宮本直美『ミュージカルの歴史』

ミュージカルの歴史について、音楽社会学の観点から、つまり、興行的側面や音楽産業、当時のテクノロジーとの関わりから見ていく本だが、サブタイトルに「なぜ突然歌いだすのか」とあり、これはミュージカルという形式が、歌と台詞・音楽と物語をどのように「統合」しようとしたのか、という美学的な観点も同時に持っている本である。
どうあるべきか、という理念が一方でありつつも、ミュージカルというのは大衆文化・娯楽であって、その有様は商業的な理由によって決まっていくところも多い。本書は、ミュージカルとはそういうものである、というのを要所要所で確認しながら進んでいく。


imdkmさんによる書評を読んだのが、興味を持ったきっかけだったかと

本書はコンパクトな新書だが、ヨーロッパにおける音楽劇史を抑えた上で、アメリカでそれがどのようにミュージカルとして成立していったかが丹念に追われる。案外ガチガチの歴史書
(...)
ミュージカルそのものに興味がなくても、20世紀の特にアメリカを主としたポピュラー音楽史を考えるにあたって知っておいたほうがいい知識がたくさん詰まっている。
(...)
どのようにしてミュージカルはロックと向き合っていったかを語ることで、ロック側からだけでは見えてこなかったポピュラー音楽史の一面が感じられてくる。
https://imdkm.com/old_blog/2023-11-06-%E6%9B%B8%E8%A9%95%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E7%9B%B4%E7%BE%8E%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%AA%81%E7%84%B6%E6%AD%8C/

自分は、ミュージカルを主体的には見ないが、妻に連れられていくつか見ているので、何となく馴染みはあるという感じ
本書については戦間期アメリカ文化(過去のブログ記事からなど) - logical cypher scape2でも気になる本としてあげていた。

序 言葉か音楽か―古くて新しい問題

第1章 歌の世界と台詞の世界

ミシェル・シオン「フレーム内の音」「フレーム外の音」「オフの音」
あるいは「物語世界の音楽」「非物語世界の音楽
スコット・マクミリン『ドラマとしてのミュージカル』
→「台詞で進行する台本の時間」「歌のナンバーがドラマを動かす時間」
ミュージカルには、台詞世界と歌の世界がある
映画音楽は、異なる時間や場所の場面を一つのシークエンスにつなげることができる
同様に、ミュージカルのアンダースコアは、台詞世界と歌の世界をつなげる
音楽劇は、台詞、歌、音楽の3つの次元を調停する

何故音楽劇は廃れなかったのか

第2章 芸術としてのオペラ・娯楽としてのオペラ

オペラってまじで全然知らないので、この章は、ただただ勉強になった。
商業オペラの存在とかが面白いなあと思った。あと、ヴィヴァルディのこととか。


舞台演劇の歴史は古代ギリシアに遡る。ヨーロッパの演劇はギリシアの悲劇理論を範としている。
ギリシア演劇は音楽劇ではなかったが、17世紀のヨーロッパ人は、音楽劇だったと「誤解」していた。
オペラは、ギリシア演劇を復興するためにつくられたジャンルで、上記の「誤解」により、全て音楽と歌によって演じられるように作られた。
その際、「レチタティーヴォ」と「アリア」が発明された。前者は、物語を説明するための歌で、後者は、登場人物の心情を歌う歌。アリアを歌っている間、物語の進行は止まっている
アリアこそがオペラの見せ場となり、アリアがより長くなっていった。
アリアにおいて観客は、その出来によって拍手喝采やブーイングを行っており、その度に劇の進行は止まるし、そういう騒がしい観劇形態であった、と。
現在、オペラは貴族のもので格調高い芸術と思われているが、そして実際、そういう面もあるが、オペラ発祥の地であるイタリアでは、早くから宮廷オペラと商業オペラの両方があった。
商業オペラは、一般民衆向けの興行で、都市ごとにいる興行師によって上演されていた。
商業オペラには、物語を説明する、歌ではない「台詞」もあった。また、キャストやスタッフなどは都市ごとに調達されるので、上演される内容は、そこで調達できたキャストに依存していたし、また、商業的な理由で開催されるので、客の入る演目が優先された。
また、当時は何よりも歌手が花形であり、宣伝時にもっとも大きく書かれるのは作品名でも作曲家名でもなく歌手名であった。また、当時は、作曲家より歌手の方が立場が上で、スター歌手は、自分が映える音域や曲を作らせたし、自分の持ち込みのアリアを演目の中にねじこんだりしていた。
というわけで、商業オペラは、芸術作品というには一貫性を欠く代物であったが、商業オペラがあったからこそ、貴族が没落した後も、オペラは命脈を保ったのであった。
市民革命後の19世紀は、ブルジョワが宮廷オペラの観客となる。
(ただ、カストラートなんかは、貴族文化の衰退とともに廃れた)
オペラ座ブルジョワのベルサイユに」という宣伝文句のもと、パリのオペラ座は豪華絢爛なブルジョワ向けオペラ(グランド・オペラ)を生み出していく。後世において、グランド・オペラは華美なだけで中身がないと批判もされるが、現在のオペラの一般的なイメージもグランド・オペラだったりするらしい。
そんな中、オペラを「芸術作品」としたのが、ヴァーグナーとヴィヴァルディ
ヴァーグナーは、アリアのたびにいちいち止まるようなあり方を嫌がり、音楽が止まらない形式による「楽劇」を作った
ヴィヴァルディは、当時成立していった著作権の考えを取り入れ、自分の曲を行うのに音楽出版社の許可が必要になるような仕組みを整えていった。これにより、過去作の上演からも収入が得られるようになり、新作を量産せずにじっくり作曲できるようになった。


