の存在は、我が身の内側を覗き込めば、おそらく誰もが認めざるを得ないことでしょう。しかし、今の世界に君臨する巨大な悪は権力が造った構造的なものであり、必然的なものではありません。この社会構造的な悪は、根絶は望めないにしても、大多数の人間たちの日々の平和な生活を蹂躙しないレベルに押し鎮める事は可能であろうと、私は考えます。そう、希望します。このオプティミズムの根拠は、人が人を愛する能力がある、人は万物を愛することが出来る、という不動の事実の存在です。「愛」は存在します。ビリー・バッドとヴィアとの魂のふれ合いは、極限的なケースではありましょうが、「愛」の存在の鮮烈な象徴です。

 もう一つだけ、よく知られた「愛」の例を挙げましょう。名作映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のアルフレードとサルバトーレ(トト)との間の美しい「愛」、これさえあれば、人間、他には大して何もいらないのです。この映画に出てくる全くありきたりの「愛」の数々、心と心の触れ合い、親と子、大人と子供、夫婦、姉妹、兄弟、男と男、男と女、女と女、・・・、どんな人間の間にも、「愛」は成立し、存在します。人間と動物の間にも「愛」は見事に成り立ちます。私たちはこの世に無償の「愛」が存在することを否定することはできません。この事実に“じゃなかしゃば”(今の世の中でない世の中)の実現可能性を見て悪い理由は何もありません。

 さき頃、RICHARD GILMAN-OPALSKY という人の書いた『The Communism of Love』(2020年出版)という本を読みました。些か胡散臭いタイトルだと思う人もいるでしょうが、著者は、私と同じく、大真面目です。交換価値を求めない無償の「愛」についての考え方において、私と共通するところがあります。この本の中に、昔のドイツで活躍し、47歳で惨殺される悲運に見舞われた共産主義革命家ローザ・リュクセンブルクの話が出て来ます。この女性はミミという猫をこよなく愛し、まるで一人の人間のように扱いました。彼女は「愛」に満ちた人間でした。

 

藤永茂(2021年7月26日)


メルヴィルのビリー・バッド(1)

2021-07-24 20:37:14 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 1968年にカナダに移住してから、私はアメリカ・インディアン(北米先住民)や鯨(鯱を含む)などに強い興味を持つようになりました。それが私をメルヴィルの小説『モービー・ディック(白鯨)』に導いたのだったと思います。その中には先住民も黒人も出て来ます。バラク・オバマという黒白混血の政治家が米国政界に彗星のように出現した時に、私はこの人物を米国映画『エルマー・ガントリー』の詐欺師的牧師になぞらえて考えるようになり、それが私をメルヴィルの変テコな小説『コンフィデンス・マン(詐欺師)』に導きました。米国では人を信用させてから欺く人物を「コンマン」と呼びます。「コンウーマン」という言葉もあるようです。この小説にも先住民と黒人のことが出て来ます。私がこのブログでバラク・オバマのことを取り上げたのは大統領選挙の前のこと、『オバマ現象/アメリカの悲劇(1)』(2008年2月27日)に始まる4回連続の記事で、その結論として次のように述べました:

「未来の予言を試みるのは常に空しい所業ですが、アメリカという國の将来がお先真っ暗であることは確かです。共和党のマケインがオバマに勝って大統領になり、アメリカは今の国家路線をそのまま暴走するでしょう。もしオバマが初代黒人大統領になったにしても、イラクの占領は継続され、パレスチナ・ホロコーストはますます進行し、アメリカ国内の黒人白人の貧困層の苦難はいよいよ大きくなるばかりでしょう。」

