傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

あの人はどうしてあなたを

 あの人はどうしてあなたにはよくしていたんでしょうね。

 駅までの道を歩きながら、同僚が言う。
 四十何年生きてきてこういうせりふを言われたこと何度かあるな、とわたしは思う。わたしの性質によるのだろうが、「あの人」たちがわたしに良くしたりやさしくしたりする状況が色恋だったことは一度もない。相手はみんな同性で、おそらくみんな恋愛的な意味では異性が好きな人たちで、多くが結婚していた。そうして、典型的には上司であったりよく依頼する部署の人だったりして、さらに「怖い」相手だった。誰にでも怖いこともあれば、女性に対してとくに怖いと評判のこともあった。
 このたびの相手はわたしたちの特定の仕事に許諾を与える、なんというか、えらい人である。いつ見ても隙のない格好をして、背筋を伸ばして、きのう染めたみたいな、つやつやの髪をしている。
 このたびは彼女の退職のお祝いから帰るところである。わたしは彼女に小さい菓子折を持っていったのだが、返す刀でなにやら丁寧に包装された細長い小箱を渡された。「中古よ。使わなくてもいいの」とのことだった。その人と同時に退職する男性が「ひいきだ、ひいきだ」と笑い、彼女はにこりともせず「かわいいからよ。あなたには何もないわよ。かわいくないから」と言った。

 かわいいからくれたんだって。
 わたしが小箱の入った紙袋を振りながら言うと、同僚は腰を折って笑い、それから、何を可愛いと思うかは人それぞれ、と言う。
 わたしは男性の平均身長をゆうに超える骨太で頼もしいからだつきの、近ごろ生意気になった娘からは「ママって悪い人じゃないんだけど、根本的にノンデリだから」などと言われるような性格の中年である。夫は「最初に会ったとき、アゴが強くて何でもバリバリ食いそうなところがいいと思った」と言っていた。丈夫な犬の識別法みたいである。
 つまりさ、とわたしは言う。わたしをかわいいと思う女性たちは、なんというか、わたしを脅威に感じないし、なんか動物みたく見えるから、そう思うんじゃないかな。
 同僚が眉を上げる。
 わたしに良くしてくれた「怖い女性たち」はみんな、全方位的によくできる人たちだった。つまり、仕事ができるだけでなく、立場と状況に合わせたふるまいができ、油断なく手入れされた身体と服装を保持し、言葉遣いまで美しいのだった。
 わたしの新卒のころでも生涯「男性なみ」のポジションで働くつもりの女はまだ少数派だったから、それより年長の女性たちは、ある場ではナメられないよう、別の場では「女性としてきちんと」していなければならず、だからしだいに神経質にならざるをえなかったのかもしれなかった。自然、自分と異なる考え方の同性に向ける目も厳しくなりやすかったのかもしれなかった。下の世代が自分たちの開拓した道を歩きながら「この道、舗装が甘くて靴に泥がつく」などと言うのを、苦々しく見ていたのかもしれなかった。
 わたしは空気を読む能力に欠け、もとより読む気もなく、でかい声で本音を言い、多くの場合それはいわゆる正論で、同性の間で暗黙の上下関係のようなものが形成される場ではだいたい「論外」だった。
 わたしは異性と結婚して子どもを産んだ「女」で、したい時にはメイクもするしスカートも履くが、自認は「少なくとも男ではなく、みなさんがそのようにおっしゃるなら女であるということで、まあかまいませんが、それに付随する義務はやりませんし、評価も受け取りませんし、『女の幸せ』とかも要りません」という程度のものである。ウェディングドレスでバージンロードを歩くとか冗談じゃなかったから結婚式もしていないし結婚指輪も意味がわからないと思って買わなかった。家での料理担当は夫である。
 そういう人間だから、ある種の人からは「女じゃない」とされる。そうなんだあ、とわたしは思う。そしてそのまんま、言う。へー、そうなんですねえ。
 ある種の女性たちにとって、そのような「丈夫な犬」はかわいいものなのかもしれなかった。

