1:よくわからない。たぶん真ん中寄りの反。都民じゃないからシラネ。入れるなら今回は小池。
2:周りが「変えるほどの価値のない」人材しかいないから。だからいつぞやの民主みたいに「変えることに価値がある」と言う人は他の候補に入れるだろうし、「何を言うかそもそもあいつのような思想信条は誰だろうが駄目だ右翼ども」なら小池に入れるだろうし。
あと、世の中やっぱり「ズバッという人」は尊敬される。
あと、案外「我欲が滅ぼす」発言はウケが良かったと思う。
ソラノート、えがちゃん(多分2:50じゃないだろな)めがね王とか
以前このことで大きな問題か?って発言したら
ずいぶん反応があったらから、増田にとってはこれらの出来事が大きな出来事なんだな。
そんなに生活に密着した話なのか?
私は「色んな政策で汚点残しまくってる人がなぜ勝つんじゃろ」という感覚なのですが、入れた人には別の動機があるに違いない。そこは謙虚に受け止めなくてはならない。というわけで、
めがねおうさんちーっす
事故の被害が大きくなる度に「それ見た事か!」と喜ぶだけの奴は、
そもそも反対意見すること自体が目的化してるだけだから、そんな奴ほっとけよ。
どうせ役立たずのカスだ。
当事者意識が少しでもあり、知識があるならどうしたら現状をどう解決していけるか
って考えるだろ。
自分で言うのもあれだけど外見は並レベルだと思うよ?四、五年前くらいに引きこもりやめたあたりから「なるべく外見に気を使おう」って考えてから自分なりに気を使ってたつもり。
お金あるときファッション誌買って読んでみたり、服はユニクロとは言え自分で買うようにしたり。最近はRight-onにお世話になってます。
そうこう繰り返して中の下レベルには達しただろうとか思ってる。
でも中身はどうしようもないんだね。最近でよくわかったよ。
見た目着飾ってみて意識が変わるかというのも期待したけどあまり効果はなさそう。
根本的問題である自分の女性に対する意識は変わらないままだった。
男子校でも共学でも大学でも、やっぱり自分の女性に対する意識みたいなのを積極的に改善していかないといけなかったなぁと。
女性はなんつーか男性と違うものなんだー違う生き物なんだーみたいなことを本気で思っちゃったりするのはなんつーかこれ駄目だなぁと。
共学高校ではそれで失敗したなぁと実感してる。結局上記のような意識が強かったので自分からアクションをあまり起こせなかったのが敗因の10割。
けどまあ大学生活はまだ始まったばかりなので、これからもがんばっていこうかな、と思った。
そんなわけで30歳の保健体育〜恋のはじまり編〜買って来たって話。
んー、またクソが書いているのかー
20110412 【激論】ぶら下がり中継取材を規制しようとした東電広報へ岩上安身が抗議
事故の被害が大きくなる度に「それ見た事か!」と喜ぶ、原発反対派の知識人が大嫌いだ。
被害が少しでも小さいものであってほしいと思って何が悪いのか。
日本から出られない貧乏人が、健康に被害がないという言葉を信じたいと思って何がおかしいのか。
そんなささやかな願いを嘲って不安を煽る奴ら、ましてや海外の安全圏から日本の愚民を見下す奴らの態度が許せない。
もうそういう奴らも日本人というだけで差別されればいいのにと思うくらいだ。でも海外在住者は被曝してないんだよなちくしょう。
やっぱりメレ子さんとかココロ社さんとかこむぞーさんとか藤沢なんとかとか切込隊長さんとか最終弁当さんとかふろむださんとかもみーんなお金持ちなのかなー
当たり前だろ
すげーって思うと同時に不安にもなる
ネットでこんないいことを!とか煽ると
実質貧乏な人が、よーしおれもやっちゃうぞーみたいに気持ち大きくなっちゃって
身の丈以上のことしちゃうかもとか
すげーって思うとともに、金持ちだなーとも思う。
やっぱりメレ子さんとかココロ社さんとかこむぞーさんとか藤沢なんとかとか切込隊長さんとか最終弁当さんとかふろむださんとかもみーんなお金持ちなのかなー
んなこと言い出したらおめえ、
フグスマの人間は汲み取りやごみ収集を全部自分でやってんのけ?