バラク・オバマ氏は見事に勝利して、2009年1月20日から2017年1月20日までの8年間、米国の第44代大統領の地位にありました。

今、私の卓上にWilliam V. Spanosというメルヴィル学者の『THE EXCEPTIONALIST STATE and the State of Exception––Herman Melville’s Billy Budd, Sailor 』(2011年)という本があります。古い書き込みから判じて、出版後すぐ購入して読んだようです。『ビリー・バッド』は未完の遺稿として残されたメルヴィル最後の作品です。Spanosの本は文学作品というテキストを巡ってあれこれの文学理論がその地位を争った時代の学術書として、私の理解能力を超えた内容でしたが、メルヴィル論として『白鯨』や『コンフィデンス・マン』のことも出て来ますし、とにかく齧り付いてみました。ベンジャミン・ブリテン作のオペラ『ビリー・バッド』も覗いてみました。しかし、『白鯨』はともかく、『コンフィデンス・マン』も『ビリー・バッド、水兵』でも著者メルヴィルが何を言おうとしたのか、モヤモヤしたままで今日に及びました。

Spanos という学者さんの本(2011年出版)は、それ以前の文学理論全盛時代に提出された『ビリー・バッド』論の数々に言及しながら、2001年9月11日以後のブッシュ大統領の「テロとの戦い」政策展開下、それが例外的(exceptional)な非常事態であるという口実の下で、テロリストでない無辜の人間たちが無残に殺されるという現実に抗議する意図を下敷きにして『ビリー・バッド』の新しい解釈、読み方、メルヴィル論を展開した書物です。

 では、なぜ、今頃になって、またSpanos の本を再読し、飯野友幸訳大塚寿郎解説の『ビリー・バッド』(光文社、2012年)を読んでみたのか? それは『ビリー・バッド』 の一人の読者として、近代文学理論が“読者”に与える立場を目一杯に利用して、『ビリー・バッド』のテキストに私自身の感じ方に沿った読み方を与えてみたくなったからです。その読み方は、二つの名作歌舞伎、菅原伝授手習鑑の「寺子屋の段」と、もう一つ、勧進帳につながります。

 『ビリー・バッド』の物語の中心人物は民間商船から英国海軍によって強制的に徴用された水夫のビリー、軍艦の艦長ヴィア、上級士官のクラガートの三人です。物語が展開する当時、英国海軍は酷使していた水兵たちの反乱(mutiny) が大いに懸念されるexceptional な状況下にありました。ある日、クラガートは艦長室にやって来て「ビリーが反乱を企てている」と艦長ヴィアに讒訴します。ヴィアは即刻ビリーを艦長室に呼び付けて問いただします。全く身に覚えのない反乱の首謀者の疑いをかけられたビリーは、もともと重度の吃音者(どもり)で、弁明の言葉を発することができず、逆上して、鉄腕を振るい、クラガートを殴り殺してしまいます。反乱の疑いについてはビリーの無実を固く信じていた艦長ヴィアでしたが、上級士官を殺害する重罪を犯してしまった水兵ビリーを裁かなければなりません。

 このビリーとヴィアを、「寺子屋の段」の小太郎と源蔵に、また、冨樫と弁慶に結び付けようとする私の試みは、奇矯にすぎるかもしれませんが、私は大真面目に考えています。次回のその説明をいたします。

 『ビリー・バッド』についてはネット上に沢山の記事があります。参考までに、私が大変興味深く読んだ学術論文を一つ掲げておきます:

福岡和子:他者の変貌--『タイピー』から『ビリー・バッド』 (2006年)

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/135343/1/ebk00078_071.pdf

 

藤永茂(2012年7月24日)


カナダよ、お前もか

2021-07-10 18:41:42 | æ—¥è¨˜

 2021年6月16日付けの記事の後半で取り上げた事件について、著作『ショック・ドクトリン』でよく知られるカナダの女性評論家ナオミ・クラインが詳しく報道していますので紹介します。この番組は、米国のインターネットメディアである「インターセプト(The Intercept)」に出ました。下のサイトに1時間5分にわたる録音とその完全な英語トランスクリプトがあります。それを読みながら、この驚くべき録音報道をお聞きください。但し、冒頭に次のような警告があります:

Warning: This episode contains highly distressing details about the killing, rape, and torture of children. (警告:この番組は児童たちの殺害、強姦、拷問についての極めて悲惨な詳細を含んでいる)

https://zcomm.org/znetarticle/stealing-children-to-steal-the-land/

この番組の導入部を原語で掲げておきます:

