ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

観無量寿経

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

アラジンの魔法のランプの使い方

『アラビアンナイト』は『千夜一夜物語』が正しい名称で、沢山のお話があるが、その中で最も有名なものは、おそらく、
『アラジンと魔法のランプ』
『アリババと40人の盗賊』
『シンドバッドの冒険』
ではないかと思う。
ところが、『アラジンと魔法のランプ』と『アリババと40人の盗賊』は、原典の『千夜一夜物語』にはなく、後で作られた偽物であることは、ほぼ分かっているらしい。
しかし、偽物だからといって価値がないわけではない。
仏教の『浄土三部経』と言われる経典は『無量寿経(大無量寿経)』『観無量寿経』『阿弥陀経』であるが、このうち、『観無量寿経』はサンスクリット語の原典がなく、後に作られたものだと言われている。
しかし、法然は、『浄土三部経』の中で『観無量寿経』を最も重視し、他にも、『観無量寿経』こそ最高の経典と考える僧も多いのである。

ロンダ・バーンの有名な引き寄せ書『ザ・シークレット』では、人間は誰でもアラジンの魔法のランプを持っており、願いが叶えられる回数に制限はないと書かれている。
私は、中学校に入る頃までは夢の世界に生きていて、潜在意識とは馴染み・・・つまり、顕在意識と潜在意識の境界がはっきりせず、よく気楽に引き寄せを行っていた。
そして、当時私が書いたものには、アラジンの魔法のランプを使う様子が書かれているものがあるが、当時は、その使い方をよく知っていたことが分かるのである。
たとえば、成績を良くしたいと思ったら、ランプの魔神に「成績を良くしてくれ」と頼むのではなく、「僕の成績が良い世界にしてくれ」と頼むのである。
モテたかったら、「僕がモテる世界にしてくれ」である。
このように、自分基準でなく、世界基準でないと願いは叶わない・・・というわけでもないのかもしれないが、世界基準にした方が簡単に叶う。
ただ、実際に魔法を使う時は、ランプの魔神を呼び出すわけではないので、既に、「成績が良い世界」「モテる世界」であると決めてしまうのである。
とはいえ、私は欲張った願いを持たず、そこそこ成績が良ければよいだけだし、もっと言えば、成績が良いと感じればそれで良かった。
それで、全く勉強しないに関わらず、そこそこの成績だったし、モテることに関しても、色男扱いされていたので、そこそこモテていたようである。
ただ、中学校というところは、小学校とは違う方式の洗脳場所で、勉強もスポーツも、努力しないと成果が出ないと思い込まされるので、私も、成績はどんどん悪くなるし、思ったようにモテなくなっていった。

ストーリー性のある恐い夢を見ることがあるだろうか?
乗っている船が沈没していったり、宇宙人が地球を侵略に来たりだ。
引き寄せを天然でやっていた頃の私は、そんな夢を見ても、ちっとも恐がらなかった。
なぜかというと、結末が分かっていて、それはハッピーなものだからだ。
なぜ分かっているかというと、自分で決めているからだ。
現実世界も同じで、自分がいる世界がどんな世界か決めてしまえば、何が起ころうと何とも思わず、見守るなり楽しむなり出来る。
誰かが、この世界は立体映画(三次元映画)だと言ったが、今流に言えば、全くのVR(仮想現実)ゲームである。
どんな世界か決めるのは自分だが、気楽に、適当に決めれば良いのである。
上で取り上げた『観無量寿経』というのは、誰かが決めた世界を壮大に描いたものだ。
この経典の中で、韋提希(いだいけ。ヴァイデーヒー)という王妃は、釈迦に、
「こんな世界は嫌です。もっと良い世界で生きたい」
と言うので、釈迦は、彼女に、世界をそんなふうに変える方法を教えるのである。
まあ、それを小難しく形式的な解説をする人が多いのだが。