 何もらったの、ちょっとあけてみて。
 同僚がそう言うので、二人でカフェに入って小箱をあけた。中にはいかにも高価そうな万年筆が入っていた。手の込んだ模様が彫られていて、素材はおそらく銀である。
 うわ、社長じゃん。女社長が使うやつじゃん。
 同僚が言い、わたしは笑う。こんな高価そうなものをいただくことはできません、と言うべきなのだろう、と思う。でもいいや。もらっておこう。きっとあの人が気合いを入れて買って、ここぞというときにこれでサインをしたりしていたのだろう。

うちのばばあの金融リテラシーが高すぎる

 母親のスマートフォンに通話がかかってきた。おそらく相手は祖母である。おれはそっとリビングから退去しようとした。
 母親がスマートフォンに向かって「いるわよ」と言う。おれが実家に来るスケジュールをチクっていたにちがいない。おれはため息をつき、しぶしぶ母親のスマートフォンを受け取る。

 祖母は美容師だ。八十すぎていまだ現役である。週に一日、近所の常連の髪を切っているだけだが、それにしたって立って歩いてるだけで褒められるべき年齢で商売してるんだから、丈夫な人間である。
 このばあさん、子どものころから目端が利き、手先が器用で口も立つ、というタイプだったらしい。若いころはハサミひとつで「カリスマ美容師」として鳴らしたものだ、というのが本人の言である。年寄りは特定の時期の流行語をいつまでも使うから困る。
 お久しぶりです、弘子さん。ええ、元気にしてます。いやだな、心配いりませんって。僕ももう会社で後輩の指導などしているのですよ、ははは。
 おれはおぼっちゃんではないが(多摩の団地で育った三人きょうだいの真ん中、由緒正しき庶民の子である)、ばあさんの趣味で呼び名は「弘子さん」、基本敬語である。
 電話の向こうのばあさんは相変わらずのなめらかな発音で話す。
 あらそう。相変わらず如才のない子だこと。結婚するかしないかなんてどうでもいいけどね、お金のことはちゃんとしてるの? 金利がこれ以上上がる前にマンションでも買ったら? 本当は大学出たあと何年も賃貸に住んでないで二、三年前に買っておくのがよかったんだろうけどねえ。こればっかりはねえ。
 きた。
 このばばあ、バブル前に買った古い住宅を高値で売って自分の店を持ち、その後も自宅を買って売って買って、貯蓄についても定期預金より金融商品を好み、二人の子どもの学費をどんと支払って、「人と顔だけはよかった」連れあい(おれの祖父)の老後の分まで資産を作った女なのである。先の発言の「これ」は金利をさす。ばあさん、今でも週二で図書館の新聞を五紙読んで世の(主にカネまわりの)動向を把握しているのだ。政策金利とそれにともなう住宅ローン金利の上昇なんて数字で説明できるだろう。
 ええ、そのあたりは、それこそ如才なくやってます。家は賃貸派ですが、新NISAを始めたし、以前から会社の制度を使って確定拠出年金も、いくらかは。
 僕はそのように回答した。自然、少し胸を張っていた。たぶんキリっとした顔をしていた。
 もちろん自分のためにやっていることだけれど、去年新NISAの手続きが終わったときには「これでばあさんから質問されても安心だ」と思ったものである。
 あらそう、とばあさんは言い、おれの買っている投資信託の内訳やら、所得に対する投資の割合やらを聞き出した。問答無用である。この人は、「結婚や曾孫の話をしなければプライバシーに踏み込んだことにはならない」と思っているようなのだ。なんでだよ。資産の話だって立派なプライバシーだろ。
 ふむ、少し保守的すぎると思うけど、悪くはないわね。守りの資産運用は、ま、クリアでしょ。
 ばあさんはそのように評定し、でもねえ、と続けた。それだけでも、悪くはないけどねえ。関心のある個別株はないの? 儲けようっていうんじゃなくても、世界を身近に感じるし、わくわくするじゃない。そうだわ、あなた学生の頃にビットコインを買ったでしょう。わたしからの成人祝いで。なんだかんだと塩漬けは強いわ、たまには見ておきなさい。

