ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

密教

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

密教の引き寄せ

今の新興宗教にも通じるが、あらゆる国や時代に存在した密教は、仏教やキリスト教のように、悟りを開いたり、魂を救うことよりは現世利益が目的である場合が多いと思う。つまり、言ってみれば、引き寄せをいかに強力に行えるかを探求しているのである。
仏教やキリスト教の宗派の中にも、引き寄せを主眼にしたものも、昔から沢山あったと思う。
それらの密教で、長く続いているものには、かなり強力な引き寄せ法を持っているものもあるが、ほとんどの場合、その方法は門外不出である。
ジョセフ・マーフィーだって、キリスト教系の密教とも言える宗派の牧師だったし、中村天風もヨガの中の密教を学んでいたことは、講話の内容からも想像出来るのである。
霞が関書房の『ローム太霊講話集』という本には、いろいろな密教の秘法が書かれていて興味深く、良いと思うものを取り入れれば益があると思う。

いろんな密教の中から、特に準備なく、誰でも出来るものを説明する。
誰にでも、「妙に懐かしい」と思う場所がある。
その場所のことを思うと、胸がかきむしられるような強いノスタルジー(旅愁)を感じるような場所である。
それは、多くの場合、幼い時を過ごした家とか、幼い時に通った学校のようなものであるが、想像上の場所である場合もある。
二コラ・テスラの場合は、空想と言える村のような場所であったようだ。
それほど強い感情が起こるわけではなくとも、そんな「妙に懐かしい」場所が1つや2つはあるだろう。
どうしても思い浮かばないなら、小学生の時の通学路といったように、子供の時の記憶にある場所で懐かしく思う場所を思い出すと良い。
落ち着いた気分の時に、想像の中で、そんな場所に入っていくのである。記憶にある昔の光景である。
その光景に入り込むことが出来れば、肉体は現世にありながら、意識は異次元に居るのである。
完全にその光景に入り込まなくても、入り込む度合いに応じて、異次元世界に入っている。
異次元と言うよりは高次元である。
意識がそこにある時は、普段と比べ、物質的制約が少なく、魂の力が発揮され、簡単に言えば、あらゆる引き寄せメソッドの効果は数倍から数千倍にもなる。
記憶や想像の場所ではなく、絵の中に入り込むという方法もあるが、起こることは同じである。
当然ながら、その絵は、是非、入り込みたいと思うような絵であることが必要だろう。別に小さな絵でも構わないし、モノクロでも良いだろう。
好ましい絵を見て、恍惚としたり、気分が高揚している時には、ある程度はその絵の中に入り込んでいる。それを意図的に行う(入り込む)のである。
以上は、密教の中で行われている、割と一般的な方法で、間違いなく効果があると思う。
高次元世界では、17歳くらいに若返ったり、あるいは自分の好きな年齢の姿になり、また、仙人的な力や魔法を行使出来るものであるが、その感覚に馴染むと、どうせ現世は幻想のようなもの(ホログラムのようなもの)なので、現世でもそうなっていく。
やっていると、なかなか楽しいものである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ローム太霊講話集
(2)ニコラ・テスラ 秘密の告白(二コラ・テスラ)
(3)幸福なる人生(中村天風講演録)
(4)人類史上最大の発見(ジョセフ・マーフィー)
(5)無限供給の鍵(谷口雅春)
(6)投影された宇宙(マイケル・タルボット)

緑の瞳の少女
AIアート1213
「緑の瞳の少女」
Kay

意外な引き寄せの決定版書籍

昨夕、「引き寄せで、これだけ読んでおけば間違いないという本はない」と書いておいて何だが、あった(笑)。
さらに、簡単にそのやり方を示すことも出来る。
その威力は恐るべきもので、極端に言えば(だが可能だ)、IQ300にもなれるし、80歳が18歳にもなれる。
それをするために必要なものは何もないし、お金も1円もかからない。
子供でも出来る。まあ、子供の方がやり易いとは言えるが。
だが、教えたくないのは、ケチだからではなく、単純に検証していないからだ。
検証しようと思えば数年、大急ぎでやっても数か月かかるかもしれない。
他愛ない引き寄せならもっと短期間で出来るが、それでは信頼性がないかもしれない。
また、あまり大きな引き寄せでは、私がパラレルワールドに行ってしまうかもしれないが、本当のことを言えば、小さなことでもパラレルワールドに移動しているのだと思う。