宮本武蔵になる方法

日本人に、「日本の歴史上、最強の剣豪は誰か?」とアンケートを取れば、ぶっちぎりで宮本武蔵が一番になるはずだ。
もちろん、そうなる理由は、単に宮本武蔵が有名であるからに他ならない。
本当に宮本武蔵が強いかどうかより先に、宮本武蔵以外の剣豪の名を挙げられない者も多いに違いない。
なぜ、宮本武蔵が有名かというと、吉川英治の小説が戦争中に大ヒットし、その後も人気があるからで、その大ヒットの理由は、もちろん、吉川英治の小説が面白いという面はあるが、国が意図的にこの小説を国民に普及させようとしたという話がある。このあたりの事情はよく分からないが、簡単に言えば、国による国民の思想統制…早い話が、洗脳のために、吉川英治の『宮本武蔵』が使われたらしい。
私は、吉川英治の『宮本武蔵』を1巻の途中までしか読んでいない。面白くないと言うより、読んでいて気持ち悪いし、テンポも悪いので、嫌になって、読むのをやめたのだ。だから、この作品がどう、国威発揚に使われたのかは不明だ。
だが、確実に言えることは、吉川英治の『宮本武蔵』はフィクション…つまり、吉川英治の創作であり、宮本武蔵の実像を伝えてはいないということだ。

実は、宮本武蔵が本当に剣豪であったかどうかは疑わしいようだ。
その理由は、司馬遼太郎の『真説 宮本武蔵』で指摘している通り、武蔵は、江戸に数多くいた一流の剣豪の誰とも試合をしていないからだ。
そもそも、宮本武蔵の真実は、武蔵が著したと言われる(これも諸説あるが)『五輪書』に書かれたことのみであると言われる。だが、この中で武蔵は、数多くの剣士と戦い全勝したと書いているが、エビデンス(証拠)はない。
宮本武蔵の試合で最も有名な、佐々木小次郎との決闘は、まさに、吉川英治の小説が、そのまま伝わっている。試合そのものは本当にあったという説もあるが、その内容はあくまで吉川英治の作り話である。

ただ、司馬遼太郎の『真説 宮本武蔵』によれば、武蔵が剣豪であったかどうかはともかく、実戦が強かったのは間違いないようだ。でなければ、いくら何でも、名前が残らないし、名前が残っているからこそ、吉川英治の小説のヒーローにもなったのである。

吉川英治の小説にある、宮本武蔵と吉川道場との決闘の話は、全くのフィクションだが、司馬遼太郎の『真説 宮本武蔵』によれば、武蔵は、吉岡道場の当主、直綱と試合をしてはいるらしい。
吉岡道場では、挑戦者をことごとに退け(大抵は試合中に撲殺)、名を上げていたが、試合は、直綱の弟の又一郎が行っていた。
兄の直綱は、試合を弟にまかせて、自分は稽古もしないようになり、遊び歩いていた。
しかし、宮本武蔵が挑戦してきた時、直綱は、弟の又一郎に「お前では勝てない」と断言し、自分が試合をすると言う。
又一郎は、昔は強かったかもしれないが、ロクに稽古もしていない兄に自分が劣ると言われて気分を害し、兄に真剣で挑むが、これが、手も足も出ないと言うより、打ち込むことすら出来ない。
直綱は又一郎に「剣の腕ではお前の方が上。だが、気で俺に劣る」と言う。
今でもだが、「気」という言葉は、武術や仙道などでよく使われるが、気という実体があるわけではなく、これは、言ってみれば、精神エネルギーのことだ。
簡単に言えば、又一郎は、兄の直綱に、精神の力とか、その使い方で劣るのだろう。
そして、直綱は、宮本武蔵が、大きな気の力を持っていることを見抜いたので、弟では全く敵わないと確信したのである。
また、直綱は、自分が武蔵に勝てるかどうかも分からなかった。ただ、確実なのは、又一郎では確実に負けることだ。
直綱は、武蔵の気の力は、天性のもの、すなわち、生まれつきの才能と感じたようだ。しかし、武蔵は、修行でそれを得たのかもしれない。ただ、それは『五輪書』には書かれていないので、やはり、直綱が感じたように、武蔵の天賦の才能かもしれない。