社会を都合の良い角度だけポエジーに切り取って
ずっと昔、まだ子供だった頃、私は自分が住む県に原子力発電所があることを知った。
「お父さん、原子力発電所って怖くないの?危なくないの?」
「安全ということにはなっているけどねえ・・・ホントのところはよくわからないかもしれないねえ」
「でも電気がなかったらテレビが見れないからぼくも困るしなあ・・・原子力発電所に反対している人は、電気がなくなっても困らないのかなあ」
「あそこで作っている電気は、全部東京のほうの人たちが使っているから、実はあの発電所がなくなっても、このあたりに住む人は困らないんだよ」
「ええっ、じゃあ自分たちが使えない電気のために、ぼくたちはちょっと怖くても危なくても我慢してるってこと?なんで?なんでぼくたち、我慢してるのに、あそこの電気使えないの?」
「東京のほうが人がたくさん住んでいるから、電気もたくさんいるんだよ。だから福島に発電所を作らせてくださいって、頼まれたんだ。あの発電所はそうやってできたんだよ」
「ふーん、頼まれただけで、怖くても我慢したんだ?」
「お金がなくて、働きたくても働けない人がたくさんいるような場所では、発電所ができれば、それだけみんな助かるんだよ。お金ももらえるし、働く場所ができるしね」
「なるほど、よくわかったよお父さん」
私は心から納得して、うなずいた。
そのことを私は、小学校に上がる頃には、もう学んでいたと思う。
私が住んでいたのはとにかくとんでもないど田舎で、地元の人間のほとんどは、ペンションとか民宿とか土産物屋とか、観光で飯を食っていた。
「えー嘘でしょ、このへんて民放が2局しか映らないんだ、ありえなくないー?」
「買い物行きたくても店がねえよ。よくこんなとこに住んでいる奴らがいるよな」
「夜まっくらだわマジで。おかげで星は綺麗だけど」
「あ、みてみて、子供だ、田舎の子供がいるよー、あの子とかほっぺた真っ赤だ!」
観光客というのは、そんな風に好き勝手なことを言ってこちらを指さして、けたたましく笑う人種で、正直いけ好かないと思ったことは何度も何度も何度もあったが、なにより彼らはありがたくも私達に金を落としてくれる存在だったので、にっこりと笑って愛想良く対応するのが地元の人間の義務なのだということを、私は小さい頃から叩き込まれて育った。
その日、私達は軍手をはめ、ゴミ袋を持って、ジャージ姿で地元の観光スポットに向かう。観光客のために用意された「豊かな自然に包まれて森林浴を楽しめる美しい散策コース」に転がっているゴミを拾わなくてはならないのだ。
空気も水も緑も、自然は確かに美しいが、そこに落ちているゴミは汚い。カラフルな空き缶や、菓子の空き箱なんかを拾うのは、それほど辛いことでもないが、べっとりと食べ残しがこびりついた弁当の空き箱やアイスクリームの容器や湿って黒い液がにじみ出ているタバコの吸殻は、軍手越しとはいえ、触るのも嫌だった。
一番気が滅入るのは、木々の間に白っぽいものが広範囲に撒き散らされているのに気づく時だ。白っぽいものというのは、つまり大量のティッシュで、その下にはたいてい、大便かゲロが隠されている。我慢してティッシュを拾ってもその下からゲロや糞が出てこない時があって、当時はずいぶんほっとしたものだが、数年経って初めてコンドームを見たとき、同じようなびろびろしたゴム製品をティッシュの下から拾ったことがあるのに気づいて、あれは青姦の跡だったんだと知った。
私はゴミ拾いが嫌いだった。嫌いだったけど、これは誰かがやらなくてはならないことだとも、思っていた。