どの本かは教えるが、普段、私は「バシャールは信用ならん」と言っているのだから実に言い難いが(笑)、まあ、たまたまいいことを言ったということで(笑)、言い訳ではないが、やはり「たまたま」とする(笑)。
ただ、バシャールと言っても、チャネラーによって、また、チャネラーのコンディションによって違いがあるかもしれないと思う。
もちろん、本1冊ではなく、たまたま引き寄せの本質を説明した、本の中の一部だ。
その本は『BASHAR3(バシャール3)』で、初版1990年で現在もロングセラーを続けている。
その中の『ワークショップ(3)「演じる」大阪』で、1989年4月11日に行われたチャネリングだ。
このタイトルの「演じる」が、引き寄せの本当に優れた方法だ。

その本とほぼ同じことが、仏教学者のひろさちやさんが若い時にかかれた名著『空海入門』では、「真似をする」と表現している。
ひろさちやさんは引き寄せとは言わないが、それ(真似ること)が密教の本質であると言い、この本は、専門書ではなく平易な一般書でありながら、まさにひろさちやさんの神懸(かみがか)った、いや、仏懸ったような本と思う。
ひろさちやさんは、ここに書かれているようなことに気付いて「密教が分かった」と思ったのだと思うし、本当に分かったのだと思うが、権威者に言わせれば「こんなので密教が分かったとはけしからん」「素人っぽくて片腹痛いわ」と言われるようなものかもしれない。
しかし、密教を含め、仏教は実用的であってナンボと私は思う。いや、神道もキリスト教も、あらゆる宗教は、本当に実用的で、無料で即座に使えないといけない。私はそう思う。
この本は、密教の極意を、誰でも無料で即座に使えるものである。
上で、「IQ300になれる」「80歳が18歳になれる」と書いたが、ブッダにすらなれるのだから(それも即座に)、IQ300などへの河童(何でもないこと)である。

日光と植物の恩恵
AIアート623
「日光と植物の恩恵」
Kay


もちろん、ノウハウはあっても、それを適用出来るかは本人次第であり、性急になってはならない。しかし、それは子供に出来ることである。
そして、これらの本が書かれてから時間が経っており、もっと易しい説明が出来ると思う。
尚、私が持っている『BASHAR3』は「単行本」版で、「ペーパーバック」版と言われる現在のものと内容は同じとは思うが、確認はしていない。
また、私が持っている『空海入門』はノン・ブックのペーパーバック版で、中公文庫版も内容は同じと思うが、これも確認していない。

★追記(2024/01/18 15:58)
以下のようなコメントをいただきましたので、シェアさせていただきます。
『BASHAR3』の「演じる」の箇所に関することです。
コメントいただいたリバリバさん、ありがとうございます!

* * * * * * * 引用開始
「演じる」の該当箇所は、
ペーパーバック版の6巻に書かれていました。
(直接本屋で確認しましたので間違いありません)

どうやら、単行本1巻分の内容が、ペーパーバックでは2巻分に分かれて収録されているようです。

* * * * * * 引用終了

◆当記事と関連する書籍のご案内◆
(1)バシャール(BASHAR)3 単行本
(2)バシャール・ペーパーバック6
(3)空海入門・ペーパーバック(ひろさちや)
(4)空海入門 (ひろさちや。中公文庫)

真言はやはり威力がある

真言密教は、空海が中国で修得し日本に伝えたもので、正しい言い方ではないが、超能力仏教と呼ばれることがある。
それだけ神秘的で、病気やその他の災難から奇跡のように人を救う力があるからで、真言密教の大僧正で、海外向けの密教の本を書いた織田隆弘氏も、密教が奇跡を起こすことは堂々肯定されていた。
真言密教では、3つの方法で悟りを開き、ひいては奇跡を起こす。
それは、「身・口・意」の「三密」と言い、「身」は正しい姿勢(結跏趺坐や半跏趺坐)で座ることで、「口」は真言を唱えること、「意」は心を正しくすることだ。
ところが、禅僧の道元は「ただ座れ」と坐禅に重きを置いたし、法然は、念仏以外は全て否定した。
道元の坐禅は、「三密」の中の「身」であるが、法然の念仏についても、先に挙げた織田隆弘氏は「真言である」つまり、「口」であると認めていた。
明治・大正の頃に、一世を風靡し、今でも行われている「岡田式静坐法」は、座禅の流れを汲むもので、大変な効力があったが、世の中ではほとんど忘れられてしまっている。
坐禅だって、これを知らない人はいないが、一般の人には縁遠い。
念仏は、もっと一般的に馴染みが深いが、葬式用と考えられていて、普通の人が唱えることは、あまりない。