 おれはぐったりして通話を切った。母親が横で声を出さずにめちゃくちゃ笑っていた。あのばばあ、さては兄と妹にも同じことをしたな。
 自宅に帰り、ふとばあさんの発言を思い出してビットコインの口座を見てみた。
 あのとき、ばあさんは言ったものである。
 相場の成人祝いを現金でもらうのと、自分で選んだ金融商品を色つけた値段でもらうのと、どっちがいい?
 おれは単純な興味で「話題のビットコインを買ってみたい」と言った。
 見ればそれがちょっとびっくりするような利益を生んでいるではないか。
 超ラッキー。利確しちゃおっかな。
 そう思って、それから、「ええ弘子さん、もちろん、売り時を考え、税制なども確認してから売りますとも」と、目の前にいないばばあに弁明した。実際、すぐに売る必要はない。
 今にして思えば、あのばばあ、孫が自分からのお祝いを(ばあさんにしてみれば)正体不明の電子通貨に突っ込むって言っても「あらそう、いいんじゃない」で済ませて、あとから自分で勉強したんだろうから、たいしたもんだよな。

学校のメダカ あるいは闘争の経費

 若い女性の先生は絶対イヤでしょう。ストーカーがついたらどうするんですか。いや若いとか関係なく女性の先生はイヤでしょう。

 勤務先の大学の定例の会議で「その他」として出た議題である。本学では人事があるたびに教授会で履歴書と業績一覧が提示されるのだが、そこに住所がそのまま書かれているのが問題だというのが、このたびの発議だ。なお、人事はしょっちゅうある。正規の教員の新規雇用だけでなく、非常勤採用も定年後再雇用も名誉教授任命も大学院兼務も、もちろん准教授昇任・教授昇任も、教員の肩書きが動く話はぜんぶ含まれるからである。つまりこの場の全員の履歴書がかつて回覧され、そしてほとんどの場合、いずれまた回覧される。
 さて、とわたしは思う。どうするかな、これ。
 わたしは一般的には若くない年齢の、女の教員である。ただしこの会議のメンバーの中では相対的に若い。
 顔を動かさずに視線を走らせる。年配の女の先生が、半白髪を人差し指で梳きながら、軽い口調で発言する。
 あのねえ、わたし前の大学で見たことがあるんです。男性の先生でね、履歴書のマンションの名前を会議後に検索されて、「へえ、あの人けっこう住宅費節約してるんだ」なんて噂されてたの。下世話よねえ。
 空気が少しほぐれてざわつく。
 そんな話、廊下でしちゃダメでしょ。
 彼女は言い、そりゃそうだと皆がうなずく。わたしの隣の教員が眉間に皺を立てた深刻そうな顔のまま、ごく小さい声で「ガバガバガバナンス」とつぶやき、わたしは必死に笑いをこらえる。「自分はおじさんになったからおやじギャグを言っていいんだ」と思ってるだろ。ずるいぞ。わたしだって同じこと思いついたのに。
 規則の改変は面倒、それ以上に慣習の修正は面倒で避けられる傾向にあるが、この件はそのまま通すことになった。

 あの人もねえ、他人事として精査させれば何が問題かわかると思うけど、昔っから、まー、自意識がクラシックな人で、男がプライバシーに過敏になるべきではないし自分はもちろんそうではない、という思い込みがあるのでしょ、それでああいう物言いをするのでしょ。昨今はそういうの何ていうんだったかしらね。
 例の女性教授が言う。わたしはこういうとき、自然にこの人の研究室についていき、立ったまま少し話す。
 「有害な男らしさ」です。わたしがこたえると、そうねえ、と彼女は続ける。
 身体を壊すまで働く、援助を希求できず自殺する、というような深刻なレベルでなくても、イヤなことをイヤと言えないのは自分に有害だし、「女の人はイヤでしょう」と自分が属していないほうの性別だけの話におさめて、「女性への配慮のため、組織がコストを支払います」とするのは他者への有害性だわね。言うまでもなく性差別です。
 そう、この人はこれくらいのことは日常的に言うタイプなのである。その人が会議の場ではああいう具合に丸めておさめるのはどう見てもケアで、同じ業務内容の労働者なのに女性が男性をケアしている構図になって、わたしはそれが気持ち悪い。でも同時にありがたい。自分が矢面に立って「なぜ女性に限った話になるのですか?」と問わなくても済んだことが、ありがたい。
 わたしがそのような話をもごもごと語ると、彼女は言う。
 そりゃ、あなた、わたしが今たまたまそういう係だからですよ。

