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北海道ドール紀行

変わらぬものは・・・

古代文字踏切01
♪かわらぬものは 古代文字

古代文字踏切02
わたしゃ涙で 娘ざかりの 夢を見る

ということで、前回に引き続き石狩挽歌。

古代文字踏切03
古代文字踏切04
ここは、余市町(函館本線蘭島~余市間)にあるその名も「古代文字踏切」です。

古代文字踏切05
車は通行できず、警報機はあるが遮断機は無い小さな踏切。

古代文字踏切06
あい:それにしても、「古代文字」。 ここに古代文字があったのかしら。


古代文字踏切08
あい:今ではもう失われた言葉かもしれない。

追記に続きます。
続きを読むからどうぞ。
古代文字踏切11
「古代文字」は、写真中央の洞窟の中にあります。


古代文字踏切09
余市町の一部になった「畚部」村にそれはありました。
古代文字踏切の1つ蘭島寄りの畚部踏切にて。


古代文字踏切10
「ふごっぺ」
これがこの場所の読みかた。





古代文字踏切12
国指定史跡「フゴッペ洞窟」
古代文字踏切は、この建物の裏手に位置します。

古代文字踏切24
国道5号沿いに位置し、小樽駅前から余市方面行きのバスで「フゴッペ洞窟前」で下車すればすぐです。
自然のままでは、風雨により刻画が消えてしまうかもしれないので、温度や湿度を管理して、洞窟を暗くして植物が発生しないようにしています。


古代文字踏切13
石狩挽歌における「古代文字」は、小樽の手宮洞窟を指しますがフゴッペ洞窟もまた、太古の時代(約1500年前)の「刻画」が残る貴重なもの。
文字ではなく刻画。 絵文字と考えれば納得できるかと。


古代文字踏切14
フゴッペ洞窟は、昭和25(1950)年に蘭島に海水浴に来ていた大塚少年(当時中学生)が発見した土器の欠片がきっかけで見つかり、その翌年北大の教授らの調査団により大がかりに発掘されたものです。
少年が発見した時は洞窟は土砂で埋まっており、30cmくらい開いていた穴からもぐり、土器を採集したのがのが始まり。

古代文字踏切15
古代文字踏切16
古代文字踏切17
古代文字踏切18
古代文字踏切19
上記の理由により館内は撮影禁止なので、実物は自分の眼で是非・・・
小樽駅からはバスで30分、運賃は420円。
小樽観光にちょっと余市(ニッカウヰスキー等)を入れて、そのついでにプランに入れてみてください。





古代文字踏切20
あい:古代文字は、この洞窟のことなのね。




古代文字踏切21
余市~蘭島の鉄道が開業したのは明治35(1902)年。
この場所にはもう1つ「畚部遺跡」というものがありました。
この場所は、元々丸山という1つの山だったのですが鉄道を通すにあたり左右に開削しました。

(余市町HP、余市町でおこったこんな話より/)
昭和2(1927)年、当時蘭島駅保線勤務の鉄道作業員・宮本義明氏がフゴッペ洞窟のある丸山の線路側に細い線で描かれた刻画9点と人の顔のような岩が発見されて、一躍注目を浴びます。 刻画を手宮洞窟に倣ってフゴッペの(アイヌの)古代文字と呼ぶ研究者もいました。 それに対して現代人が書いた偽物とする反応もありました。

昭和29(1954)年、言語学者の金田一京助博士が宮中で天皇陛下を囲んで開かれた座談会の席上、「手宮洞窟は明治時代のいたずら書きの偽物である」と発表したことが全国的に大きな波紋を広げました。同年9月の新聞紙上には「波紋投じた金田一発言」の見出しが見え、金田一説が「一方的」で「軽率」であること、手宮もフゴッペも「文字ではなく彫刻」であるとの反論が唱えられ、昭和25(1950)年に発見されたフゴッペ洞窟が手宮洞窟ととても似ていて、発見と発掘調査の経過から信頼のおけるフゴッペ洞窟の研究成果が両洞窟の価値を高めることが期待されました。

古代文字踏切07
宮本氏が発見した「文字」は「先人のいたずら書き」と扱われ特に保全もされず風化し消えてしまいましたが、大塚少年らが発掘したものは小樽の手宮洞窟と共に「刻画」として「国指定史跡」になりました。
同じ場所の話なのですが、時代によって価値が変わった「古代文字」

古代文字踏切22
あい:1927年と1950年で「価値」が変わったのね・・・

古代文字踏切23
あい:歴史って、難しいわね。
解釈は、時代でコロコロ変化していくものです。 


古代文字踏切25
古代文字踏切で、娘ざかりの頃を想うあい様。
踏切の向こうに杏を配置することで、「戻らない時」を表現したいと思いました。

古代文字踏切26
踏切を通過するキハ150系。
小樽と余市の間は、毎回座れない程には乗客がいます。



古代文字踏切27
次回は、久々のシャクさんの登場(コラボ回)。

最後まで読んで頂きありがとうございます。
( 最終更新日: 2018/07/26 Thu )
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コメント