ちなみに、直綱は、気の力を修行で得たフシがある。それを、又一郎には教えなかったのかもしれない。
あるいは、又一郎には、その素質がないと思っていたのかもしれない。
ちなみに、直綱が言う、気の修行は2つあり、1つは、柳生新陰流がやったと言われる坐禅である。
坐禅により、心を無にするのである。
一方、直綱は、「止観」を重視していた。
これは、坐禅のように想念を無にするのではなく、むしろ、想念を妄想に集中し、心を操る術を見い出す。
これは、天台宗の教えを元にしているらしいが、浄土宗・浄土真宗の経典『浄土三部経』の1つ『観無量寿経』で、釈迦が丁寧に解説している。
早い話が、止観とはイメージ法で、夕陽とか水とかをイメージして、心を鍛えるのである。

ただ、私はむしろ、『猫の妙術』の、古猫の教えの方が、気の鍛錬になると思う。
『真説 宮本武蔵』と『猫の妙術』を併せて読むと、面白くて仕方がないのである。
それにより、気、即ち、精神エネルギーの使い方のコツや、その鍛え方が分かると思えるからだ。
気を使いこなせば、引き寄せなども思いのままであると思う。








真言で新しい世界に移行する

久々に、のどかな夢を見た。
「世界五分前仮説」を明白に現わしたような夢だ。
「世界五分前仮説」とは、バートラント・ラッセル(1872~1970)というイギリス人が提唱したものだ。
バートラント・ラッセルのことを、単にイギリス人だなんて言うのは、随分畏れ多い。
彼は、アリストテレス以来の大論理学者で、数学者で哲学者であり、それらの全ての分野で人類史上に残る業績を上げている。
ノーベル賞に数学賞がないことはご存じかもしれないが、数学者であるラッセルは1950年にノーベル賞を受賞している。
なんと文学賞であるが、ラッセルは小説なんか書いていないし、特に、どの著作が受賞の決め手というわけでもない。彼の一連の哲学的、批評的エッセイが、あまりに価値があったのだ。

それで「世界五分前仮説」に戻るが、ご存じかもしれないが、これは、世界は実は5分前に出来たと考える思考実験で、実際に「世界は5分前に出来た」と主張するわけではない。
1年前、5年前、10年前・・・それ以前の記憶を持っている人は多い。
しかし、5分以上前の記憶は、全部、捏造・・・嘘で、その記憶が示す事実が本当にあったのではない。
そして、本当にそうだとしても、特に不思議ではない。

私は今朝の夢で、大きな町1つを所有する超大地主だった。もちろん、今は全くそんなことはない(笑)。
しかし、夢の中で、私は、昔からそうなのであることを疑ってもいない。
私は、パジャマで街を歩いていた。
人はほとんどいなかったが、少しはいて、向こうに、若奥さん風の人が歩いている。
私は、大地主とはいえ、誰でも私の顔を知っているというほどの有名人ではないので、変な人だと思われないよう、今後はパジャマで出歩くのはやめようと反省した。
そして、畑の中の道を歩いて家に向かった。
道は幅4メートルほどで、道の両端は、崖というほどではないが、見ると、2メートルほどの高さで、落ちたら大怪我をしかねない。
子供だって沢山いるのに・・・と思って、道をよく見たら、道の両端近くに、道沿いにロープが張ってあり、注意を促すようにはしてある。
そのロープは、私が見た瞬間に現れたに違いないが、それほど驚かなかった。そんな世界なのだという想いがあったからだ。そして、子供達のことを考えると、この程度では安全とは言えないので、対策しなければと思った。きっと、もっと思念をこらせば柵でも現れるはずだ。
私は、大地主とはいえ、町の人達を無理に従わせたり、まして、蹂躙しているようではなかった。ひっそりと平和的に統治する良い地主で、おそらく、実際の統治は誰かにやらせているのだろう。
ところで、本場イタリアのマフィア(コーザ・ノストラ)は、地主である貴族が、農民の生活に興味を持たず、統治は金を払って人にまかせていたが、その統治をまかされた者達が傲慢になって圧制を行うようになったのが起源だ・・・と『NOIR(ノワール)』というアニメで私は覚えた(笑)。本当かどうかは知らないが、私はマフィアを作るつもりも、自分がなるつもりもない。