 小学校のメダカの飼育係みたいなものです。わたしは「今学期の飼育係」をやっている。職場でのポジションと気質の上で無理がなくて、係が回ってきたからやっている。メダカアレルギーならやらなくてよろしい。ゆくゆくはクラスで話し合ってメダカは中庭のビオトープで飼ってもよろしい。それだけの話です。
 あなたはわたしがその係をしていることを理不尽だと思う。女だからよぶんな調整業務が発生しているのはもちろん理不尽なことです。あなたはそのように思って、自分の今の立場でできることをする係。議題を提起した彼は「全員イヤなことだし変えたらいい」という結論を受けて、自分が「女性はイヤでしょう」と言ったことを意識する係。
 イジメの道具として飼育係が押しつけられて囃されるクラスなら、わたしはもちろん明示的に戦いますよ。でも今回はおそらくそうではない。そういう時には「なぜこの係があるのか」を全員が考える確率を上げるほうがいいとわたしは判断している。つまりそちらのほうが、男性特権の解体により有効な闘争の手法であると。そのための経費は払います。払える範囲でね。

 わたしはほんのちょっとだけ泣きそうになる。それから言う。わたし、次、飼育係、やります。先生が定年しちゃったら。

遠くへ行きたくなる人よ

 同僚たちとおしゃべりをしていたら、寝床に入ってから眠りにつくまで何を考えているか、という話になった。
 生真面目な人が「やりかけの仕事が頭から離れなくて困っている」と言った。かわいそうである。でもこの人がすごく仕事ができるのは夜まで律儀に考えているからなのかもわからない。楽天的な人が「頭の中で趣味のゲームをしている。やりこみすぎてけっこう正しいシミュレーションになってる」とこたえた。楽しそうである。あと将棋盤がなくても将棋ができる棋士とかみたいでちょっとかっこいい。

 私は「妄想をしています」とこたえた。すると別の一人が「わたしもです」と言う。どんな妄想かと問えば、明日何を着ようかなー、とか、こないだラクガキしたポストイット、職場のデスクの引き出しに入れっぱなしになってるんじゃないかなー、とか、そういうのです、と言う。ラクガキの内容は友人のペットをモデルにした小鳥さんだそうである。
 私は真顔になった。それは妄想ではない。想である。妄の字にあやまれ。あいつはいいやつだぞ。とくに役には立ちませんが。

 否、妄想というのは本来、現実でない思い込みをさすはずである。私は自分の空想を現実ではないと了解して楽しんでいるのだから、正しくは「現実離れした空想」というべきだろう。
 しかし私はそれらをたいへん大切にしている。眠る前の私はどこへでも行ける。寒波が来ているという北海道の、いつか本で読んだ、粉雪が風で彫刻をつくる山の、そのいちばん奥で雪のかたちをながめることができる。戦前の海辺の町に生まれて島まで遠泳できる年齢になるのを心待ちにしている子どもの目で漣を数えることができる。ファンタジーの世界でみなしごとして泥棒をやって暮らし、ある日ドラゴンの子どもと出会うことだってできる。疲れきって旅に出た先のアイルランドの小さなウイスキー醸造所で出会った老人と意気投合し、最終的に醸造所の跡取りになることもできる。
 最後のは仕事で疲れたときのお気に入りの空想である。私の中では周辺の景色はもとより、醸造所のようす、その主の顔立ちから服装までが作り込まれている。私の脳の特性なのか、それらの描写はすべて文字である。画像ではない。
 私にとっての妄想とはそうしたものである。実際に描いた小鳥さんの絵のことではない。しかしこの人が絵を描くとは知らなかった。私は自分で絵を描くのはからきしだが、観るのは好きなのだ。今度見せてもらおう。

