私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

良く生きる(VIVIR BIEN)(2)

2014-09-21 11:15:10 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 前回に続いて、モラレスの講演:
『世界中の人民間の兄弟的友愛を求めて』 エボ・モラレス・アイマ
を訳出します。前回までのところでは、G77が50周年を迎え、その間、連帯の成果はあったにしても、国連、IMF(国際通貨基金)、WTO(世界貿易機関)などを一方的に牛耳る帝国主義的国家群の組織的暴虐によって、人間社会のみならず自然そのものが危殆に瀕しており、それに対抗するグローバルな行動が必要であるとモラレスは呼びかけました。今回は、まず、モラレスのボリビア多民族国では、その方向に向けて、既に、顕著な成果があがっていることが語られます。
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 ボリビアはこれらの問題に対する処置をとり始めている。2005年に至るまではネオリベラル政策を取ってきたが、富の集中、社会的不公平と貧困、棄民の増加、差別、社会的疎外が結果した。
 ボリビアでは、社会的運動による歴史的闘争が、とりわけ原住民農民の運動が、暴力を行使することなく投票箱を通じて、民主的な文化革命を立ち上げることを可能にした。この革命は社会的疎外、搾取、飢餓、憎悪を根こそぎにしつつあり、社会的な均衡と相補性への道、そして、我が国本来の「良き生活(Vivir Bien)」についての合意を再構築しつつある。
 2006年に始まり、ボリビア政府は新しい地域共同体に基づいた新しい社会的経済と生産のモデルをしっかりと組み込んだ、新しい経済政策、社会政策を導入した。その支柱は天然資源の国有化、すべてのボリビア人をうるおす経済的剰余金の回復、そして、経済活動への国家の積極的な参加である。
 2006年には、ボリビア政府と人民は最重要の政治的、経済的、社会的決断を下した。:それは、我が国の地下炭化水素の国有化であり、我々の革命の中心基軸である。かくて、国家が炭化水素資源の所有権と天然ガスの処理に参画しコントロールを行なうのである。
 経済成長は国外市場の需要に基づくべきであるというネオリベラルな処方箋(“輸出か死か”)とは違って、我々の新しいモデルは、輸出と国内市場の成長との組み合わせに依存している。国内市場の成長は、主に、収入再配分政策、国定の最低賃金の継続的増加、インフレを上回る年間賃金増加、内部相互助成金、最下貧困者への条件付き現金贈与によってもたらされている。その結果として、ボリビアのGDP(国内総生産)は過去8年間に90億米ドルから300億米ドルに増加した。
 我が炭化水素資源の国有化、経済成長、緊縮政策のおかげで、この8年間続けて、国家予算の黒字を生んでいる。これは、以前の66年間以上にわたってボリビアが経験してきた予算赤字の頻発と全く対蹠的である。
 我々がこの国の行政を引き継いだ時、ボリビア人の最富者と最貧者との収入比率は128倍だった。この比は46倍に切り下げられた。今ではボリビアはこの領域で収入分布が最善の六カ国の一つである。かくて、我々人民には選択の自由があり、我々は植民地主義とネオリベラリズムによって押しつけられた運命を克服することが出来るということが示されたわけだ。これほど短い期間に達成されたこれらの業績はボリビア国民の社会的なまた政治的な自覚に帰せられる。
 我々はこの国を国民すべてのために取り戻した。我が国は、ネオリベラル・モデルによって、我々のものではなくなっていた国であった、古い邪悪な政党システムの下で生き、まるで植民地でもあるかのように、国外から支配されていた国であった。しかし、今や我が国は、国際的財政機関が描いていたような自立不能な国ではない。我が国は、もはや、米国が我々にそう信じさせたような統治不可能な国ではない。今日では、ボリビア国民はその威厳と誇りを回復し、我々は、我々の強さと我々の運命、そして、我々自身を信じている。
 私は、最も謙虚な言葉使いで、人民の未来を変えることの出来る唯一の賢明な創造者は人民たち自身であると、全世界に告げたい。それゆえ、我々はもう一つ別の世界を建設しようと考え、そして、良き生活(Vivir Bien)の社会を確立するための幾つかの事業を立案した。
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{訳注2}
 1500年代、ボリビアの土地に銀が見つかり、スペインは原住民の強制労働で掘り出し、巨額の富を本国に持ち帰りますが、その後も銅、錫、硝石などの豊かな地下資源が発見されます。1920年代には油田も開発され、さらに、1990年代からは、膨大な量の天然ガスの存在も確かめられて、そうした地下資源の採取販売は外国資本の支配下に収められて行きました。国外企業による民営化という形でのボリビアの支配は水資源にも及び、世に「コチャバンバ水紛争」と呼ばれる事件に発展しました。これに就いては、前に、このブログの『民営化(Privatization)(1)』(2012年3月14日)に書いたことがありますのでご覧下されば幸いです。その一部を転載します。:
