そろそろ、年末休暇、お正月休みという人も多いと思うし、既に休暇に入ったという人もいるかもしれない。
会社や学校などでの、長期休暇の前、そして、その後の挨拶は、その休暇が、遊ぶためのものであることを当然の前提としていることがほとんどであるが、それに違和感を感じるようでないなら、惨めにも世間に身も心も操られているのである。
世間で言う休暇の遊びとは、娯楽であり、快楽を求めるもので、決して生産的、知的な時間、即ち、「本当に楽しい時」を過ごすことを意味しないだろう。
しかし、「休暇」であるのは、生活のために金を稼ぐ「職業」をしなくて良いということに過ぎない。職業がライフワークであるなどと言う人は、本当は千人に一人もいないはずなのだ。
医者だって、ライフワークとしてやっているという人を、私に関しては一人も見たことがない。
個人的なはずのアンケートにも「職業欄」というものが必ずあることをもっと疑問に思って良い。そんなアンケートというのは、職業により、あなたが払える金額を推定し、可能な限り高額なものを買わせたり、会員にして毎月金を搾り取る作戦のための資料であることは明白であろう。そんなものに真面目に答えてどうするのだ?
また、公的な「調査」でも、間違いなく職業記入欄があり、職業イコールその「人間」と設定し、人々もまた、自分イコール職業と思い込んでいる。それが世間の人の不幸の原因である。
たかが職業が自分であるはずがない。
とはいえ、現在の地球では、生活のためにはいくらかの金が必要であり、職業を持つこともやむを得ないかもしれないが、職業が休暇の時こそ、本当の自分をやらなくてはならないのだ。そのためには、普段から、職業は単なる手段であると認識し、真の自己を意識していなければならない。
職業の休暇はなるべく多く取るべきだし、職業に割く時間は短ければ短いほど良い。現在の日本人の仕事時間は長過ぎる。マイケル・ジャクソンの“The Way You Make Me Feel”では、「9時から5時まで働いて・・・」とあるが、もっと長い人が大半と思う。1951年のロバート・ワイズ監督の「地球の静止する日」では、「宇宙人も10時から4時まで働くのですか?」と尋ねる場面があり、昔の勤め人はもっと勤務時間が短かったようだが、それでもまだ長い。職業は、人間を磨く訓練でもあると考えるとしても、本質的には、ただ食べるための手段であり、もっと短くできるよう知恵を絞るべきだろう。
イタリアでベストセラーになった「誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国」という本があるが、仕事時間は短いほど、かえって生産性が上がり、充実感があって、結果、責任感のある良い仕事をするようになることを示している。もちろん、現在の我々の、仕方なく嫌々やっている仕事振りで1日3時間だけ働くという意味では全くない。
本当の自分をやることは、娯楽や飲み食いの千倍楽しく、充実するものであるし、疲れるどころか、エネルギーが湧いてくるのである。せっかくの職業の休暇を刹那的なことで、金も時間も、そして、本当の自分も捨ててしまうなど、愚かなことである。
職業は手段でしかないと理解すれば、人生が楽しくなり、世界は良いものに変わっていき、面白いことに、人々の仕事の質やモラルも向上するのである。なぜなら、我々にとって、仕事で得られる金より重要なことは、他の人々や、あらゆるものに対する敬意や思いやりであることに気付くようになり、仕事にもそれが現れるからである。現在の、仕事が一番のはずの社会こそ、仕事にやる気はなく、仕事の中に個人的欲望、即ち、エゴがいっぱいになり、当然の結果として、あらゆる苦痛や悲惨に満ちているのである。
年末年始といえども、休みなどはなく、むしろ普段より長時間、忙しく働かないといけない人も少なくはない。彼らも本当は休みたいはずだ。別の期間に彼らが十分に休暇が取れれば良いと思う。
そして、仕事の休暇が取れる人は、本当の自分をやれるよう、普段から準備すれば良いと思う。いきなり、自分で考えて、世間の押し付けることではない好きなことをやれと言われたら困る人が大半のはずだ。そんなことでは、人生をリアカーに載せて、誰かに動かされているようなものである。そんな人生であって良いはずがない。
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会社や学校などでの、長期休暇の前、そして、その後の挨拶は、その休暇が、遊ぶためのものであることを当然の前提としていることがほとんどであるが、それに違和感を感じるようでないなら、惨めにも世間に身も心も操られているのである。
世間で言う休暇の遊びとは、娯楽であり、快楽を求めるもので、決して生産的、知的な時間、即ち、「本当に楽しい時」を過ごすことを意味しないだろう。
しかし、「休暇」であるのは、生活のために金を稼ぐ「職業」をしなくて良いということに過ぎない。職業がライフワークであるなどと言う人は、本当は千人に一人もいないはずなのだ。
医者だって、ライフワークとしてやっているという人を、私に関しては一人も見たことがない。
個人的なはずのアンケートにも「職業欄」というものが必ずあることをもっと疑問に思って良い。そんなアンケートというのは、職業により、あなたが払える金額を推定し、可能な限り高額なものを買わせたり、会員にして毎月金を搾り取る作戦のための資料であることは明白であろう。そんなものに真面目に答えてどうするのだ?