一説とはいえ、有名な話だが、釈迦は、仏教の教えは廃れるが、念仏だけは残ると予言したらしい。
念仏が残るとは、念仏だけが力や恵をもたらすという意味だ。
だが、織田隆弘氏が言われる通り、念仏も真言なのであり、あらゆる真言に力がある。
これを唱えないのは、あまりに勿体ない。
確かに、念仏は葬式用と思われ、一般の人が唱えようという気にはならない。何より、念仏は、死んだ後で極楽浄土に生まれるためのものと思われているので、ますます、普通の人が唱える必要を感じない。
だが、念仏を含めた真言には、災難を祓い、幸を呼ぶ力がある。
ここらは、宗教的というだけでなく科学的とも言えるのだが、現代の科学では説明出来ないし、仮説として無理に説明しようとしたら、量子力学の難しい話になったりして、一般に受け容れられ難い。

ここはひとつ、騙されたと思って真言を唱えれば、効果を実感出来、「こんないいもの、何で今まで使わず、また、誰も勧めてくれなかったのだろう」と、むしろ訝(いぶか)しく思うかもしれない。
一般に最も馴染みのある真言である「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えても、少々の病気ならすぐに治ると思うし、あらゆる問題が解決に向かうと思うが、どうも、一般の念仏のイメージが歪み過ぎている。
親鸞は『現世利益和讃』の中で、念仏がいかに現実的効果を発揮するか詳細に述べているが、これもほとんど知られておらず、知っている人も、ただの方便だと思っているし、専門家ですら、何やらごちゃごちゃ難しい解釈を垂れる。
そりゃ、夢のような話が実現するわけではないが、真言である念仏を唱えて良いことが起こらないはずがない。

『歎異抄』のような古い書物にすら書かれているが、仏様は、実際には、色や形や大きさがあるわけではない。
だが、それでは、一般の人が仏様の存在を認識しにくいので、絵や彫刻になっているだけであるが、一応は、その絵や彫刻が仏様の姿と思っても差し支えない。
そして、仏教の経典を読むと分かってくることは、仏(如来)というのは、言い方が難しいが、人間の本質なのだろう。
つまり、真の自分とは仏なのである。別に神様と言ってもよく、実際、ユダヤ教やキリスト教の深い教えでは、「人間は本来神」、あるいは、「私は神」であると言うし、ヒンズー教や、その他の宗教でも、やはり、深い教えでは、そう教えているはずである。
ところで、人間が神や仏であることは、もはや、一般的な宗教には現れず、古代科学や超科学に属することだと思えるのである。
そして、人間が本質に帰るには、釈迦が言ったとされるように、真言を唱える道しか残っていない。
「三密」の「身」や「意」が不要というのではないが、「口」である真言が最も重要であり、他のことは真言を唱えていれば、自ずと達成されると思う。
尚、「口」と言っても、心で唱えても構わない。
念仏や真言を教える専門家には、「必ず声に出して」と言う人が多く、大きな声で唱えることを推奨する人もいれば、口の中で小さく唱えても良いが、とにかく声に出して唱えよと教える人が多い。
しかし、私は、それには賛成しない。
もし、知り合いに1人でも、声帯、あるいは、聴覚に障害を持ち、話すことが出来ない人がいるなら、念仏や真言は声に出す必要があると言われても信用しないはずである。
白光真宏会の開祖である五井昌久氏は、彼が教えた「世界平和の祈り」は、声に出しても出さなくても全く構わないと言われており、その点、非常に好感が持てるのである。
そんなわけで、真言も、心で唱えて構わない。

そして、真言は特にどれを唱えるべきというものはなく、自分が好きなものを唱えれば良い。
1つを唱えれば良いが、好きなものが2つ、あるいは、3つ、あるいは、それ以上あるなら、続けられる限り、いくつ唱えても構わない。

俗っぽい話で嫌われるかもしれないが、真言を唱え「これでお金も入って来る」と思えば、必要なお金である限り、やはり入って来る。
そのためには、いくらか真言を唱えることに通じ、心が広くなってくることも必要で、真言を唱えながら「金よ来い」と必死で思うようでは駄目だと思うが、威力がないはずはないと思う。
まあ、暇な時にロクでもないことを考えるくらいなら、真言を唱えていれば、雲泥の差となる。
真言は唱えないよりは唱えた方がマシ程度に思っても構わない。
ただ1つ、強制されて唱える真言は真言ではない。
もちろん、祖父母や親が「念仏を唱えなさい」と言い、子供がそれに従うのは良いことであるが、それでも、子供が唱えたがらないのなら無理強いしてはならない。
子供が親の言うことを聞かないのは、聞かない理由があるのである。親は、そのことを認識せねばならない。
だが、自主的に真言を唱えるなら、唱える数が多いほど、親鸞が和讃で述べた通り、この世の利益、極もなしである。








