よしの‐やま【吉野山】
吉野山
名称: | 吉野山 |
ふりがな: | よしのやま |
種別: | 史跡 |
種別2: | 名勝 |
都道府県: | 奈良県 |
市区町村: | 吉野郡吉野町 |
管理団体: | 奈良県(大14・11・12) |
指定年月日: | 1924.12.09(大正13.12.09) |
指定基準: | 史2,史3,名3 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 吉野ハ其ノ名夙ニ國史ニ著レ齊明天皇以來天武持統文武天正聖武等御歴代御幸ノ事アリ中古ハ金峰ノ信仰ニヨリテ山上隆盛ヲ極メシカ後元弘建武ノ際ヨリ吉野朝トノ關係特ニ深ク史蹟トシテ普ク世ニ知ラルヽニ至レリ 吉野ハ亦櫻ノ名所トシテ其ノ來歴ノ古キト其ノ樹數ノ多キトハ實ニ全國ニ冠タリ櫻樹ハ悉ク白山櫻ノ純系統ニ屬シ其ノ數ハ拾萬本ニ達ストセラレ其ノ中自ラ多數ノ品數アリ全山中櫻樹最モ多キハ一目千本ニシテ花期ニハ山容悉ク櫻花ヲ以テ充滿セラルヽノ觀ヲ呈ス其ノ他中千本上千本奧千本等アリテ花期其ノ妍ヲ競ヒ地勢ノ高低ニヨリ其ノ景觀自ラ異リ實ニ他ニ其ノ比類ヲ見サルトコロナリ |
吉野山
吉野山
吉野山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:52 UTC 版)
万葉集の吉野山は吉野ヶ里背面の山。 『日本書紀』によれば持統天皇は、持統3年(689年)1月から持統11年(697年)4月までの間に、31回も吉野に行幸している。これは、34年前の白村江の戦直前の九州倭国の天子の軍事的目的を持った佐賀県吉野への視察記事から盗用されたものである(部隊は機密保持のため有明海に集結し、有明海 → 五島列島 → 韓のコースを辿ったと考えられる)。春8回、夏9回、秋8回、冬6回と亡き夫を偲ぶにしては、季節に関係なく1年中行っている。冬山に天皇が行幸したとは考えられない。 持統天皇8年(694年)夏4月の吉野行幸から帰った日に「丁亥」とあるが、この年の4月に「丁亥」はない。しかし34年前の斉明天皇6年(660年)4月なら「丁亥」がある。
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「吉野山」の例文・使い方・用例・文例
- 吉野山に咲く桜
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