 私がそのような内容をかいつまんで話すと、小鳥さんの女性はすこし笑い、遠くへ行きたいんですね、と言う。
 いつも遠くへ行きたいのね。
 私は少しだけ息を止める。
 いつも遠くへ行きたいのではない人なんて、いるのだろうか。
 そう思う。しかし私はもう大人で、それはもう、しっかりはっきり大人で、だから遠くへ行きたくない人だっていることを知っている。知っているけれどーー
 遠くへ行きたくない人がいるのか。

 わたしの姉もそうでした。おそらく娘も。
 彼女はそのように言う。
 わたしはあの人たちを好きですよ。ふだんは自分のいちばん近しい人だと感じている。子どものころは姉を、親になってからは娘を。
 でも、わたしは遠くへ行かない。遠くへ行こうと思っても、わたしの遠くは、それほど遠くない。あの人たちは遠くへ行く。それが当たり前だとでもいうように。目をあけたまま夢を見る機能が、生まれつきそなわっているかのように。
 同じ親から生まれた姉が、わたし自身が産んだ娘が、どうしてそんなにわたしと違うんだろうと、ときどきそう思うんです。

 私はちょっと困って、それから、自分がさっき考えたことをそのまま口にした。いや、そういう、空想癖というのはですね、自分自身にとっては、いいものですが、別に役には立たないですよ。ほんとに。少しも。
 そうでしょうか、と彼女は言う。わたしはね、人間がほんとうに辛いとき、助けになるのは、遠くへ行く力なんじゃないかと、そう思っているんです。わたし自身はたいして苦労もせず生きてきて、だからそれがなくても平気で生きてきたんですが、子どもがいるとニュースを見ても本を読んでも何かと悲観的になりがちでね。子どものためにお金をためて、でもその価値は下がるんだろうなと思って、投資信託を買って、それから思うんです。でもこの子は、遠くへ行ける子だから、円安も投資信託の手数料も運用益の税金が免除になる新NISAも関係ないところへ行ける子なのだから、と。
 

雑煮、あるいは雑煮のようなもの

 弊社はフルリモート勤務がメインの会社で、だからオフィスには、関東圏に住んでいる社員がときどき出社することを想定した席数しかない。そのため年に二回の懇親会は地方在住者に交通費が出る大きな会議のあと、オフィスがあるビルの中の大きな会議室を使用しておこなう。建物の中には弊社と同じような勤務体系の企業が入っていて、物理的な参加者の多い会を開くときには部屋を予約して使うのである。
 仕事でかかわりのある人を見つけて話していて何となし形成されたグループで、ふと会話が途切れた。そこでわたしは無害な話題を振った。
 雑煮の話である。

 弊社はIT関連企業だが、わたしは入社前、文化人類学を専攻していた(お金がなくなって就職した)。弊社ではわたしの経歴はそれほど目立たない。ミイラの研究をしていた博士号持ちのエンジニアだの、元柔道選手の経理だの、不登校・大検から司法試験合格の法務だの、変な経歴の人間がゴロゴロしているからである。採用プロセスに何らかの問題があると思われる。
 フルリモートの企業では居住地が柔軟だから、出身地の分散も大きいと推測できる。そして正月の記憶も新しい一月の懇親会、ならば雑煮だろう。どのような雑煮を食べるか。そもそも雑煮を食べるか。
 案の定、関東風がもっとも多かったが、関西風の人がいて、それから根菜がたっぷり入った具だくさんのすまし汁仕立てのものだという人がいた。鰤か鶏かと尋ねれば鶏だという。具材の詳細を訊き、親御さんのどちらかが、長野県の、そうだな、諏訪のあたりですか、と尋ねると、そうですと言う。
 一人がわたしの過去の専攻について話し、別の一人が「さすがあ」などと言ってくれたが、わたしは院生時代、日本国内の風習を調べていたのではない。東アジアの医療機関で市民と医療従事者のやりとりを記録するなどしていた。
 全然関係ないじゃん、と誰かが笑い、全然関係ないんですよ、とわたしも笑う。雑煮の話は、世間話です。