また、公的な「調査」でも、間違いなく職業記入欄があり、職業イコールその「人間」と設定し、人々もまた、自分イコール職業と思い込んでいる。それが世間の人の不幸の原因である。
たかが職業が自分であるはずがない。
とはいえ、現在の地球では、生活のためにはいくらかの金が必要であり、職業を持つこともやむを得ないかもしれないが、職業が休暇の時こそ、本当の自分をやらなくてはならないのだ。そのためには、普段から、職業は単なる手段であると認識し、真の自己を意識していなければならない。
職業の休暇はなるべく多く取るべきだし、職業に割く時間は短ければ短いほど良い。現在の日本人の仕事時間は長過ぎる。マイケル・ジャクソンの“The Way You Make Me Feel”では、「9時から5時まで働いて・・・」とあるが、もっと長い人が大半と思う。1951年のロバート・ワイズ監督の「地球の静止する日」では、「宇宙人も10時から4時まで働くのですか?」と尋ねる場面があり、昔の勤め人はもっと勤務時間が短かったようだが、それでもまだ長い。職業は、人間を磨く訓練でもあると考えるとしても、本質的には、ただ食べるための手段であり、もっと短くできるよう知恵を絞るべきだろう。
イタリアでベストセラーになった「誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国」という本があるが、仕事時間は短いほど、かえって生産性が上がり、充実感があって、結果、責任感のある良い仕事をするようになることを示している。もちろん、現在の我々の、仕方なく嫌々やっている仕事振りで1日3時間だけ働くという意味では全くない。
本当の自分をやることは、娯楽や飲み食いの千倍楽しく、充実するものであるし、疲れるどころか、エネルギーが湧いてくるのである。せっかくの職業の休暇を刹那的なことで、金も時間も、そして、本当の自分も捨ててしまうなど、愚かなことである。
職業は手段でしかないと理解すれば、人生が楽しくなり、世界は良いものに変わっていき、面白いことに、人々の仕事の質やモラルも向上するのである。なぜなら、我々にとって、仕事で得られる金より重要なことは、他の人々や、あらゆるものに対する敬意や思いやりであることに気付くようになり、仕事にもそれが現れるからである。現在の、仕事が一番のはずの社会こそ、仕事にやる気はなく、仕事の中に個人的欲望、即ち、エゴがいっぱいになり、当然の結果として、あらゆる苦痛や悲惨に満ちているのである。
年末年始といえども、休みなどはなく、むしろ普段より長時間、忙しく働かないといけない人も少なくはない。彼らも本当は休みたいはずだ。別の期間に彼らが十分に休暇が取れれば良いと思う。
そして、仕事の休暇が取れる人は、本当の自分をやれるよう、普段から準備すれば良いと思う。いきなり、自分で考えて、世間の押し付けることではない好きなことをやれと言われたら困る人が大半のはずだ。そんなことでは、人生をリアカーに載せて、誰かに動かされているようなものである。そんな人生であって良いはずがない。
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スピ系の本の読み過ぎで「天職」や「使命」というものに囚われていましたが、Kayさんの職業観を読んで目から洗脳のウロコが落ちました。
介護の仕事をしてますが、7割くらい心をこめていたため疲れてしまいました。3割でいいと思うと気が楽になりました。
仕事にはなりませんでしたが、書くことが好きなので、ブログをあと5年は続けてみようと決めました。Kayさんのブログのように世間の常識をぶちこわす、笑、ブログでありたいと思っています。
洗脳が解けたお礼に、ランキングボタン全部押しときました^^ありがとうございます。