こうふく‐じ【興福寺】
こうふくじ 【興福寺】
興福寺
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 09:32 UTC 版)
吉野の龍門寺は、龍蓋寺(=岡寺)とともに、興福寺の僧が二寺の別当を兼務し、興福寺の末寺となっていた。その後、興福寺別当が龍門寺別当をも兼務することになり、龍門寺周辺は興福寺の寺領となっている。 金峯山検校職には興福寺関係の僧侶が入り、金峯山寺はその傘下に入ったが、完全な支配下に入ったわけではなく、時折、金峯山寺と興福寺との間で争いごとが起こっている。1114年(永久2年)3月30日には、興福寺大衆は金峯山別当のことで争い神木を擁して京師へ上ろうとしたので、関白藤原忠実が長者宣を下し、これを慰諭してことなきを得ている(『中右記』)。しかし、これが起因したことかは不明だが、1126年(大治元年)には、金峯山寺衆徒が蜂起し、また1145年(久安元年)には興福寺僧が金峯山寺を攻め両寺の僧徒が戦ったことが『台記』に出てくる。
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