オペレッタ
1855年、パリでオッフェンバックによる公演から始まった
風刺的要素とショー的要素
ウィーンやロンドンにも広まる
それぞれ、オッフェンバックのものそのままではなく、当地のアレンジが加えられ、言語も現地語による
これらがアメリカに渡り、ミュージカルの土壌に

第3章 劇場とポピュラー音楽

本章は、19世紀末から20世紀初頭の大衆文化論で、文化と産業の関係が書かれている。
ここは、本書でも参考文献にあげられていたが大和田俊之『アメリカ音楽史』 - logical cypher scape2の内容とも関連しているところだと思う。
ヴォードヴィルは映画の歴史とかでも出てくるし。


シート・ミュージックといって、ポピュラー音楽は(CDやレコードではなく)楽譜によって流通していた
楽譜の印刷は、技術的にはかなり以前から可能だったが、広まったのは、アップライトピアノの普及と一緒、つまり、一般家庭で演奏するために印刷された楽譜が販売されるようになる。
オペラやオペレッタとは別に、居酒屋などで、歌やダンス、大道芸などの見世物を行うバラエティ・ショー、ヴォードヴィル、レビューといったものが、各国で行われるようになっていく。
曲によって物語の進行が止まってしまうのがオペラやオペレッタの課題であったが、こちらのショーというのは、そもそも場面転換するたびに違う曲が始まるもので、物語とかもなく、それぞれの曲は独立している。


レヴューは、テーマによるまとまりをもたせた
パリからアメリカへ
宝塚も、欧米視察により触発され1927年にレヴューを始める
アメリカでは19世紀からミンストレル・ショーやヴォードヴィル、バーレスクがあり、そうした娯楽がファミリー向けにも普及した頃、レヴューが入ってくる
1920年代、ニューヨークの贅沢な娯楽を象徴
舞台装置のテクノロジーや、時事流行


ミュージカル・コメディ
19世紀後半に生まれた呼称。内容的には、ヴォードヴィルやレヴューと区別できない。歌やダンス、寸劇などの雑多なショー
ポピュラー音楽宣伝の場所であり、歌は独立性が強かった(場面が変わると「突然歌い出す」)
ミンストレル・ショーのために書かれた、チャールズ・K・ハリス「舞踏会のあとで」は、当初売れなかったが、人気巡演ショーの再演に取り込まれて、シート・ミュージック500万部という大ヒットとなった(アメリカ初のミリオンヒット)


ティン・パン・アレーとは、ニューヨークの音楽出版社が集まった地区で、シート・ミュージックの出版によってポピュラー音楽を牽引した。
大量生産と分業体制により、新曲を生み出す「音楽産業」が成立
ティン・パン・アレーという名称は、当時は、ネガティブな意味合いだった
音楽教育を受けていない者でも、ヒット曲を生み出すことがあり、業界に参入してきた。
先のハリスは、楽譜の読み書きもできなかったが、口ずさんだハミングを知識のあるものに楽譜にしてもらった。それを各劇場に営業して回ってヒットへとつながった
ハリスは、ハウツー本を出しているほど
オリジナリティよりも、売れる典型をおさえていることを重視された。
また、音楽家は、コンポーザーではなくソングライターと呼ばれ、組織的な分業の中で、企業に勤める労働者となった。
ソングライターのほかに、その曲を地方巡業で実際に演奏するソングプラガーという者たちもいて、有名な作曲家もそこから下積みをしていた
で、そうした演奏を聴いた人たちが、楽譜を購入して、家でも演奏したり歌ったりしたりする、という構造
ティン・パン・アレーとブロードウェイが結びつく。


