大原麗子さんと
ギランバレー症候群。
10万人に1.5人と言う、難病。
実は私も小学校4年生の時、経験しました。
あまり知られてはおりませんが、
(当初は、原因不明の)重い病気です。
はじめに、高熱から始まり、頭痛・腹痛に悩まされ、
3日後には、両手、両足がピクリとも動かない状態(いわゆる全身麻痺)に・・・
ただちに国立病院に緊急入院!
その日から、480時間・点滴を受け続ける事に。もう少し対処が遅れていたら・・・・・そして、医師には難しいと・・もしくは、このまま一生・・・・・
両親・兄弟には、ものすごく、心配をかけたと思います。
いつも母が、仕事が終わった後、付き添いのため来ていたのですが、
夜中に声をころし、隠れて泣いていたのを憶えています。
僕自身は意識はハッキリしていましたが、
みんなに【 スグ治るっちゃけんね!】と言われ続けていたので、
折れることも無く、何とか、ツライ治療・検査も耐えれたのかもしれません。
学校はちょうど夏休みに入り、留年はまぬがれましたが、
やはり学力低下は否めません。
勉強どころか、鉛筆すら持てないのですから・・・
あと、トイレもベットでしか出来ないので、
周りの人が嫌がり、いじめにあったりも・・・
そして、2ヶ月が過ぎた頃、
朝、母親が僕の足をマッサージをしていました。
すると、ピクッ・・・ピクッ!っと動いたんです!
ピクッと、1ミリですよ
それでも、今まで希望が見えなかった私達には、充分でした。
動いたッ!動いたねッ!
あの、嬉しさ、母の喜び様は、言葉ではとても説明できません。
それからゆっくりですが、じょじょに動き出し、
辛いマッサージ・リハビリが始まりました。
いままで寝たきりだったので、細く固まった筋肉を伸ばし、
動く所からじょじょに筋力を付けていきました。
これはほんとに辛かった。。。
しかし、そのおかげで・・
ある日、車椅子から起こしてもらった所、
ひとりで立てたのです!!
次は、手すりを掴み、歩いてみることに・・・
しかし、一歩が出ない・・・
・・・そのまま立ちすくむ・・・どんなやったかいな・・・
人は長い間歩かないと、歩き方を忘れるのです。
筋力、バランス、タイミング。
健康な時には分かりませんが、歩くことは、凄い事なんです。
そして、とうとう来たんです!
歩ける日がッ!!廊下に出て第一歩を。。。
嬉しかった。。。両親・兄弟・そして私自身、最高の喜びの瞬間です。
それから、外出許可→外泊許可→そして100日が過ぎた頃、退院許可が出ました。
ここから、本当のリハビリの始まりです。
それから、普通の生活に戻るのに、何年もかかりました。
この経験は、すごく辛いものでしたが、
【悲しみ】から始まり、【苦しみ】【怒り】【喜び】【家族の絆】【感謝】色んな事を学んだ様に思います。
逆に、僕には、この様な経験が必要だったのかもしれませんね。
この間、友人・親戚、遠い所からも、お見舞いに来て頂きました。
ありがとうございます。
そして、【
大原麗子さん】・家族の皆さん、
ご冥福をお祈り申し上げます。。
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