■ ベクテル社という巨大企業の長い過去とその行状の恐ろしさ物凄さをご存じの方も少なくないと思います。私は民営化(Privatization)の恐ろしさについて語り始めているわけですが、ベクテル社のことを思うとこの民営化という言葉そのものが既に空しく、ベクテル社という企業体の存在自体がアメリカ という巨大国家そのものの象徴のように思えて来るのを禁じ得ません。ベクテル社とアメリカ政府との人事面での関連をみると、両者の関係は全くの相互浸透で あり、「天下り」などという悠長なものではありません。ネット上にWikipediaの“Bechtel”の項目をはじめ、多数の情報源がありますので、 ご覧になって下さい。このブログでは、前にも取り上げたことのある「ボリビアのコチャバンバの水騒動」の話を少し復習します。
 1999年、財政困難に落ち入っていたボリビア政府は世界銀行から融資をうける条件の一つとして公営の水道事業の私営化を押し付けられます。ビル・クリ ントン大統領も民営化を強く求めました。その結果の一つがボリビア第3の都市コチャバンバの水道事業のベクテル社による乗っ取りでした。民営化入札は行われたのですが入札はAguas del Tunariという名のベクテル社の手先会社一社だけでした。ボリビア政府から40年間のコチャバンバの上下水道事業を引き取ったベクテル社は直ちに大幅 な水道料金の値上げを実行し、もともと収益の上がらない貧民地区や遠隔市街地へのサービスのカットを始めました。値上げのために料金を払えなくなった住民 へはもちろん断水です。
 2000年2月はじめ、労働組合指導者Oscar Oliveraなどが先頭にたって,数千人の市民の抗議集会が市の広場で平和裡に始まりましたが、ベクテル社の要請を受けた警察機動隊が集会者に襲いかか り、2百人ほどが負傷し、2名が催涙ガスで盲目になりました。この騒ぎをきっかけに抗議デモの規模は爆発的に大きくなりコチャバンバだけではなくボリビア 全体に広がり、ボリビア政府は国軍を出動させて紛争の鎮圧に努めますが、4月に入って17歳の少年が国軍将校によって射殺され、他にも数人の死者が出まし た。紛争はますます激しさを増し、2001年8月には大統領Hugo Banzerは病気を理由に辞職し、その後、政府は水道事業の民営化(Privatization)を規定した法律の破棄を余儀なくされました。事の成り 行きに流石のベクテル社も撤退を強いられることになりましたが、もちろん、ただでは引き下がりません。契約違反だとして多額の賠償金の支払いを貧しい小国 ボリビアに求めました。
 このコチャバンバの水闘争が2005年の大統領選挙での、反米、反世界銀行、反民営化、反グローバリゼーションの先住民エボ・モラレスの当選とつながっているのは明らかです。モラレスはコチャバンバ地方を拠点とする農民運動の指導者でした。
 水道事業の私営化についてのベクテル社の魔手はフィリッピンやインドやアフリカ諸国にも及び、ベクテル社は今や世界一の水道事業(もっと一般に水商売と言った方が適切ですが)請負会社です。ローカルな反対運動は各地で起きていますが、今までの所それが成功したのはコチャバンバだけのようです。■
以前の記事からの転載はここまでです。
 上に描いた、2005年から現在までのボリビアの目覚ましい国情改善の理由は実に簡単です。ボリビアの国内で生まれる富を国外に持ち出さずに国内で使った---というだけのことです。これがモラレスのやったことです。しかしその簡単極まることを実行するのは、勿論、簡単ではありませんでした。特に、2008年の、憲法改正を含む政策転換は、米国を先頭とする外国政府、外国企業からの反抗、妨害だけではなく、国内の非原住民ヨーロッパ系住民たちからの熾烈な反対、抵抗にも曝されました。その白人系市民の中心都市サンタ・クルスで2014年のG77会議を開催し、開会演説を行い、ボリビアでの過去数年間の目覚ましい成果を世界に向けて報告したモラレスの胸の中には、大きな感慨が渦巻いていたに違いありません。
 これから先の講演で、モラレスは、9か条の項目をあげて、世界が “良く生きる(Vivir Bien)” ための発展をする方途を示そうとします。キーワードはスペイン語で
Desarrollo Integral para Vivir Bien
です。スペイン語の前置詞 para は翻訳がなかなか難しいようで、英語では、
Live-Well Comprehensive Development とか
Vivir Bien Comprehensive Development
になっています。私は、仮に、「良く生きるための包括的発展」と訳しておきます。モラレスは、この考えと「持続可能の発展(sustainable development)」との違いをはっきりさせたいのだと思われます。「持続可能の発展」とは、このままやって行けば、自然が破壊されて元も子もなくなってしまうから、そうならない範囲で、せいぜい今まで通りにやって行こう、というのが本音でしょうが、モラレスの考えは違います。もっと積極的で美しいものです。

藤永 茂 (2014年9月21日)