1920年代に入ってくると、レコードやラジオが登場してくる
レコードは、その収録時間の限界から、音楽の規格化をより促す
また、シート・ミュージックは、家庭で演奏するための音楽なので、アマチュアが演奏できる曲だが、レコードは、プロの演奏を聞くための曲なので、楽曲の質があがる
マイクの登場によって歌唱も変化
また、著作権使用料が徴収できるようになる
ラジオの出現は、生演奏をするミュージシャンを追い詰めることに
また、ティン・パン・アレーを中心にした作曲家作詞家出版社協会が、ラジオの楽曲使用料の値上げに踏み切った際、ラジオ側は協会管理楽曲の使用をボイコット
ティン・パン・アレーが白人音楽だったのに対して、黒人音楽がラジオで流れるようになる。レイス・ミュージックと呼ばれていたのが、1940年代後半以降、リズム&ブルースと呼ばれるようになる。


ミュージカル作品もレコードにして販売している
(オリジナルキャストで収録していたり、スタジオ別録でキャスト違いで収録していたり)
録音自体は19世紀末から確認されているが、商業的に成功したのは、1943年の《オクラハマ!》
1948年、長時間録音可能なLPが登場し、ミュージカルのレコードが増える
LPは、クラシック、ジャズなど成熟したリスナー向けとされ、そこにミュージカルも加わる。SPは若者向けとみなされた。

第4章 ブロードウェイ・ミュージカルの確立

19世紀末から、ヨーロッパからのオペレッタアメリカでは流行した
中産階級のヨーロッパへの憧れを反映した、ロマンチックで、予定調和的な物語
この流れと、ヴォードヴィルやレヴューの流れとが合流して、ミュージカルが生まれる


ジョージ・M・コーハンは、ヴォードヴィルの芸人一家に生まれミュージカル・コメディを作っていたが、そのショーの中に、オペレッタからの影響で、一貫した物語を導入するようになる。
ジェローム・カーンは、オペレッタの知識を持った作曲家で、オペレッタ的な楽曲をつくりながら、そこにショーの要素をつけていく
カーンによる、1927年《ショウ・ボート》は、初めて本格的な物語をもった演目
オペレッタと異なり、アメリカ社会を舞台にし、アメリカ音楽(ジャズなど)を用いた
しかし、重要なのはそれだけではなく、物語と音楽とを「統合」したこと
つづいて、ロジャースとハマースタイン2世による《オクラホマ!》が、黄金期の幕開けとされる。
その後、黄金期には批評家からも高い評価を得た《マイ・フェア・レディ》《ウエスト・サイド・ストーリー》が登場する
一方、この時代にも、ミュージカル・コメディ、オペレッタ、レヴューも上演されており、多様な形式が共存していた。


ミュージカルの原理として「統合」という概念が登場する
これは、人によって解釈がいろいろあって、創作原理とも職業倫理ともされることがあるが、とにかく、ミュージカルの理想として「統合」という原理が示されたのだった。
これは、批評家に好まれ、ある種の「芸術化」でもある。
ミュージカルに限らず、芸術作品を志向すると統一性に向かい、商業的娯楽においては断片化の傾向が生じる。

第5章 音楽によるミュージカル革命

本章は、60年代以降から90年代にかけて
ジーザス・クライスト・スーパー・スター》は名前は知っているけれど、位置づけについて知らなかったので、そういう作品だったのか、と。
そして、この章の後半では、非常に有名な作品が並ぶが、メガ・ミュージカルという言葉は知らなかったので、そういう風な流れだったのかーと勉強になって、面白かった。


ブロードウェイ・ミュージカルの黄金期は1940~1960年代と言われており、60年代以降、ミュージカルの人気は下がっていく。
もともと、最新の音楽を取り入れてきたブロードウェイだったが、1960年代のロックンロールならびにロックの登場についていけなかったのである。
ロックは、エレキギターとアンプにより、大音量と歪んだサウンドを特徴としたが、これが年長世代には受け入れられなかった。また、マイクによる歌唱も、そうしたギターサウンドに負けぬよう大音量やシャウトを伴うものだった。
マイクによる歌唱の変化は、これ以前にあったが、それはどちらかといえば、細かなニュアンスなどを拾うものであって、ロックはまたそれとは異なる変容の仕方だった。