This week on Intercepted: Naomi Klein speaks with residential school survivor Doreen Manuel and her niece Kanahus Manuel about the horrors of residential schools and the relationship between stolen children and stolen land. Doreen’s father, George Manuel, was a survivor of the Kamloops Indian Residential School, where unmarked graves of children as young as 3 years old were found. Kanahus’s father, Arthur Manuel, was also a survivor of the Kamloops residential school. This intergenerational conversation goes deep on how the evils of the Kamloops school, and others like it, have reverberated through a century of Manuels, an experience shared by so many Indigenous families, and the Manuel family’s decadeslong fight to reclaim stolen land.

Warning: This episode contains highly distressing details about the killing, rape, and torture of children. 

 6月16日付のブログ記事から関係部分を再録します:

*********

今年(2021年)の5月末、カナダ西岸のブリティッシュコロンビア州の内陸の都市カムループスにあった先住民寄宿学校の跡地で215体の先住民児童の遺骨が発見されました。その中には3歳の幼児の遺骨も含まれていましたが埋葬の詳細はまだ分かっていません。カナダの先住民寄宿学校制度(Canadian Indian residential school system)は先住民を同化するカナダ政府の政策の下で、カナダ全域にわたり、キリスト教教会によって実際の運営管理が行われていました。その数は総数130に及んでいます。1831年から1996年まで運営は続きました。先住民文化の影響受ける前の頭脳的に未発達の4歳から5歳の幼児たちが、親兄弟から強制的に引き離されてされて各地の寄宿学校に収容されて洗脳教育を受けたのです。寄宿舎での生活環境は劣悪で、精神的、身体的苦悩から多数の子供たちが死にました。その正確な数は確立されていませんが、1割以上に達していた可能性が十分あります。管理の責任を担っていたキリスト教教会のメンバーによる未成年者の性的虐待の事実も確かめられていますし、近頃の出版物ではゼノサイドという言葉が普通に使われるようにさえなっています。

*********(再録終わり)

事件についての記事を一つ挙げておきます:

https://libya360.wordpress.com/2021/06/11/215children-indigenous-peoples-grieve-after-mass-grave-found-at-residential-school/

これに続いてカナダ内陸のサスカチュワン州でも同じくカトリック教会が管理運営していた先住民寄宿学校の敷地で更に751体の先住民児童の遺体が発見されました:

https://www.rt.com/news/527477-canada-indigenous-children-graves-saskatchewan/

カナダ全国にはこうした先住民寄宿学校が130以上もあって、1883年から1996年まで、中央政府から委託された形でカトリック教会が管理運営していました。家族から引き離されて寄宿学校に連行された先住民児童の総数は約15万人、学校で死亡した子供たちの数は1割以上にのぼると推定されています。5万人が死んだという推定をする先住民も近頃いるようです。

 カナダの女性評論家ナオミ・クラインの出演番組に戻ります。冒頭の警告にある通り、その中に含まれているカトッリック教会関係の人々の暴虐残忍な行為は想像を絶する信じ難い様相のものです。以下に録音記録のトランスクリプトの、その2例を含む部分を引用しておきます:

MS: Some of the survivors talked about infants who were born to young girls at the residential schools who had been fathered by priests, having those infants taken away from them and deliberately killed, sometimes by being thrown into furnaces, they told us.

NK: I’m wondering if you believe that we haven’t heard the worst yet?

DM: No, no, you haven’t heard the worst yet. My mom went to the residential school in Cranbrook. And she witnessed firsthand her close friend being murdered by a nun. The nun just threw that little girl down the stairs like a rag doll and her neck snapped.

In that same school, the girls didn’t ever want to go into the infirmary, they never wanted to be sick. Because if you were sick, and you went in there, that’s where you got raped. The priests would go one by one to the girls every night and rape every one of them. My mother got raped in there, and she watched her friends getting raped in there. And one of those women got pregnant. And then they threw her out of the school, they called her a whore.

