北海道・札幌市のお隣、当別町にかつて札沼線・石狩金沢という駅がありました。
撮影したのは5年前の2018年。この駅のことを出すなら今しかないと考え記事にしました。
当別町金沢地区の由来は2説あり、
①明治期に金沢市出身の松村氏が入植し、故郷の「金沢」と地名をつけた。(町史説)
②樺戸集治監の金沢市出身の看守長が、この地の道路を囚人に開削させた時地名が無いのを不便に感じ故郷の「金沢」と地名をつけた。(国鉄駅名の起源説)
100年前の話なので、どちらが正しい説なのかは今となっては分かりません。
咲来:金沢と北海道が繋がっていたんですね。
貨車駅舎の手前にある土台が、かつて木造駅舎が建っていたスペース。
石狩金沢駅の開業は1935年。札沼線が桑園(札幌)から石狩沼田まで全通した時に合わせて開業しました。
昔は右に貨物の積卸用の線路が、左にもう1つホームがあり2面3線の列車行き違いができる駅でした。
1979年に貨物が廃止され無人化し国鉄末期に貨車駅舎化。2020年春に廃線となるまで続きました。
(左がかつての貨物用線路跡)
石狩金沢駅のある場所は隣の新篠津(しんしのつ)村との境界に近く(直線で400m)、地盤が弱く鉄道が敷設できなかった新篠津村の農協宛の貨物(農業用肥料など)をここへ運び、収穫した米を駅から貨物輸送で運び出していました。
この地域は地盤が軟弱な泥炭地帯。 石狩川に橋を架けることが難しかった時代には石狩金沢駅が重宝されました。
咲来:当別町にも新篠津村にも必要な駅だったのね。
石狩金沢駅前通り。 右に写っているのが農協倉庫。
この駅は国道275号に背を向けるように建っていました。 下の点線が新篠津村との境界部。
(石狩金沢~本中小屋)
駅の突き当りを左右に走る道路がかつてのメインルート。地方費道(=都道府県道)4号札幌稚内線(1920~1954)。
札沼線の旧国道沿線には、第1から第8(浦臼町黄臼内)まで札幌稚内線踏切がありました。
第1に関しては当別~北海道医療大学間、篠津土地改良区付近にまだ現存しています。
参考として、富良野線・北美瑛駅そばにある第4旭川浦河線踏切。これも地方費道に因むものです。
踏切の名前も気にしてみると面白いかもしれませんね。
それでは、駅舎の中を見ていきましょう。
駅に使われている貨車は昭和29(1954)年日本車輛製の国鉄ヨ3500形の貨車。
咲来:製造から駅の廃止まで68年。最後まで役割を果たせたといえるのかな。
駅の内部。
時刻表と運賃表。
夜の石狩金沢駅の写真が飾られていました。
咲来:気になったものは撮っておくと、いつか役に立つ日が来るかもしれません。
札沼線廃線区間(北海道医療大学~新十津川)は2018年の初夏に全駅撮影した後、それから殆ど訪れること無く廃線となりました。
2018年のこの頃、私が元祖・金沢駅に行くことになるとは考えてもいませんでした。
私が石狩金沢駅を訪れたのは結局この1回限り。
雨が強くなってきたので、これが石狩金沢駅での最後のカットに。
本家金沢に行くことが無かったら、ずっとHDDに仕舞われていたと思う今回の写真。
こうして使う機会があってよかったです。
札沼線が部分廃線になる前の年に発売された札沼線記念入場券。
最後まで見ていただきありがとうございます。
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