その都度、自分が考えたように世界が変わる、あるいは、新しい世界が生まれる。
そんな「やわらかい」世界が存在しても不思議はない。
世界は、コンピューターが作り出したVR(仮想世界)であるという、「シミュレーション仮説」というものがある。
世界一の大富豪で、電気自動車会社テスラ(自動車会社としては時価総額世界一)や、民間宇宙船会社スペースX、その他多くの最先端企業のCEOを務めるイーロン・マスクは、世界がシミュレーション仮説の通りの「シミュレーテッド・リアリティ」ではない可能性は、ほぼ全くないと言い、同様な見解を示す知識人は少なくない。
つまり、私が今朝見た夢も、ある意味、それが現実であり、私は、こことは別の現実世界にいたのである。
(『涼宮ハルヒの憂鬱』を見れば感じが掴めるかもしれない)
この世界は、世界一の大国の大統領が不正で選ばれたり、人工ウイルスを利用して、闇の支配者が不要な人類を排除しようとしている嫌な世界であるという噂がある(笑)。
それなら、別の、もっと楽しい世界に行ってしまえば良い。
まあ、これはやや極端な話かもしれないが、そんなことは、間違いなく可能である。
念仏を唱えれば、極楽浄土に行けるという、仏教の経典である『観無量寿経』(『浄土三部経』の中の1つ)は、そんなことが書かれていて、世界は無限に存在するとされている。
この『観無量寿経』は、凡人にも分かるよう脚色されているが、宇宙人の科学が垣間見えるようにも感じる。
「シミュレーション仮説」のメカニズムに関しては、時々ぼんやり述べているが、重要なことは、真言を唱えることで、世界を移動する、もしくは、新たに作ることが出来るということだ。世界は一瞬で「みだりに」作ってしまえる。それが量子物理学の多世界解釈(多世界解釈では真言のことは扱われていないが)で、支持者も多いし、おそらく、事実だ。
あなたも、たゆまず真言を唱え、新しい世界を創ると良い。
マジカルミライ2018のテーマソング『グリーンライツ・セレナーデ』で、

言葉は時に無力でなかなか
この世界は変わらないけど
もしキミが持ってるその魔法で
新しい世界を作れるとしたら?
なんてね 言ってみただけ
そんなの本当は 出来る訳ない

ワケがないでしょ!
~『グリーンライツ・セレナーデ』(作詞作曲編曲:Omoi、唄:初音ミク)より~

と初音ミクさんが歌った通りである。
【初音ミク公式】「マジカルミライ 2018」ライブ映像 - グリーンライツ・セレナーデ








常識を消せば超能力は発現する

神仏に、願いが叶うことをお祈りをした時、どんな人の願いが叶うのだろうか?
それは、祈る人が、祈りを捧げる神仏について、
「どれだけ大きな力を持っているか?」
「どれだけ自分を愛してくれているか?」
と考えているかで決まる。
「愛してくれているか」について言えば、こんな問題がある。
特に、イスラム教徒がそうで、キリスト教徒やユダヤ教徒もだが、彼らは、神様に対して「天上にいる気難しくて怖い老人」というイメージを持っている。
彼ら(イスラム教徒など)にとって神様は、自分が悪いことをしたり、神が決めた掟を守らなかったり、神への供え物を怠ったら罰を与える恐ろしい存在だ。
しかし、どうしたって、人間は悪いことをするのだし、なかなか掟を守れないし、供え物をするのも面倒臭い。
それで、人間は、罪の意識を持ったり、自分は神に愛される資格がないなどと思ってしまうのである。
そういったところを権力者が利用して人民を支配することについてはよく分かっているが、そのことは今回は触れない。
本題はあくまで、どうすれば願いが叶うかだ。
上に述べたような気難しい神を信仰している者の願いは、あまり叶わない。
どうしても、そんな恐い神様が自分の願いを叶えてくれるとは思えないからだ。