 わたしがこれまでに食べたことのある雑煮はすべて他人の家の雑煮である。
 わたしは雑煮が出てくる環境に育たなかった。文化的な差異ではない。いや、ある意味で文化的な差異なのだが、行事食が提供されない程度には殺伐とした環境だったのである。
 わたしはそのような環境を、もちろん好ましいとは思わなかったが、痛ましいとも思っていなかった。なにしろ自分にとっては自分の経験が「普通」なのだ。「お正月のある家と、ない家があります」くらいの認識だった。
 わたしはそのような過去の話をほとんど開示しないのだが、それでも少女時代から今に至るまで、いろいろな家に呼ばれてお正月のご馳走を振る舞われてきた。キリスト教圏ではクリスマスに留学生が故郷に帰らずのんびりしていると問答無用で誰かの家のホームパーティーに連行されると聞くが(クリスマスにひとりぼっちの知人を放っておくのは倫理的ではないと考える人がたくさんいるため)、日本人にとっては正月がそうなのかもわからない。
 あるいはわたしには、宿命的に寄る辺のなさがこびりついていて、ある種の人がそれをかぎつけるのかもしれない。
 それでわたしは、関東風関西風はもとより、凍り豆腐が入ったのやら、穴子で出汁を取るのやら、実にいろいろな雑煮を食べる機会を得ることになった。そういう立場を、わたしはそんなにいやではなかった。特定の伝統文化の継承者ではないこと。いつも来客であること。好意で何かを提供される者であること。

 うちは雑煮もおせちもナシです。誰も好きじゃないから。
 誰かがそう言う。いいですね、とわたしは言う。そしたら何を食べますか。年末年始休暇はなんとなくこれを食べる、というのはありますか。すき焼きや蟹が多いですが、もちろんそうじゃなくても。
 うちは必ずソフトクリームを食べます。車だしてミニストップに買いに行ってまで、なぜか絶対食べる。うん、あらかじめ買えるソフトクリーム風のアイスは、緊急時以外不可ですね。ミニストップじゃなくていいんですけど、その場でにゅーってする、あの「ソフトクリーム」である必要がある。あとほぼ確実に豚の角煮を煮ます、母も祖母もやってました。
 その答えを聞いて、その場の全員がどよめく。いいですね、とわたしは言う。沖縄にご縁がある? ない。なくて豚の角煮。いいですねえ。
 わたしは他人のオリジナルの正月の風習がとても好きで、個人的に収集している。個人が生活していていつのまにか形成する習慣は、伝統と同じくらい興味深い。

浮気と乗り換えと味噌

 妻の梅干しの話を聞いて、味噌のことを考えた。僕はぼんやりしている時間の半分以上は食べもののことを考えている。
 「これでなければいけない」というほどではない。しかし「やはりこれがよい」というものはある。父親の故郷の信州味噌である。信州味噌ならなんでも、とはいかず、わざわざ自分の親(僕の祖父母)から送ってもらっていた。それで僕もその味に慣れてしまい、独立してからも似たものを取り寄せて味噌汁をつくっている。
 僕の場合は親の出身が長野県だったからなのだが、そうでなくても東京の人間の多くは信州味噌がデフォルトであるように思う。多くの人がマルコメやハナマルキを買っている。他の味噌が好きな人はそれこそ親の出身地の味噌になじんでいるのだろう。
 しかし、長野県出身の父親と千葉県出身の母親に育てられた東京育ちの僕は、ときどき八丁味噌がむしょうに食べたくなる。一年間名古屋に出向して、そのときは「これもうまいね」という程度だったものが、東京に戻ってきてしばらくしたら、ときどき発作的に赤だしの味噌汁を欲する身体になっていたのである。遅効性の薬物かなんかかよ。
 名古屋から戻って十数年たつ今でもときどき発作をおこして、赤だしがうまいとわかっている店にかけこむ。