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No title

フゴッペ洞窟!
…畚部、と書くんですね。初めて知りました。
ここの洞窟の価値は、本物です…。。おそらく、今現在も色褪せていません。

北海道は縄文時代のあと、弥生時代にはならず、アイヌ文化が訪れ、そしてうやむやに蝦夷から北海道へと150年前に名付けられた、という土地。だから、縄文時代が日本列島では一番長いけれど、なぜこんな僻地?で寒くて、風の強い海沿いで、冬は食べ物すらとれない場所に、人が住んでいたのか、未だに色々分かっていないことも多いようで。ただ、ここは神事に使われてたようですね。そしてこの刻画、世界中で発見されているものの一つである、とか。

確か、この洞窟の一番奥がライトアップされて、羽の生えた人が彫られている場所ですよね?でも、ユアン的に大事なのは、そこではなくて…。
入ってすぐ左側の下に、舟に人が沢山乗っている小さな絵があった辺りですが、そこへ近づいた時、ユアン、猛烈な吐き気と目眩がしました。慌てて出口付近に逃げて、暫くしてからまたそこへ、ある位置を越えて一歩近づくと、猛烈な吐き気と目眩で倒れそうになりました。とても強烈な感じです。

きっと何か見えたりわかる人には、その空間が異質に見えるかもしれないです…。なので、北海道が日本になる前、どんな人達がどんな神と交流していたのか、ちょっと興味がある方は、訪れてみてもいいかもしれません。何か体感できるかも?しれませんね。

  • 冬音
  • URL
Re: ユアン131様

ユアン131様、コメントありがとうございます。

> フゴッペ洞窟!
> …畚部、と書くんですね。初めて知りました。
> ここの洞窟の価値は、本物です…。。おそらく、今現在も色褪せていません。
畚部、アイヌの文字に漢字を当てはめて作った地名です。
鉄道が建設中の頃は、畚部は独立した村だった頃か。 
当時の地名は、川と踏切と洞窟には残っているのかなといった所です。

> 北海道は縄文時代のあと、弥生時代にはならず、アイヌ文化が訪れ、そしてうやむやに蝦夷から北海道へと150年前に名付けられた、という土地。だから、縄文時代が日本列島では一番長いけれど、なぜこんな僻地?で寒くて、風の強い海沿いで、冬は食べ物すらとれない場所に、人が住んでいたのか、未だに色々分かっていないことも多いようで。ただ、ここは神事に使われてたようですね。そしてこの刻画、世界中で発見されているものの一つである、とか。
50年前のことでも分からないことだらけですし、続縄文時代の頃となるとまだまだ謎が多いですね。


> 確か、この洞窟の一番奥がライトアップされて、羽の生えた人が彫られている場所ですよね?でも、ユアン的に大事なのは、そこではなくて…。
> 入ってすぐ左側の下に、舟に人が沢山乗っている小さな絵があった辺りですが、そこへ近づいた時、ユアン、猛烈な吐き気と目眩がしました。慌てて出口付近に逃げて、暫くしてからまたそこへ、ある位置を越えて一歩近づくと、猛烈な吐き気と目眩で倒れそうになりました。とても強烈な感じです。
> きっと何か見えたりわかる人には、その空間が異質に見えるかもしれないです…。なので、北海道が日本になる前、どんな人達がどんな神と交流していたのか、ちょっと興味がある方は、訪れてみてもいいかもしれません。何か体感できるかも?しれませんね。
私には何が見えたりわかることはありませんでしたが、「大事に保存されるべきもの」ということは刻画を観て思いました。
立地は微妙な場所ですが、ちょっと寄ってみてほしい場所ではありますね。

  • ぬくぬく先生 
  • URL
歴史は変化する

「私にだって若い頃はあった・・」なんていうご年配の奥様たちも
いたりもするものですが、
あい様は、杏という若いライバル(?)もいたりもすると思うのですけど、まだまだそんな「若い頃の自分は・・」と回顧するようほど
老けてはいないと思いますよ~(汗)

あい様の事を「ご隠居」みたいに思われる方もいるかもしれないですし、
「まだまだこれから・・!」と思われる方もたくさんいると思いますし、
その辺りは今回の記事のメインテーマでもある「歴史の解釈は人それぞれ」とか「ある時代の歴史観はその時その時の世相によって微妙に変化していく」という事と本質は同じなのかもしれないですね。

  • 冬音
  • URL
Re: ぬくぬく先生様

ぬくぬく先生様、コメントありがとうございます。

> 「私にだって若い頃はあった・・」なんていうご年配の奥様たちも
> いたりもするものですが、
> あい様は、杏という若いライバル(?)もいたりもすると思うのですけど、まだまだそんな「若い頃の自分は・・」と回顧するようほど
> 老けてはいないと思いますよ~(汗)
そうですよね~ 老けてはいないでしょうね。
老けたなんて、本人(?)の前で言ったら怖いですからね。 ええ。
あい様と杏、同じキャラクターがモデルなのですが結構違いますよね。

> あい様の事を「ご隠居」みたいに思われる方もいるかもしれないですし、
> 「まだまだこれから・・!」と思われる方もたくさんいると思いますし、
> その辺りは今回の記事のメインテーマでもある「歴史の解釈は人それぞれ」とか「ある時代の歴史観はその時その時の世相によって微妙に変化していく」という事と本質は同じなのかもしれないですね。
歴史観は水の流れのように、変わっていくのでしょう。
ただ言えることは、あい様はまだまだ隠居はしないということですね。
これからも現役で頑張ってもらいますよ~

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