まもなく、幸福です。咲来:幸福駅は、今。千咲:幸福はきっとここに。広尾線・幸福駅跡。広尾線の廃線後も観光名所としてそのままの状態で保存されてきましたが、痛みも激しくなってきていたので2013年に解体。現在の幸福駅は旧駅舎の外壁材をできるだけ用いながら再建されたものです。廃線後、すぐに幸福交通公園として整備された幸福駅跡。当時の車両(キハ22)が2両保存されています。咲来:今でも幸福に来る人は少なくないのね...
2019年04月の記事は見つかりませんでした。
帯広市大正にある広尾線・大正駅跡今は大正ふれあい広場として、開けた公園になっています。大正の由来は、旧上帯広村・幸震村・売買村が大正4年に合併し「大正村」と名乗ったことから。国道236号から駅に伸びる道路、道道419号「大正停車場線」当時を模した駅名標。愛国と幸福の間にあった大正駅です。追記に続きます。続きを読むからどうぞ。...
愛国から幸福ゆき。昭和の頃流行った縁起きっぷ。帯広市にある、広尾線・愛国駅跡。広尾線は1987[昭和62)年に廃止となりましたが、駅舎は多少リフォームされた上で現在も残っています。帯広市交通記念館。 それが今の役割。咲来:この切符が流行ったんですか?千咲:どうして流行って行ったのでしょう?今回は、愛国駅から。追記に続きます。続きを読むからどうぞ。...
直別駅と尺別駅のその後を記録した翌日向かったのは、釧路市立博物館。アスター:もちろんこれを見に来たんでしょ?「尺別駅と直別駅」4月7日まで開催されていた企画展です。追記には、企画展の展示を一部ですが紹介していきます。続きを読むからどうぞ。...
夕張支線には、ファッションという名の踏切があった。今はもう使われておりません。正確には、ファッション通り踏切と言いました。踏切全景。あい:ファッションってどういう由来?踏切のすぐそば、赤矢印のあたりに昔「夕張ドレスメーカー女学院」がありました。洋裁を学ぶ学校があり、建物も10年前位まで残っていたのですが既に解体されています。踏切の名前だけが、その歴史を今まで引き継いできていました。今回は、廃線となっ...
冬から春へバトンタッチ。4月から、夕張市分の「JR北海道わがまちご当地入場券」も新夕張駅に変更となりました。表面の写真も一新。 早速入手してきました。今回は石勝線夕張支線廃止翌日の、沿線風景を新夕張駅から辿って行きます。ラストランから一晩明けるとどうなるのか、見て行きましょう。追記に続きます。続きを読むからどうぞ。...