I was waterboarded in there. I was held under the water till I passed out. I was 8 years old. Well, the reason they did that to me was because I wet my bed. I wet my bed because I was scared. I had to fight for my life. I was just a little kid, I was frightened, I had no idea what was going on. I didn’t know why dad left me in there; I didn’t know where mom was. So I wet my bed every single night.

Things went on in the bathroom that I heard about, like girls were raped in there, different things were happening to girls, if you got up at the middle of the night to go to the bathroom. So I didn’t want to go in there. And I didn’t. And they started strapping me for wetting my bed. And when that didn’t work, it moved on to harsher and harsher punishments, until it got to that — just sheer frustration because they thought they could beat it out of me, beat a different behavior out of me.

次のニューヨークタイムズの記事には興味深い写真がたくさんあります:

https://www.nytimes.com/2021/07/05/world/canada/Indigenous-residential-schools-photos.html?campaign_id=2&emc=edit_th_20210706&instance_id=34622&nl=todaysheadlines&regi_id=68146593&segment_id=62674&user_id=2d1907fb8ebe0dbc559d19a5da2f88a0

 私の国籍はカナダです。就職先の大学で「できればカナダ国籍を取得してほしい」と学部長に言われて、当地の日本総領事館に出かけて総領事さんに相談したら、「貴方は日本人だから、日本に帰ったら又日本国籍に容易に戻れるはずだ」という答えでした。大学には米国国籍のままの米国人が数多くいましたが、米国人の場合は、一旦、米国国籍を放棄すると「米国に対する忠誠心に欠ける人物」と見做され、米国国籍の再取得は難しいとのことでした。大学停年後、老後はやはり日本で過ごしたいと思うようになった私は10年ほど前に福岡の法務局に出かけて日本国籍の再取得の手続きを始めたのですが、「小学校での成績の記録」などなかなか煩いことを求められて嫌気がさし、つい今までカナダ国籍のままで過ごして来ました。

 四十年間ほど住んでみて、カナダは住みやすい国だというのが私の感想です。米国よりは確かに住みやすいと思います。「アメリカは人種の坩堝だが、カナダは人種のモザイク」という俗説がありました。近頃の米国の有様を見ていると、異なった人種の人たちがすっかり混ざり合い溶け合っているという話はまるっきりの嘘っぱちだったことが鮮明になっています。先住民の処遇についても、カナダは米国より遥かに良かったと、今まで私は信じていましたが、今度の先住民寄宿学校事件でその信念が揺らぎました。本質的には米国と同じなのかもしれません。

 本日7月10日のブログ『マスコミに載らない海外記事』のタイトルは「カナダ植民地の遺産は殖民による植民地主義が世界中でお咎めなしで済んでいることの反映」です。

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2021/07/post-309149.html

国際的視野に立つ好記事です。ぜひお読みになって下さい。

 

藤永茂(2021年7月10日)


HARRY COLLINS のゴーレムとフクロウ

2021-07-08 18:12:20 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 私の二つのブログの両方とも読んで下さっている「山椒魚」さんから次のような重いコメントを頂きました:

*********

 è‡ªç„¶æ³•å‰‡ã®å¿…然性に関連して(山椒魚)

2021-07-02 20:12:32

先生はトーマスクーンの「ヒュームの問題」のところで,自然法則は必然性の下にあると述べていられ,物理学の発展の過程も必然的あるというように述べられていたように思います。今,世間はSRAS-COV19の問題で大変になっていますが(?)
 この感染症に対するワクチンが遺伝子操作によって作成され使用されています。このように生命科学が人類の遺伝子を自由に操作できるようになった過程も必然的であるとしたら,この先新たな生命を科学が産生できるようになるとしたらどのような社会が訪れるのだろうかとおもいます。
 「必然性」ということについても,物理学の発展の過程は必然的であったとして,人間社会の社会制度のあり方はどう考えたらよいのでしょうか。文明社会はその発展帰結として,どのようなところに収斂してゆくのか,それは必然的なのか。
 人間同士が殺戮を重ねているこの状態は,必然的で変えることはできないのか,いつも考えていますが

