いまやプリントシール機そのものの代名詞となったプリクラだが、そもそもは1995年にアトラスが発売した『プリント倶楽部』(以下「プリクラ」)の略称である。
「プリクラ」はそれまで世の中にまったく存在しなかった分野を切り開き、最盛期の1997年にはプリントシール機の市場規模は1000億円を突破した( https://jaia.jp/wp-content/uploads/2020/04/JAMMA-PRI3.pdf )。そんな「プリクラ」の生みの親が、当時アトラスの営業ウーマンであった佐々木美穂氏である。元々リクルートに勤めていた彼女は、アトラスの創業社長・原野直也氏に誘われて1987年にアトラス入り。仕事に使用していたビデオプリンターから着想を得て、「プリクラ」が誕生した。
その佐々木美穂氏が亡くなっていたという話が飛び込んできた。
江崎 稔
@esakings
ATLAS女神転生初期メンバー同窓会楽しかった~僕が仕事の都合で22時抜けだったけど話は尽きなかった。メガテン制作時の笑い話、バイオ戦士、えりさと、銀河伝承、亀の恩返し。伝説の人々、可愛がって頂いた亡くなったプリクラ生みの親美○姉さん
@gontarou
色々話聞きたかった…
…ん?
>亡くなったプリクラ生みの親美○姉さん
…えっ えっ!? 亡くなってるの…??∑(゚ロ゚ ;)
午前11:04 · 2022年7月9日·Twitter Web App
https://twitter.com/gontarou/status/1545589700005875712
江崎 稔
@esakings
返信先: @gontarouさん
亡くなったらしいですよ
午前11:23 · 2022年7月9日·Twitter for iPhone
@gontarou
返信先: @esakingsさん
なんと…。
いつかの記事にこんな事書かれてましたけど、この記事が2019年の記事なので本当にこのタイトル通りとなってしまわれたのですね。。。
江崎 稔
@esakings
返信先: @gontarouさん
よくおやつ持って来てくれた優しいお姉さんでした。ご冥福をお祈りします
江崎稔氏は元アトラスのグラフィッカーで、『デジタル・デビル物語 女神転生』では悪魔デザイン、説明書イラストを担当。現在はアニメ業界に転身している。
2019年のインタビューによれば、佐々木氏は老人介護施設に勤務していた。また2021年1月放送のテレビ番組でもインタビューに答えていた。当時まだ55歳である。
「プリクラ」はSMAPが出演するテレビ番組で取り上げられたことをきっかけに社会的認知が高まり、女子高生層を中心として空前のブームとなる。「プリクラ」特需に乗るようにしてアトラスは1997年にJASDAQ上場を果たすが、ブームの退潮、他社のプリントシール機参入もあり、21世紀に入ってからは経営難に陥る。タカラ、インデックスの子会社となり、2009年には「プリクラ」を含む業務用ゲーム部門を畳んでいる( https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0902/09/news014.html )。2010年からはインデックスに完全に吸収されていたが、2013年にセガサミーグループ傘下となり会社組織として復活した。セガといえば「プリクラ」をアトラスと共同開発したという縁がある。2013年のセガ社長・鶴見尚也氏のインタビューでも「セガとの歴史で言うと、アトラスとは、プリクラの時代から長いお付き合いがありましたし、ポジティブな印象を持っていました。」と触れられている( https://www.famitsu.com/news/201312/02043751.html )。2020年にセガは20年ぶりとなるプリクラ機「fiz」を発売した( https://automaton-media.com/articles/newsjp/20200707-129763/ )。
セガとアトラスの縁といえば、以下のような話もある。セガサターン用アクションRPG『プリンセスクラウン』の開発が暗礁に乗り上げた際、神谷盛治氏とアトラスを結びつけたのも、「プリクラ」ヒットによる両社の友好的な関係が背景にあったという。神谷氏が設立したヴァニラウェアはアトラスと複数のタイトルでタッグを組むことになるのだが、もしかしたら「プリクラ」がなければ『十三機兵防衛圏』もなかったかもしれない。(『十三機兵』の複雑な時系列の組み上げにはアトラスQAチームの貢献が知られる)
神谷氏:
プリンセスクラウンの開発途中で,所属してた会社が倒産してしまうんです。
あら……。その後どうしたんですか?
神谷氏:
あわててセガの担当者に連絡を取って,「なんとかなりませんか」とお願いしたんですけど,その時はちょうどセガとバンダイの合併話が持ち上がっていた時期で,身動きが取れない状態でした。それで,代わりに……というわけではないのでしょうが,当時,セガさんと仲の良かったアトラスさんを紹介してもらったんです。
なるほど。それはなんというか……凄い展開ですね。
神谷氏:
あの時期,セガとアトラスは「プリント倶楽部」の大ヒットを背景に,とても関係がよかったそうで。こういう危うい案件の相談もできたみたいなんですね。結果としては,アトラスさんが開発費の一部を引き受けてくれて。セガ×アトラス共同プロジェクトという形で,プリンセスクラウンのプロジェクトが再開されることになるわけです。
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ヴァニラウェアは命がけでゲームを作る会社――クリエイター神谷盛治氏・ロングインタビュー https://www.4gamer.net/games/134/G013480/20130521001/