 僕はそのことを、なんとなく家族に言っていない。何も悪いことではないし、妻などは食いしん坊だから、「食べたくなるものが多いのは素晴らしいことだ」と褒めるだろう。
 それでも、なんとなく、後ろめたい。
 それはたぶん、僕が選ばなかった人生の選択肢について想起させるものだからだと思う。
 後悔しているとかやり直したいとか、そういうことではない。もう一度選べるとしても今と同じ道を選ぶ。でも、選ばなかったほうを選んだらどうなっていたかという思いは、残る。それを選んでいたら自分は今ごろ別の人間で、そいつはどんなやつで、どんな幸福を感じているのだろう、というような、夢想が。

 妻と知りあったのは名古屋に出向する少し前で、僕には彼女がいた。つきあいはじめたころには理想的だと思っていた彼女だ。マッチングアプリで想定していた条件をぜんぶちょっとずつ上回っていた。かわいくて、学歴があって、しっかりした企業で働いていて、結婚願望があって。
 そのころの僕は、自分で言うのもなんだけど、同世代の女の子たちからしたら「優良物件」だった。飛び抜けた金持ちじゃない、でも目立った欠点がない、定年まで平均より明瞭に上の収入が見込まれる、優良物件。
 僕は内面の九割、そのポジションに安心感と薄い優越感を持っていた。そうして一割だけ、「堅実な道からはずれてでも挑戦をしてみたい」という欲を持っていた。「恋愛で要求されるリードするとかそういうの、全然好きじゃねえな」とも感じていた。
 その「一割」が部分ではなく卵だとわかってしまったのは、今の妻のせいである。職業はカメラマン、自分ひとりの食い扶持以上の稼ぎは乱高下が当たり前、飛び回っていないとしんどくなる性質で、安定みたいなものには全然興味がない、そういう女だ。ものの考え方が、聞けば理屈は通っているが、常識的ではない。子どもを持ってからは「子どものために保守的になったよ。えらい?」などと言っているが、一般的にはぜんぜんぶっとんだ人のままである。
 子どもは僕の希望で、「僕がメインで育てるから」と説得してどうにか承知してもらってつくった。結婚は事実婚も含めていまだに同意を得られていない。理由は「結婚が嫌いだから」。妻というのは一緒に暮らして子育てする上での便宜上の呼称にすぎない。
 変な女なのである。
 一緒に生活して得のある女ではない。当時の彼女のように、自分も働きながら当たり前の顔して晩ごはんを作ってくれる人では全然ない。出産を承諾してもらえたとしても父親として保護者権限を持つためにはあれこれ手続きをしなくてはならない。
 名古屋出向のあいだ、そのような変な女と当時の彼女を、僕は天秤にかけた。東海道新幹線が新横浜を過ぎたら、品川駅で降りるか東京駅で降りるか決めなくてはならない。品川駅は当時の彼女の家から便がよく、東京駅は今の妻の住まいから近かった。
 そのような経緯で、名古屋時代は僕にとって岐路の象徴になったのだと思う。挑戦や子育てのための転職をせず順調に役職がついていたであろう仕事を、当たり前にするものだと思っていた「普通」の結婚を、相手に「自然に」家事育児の負荷をかけていられる立場を、選ぶことができた時期。
 そんなだから僕は、ひとりで赤だしの味噌汁を食べにいくのである。

元彼のババアの梅干しのこと

 なにごとにも基準はある。わたしの梅干しの味の基本はババアの梅干しである。
 この「ババア」はわたしの祖母ではない。会ったこともなければ名前も知らない鹿児島県のおばあさんで、存命なら百歳を超えているだろう。