*********(コメント終わり)

じっくり考えてお答えしたいと思っていますが、実は、このコメントを頂いた私の前回の記事「君はトーマス・クーンを知っているか」の主題の唐木田健一さんの英語論文もこの問題と大いに関わりがあるのです。 トーマス・クーンの強い影響のもとで「科学知識の社会学」(SSK, sociology of scientific knowledge) と名付けられた分野が英国を中心に出現して、科学論に一騒ぎが持ち上がり、日本でも結構流行しました。米国ではハリー・コリンズの著書が大いに話題になりました。この人の著書の和訳としては『解放されたゴーレム』(ちくま学芸文庫、2020)がありますが、これは H. コリンズ、T. ピンチ共著『The Golem at Large: What You Should Know about Technology』(1998年)の翻訳です。ウィキペディアには「ゴーレムはユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形。ゴーレムとはヘブライ語で胎児を意味する」とあります。私がカナダで読んだのはこの本の前身のただ『ゴーレム』というタイトルの本だったように思いまが、原本が手元にないのであやふやです。ゴーレムに例えられたのは、テクノロジーよりも、自然科学そのもので、ゴーレム、つまり、自然科学は力持ちの泥人形のようなもので、性質は悪くはないのだが、不器用で気が利かないので危険だから用心して扱わなければならないという話になっていました。分かりやすい例えなので一般向きの面白さはありましたが、ナンセンスな主張もなされていて、物理学者たちからの手厳しい批判をアメリカ物理学会の雑誌『PHYSICS TODAY』で読んだことを記憶しています。

  HARRY COLLINSはなかなか多弁な人で、読んで面白い多数の著書を出版していますが、最近(2017年)『WHY DEMOCRACIES NEED SCIENCE』と題する本を出版しました。その表紙にはゴーレムではなく、一羽のフクロウが描かれています。なぜフクロウか? フクロウは首を捻って180度違う方向を見ることができるという点がポイントなのです。

 日本で「科学知識の社会学」が大流行の頃、有力な一哲学者が「これまでは社会科学の自然科学化が主流だったが、これからは自然科学の社会科学化の時代だ」という意味の発言をしていました。これが180度の方向転換ということです。フクロウの頭の捻りの大きな角度です。この例えは、ゴーレムの例えと同じく、面白すぎます。社会学者も自然科学者も、フクロウのように、社会科学にも自然科学にも言い分の正しいところがある事を認めて生きて行こうという妥協提案です。

 かつて物理学者リチャード・ファインマンはクーン流の科学哲学に対して皮肉たっぷりの発言をしたことがあります:

「Philosophy of science is about as useful to scientists as ornithology to birds.(科学者たちにとって科学哲学の有用さは、鳥たちにとっての鳥類学の有用さとまあ同じようなものだ)」

これに対して、近著でのコリンズは、ファインマンのいうことは「新科学哲学」だけではなく「科学知識の社会学」についても正しい事を進んで認めます。しかし、ここでも、自然科学者がどのようにして実際の仕事をするかを、コリンズが未だよく理解していないことが露呈しているように私には思われます。自然科学者は、いわゆる、暗黙知(the tacit knowledge)に従って仕事をしている、とコリンズは云います。「暗黙知」という考えは日本でもよく知られていると思いますが、この創始者はマイケル・ポランニーです。前回のこのブログに登場した唐木田健一さんはマイケル・ポランニーについても深い考察を展開しています。ポランニの主著『個人的知識』(長尾史郎訳)は難解な書物で、私も読みこなせたとはとても言えませんが、コリンズさんは、クーンとポランニーを一括りにしている所から見て、ポランニーについての理解が、私よりなお不十分だと思われます。話が細かになり過ぎたので、打ち止めにしますが、私見として、英語圏の新科学哲学者や「科学知識の社会学」者は、マイケル・ポランニーや、もう一人の知的巨人チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce)の業績をもっともっと真剣に研究すべきでしょう。