密教で万能超人になる

分かり易す過ぎる話をする人も、分かり難く過ぎる話をする人も、どちらも疑わしい。
と言うのは、真理は簡単に分かるものではないが、難しいものであるはずがないからだ。
真理は、分かりそうで分からないもの、分から無さそうで身近なものだ。

空海が開いた真言密教は難しいものだ。しかし、これほど簡単な仏教もない。
仏教学者のひろさちや氏は数百冊の著書があり、それらの多くは、一般向けの分かり易いもので評判が良い。
私も何十冊かは読んでいるが、最高傑作は、1984年の『空海入門』だと思っている。
この本によれば、密教(真言密教)とは、単に、「ブッダになり切って生きる」ことだ。
簡単に言えば、ブッダ(釈迦のような悟りを開いた人。仏、如来)の真似をして生きることである。
仏教には、顕教(表の仏教)と密教(裏の仏教)の2種類がある。
いずれにおいても、仏教の目的は、悟りを開いて仏になることだ。
そこで、悟りを開くことを富士山の頂上に昇ることに喩えれば、顕教とは、一歩一歩昇っていくことであるが、密教とは、ヘリコプターで一気に頂上に達することだと、ひろ氏は言う。
本当の仏教の目的は、悟りを開くことと言うより、悟りを開いて生きることだ。
だから、そこ(悟りを開く)までは一気に達してしまえば良い。
そのためには、ただブッダになり切る・・・簡単には、ブッダの真似をすれば良い。

私は、昔、これを読んだ時には、非常に納得出来たが、真理とは、分かり易くて分からないものだ。
しかし、分からないようでいて身近なものだ。
最近、密教に関する、その身近なものが分かった。
それは、アニメ『MADLAX』を見て・・・だが、それは置いておこう(笑)。あくまで個人的ヒントになっただけだ。
それよりも、庭野日敬氏の『法華経の新しい解釈』の第25品『観音経』を読んでだ。
『観音経』では、観世音菩薩のスーパーパワーが滔々(とうとう)と描かれる。
観世音菩薩は、まさに万能超人である。
そして、その観世音菩薩に救いを求めるためには、ただ、観世音菩薩の名を呼べば良いと書かれている。
だが、庭野日敬氏は、ただ名を呼べば良いという安直さを戒めている。
そりゃそうだ(笑)。
正しくは、『観音経』には、「観世音菩薩を念じよ」と書かれているのかもしれない。
そして、庭野日敬氏は、観世音菩薩を念じるとは、「観世音菩薩に憧れ、観世音菩薩のようになりたいと思うこと」と書かれているが、それを見て、私は一気に理解が出来た。
ひろさちや氏の言う「なり切る」だけでは不十分な感じがあり、 庭野日敬氏が言うように「憧れる」ことが必要だ。
「憧れる」とは「尊敬する」ことであるはずだ。
つまり、密教とは、「ブッダに憧れ、尊敬しつつ、ブッダの真似をする」ことだ。

「ブッダに憧れ、尊敬してなり切る」において、ブッダは、釈迦であったり、観世音菩薩であったりして良いし、もちろん、阿弥陀如来であって良い。密教においては最高ブッダは大日如来であると言える。
だが、なんでも好きなので良い(笑)。
憧れ、尊敬するためには、その仏のマントラ(真言)を唱えると良い。
そもそも、真言密教とは、マントラを唱える仏教だ。
空海だって、密教を志す以前にも、虚空蔵菩薩の真言を唱えまくることで天才になったのだ。
空海は、真言に非常に馴染みがあったと思われ、それが密教解明に役立ったのかもしれない。
大日如来の真言は「オン・バザラ・ダト・バン」(金剛界)と、「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アビラウンケン」(胎蔵界)で、私は短い方のみ愛用している(笑)。
(本当のことを言うと、大日如来真言の効果は凄まじいので、私はいざという時にしか使わない)
観世音菩薩真言は「オン・アロリキャ・ソワカ」、阿弥陀如来真言は「オン・アミリタ・テイセイ・カラウン」だ。
ひろ氏も『空海入門』に書かれているように、ブッダは万能である。
空海もブッダになり切っていたので万能であった。
あなたも、良ければ、マントラを唱えて万能になっていただきたい。コツはただ、数多く唱えることである。








