第二次世界大戦当時、日本人を観察していたある西洋人が、
「日本人は個人では優しくて親切なのに、集団になると残虐になる」
と日本人を評価していたが、集団だと残虐になるのは、どの国でも同じと思う。
また、日本人が個人では善い人なのも、本当に人間性が善いのではなく、庶民は個人では力がないので、多くの庶民は保身のために親切に振る舞うだけで、これも、特に国による違いはないだろう。
ただ、日本人は、個人では特に無力感が強いので、個人では善良に見えるのではないかと思う。

つまり、人間は、どんな民族も、個人であろうが集団であろうが、邪悪なのである。
それで、なぜそうなのか、私は本当に疑問であったが、精神性を低下させる・・・「魂の波動(の周波数)を下げる装置」が、ある宇宙人グループにより設置・稼働しているからという説が、一見突飛ながら、あまりに、あらゆることに説明がついてしまうのである。
その装置は、直接には、人類の記憶を消し、偽の記憶を植え付けるのだが、その偽の記憶が、人類の魂の波動を落とすのである。

その悪の宇宙人が恐れることは、我々が記憶を取り戻すことである。
記憶を取り戻せば、つまり、偽の記憶を捨て、正しい記憶を回復すれば、我々は、強く賢くなる。
それは想像を超えて。

我々は、自分は寿命が短く無力な個人だという偽の記憶を持っている。
しかし、本当は神なのである。
神と言ったら、偽りの記憶により、歪んだ観念を持っている者が多いので、「神のようなもの」と考えても良いが、とにかく、神である。
仏教では仏と言うが、神も仏も同じである。
それで、我々のやるべきことは、自分が神であることを思い出すことだけである。
人間は今でも、そこそこの引き寄せの力を持っており、金持ちになりたければ金持ちとして振る舞い、美人になりたければ美人として振る舞うことが引き寄せの方法である。
それと同じで、我々は神として振る舞うことで神になる。
神になることは、金持ちになることより難しいかというと、元々が神なのであるから、「なる」必要はなく、単に思い出すだけなのであるから、易しいのである。
では、神として振る舞うとはどういうことか?
神の振る舞いとはどんなものか?
それは「超然」である。
神は超然としている。
超然とは辞書の意味では「物事にこだわらず平然としていること」であるが、その性質が特に強いことである。

超然とするとは、どういうことか?
そんなことが全く分からない馬鹿はいまい。
言い換えれば、全く分からないなら馬鹿である。
まずは馬鹿をやめることだ。
神なのだから。
しかし、一般人は、何でも誰かが答を知っていると思っていて、自分はそれを聞く権利があると思っている。
それが、あの装置で魂の波動を下げられている者の特徴である。

1つ言えば、最も易しいのは、超然とした者の呼吸をすることだ。
それは、ゆったりとし、安定しているに違いない。
逆に言えば、超然とした者らしい呼吸をせずに超然とすることは絶対に出来ない。
こんなふうに考えると良いだろう。








  
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