 ところで、コリンズの『WHY DEMOCRACIES NEED SCIENCE』にもっとも大きな興味を私が持つ点は、本書がSSK学者としてのコリンズの転向声明になっている事です。トーマス・クーンの悪影響を受け過ぎた学者たちに、コリンズの驥尾に付して、しかるべき転向声明を行なってくれるように私は希望します。過去に犯した誤りをはっきりと確認し、意識する、これが学問というものでしょう。唐木田さんが今の時点で「理論変化」についての英文論文を発表されたことも、米欧のこの学問領域での自己批判の不足と関係があります。また、私が山椒魚さんのコメントにしっかりとお答えしようとしていることにも関係があります。しばらくお待ち下さい。

 

藤永茂(2021年7月8日)


君はトーマス・クーンを知っているか?

2021-07-01 22:36:51 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 

 現在、日本の、いや、世界中の大学の学生さんでトーマス・クーンの名前を知っている人はごく僅かでしょう。しかし、ほんの四半世紀も遡れば、事情は全く別でした。2017年、私は『トーマス・クーン解体新書』という電子本を出版しましたので、この拙著の序章から少し引用します:

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 1962年にシカゴ大学から出版されたトーマス・クーン著『科学革命の構造』は、20世紀後半で最も広く読まれ、引用された学術書である。そのあたりの事情を述べた著者クーン自身の言葉が自著『The Road Since Structure』(2000年出版。今後、RSSと略記)の中にある。

「私はよく言ったものだが、自然科学か数学の分野で大学を卒業するのなら、『科学革命の構造』を読まないままで学士号を取得することもままあるだろう。が、そのほかの分野で大学を卒業するのであれば、如何なる分野でも、少なくとも一度はこの本を読むことになるだろう。」(RSS, 282-3)

この二百頁そこそこの書物は科学のイメージをすっかり変えてしまったと多くの人が言い、その影響は科学史や科学哲学の領域をはるかに越えて、哲学、社会学、教育学、経済学などの分野にも及んでいる。

 1991年、アメリカの高名な哲学者ドレイファス( Hubert Dreyfus) はクーンの 『The Structure of Scientific Revolutions』(今後、SSRと略記)が引き起こした自然科学のイメージのどんでん返しについて、次のように書いた。

 「文学理論家、社会科学者、フェミニストたちは、それぞれ自身の理由から、クーンに組みして、自然科学こそが客観的実在についての真理を我々に告げているのだという特権的主張に攻撃を仕掛けることになった。文学理論家は、自然科学の理論も、結局のところ、解釈の対象になるテキストに過ぎず、したがって、人文諸学の領域に入るのだということを示して、自然科学を出し抜こうとしている。同様に、社会科学者は、科学的真理は共同的な営みから生み出されるものであることを指摘して、自然科学を社会学や人類学の領域に編入しようとしている。フェミニストは、科学の権力組織が男性による支配体制の砦だと考えて、その権威を掘り崩したいと思っている。これらすべてのグループは、自然科学は単にもう一つの解釈的な営みに過ぎないのに、どういうわけか、それだけが実在にアクセスできるのだと人々が考えるように,今まで我々の文化を騙していたと信じたいのである。」(Dreyfus 1991, 25)

<文献の表記>{本書で引用される文献の主要なものは上記のRSSやSSRのような略号で表し、引用原文の場所は、(RSS, 282-3) のように、(略号、該当頁)で示される。主要文献一覧表は巻末にある。それ以外は(著者名、出版年、該当頁)で表す。例えば、引用文(Dreyfus 1991, 25) は巻末の「引用文献一覧表」を見れば『The Interpretive Turn』のp27 にあることが分かり、原文は巻末の「引用文原文」にある。}