《ヘアー》(1968年ブロードウェイ初演)は、ロックを取り入れた最初のミュージカルと言われる。
オフ・ブロードウェイとオフ・オフ・ブロードウェイ


ロック側にも変化があった。
他の音楽ジャンルを取り入れるようになったり、何よりコンセプト・アルバムないしロック・オペラの登場である
いずれも、アルバム単位でまとまりのもった「作品」である
録音技術の向上で、アルバムという単位が可能になった。
ある1つのテーマや物語性をもたせて、複数の楽曲をまとめて1つの「作品」とするようになった。
ディープ・パープルなど


ロック・ミュージカルを広めた代表作として、《ジーザス・クライスト・スーパー・スター》(1971年ブロードウェイ初演)がある。
これは、イギリスで生まれて、のちにブロードウェイで上演されることになるのだが、そもそも舞台というのは、経済的にはリスクがある。成功が見込めない興行はできない。特にブロードウェイでやるとなると、確実に成功が見込める演目が必要となる。
ところで、《ジーザス・クライスト・スーパー・スター》の作曲家には、まだ実績がなかった。
彼らは、先にアルバムを作った。ロックにおけるコンセプト・アルバムのような形で、これがヒットしたことで、舞台化へと繋がった。
ミュージカル作品を録音したレコードがヒットすることは過去にもあったが、ヒットしたレコードが先で舞台化があと、というのは《ジーザス・クライスト・スーパー・スター》が初


こうしてロック音楽がミュージカルに入ってくるのだが、色々とズレのようなものが生じてくる。
まず、劇場の音響設備の問題
ミュージカルを行う劇場は古くなってきており、ロックのようにアンプで増幅した音楽に対して、キャストのマイクを個別に調節できるような設備がまだ整備されていなかった。
エイブ・ジェイコブスという、ビートルズサウンド・クルーだった人物が《ヘアー》や《ジーザス・クライスト・スーパー・スター》に参加し、音響周りが整えられていくことになる。
彼は、のちに《キャッツ》に関与し、これは個々の演者がワイヤレスマイクを装着する最初のミュージカルとなった。
また、作曲家が作って歌手が歌う、という形ではなく、ロックにおいては、歌手自身が曲を作りそれを歌うという形が成立していく。
かつて、劇場で上演された曲がヒットして音楽業界で商品化されていくという流れだったが、それが逆になって、音楽界でヒットした作品が劇場に逆輸入されるようになっていくと、上記のこととあいまって、音楽を聴きたい人は、本人の歌を直接聞きたいという需要が大きくなってくるが、これは劇場の興行とは相容れない



さて、《ジーザス・クライスト・スーパー・スター》の作曲家であるロイド・ウェーバーが次に手がけたのが《エビータ》、そして《キャッツ》である。《キャッツ》では、キャメロン・マッキントッシュが製作に加わる。
そして、このマッキントッシュは、80年代に《キャッツ》《レ・ミゼラブル》《オペラ座の怪人》を手がけ、これらは、メガ・ミュージカルと呼ばれるようになる。
黄金期のブロードウェイ・ミュージカルが、アメリカ人が共感するアメリカを舞台にした作品が多かったのに対して、メガ・ミュージカルは、普遍的なテーマや歴史的な出来事を題材にし、音楽によっても物語が伝わるようにすることで、観光客向けの作品として売り出された。
メガ・ミュージカルは、ロック音楽受容以降のサウンド・システムや、視覚的スペクタクルを取り入れ、また、印象的なロゴデザインを作り、どの国でもそのロゴを使用した(《キャッツ》《レ・ミゼラブル》《オペラ座の怪人》について、どの国でも、この作品だとすぐに分かる、あれらのロゴが使われている)
90年代に入ると、この動きに、ディズニーが参入してくることとなる。

第6章 音楽とサウンドが作るドラマ

この章では、音楽による物語とはどのようなものか、について解説されている。
また、巻末の補遺では、具体的な作品を例に挙げて解説されている。

  • 音楽の地域性やジャンル、調性などの利用

例えば、スペインを舞台にしている場合はフラメンコを使うとか、キャラクターによって、クラシックかロックかを使い分けたり、場面の雰囲気によって長調短調かを使い分けたりとかいった手法
ロイド・ウェーバーは、ジャンルの使い分けをやっていて、これが批評家からはパッチワークだと批判されてもいるが、物語を伝えるには効果的でもある。