ところが、仏教の仏は、本来、決して人間を罰しない。
特に、阿弥陀如来はそうで、どんな悪人でも慈悲をかけ、全面的な愛を注ぐのである。
だが、やはり多くの人々は、仏だって、悪い人は罰すると思い込んでびくびくしているのである。これは、親が子を、権力者が人民を支配するために、そう思い込ませたからだ。
だが親鸞は、「阿弥陀仏は、掟を守れず、善いことが出来ず、悪いことをしてしまう我々凡人を哀れんで救ってくれるのだから、我々駄目人間でも全然OKなんだ」と言ったのである。
それは非常に正しい。
なぜなら、理解は難しいのだが、実のところ、自分の心が仏で、それゆえ心は無限の力を持っているのだからだ。
自分の心が仏であるということが分かり難ければ、心の中の深いところに仏がいると思えば良い。
そして、阿弥陀仏に関して言えば、「南無阿弥陀仏」とか「阿弥陀仏」と唱えれば、即ち、念仏を唱えれば、心の中の阿弥陀仏が表に出てくるのである。
つまり、表面の心が悪くても、内なる仏は全く関係なく、無限の愛と力に満ちている。
これは、宗教というよりは、心の科学で、未来の科学であり、宇宙科学である。
現在は、精神科学や量子物理学が、ようやくその入り口に達した程度だが、いずれ明晰に分かるようになるだろう。

そして、どれだけ簡単に速く願いが叶うかは、祈る神仏が、どれほど大きな力を持っていると考えているかで決まる。
多くの人は、案外に神仏の力を見くびっているものだ。
イエスは「神に出来ないことはない」と何度も言い、『観無量寿経』では、阿弥陀仏や観世音菩薩が、想像を絶するという言葉では全然足りないほど凄い存在であることを壮大に語っている。
また、『観音経』(『法華経』25章)では、観世音菩薩の偉大さ、観世音菩薩が持つ力の大きさ凄さを、釈迦が大いに語ってくれている。
仏教の経典は、宇宙人が書いたと思われるほど(もちろん、人間のために、比喩的・象徴的に書かれているが)、思考の限界を叩き壊し、イメージが無限に広がるよう工夫されている。
それは、数ある経典の中でも、特に『法華経』や『浄土三部経』について言えるが、超能力というのは、世間的常識を壊せば(あるいは消せば)出てくるのだから、これらの経典を熱心に読めば超能力だって得られる。
中国の『荘子』は、『法華経』や『浄土三部経』ほどの破壊力(常識の破壊力)はないが、その分、分かり易い。とはいえ、『荘子』でも、なかなかついていける人は少ないのだが。

確かに、こういう俗っぽい言い方はどうかとも思うが、超能力を得たければ『法華経』(『観音経』だけでも良い)や『浄土三部経』(『観無量寿経』だけでも良い)を読むと良い根拠はこうである。
そして、超能力(極めて広い意味で願望達成能力も含む)を発するコマンドが真言である。
『観無量寿経』や『観音経』で言えば、「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」がそうである(「阿弥陀仏」「観世音菩薩」でも良い)。
もちろん、経典を読まなくても、集合無意識の中にパワーが充満しているので、真言を唱えるだけで十分である。
ただ、若干、力の出方が弱いだけである。
そして、昔と違い、経典が簡単に手に入る時代なのだし、我々は支配者に思想統制や情報統制を強力にされているので(早い話が重い洗脳を受けているので)、万全を尽くした方が良いかもしれない。