 哲学者として、同じく高名でドレイファスの論敵でもあったローティ(Richard Rorty)は,2000年、クーンのSSRを次のように紹介している。

「(SSRは)第二次世界大戦後、英語で書かれた哲学書として、最も広く読まれ、最も大きい影響を与えた。この本に応答して何ダースもの本が書かれた。大学のほとんどあらゆる学科で、学部コースでも大学院コースでも、絶えず必読書として与えられて、哲学から社会科学まで、さらにはいわゆるハードな自然科学に及ぶ多くの学問分野の自己イメージを変えてしまった。」(Newton-Smith 2001, 204)              

 クーンが亡くなる5年前の1991年のMIT での講演の中で、自著SSR(The Structure of Scientific Revolutions)がもたらした科学のイメージの変容について、クーン自身も次のように語っている。

「皆さんの多くがご存じのように、学問世界の内部で通用している科学のイメージは、この四半世紀の間に、すっかり根本的に変革されてしまいました。外部ではそれほど完全にではありませんが。私自身、その変革に貢献した一人であり、変革はひどく必要だったと考えますし、これと言った後悔は殆ど致しておりません。この変化は、科学の営みとはどんなものか、どのように行われるのか、何が達成でき、何が達成できないのか、について、以前に出回っていたよりも遥かに現実的な理解をもたらし始めていると、私は考えます。」(RSS, 105)

*********(引用終わり)

 現在の大学の学生さん達は上に引いた三つの言明を読んで奇異な感じを持つでしょう。トーマス・クーンの名前の消え方が余りにも急激ですから。彼はハーバード大学で物理学者として学位を取りましたが、科学史と科学哲学の分野に転進してベストセラーSSR(『科学革命の構造』)を出版し、その結果、上述の通り、学問世界の超知名人になりました。この著書に起点を置いた新しい科学哲学が生まれたと人々は考えて「新科学哲学」という名称が与えられ、日本でも米国でも、これが科学哲学の主流のような形勢にすら見えました。

 ところがどうでしょう、「新科学哲学」の影はすっかり薄くなり、トーマス・クーンの名を知る人は殆ど居なくなってしまいました。その理由は『科学革命の構造』で主張されたことの多くが間違っていたからです。

 しかし、ここに大きな問題があります。科学哲学者達がクーンの何処がどのように間違っていたかを、自己反省の形で明確にしないままに、クーンを消してしまった事です。これは学問をする者として許されるべき行為ではありません。学問的な誤りははっきりと解明してから論議を進めるべきものです。クーンの誤りで最も中心的なのは、「自然科学の理論はどの様にして変化するか」という問題についての彼の過誤です。これはクーンの『科学革命の構造』の第一主題でもあります。タイトル自体が「理論変化」の本質解明を意味しているのです。

 1975年、物理学者渡辺慧さんは、当時、米国のIT産業に君臨していたIBMの中央研究所の主任研究員をしていましたが、大評判のクーンの「理論変化」の論議に異議を唱える明快な論文を発表して、私も興奮して読んだことを覚えています。日本では唐木田健一さんが夙にこの問題に関心を持ち、『理論の創造と創造の理論』(1995年)という著作で自然科学の理論変化の問題に決定的な解答を与えました。これについては、拙著『トーマス・クーン解体新書』の第四章に紹介をしました。残念な事に、唐木田さんの『理論の創造と創造の理論』は日本語で書かれているために、この重要な著作は海外ではあまり知られていない状況にあると思われます。幸いにも、去る6月22日付けの唐木田さんのブログ:

https://blog.goo.ne.jp/kkarakida/e/81309cd0a79786479f7e1e25d97641e1

唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

に唐木田さんの「理論変化」の英語論文が掲載されましたので、何らかの意味で科学論、科学哲学に興味をお持ちの方々に是非読んでいただき、もし外国人の友人をお持ちであれば、一読を勧めていただきたいと思います。

 数多の著書を通じて唐木田健一さんをご存じと思います。ブログには「プロフィール」もあります。年齢は私の方が20年も上ですが、私の尊敬する學兄です。桂愛景のペンネームで『戯曲アインシュタインの秘密』という知る人ぞ知る名著の著者でもあります。

藤永茂(2021年7月1日)