そして、誰かがやらなきゃいけない汚れ仕事ををやる羽目になるのは、金がないほうの人間なんだということも、よくわかっていたのだ。
だってしょうがない、ゴミを捨てる奴らにはにっこり笑って愛想よく振舞って、ゴミを必死に拾い集めて、そうやってやっと、私達は金にありつけるんだから。
観光客(東京のほうからやってくる大事なお客さん達、というのが私の認識だった)は多分みんな、自分たちが撒き散らかしたゲロと糞と精液を、子供たちが始末することになったなんて知らないし、知りたくもないだろう。
彼らが覚えているのは、自分たちの楽しい旅行の思い出だけで、気軽に捨てたゴミのこと、指さして笑った田舎の子供たちのことなんて、綺麗に忘れてしまっているだろう。
糞を人任せにするというのは、そういうことだ。
だけど出した糞を任されたほうの人間は、決してそれを忘れない。少なくとも私は、自分が拾ったゲロと糞と精液のことをしっかりと覚えている。
だから私は、原子力発電所という、どうやら怖くて危ないらしいモノが福島にあると聞いたとき、ホントに心底納得したのだ。
金がないってのは、そういうことだよな。
本当なら近寄りたくもない、悪臭ぷんぷんの糞でも、金が貰えるなら拾い集めて握り締める。
多分それは[取引]だと言われる。もしかしたらその取引は不公平なものだったってことが、後になったらわかるかもしれないけど、その時は[お互い様]だったと思われるだけだろう。
私はそんなのはちっともお互い様とは言わないんじゃないかと子供の頃から思っていたし、今も思っているけど、それでもきっと、どうしようもないことなんだろう。
なんせ金がないんだから。
私の生まれた場所には、生まれる前から原子力発電所があって、正直それが嫌で嫌で仕方なかったけれど、でも多分、そうやって糞を拾い集めて金にありつかなければ、私は生まれることも育つこともできなかったのかもしれない。
ただ私は、他人の糞を任されて生きるのは嫌だった。
今私は、関東に住んでいる。
東京に憧れがあったわけじゃない。私の育った場所には金もなくて仕事もなかったからという、ただそれだけのことだ。
結婚もした。相手は関東の人間だ。友人のほとんども、関東に住んでいる。
震災の後、原発で事故が起きて、毎日何もかもどんどん悪化していくばかりで、だけど私はなんせ関東に住んでいるから、仕事も家もなくならなくて、普通に生きてる。
「もうダメだよ、宿泊の予約は全部なくなったよ」
「今年が終わる頃には、何人か首くくるんじゃないかなー。俺もね正直、ペンション建てるのに組んだローン、どうすればいいかわかんないしね」
なんでだ、と思う。あの原発で作られた電気を、お前は使っていなかったのに。
大学に行くために家を出て、それからずっと関東で過ごしていた私は、毎日毎日、電気を使いながら生きていた。
無駄遣いした電気も、たくさんあった。その電気がどこで作られているかなんてことを、私は考えもしなかった。
子供が生まれたら、私は時々、田舎に連れ帰るつもりだった。自分が遊んだ場所で、遊ばせてやりたいと思っていた、でもダメだ、もうできない。
私は未だに甲子園では福島の学校を応援する。だけどきっと私の子供が福島の学校を応援することはないだろう。
私はやっと、自分が糞を人任せにする人間になっていたことに気づいた。
だからたぶん、私の生活は変わらないんだ。家も仕事も家族も失わずに、生きているんだ。
涙が止まらない。
喜べばいいのかもしれない、もう私は他人の糞を握りしめて生きる側の人間じゃなくなったんだから。自分が他人に押し付けた糞のことなんて綺麗に忘れてしまえばいいのかもしれない。
ただ、涙が止まらない。