  • 音楽による情景描写
  • 序曲とオープニングナンバー

作品のテーマとなる曲を最初にもってきたり、各キャラクターをオープニングで紹介する。

  • リプライズ

レ・ミゼラブル》で有名になった手法
同じテーマを形を変えて繰り返すことで、物語のつながりを示す。
オペラにおいてワーグナーが用いたライトモチーフの技法と同様のもの
なお、キャラクターとテーマを結びつけるものと思われていることもあるが、それは、ライトモチーフではなく、          とのこと。
ライトモチーフは日本語では示導動機と訳されて、次の展開を示していくものを指す

  • 台詞・歌・アンダースコア

台詞と歌とのギャップ(急に歌い出す)をいかにならすか
ここで重要になってくるのがアンダースコア
単に伴奏というわけではなく、台詞を話している時にさりげなくアンダースコアが背景に流れ始めて、それが盛り上がるところで、台詞から歌へ切り替わるなどして、台詞と歌をなめらかにつなげる役割を果たす

  • アンサンブル

もともと、歌の音量をあげるためにも用いられてきたが、メガ・ミュージカル以降、民衆をあらわすものとして用いられている。
1人で歌うと誰の声か分かるのに対して、複数人で歌うと誰の声かが分かりにくくなる、そういうコーラスの匿名性により、民衆をあらわすことができる
主人公が歌ったフレーズを、コーラスが繰り返すことで、主人公の思いや考えが民衆にも受け入れられたことを示したりとか、そういう風に用いられる

  • 劇音楽コンサート

ミュージカルは、歌と台詞、音楽と物語を統合させるもので、かつてのショーのように、歌が独立しないようにするものだが、一方、《ジーザス・クライスト・スーパー・スター》のように音楽が先だったり、《キャッツ》のように物語はあまりないような作品だったりもあり、曲だけを取り出して受容するという楽しみ方も存在し続けている。
むしろ、近年では、そういう楽しみ方として、ミュージカルの曲だけを取り出したコンサートもある。

終章 ポピュラー文化としてのミュージカル

歌声


音楽がヒットを牽引する例として、アナ雪の「レリゴー」
あるいは《ロミオ&ジュリエット》《1789》などのフランスミュージカルは、物語的な統合よりも、コンセプト・アルバム的な個々の曲の独立性が強いものらしい
また、ABBAのヒット曲ありきの《マンマミーア》とか


ラップを取り入れるなど、新しいものを取り入れて変化する動きもある。


また、スペクタクル(《レ・ミゼラブル》のバリケード、《ミス・サイゴン》のヘリコプター、《オペラ座の怪人》のシャンデリアなど)の重視


日本では、翻訳作品は多く上演されているが、ヒットするオリジナル作品は生まれてこなかったが、近年の2.5次元ミュージカルは、日本におけるオリジナル・ミュージカルとして注目される、と最後2ページほど言及されている。

補遺 ナンバー解説―音楽の役割

  • 《ラブ・ネバー・ダイ》

クラシックとロックによるキャラ付け

レクイエム「怒りの日」のモチーフの利用

  • 《キャッツ》

「ジェリクルソングズ・フォー・ジェリクルキャッツ」は、歌詞の強拍と旋律の強拍をずらすことで、猫の気まぐれさを描写する

オープニングにより作品のテーマを提示

「ワン・デイ・モア」のリプライズ。複数の並行する物語の統合

  • 《パレード》、《ジキル&ハイド》

アンダースコアによる歌とセリフの統合
《パレード》では、台詞の背景に流れるピアノのイントロが、チェロへと変わり盛り上げていていき、台詞が歌へとつながっていくという展開
《ジキル&ハイド》の「理事会」では、ジキルと理事会メンバーの激しい口論が、アンダースコアに支えられながら、台詞と歌、独唱と合唱が入りまじりながら展開する。


ここで紹介されている曲について、サブスクで聞けるものはざっと聞いたが、《ジキル&ハイド》の「理事会」はかなり迫力があって、よかった
「ジェリクルソングズ・フォー・ジェリクルキャッツ」は、有名な奴で、聞いてみたら「あ、この曲のことか」とすぐにわかったが、《キャッツ》自体は見たことがなくて、説明を読んで、なるほどねーという感じだった。拍がずれていく感じは確かに面白い。