空海流密教でゆるまない

ひろさちやさんは、昔の本では、仏教学者とか紹介されていたが、今は、宗教評論家となっているのかもしれない。
しかし、そんな呼び方はどうでも良い。
ひろさちやさんは、最近の私が嫌う言い方をするなら、仏教関係の「ゆるい」本を書かれている。
この「ゆるい」とは、「甘い」という意味で、「がんばらなくて良い」、「無責任で良い」、「いい加減で良い」といったことが、一貫したポリシーであるようで、それが仏教の教えと合致していることを、豊富な知識とユーモア、そして、理屈屋と自称する通り、論理的に説いている。
実際、神秘性は出来るだけ排除していると思う。

さっき、「ゆるい本」と書いたが、70歳を過ぎても著書を次々に出し、著作数は何百冊あるか見当もつかず、大学で教えたり、講演されたりで、ひろさちやさん本人はゆるんでいないのだろうし、著書も、ゆるく感じはするが、実際はそうではないかもしれない。
私としては、「がんばらなくても」、「無責任でも」、「いい加減でも」、全て良いから、ゆるみさえしなければ良いのである。

昔から、私のお気に入りの、ひろさちやさんの著書に、『空海入門』というものがある。
1984年初版で、いまだ、版を重ね続けるロングセラーだ。
空海の密教とは、ごく簡単に言えば、仏陀(釈迦個人を指すこともあるが、悟りを開いた人のこと)の真似をするということだ。
ひろさちらさんは、『徒然草』85段の、
「狂人の真似をすれば狂人だし、人殺しの真似をして人を殺せば悪人だ」
は、良い方にも適用可能とし、
「狂人の真似をすれば狂人。仏陀の真似をすれば仏陀」
という無茶を言うのだが、その無茶が空海の密教である・・・と、単純に言えばそうなる。

もちろん、これは、欠点のある理屈で、つまり、「1回殺人をすれば悪人決定」であるが、「1回良いことをしても、良い人決定」とはならない。
しかし、たゆまず良いことをすれば良い人である。
それなら、たゆまず仏陀の真似をすれば仏陀だ・・・と言っても良いかもしれない。
いや、良いのである。
人間は、なりたいものになる時は、真似から入ることが最も効果的で効率的なのである。

仏陀とは何かというと、悟りを開いた人だが、悟りとは何かというと、非常に難しく、本何冊でも説明出来ない。
そもそも、悟りは非言語的なことで、言葉で説明出来ないと言える。
しかし、私は、仏陀にしろ、キリストにしろ、「常に、ずっとゆるまない人」と言って良いのだと思う。
そこで、仏陀代表の釈迦、キリスト代表のイエスの真似を、「ゆるまない」という点に着目して、ずっと続ければ、空海の密教を実践出来ることになる。
釈迦の現実的な伝記はないが、イエスであれば、新約聖書の福音書という、4人の著者が別々に書いた伝記と言えるものがあるので、イエスの真似はし易い。
ただし、仏典のあちこちで、釈迦の言動は取り上げられており、そこからイメージが掴めるかもしれない。
もちろん、深い意味でイエスや釈迦の真似をすることは難しいかもしれないが、ゆるまない点に着目すれば出来ると思うし、そこが一番重要なのだと私は思っている。
このブログで、ここのところ、ずっと書いているが、人間はゆるまないことが最も大切なのであり、ゆるめば堕落し、どこまでも落ちるが、ゆるまなければ、神に近付いている。

人間は、放っておいたらゆるんでしまう。
だから、ゆるまないために、心を締める鍵を持っていなければならない。
その鍵が、空海の密教「仏陀、あるいは、それに匹敵する存在の真似を続ける」ことであっても良い。
ひろさちやさんの『空海入門』で言えば、「仏陀らしく話し、仏陀らしく歩き、仏陀らしくメシを食い、仏陀らしくクソをする」のである。
そして、何が仏陀らしいか、あるいは、イエスらしいかは、とりあえず、各自の主観で良いと思う。
ゆるまなければ良いのである。

もちろん、自分の好きな「ゆるまない人」の真似をすれば良い。
個人的には、『灼眼のシャナ』で、紅世の徒(ぐぜのともがら)の盟主になった坂井悠二、すなわち、「祭礼の蛇」坂井悠二であれば、ゆるみそうにないし、私は彼のことが大好きなので、それでもいけると思っている。
それぞれ、心当たりがあるかもしれないが、決して「ゆるまない」イメージのあるものを選択しなければならない。
適当な、決してゆるまないと思える人物がいない場合、やはり、人類最高のお手本であるイエスに倣えば良いのだと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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