加藤幹郎『映画館と観客の文化史』

映画は一体どのようにして見られてきたのか、ということについての歴史的変遷を追った本。
映画を見る、と一言で言っても、それには様々な様態がある。シネマ・コンプレックスで見るのか、DVDを借りてきてホームシアターで見るのか、ネットで落としてきてPCで見るのか、など。
また、どのように見られるのかに応じて、作品そのものもまた変化しうる。
映画を論じるに当たって、作品内容だけではなく、それがどのように受容され体験されるのかということも検討しなければ、片手落ちになってしまうのではないか、そのような問題提起を促す本でもある。


この本の中で強調されていることは、以下のようなことである。
まず、先行ミディアムと後発ミディアムは、決して断絶するわけではない、ということである。
例えば、演劇と映画である。映画館での映画上映と演劇や歌などのライブ・パフォーマンスは、かなり長きにわたって共存しつづけている。幻灯(スライド上映)も行われ続けている。
歌や演奏、芸などのライブ・パフォーマンスが、次第に録音や映像などに移り変わっていく、ということが映画館の歴史なのである。
あるいは、サイレントとトーキー。トーキーが生まれて、サイレントがすぐになくなったわけではない。
次に、観客がどうあるかということの変化である。
アメリカにおける初期の映画館においては、観客がスライド上映にあわせて合唱する、ということが行われていたらしい。あるいは、ユダヤ人地区ではイディッシュ映画が、イタリア人地区ではイタリア映画が上映されるなど、エスニック・コミュニティを成立させる場としても、映画館は機能していたという。
そこでは、途中入退場も行われるし、隣人とのおしゃべりが行われたり、野次が飛んだりもする。
映画だけが上映されるということもなく、様々なライブ・パフォーマンスも同時に行われていた。
つまり、映画館というのは、今では考えられないほどに騒がしかったのである。
初期から既に、「静かにするように」という注意はなされていたが、逆に言えばそれだけ騒がしかったのである。
長編の劇映画が増えるにしたがって、観客にも静粛性が求められるようになる。
現在のシネコンにおいては、音響設備の向上もあって、客席に置ける静粛性というのはより高まっているといえるだろう。
一方で、映画を見ることのプライベート化というのも起きている。
もともと、エジソンが開発した映画というのは、1人で箱形の機械を覗き込んで見るものであって、映画というのはその最初期においては、スクリーンに上映されるタイプ以外の可能性もあったのである。
さて、戦中から戦後にかけてのアメリカで、ドライブ・イン・シアターが好評を博するようになるが、これはまさにプライベートに映画を見ること可能にした。観客は、それぞれの自動車の中で見るのだから、他の観客を気にする必要はない。
ドライブ・イン・シアターが隆盛した時期は、また、テレビが少しずつ普及しはじめる時期とも重なっており、テレビが完全に普及する頃には、ドライブ・イン・シアターも下火となる。
そして、現在のホーム・シアターに至っては、完全にプライベートに映画を見ることが可能になった。そこでは、上映時間や上映プログラムも全て個人で管理することが可能となる


映画館とは、単に映画を見る場所ではない。
時には、映画館そのものが、享楽の対象となる。
例えば、1915年頃に誕生する、映画宮殿(ピクチュア・パレス)などは、その名の通り、映画館自体が非常に巨大で、豪華な装飾を施されており、設備も充実し、ドアマンや案内係までいたというのである。
あるいは、1950年代の日本の映画館においては、映画館に冷暖房設備が完備されていることそのものが、映画館の売りとなっていたという。広告には、上映している作品名よりも大きく、そのことが謳われていたのだ。
映画館とテーマパークの関係も論じられている。
例えば、映画初期において、汽車の内装を模した客席で、汽車上から撮影さた風景を上映するヘイルズ・ツアーズというものが盛んに行われていたらしい。
乗り物における移動性と、映画の映像における移動性の関連についても、この本では盛んに言及されている。
ヘイルズ・ツアーズのような疑似汽車旅行があるかと思えば、一方で、(もちろん時代はずいぶん後のこととなるが)汽車内や船内、機内における映画上映というものもなされている。
また、ヘイルズ・ツアーズのような上映形態は、現在ではむしろ、テーマパークにおける各種ライドを想起させるだろう。
その一方で、映画館をテーマパーク化する試みなどもこの本では紹介されている。
シネマ・コンプレックスというのも、映画館の歴史を見る上では見逃せない位置を占めている。
音響設備や上映形態など、様々な点を上げることができるが、それの多くがショッピング・モールと併設されていることも見逃せない点である。
そこでは、ショッピングと映画鑑賞というのが、等価となったのである。数多く並べられた商品から選ぶ快楽がショッピング・モールにあるように、数多く並べられた作品から選ぶ快楽がシネマ・コンプレックスにはある。


その他、様々に面白いトピックスが紹介されているので、それだけで面白い。