聖典のすゝめ

真言を、より楽しく、快適に唱え、ひいては、早く願いを叶えるために、関連の聖典を1つ読んでおくと良いと思う。
聖典の多くは、本来、子供でも読めるほど易しいもので、それに、おとぎ話のようで面白いものだ。まあ、難しく翻訳したい先生がいるから、少し困るのであるが、聖なる書は、誰でも簡単に読めてしかるべきものである。

主に、念仏と、観世音菩薩について述べる。

念仏の場合、元々、法然の『選択本願念仏集』と、親鸞の弟子、唯円が親鸞の教えを書いた『歎異抄』があり、特に、『歎異抄』は短くて読み易いので、これ1冊でも十分である。
ただ、念仏の場合、『浄土三部経』と呼ばれる、『無量寿経(大無量寿経)』『観無量寿経』『阿弥陀経』の3つが、根本聖典になっている。
(龍樹の『十住毘婆沙論』を挙げる人もいるだろうが、これも、主に『観無量寿経』を元にしている)
この中で、私は、『観無量寿経』をお勧めする。
理由は、短くて、おとぎ話のようで面白いということもあるが、阿弥陀仏や観世音菩薩、それに、勢至菩薩について、釈迦が詳しく、素晴らしい説明をしてくれているので、念仏を唱える時に、良いイメージが持てるからである。
尚、念仏というのは、一般的には「南無阿弥陀仏」であるが、本来は、仏を念じることで、そのためには、名を呼ぶことが最も自然なのである。
だから、特に、「南無阿弥陀仏」でなくても、「阿弥陀」「阿弥陀仏」と唱えても良い。好きなら、サンスクリット語で「アミターバ」と唱えても良い。
また、阿弥陀如来真言である「オン、アミリタ、テイセイ(テイゼイ)、カラウン」も同じと考えて良いと思う。
私は、「阿弥陀仏」と唱えることが多い。そして、その際、『観無量寿経』に書かれた、釈迦が語る阿弥陀仏の印象が微かに心にあり、これが実に良いのである。
私も、『観無量寿経』を、それほど熱心に読み込んではいないが、それでも十分と思う。
また、『観無量寿経』を読むと、阿弥陀仏や観世音菩薩の名がどれほど貴く、その名を唱えることが、どれほど威力があることかも分かるのである。

次に、観世音菩薩の名を唱えることに関しては、『法華経』の25章『観音経』を読むことをお勧めする。
『法華経』全体は長いが、『観音経』だけなら短い。
『観音経』には、観世音菩薩が、どれほど凄い力を持っているかだけでなく、観世音菩薩が、想像も出来ないほど偉い仏(呼び名上は菩薩だが)であるかが釈迦によって語られており、やはり、観世音菩薩の名を唱える時に、わずかでも、その印象があると、やる気が違ってくる。
観世音菩薩の名の唱え方は、「南無観世音菩薩」「観世音菩薩」だが、好きなら、サンスクリット語で「アヴァローキテーシュヴァラ」と唱えても良いし、「観音様」でも良いと思う。
また、観世音菩薩の真言である「オン、アロリキャ、ソワカ」も良い。
ところで、般若心経の呪文、
「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボウジ、ソワカ」(中国語)
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」(サンスクリット語)
は、観世音菩薩を讃える意味が大きいので、これを唱える時も、観世音菩薩の印象があるのは、やはり良いと思う。
(中国語、サンスクリット語、いずれを唱えても良く、効果も同じである)

必ずと言うわけではないが、長いものではないので、おとぎ話でも楽しむように、『観無量寿経』や『観音経』を読むと、大きな利益があると思う。
願い事が叶い過ぎて恐くなるかもしれない(笑)。

尚、イエスの名を唱える場合は『新約聖書』の『福音書』を、クリシュナの名を唱えるなら『バガヴァッド・ギーター』を読むと良いだろう。
天照大神の名を唱えるなら、『古事記』の上巻だけでも読んでおくと良いと思う。
ちなみに、私は、『古事記』では、大国主神(おおくにぬしのかみ)と火遠理命(ほおりのみこと)のファンであることを明かしておく(笑)。












プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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