インドの聖者ラメッシ・バルセカールは、人生というものは、全て完全に決まっていると断言した。
人生で起こる、あらゆる出来事、そして、起こす想念すら全て、どんな細かいことも・・・たとえば、髪の毛1本の動きすら最初から決まっている。
バルセカールは、こんな話をした。
誰かが、インドの聖者ラマナ・マハルシの前で、床に扇子を置き、「私が今、こうすることも、私が生まれる前から決まっていたのですか?」と尋ねた。
マハルシの答は「もちろん」だった。

私は、バルセカールの話に納得した。
映画『ターミネーター』シリーズでは、運命は決まっていない、変えられるという主張があった。
多くの優れた賢者達も、運命というものがあることは認めながら、それは変えられるという考え方をしていた。
しかし、賢者達の考えは、バルセカールやラマナ・マハルシに比べ、「甘っちょろい」感じがした。
確かに、運命が完全に決まっているというのは面白くないが、バルセカールの論の方が説得力があったのだ。
ただ、バルセカールは、並行宇宙については知らなかったのかもしれない。
彼が亡くなったのは2009年であるから、並行宇宙に関する理論である、量子力学の多世界解釈はすでに知られていたが、バルセカールは知らなかったか、留意しなかったのかもしれない。
確かに、1つの宇宙に関しては、運命は細大漏らさず決定している。
しかし、無限に存在し、さらに、生まれ続ける並行宇宙(パラレルワールド)には、あらゆる世界が存在する。
そして、人間は並行宇宙を移動出来るという考え方がある。
仏教の経典では、それを暗示する不思議な話が、多数語られているのである。

並行宇宙について分かり易いのは、筒井康隆の短編小説『果てしなき多元宇宙』で、角川文庫の『時をかける少女』に収録されている。
この小説の中で、高校生の暢子(のぶこ)が、ある事情で、並行宇宙を簡単に移動出来るようになってしまう。
暢子は、自分が美少女であることを自覚していたが、一重瞼であることを残念に思っていた。すると、ある時、鏡を見たら美しい二重瞼になっていたので驚いたが、周囲の人達は、「元々そうだったじゃない」と言う。
また、暢子は、歌が得意ではなく、半音階が無くなればいいと思っていたが、ある時、ピアノを見たら、黒鍵盤がなくなっていた。
暢子には史郎というボーイフレンドがいた。彼は優等生で人格も素晴らしかったが、暢子は、「もっと男らしくて強かったら」と思った。
すると、2人で歩いている時に3人の不良に絡まれると、それまでの史郎なら、全く無抵抗だったはずが、その不良達を軽くノックアウトしてみせた。
さらに、別の日、暢子が1人で歩いていると、また、あの3人の不良に遭ってしまうが、不良達は、なぜか極めて礼儀正しく、そして、遠慮がちに暢子に声をかけると、「サインをして下さい」と言う。
周囲にいる他の人達も、暢子に気付くと、皆、集まって来る。暢子は人気タレントだったのだ。
このように、暢子が望む別の世界に、暢子はどんどん移動していってしまう。
この小説では、暢子は、元の世界に帰りたいと思うが、このような並行世界移動を受け入れれば、望む自分に瞬時になれる。
そして、引き寄せとは、実は、そんなことが起こっているのだという説があり、それは、やはり、量子力学の考え方が基本にある。
別の宇宙に移動しない限り、ラメッシ・バルセカールが言う通り、生まれてから死ぬまでの運命は完全に決まっている。
しかし、この世界が気に入らないなら、別の世界に移動してしまえば良い。
たとえば、片思いの彼氏がいれば、その彼氏が自分にぞっこんの世界に行ってしまえば良いのである。
そして、それをやった人の体験談も沢山ある。
英国の作家コリン・ウィルソンが崇拝した、同じ英国の偉大なSF作家H.G.ウェルズのことは、アメリカの作家カート・ヴォネガットも最高の作家と称賛していた。
そのウェルズの自伝小説『ポリー氏の人生』の言葉を、ウィルソンは座右の銘としている。
それは、「人生が気に入らばいなら、変えてしまえばいい」だ。
これも、並行宇宙論で言えば、「この世界が気に入らないなら、別の世界に行ってしまえば良い」となる。
ウィルソンも、中卒の工場労働者から、一夜で世界的作家になったのである。おそらく、別の宇宙に移動してね(?)。








  
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