 二十代のころにつきあっていた男の子はたいそうおしゃれで、信じられないほど古いマンションに住んでいた。外から見るとお化けが出そうに見えて、中はわりときれいだった。物件選びの決め手は収納力だったと彼は言っていた。だって陽に当たったらぜんぶが悪くなるんだよ、というのが彼の言で、だから居室には衣類のすべてを仕舞えるクローゼットがあったし、玄関にも天井までのシューズクローゼットがついていた。バブル期に景気よく建てられた建物だったのだろう。
 そのシューズクローゼットの上二段には靴が入っておらず、靴が入った段との境目には季節ものの暖房器具などが収納されており、その上には謎のガラスびんや古いバックパックが入っていた。
 あれは何、と訊くと彼はこたえた。あれは非常持ち出し袋とか、ババアの梅干しとか、そういうの。僕は田舎のババアのこと好きだから帰省したらちゃんと訪ねてるんだ。あ、言っとくけど僕は都会の子だよ、天文館で走り回ってたからね。
 東京の人間には何を言っているのかわからないが、要するに彼は地方都市で育ち、祖母は田園地帯に住んでいるということだろう、とわたしは思った。
 わたしはなにがしかの予感をおぼえ、それを食べさせてもらった。そうして思った。本物だ。

 わたしの母方の祖母は同じ都内に住んでいた。彼女も梅仕事はしていが、梅干しはつくっていなかった。祖母は言うのだった。わたしはお友だちの家の庭木からごく普通の青梅をもらって梅酒をつけるのがせいぜいだわね。それなら自分でもそこそこ楽しめるものができあがる。梅干しはそうじゃない。わたしの中に基準があるからね。よい梅干しは、木の才能と人の才能が揃わなくてはできあがらない。探してもなかなか売ってはいない。
 才能って何、と幼い私が訊くと、祖母はすっと目を細め、じきにわかる、とささやいた。世の中には本物がある。それを作るのが才能というものよ。
 お嬢さん育ちだったがその後ずいぶん苦労したという祖母は、ときどきそんなふうに本の中の人のようなことを言うのだった。陽気で小難しいことの嫌いな母の安定した愛情からは得られない、薄暗く光る何かを、わたしはこの祖母から受け取っていたように思う。
 そうはいっても梅干しである。
 祖母は彼女が本物とするさまざまなものを見せるために、定期的にわたしを連れ歩いた。美術館や博物館、百貨店の買いもしないハイブランドのフロア。それらには子どもの目にもうつるほどのエネルギーがあったし、母がときどき祖母からもらってくる正統派の和総菜や(母いわく)ハイカラな洋菓子はわたしの家の食卓を賑わせた。祖母は美しいものが好きで、食い道楽の料理上手だったのだ。その祖母が亡くなったあと、食べてもいない梅干しの話を覚えている子どもがいようか。
 そんなわけでわたしはそのことをすっかり忘れて大人になり、ちゃらちゃらと男の子とつきあい、そうして唐突に「ババアの梅干し」と出会ったのだった。

 わたしは軽薄な若者だったから、他の人を好きになってそれがバレて、鹿児島出身のおしゃれな男の子と別れた。そのことにとくに異論はない。浮気してバレたら、まあ別れますよねと思う。わたしは恒常的な浮気性ではなかったが、つきあっている人がいても飽きるなり何なりして次の人を好きになることはあり、そのような期間を「のりしろ」と呼んでいた。浮気者の一種ではあろう。そのような人間が「のりしろ」の存在を知られて即日彼氏の家を追い出されるのは道理というものである。
 しかしあの梅干しにだけは、いまだ未練がある。
 惜しいことをした、と当時の浮気相手が言う(今の伴侶である)。きみは浮気がバレた瞬間に梅干しのことを考えるべきだった。そのでっかい靴箱からババアの梅干しのガラス瓶をひったくって出るべきだった。「こいつはもらってくぜ、手切れ金だ」とか言って。少なくともおれにはナイスな梅干しを漬けるばあちゃんはいなかった。きみがそうしていたらおれも本物の梅干しを食えたかもしれない。なに、そんな女は当分話のネタになるから、うらまれやしないさ。おれなら酒の席の鉄板の話題にするね。
 わたしは笑う。なんでギルティな側の人間が手切れ金をもらえるんだよ。