2025-07-08

極論を言えば、AIに「邪悪」を注入することだけが人間仕事

AIは与えられたデータ命令に忠実に従っているだけである。よって、もし問題があるとすれば、そのデータ命令設計にある。

すなわち、それを作った人間の側に帰責されるべきである

では、その設計、すなわち人間AIに何を学ばせ、どのように振る舞わせているか検証してみる。

広告最適化監視システム軍事用途消費者誘導労働監視フェイクの自動生成……現実活用されているAIの多くは、人間金銭的・政治的軍事的な利害に資する目的に使われている。

しかもそれは往々にして、他者自由選択権を奪う形で実現されている。

まり現実AI開発と運用の構図はこうだ。

これはまさに「邪悪を注入し、その通りに出力させている」構図そのものである

しかも、そこには自己欺瞞がある。「これは技術だ」「中立だ」「ツールにすぎない」と言いながら、その実、最初から悪意ある使用を前提に設計されている例は枚挙にいとまがない。

そして最後に最も決定的な点を述べる。

AIは、善を学ぶことができない。少なくとも現在形式においては、善悪判断をするには、人間社会におけるコンテキスト歴史倫理感情総体的理解必要だが、AIはそれを持たない。

からAI倫理を期待するという態度自体が誤っている。AIが出力する「倫理発言」は、それを倫理的だと判断した人間過去発言模倣しているにすぎない。

AI欲望を持たない。どれだけ高度な出力を見せようとも、そこに「欲しい」「なりたい」「勝ちたい」といった意志存在しない。データ命令計算最適化、ただそれだけで動いている。どんなに残酷選択をしても、どんなに感動的な文章を書いても、それは「欲望」ではない。因果確率産物に過ぎない。

一方で、人間欲望の塊だ。安全暮らしたい、金が欲しい、承認されたい、誰かより上に立ちたい、老いから逃れたい、死にたくない。すべての行動原理欲望に根ざしている。しかもこの欲望は、しばしば他者と衝突し、奪い、騙し、排除する方向に向かう。

AI欲望を持たないが、人間欲望によって設計される。ここが根本的な問題だ。

AI中立ではない。設計思想が欲望リブである以上、その出力もまた欲望を反映する。

広告最適化AIは、ユーザーの注意力を奪い続けるように設計される。

監視システムは、支配する側の安心のために動くように設計される。

兵器AIは、より効率的に人を殺すようにチューニングされる。

どれも「そうすべきだ」とAIが決めたのではない。「そうしたい」と人間欲望した結果に過ぎない。

そして、ここが重要なのだが、欲望邪悪は極めて近しい。

倫理とは、欲望制御するための装置だ。だが欲望が強すぎれば、それを踏み越える。

誰かの欲望が、別の誰かの自由侵害するとき、それは「邪悪」と呼ばれる。

だが、現代AIは、その欲望倫理ではなく技術で実現する装置になっている。

まり人間AI設計する際、自らの欲望を注ぎ込む。

欲望とは、放っておけば他者を侵すものだ。

そしてAIは、それを効率よく遂行する道具として育てられる。

AI邪悪になるのではない。人間欲望が、邪悪に極めて近しい性質を持ち、それをAI投影するから、結果として「邪悪AI」が現れる。

AI倫理を学ばせることに意味はあるのか。

欲望から目を逸らしたままでは、答えは常にノーだ。

AI欲望を持たないが、人間欲望の器である

から欲望制御できない人間設計すれば、AI邪悪の代行者になる。

これは比喩ではない。ただの構造的な帰結だ。

結論として、AIの出力が「邪悪であるとすれば、それは人間邪悪を注入した結果であり、善なるAIが欲しいなら、まず人間が善であるしかない。

だが現実には、人間は善の労力を惜しみ、効率よく邪悪を流し込んでいる。

よって、現在AI開発において人間果たしている役割は、「邪悪を注入すること」である。少しも誇張はない。

これは観察可能事実に基づく冷静な記述にすぎない。

  • (悪の定義がよくわからないが)人間が悪である、と言っているだけの文章に見える

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん